ヘルズ・エンジェル2011/04/23 08:36



USAのバイク乗りの集団、ヘルズエンジェルのメインメンバーの回顧録。
副題は「サニー・バージャーとヘルズ・エンジェルズ・モーターサイクル・クラブの時代」

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そんなに古い本ではないのだが(確か21世紀になってからの刊行)、もう手には入らない。私は図書館で見かけて、借りて読んだ。

USAでハーレーダビッドソンを愛好する集団、ヘルズエンジェルの初代総長?の回顧録である。何せもうジジイで古い話だし・・的な暴露本とも。その暴力的なイメージに何かを期待している向きには、刺激が少なく少々残念な内容かも知れない。

でも当時のカルチャーを知るにはいい教材だ。日本で暴走族というと、空ぶかしで音だけ大きくゆっくり走る、例の独特のスタイルを想像されると思うが、バイクで走る集団にもいろいろあって、実際はもっと細分化されている。(と当人達は思っている。)
私などは、ヘルズエンジェルと言われると、荒くれ、暴力的なイメージと共に、長髪、革ジャン、ズタボロのGジャンと背中に大きなエンブレム、といった「見た目」をまず想像してしまう。と同時に、なんだか良くはわからないが、何か一本通そうと、もがいているようなイメージがある。
質的に同じだったかは別にして、同じコンセプトを標榜したグループは日本にもあった。そういった文化的な影響が濃かった時期があった訳で、その実像が何だったのか、今なら冷静に振り返れる、そういった見方もできるだろう。何となくだが、筆者もそのつもりで書いたようにも思える。

「本家」の彼らの主張を今、読むと、何とも不思議な感じがする。
「基本的には正しい」のだが、やり方が一直線というか直情型だし、進むうちに曲がったり間違ったりもあるので、嫌がられたり、捕まったりもする。だが、「基本的には正しい」ので、裁判では最後に勝ったりする。
善悪とか損得で考えるとよくわからない。多分、彼らにとって、大事なことはそんなことではない。

ジジイになっても生き残った。大好きなバイクに乗れる。
少しだが仲間も居る。
嬉しい。

そのシンプルさには、説得力がある。
それは、彼の価値観が、あの時代特有の光を帯びているからかもしれないし、単に、私も彼と同じに、ジジイになりつつあるから、なのかもしれない(ノスタルジー)。

でも多分、本当は、それが在る種の「本質」を突いているからだ。

その一端が、彼の言う「自由」に表れているようにも思うが、だとしたら、それは普段、我々がそう呼んでいるものとは、かなり違っている。相当な覚悟が居るし、かえって背負うものもある。結果として、我々の言うお気楽な自由のイメージからは、かえって遠ざかっているようにも見える。

当時、日本で、バイクやGジャンをマネした連中の中でも、そこまで理解して、実践できた奴は少なかったろう。
だから、残らなかったのだ。ファッションとしての形式だけ残して。

しかし今、本国(USA)を見ても、状況は大差ないようだ。
腕のタトゥーが、ファッションになって久しい。
それは、彼の「自由」の概念に、普遍性がなかったからなのか。
それとも、厳しすぎて、堕落した人間には受け入れ難いからなのだろうか。


たぶん今、「ヘルズエンジェル」なんか言っても、なにそれ健康食品?(ヘルスエンジェル?)なんか言われるのがオチだろう。(笑)

「自由なジジイ」は魅力だが、どうも、ますます遠ざかっているようだ。


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古本だけど。
ヘルズ・エンジェル—サニー・バージャーとヘルズ・エンジェルズ・モーターサイクル・クラブの時代

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