「 LA 1000 vespistica -due momenti di un mito 1951-1954 1965-1970 」2011/10/02 05:53



かつてイタリアで開催されていた「べスパ1000kmラリー」の様子を伝える。
(★★★★☆)

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あんまりユーロが安いので、久しぶりにイタリアから本を買っちまいました「パート2」。

これ、「安売り」の札に釣られて買ったんだが。
届いたのは・・・とてつもなく汚い本でした!。
一体いつの本だこれ・・・とブツクサ言いながら一生懸命拭いたら、なんぼかキレイになったが。

刊行は・・・2001年、かな?。10年前。

お話の方は半世紀も前の話で、昔、べスパで公道1000kmを走り抜けるイベントがイタリアで開催されていて、その様子をまとめている。開催期間は、途中、中断期間があって、表題の通り、1951 ~ 1954年と、1965 ~ 1970年に分かれる。

パラパラめくった限りだが、もうひっちゃきに1000kmを飛ばし続ける・・・という感じではなくて、そこはベスパなので、すそ野は広く。「ベスパクラブどこそこもエントリー!」といった感じで、皆さん、なかなか楽しんじゃっているように見える。

コース図です。イタリア半島の根元。

どんどん走ります。

まだフェンダーライトの時代。
雨でも走ります。

道が川でも突っ切ります!。



女性のエントリーも。いい笑顔だ。

「まだ戦後」を思わせる、まばらな風景の中を、多数のベスパが駆け抜けている。

サポートは草イベントのレベルではなく、かなりしっかりした印象。(当然、ポンテデラも噛んでいただろうし。)
エントラントも結構多くて、なかなか盛況だったようだ。

再開後のコース図。イタリア中部側に移ってますな。

ライトがハンドル部に上がって、今風の外観に。

街並みも少し現代風に。

ダートも走ります。

夜も走ります。

風光明媚ですが、走ります。

ゴール。


こんな風景を見せられると、考え込んでしまう。

「みんなで楽しむ」には、ベスパのような小排気量が手軽でいい。
これを、長距離の公道レースというイベントに仕立てて、実際にみんなで楽しんでいる。
素直に、うらやましい。
ここ日本では、こんな楽しみ方はできたこともないし、これからもできないだろう。

いつぞや 自分のサイトにも書いた が、「レース」のすそ野は、狭まる一方のように思える。
レースが、性能や耐久性の証しだった時代は、ほんの初めのうちだけだった。
今やレースは、限られた選手が、金網の向こうのクローズドサーキットでやるものだ、とみんな思っているだろう。そしてそれは、勝利のためではなく、販促や、訴求のためにある。
たとえ選手とお揃いのR1やCBRに乗ったとて、ロレンツォやストーナーのように走れるわけもない。そんな茶番は、今のさとい若者を、もう惹きつけない。レーサーをかっこいいと思ったり、それを真似ることを価値だ、とは思わないのだ。
現に、レースの興業は減る一方らしい。

もう少し視界を広く取って、バイクというハードの市場を世界的に見回してみても、大型スポーツバイクなどは実入りとしては少数で、業界のメインは、アジアやアフリカで使われる、小排気量の実用車だ。そして、そこでの顧客は、かつての我々のように、訴求としてのレースを必要としていない。
「バイクなんか、安く買えて、荷物を積んで動いてくれればそれでいい」

そんななので、身近で手軽なバイクでもって、レース仕立てで楽しんで乗る、なんて豊かな時代は、もう来ないのだろう。

公道レベルで楽しむなら、ベスパのような小排気量スクーターで十分だ、とこの白黒写真集は語っている。
それよりはるかに大型で、高性能なバイクに乗っているのに、これを「豊かな時代」と書く私は、頭がおかしいのだろうか。

そして、何となく、私は無意識に ベスパのツーリングもの を集めているように思える。
何でだろう。
どこかで精神汚染されたかな。(笑)



イタリア語なので、Amazonにはありません。

LA 1000 vespistica
due momenti di un mito 1951-1954 1965-1970

ISBNですが・・・どこにも書いてません・・・。


"Fabio Taglioni, la Ducati, il Desmo"2011/10/09 08:29



「イタリアから本を買った」パート3。
これでおしまい。


実を言うとですね、まだちゃんと読んでません。(笑)


ドカティのエンジニアとして有名なタリオーニだが、私にはその姿を、どうも具体的に想起できない。

・ あの真紅の、刺激的な革新のバイクをなしえたエンジニア
・ 傑作を生み出す、優れた手腕
・ 先見の明とオリジナリティ
・ 鬼才
・ 天才
云々。
いろいろと、美辞麗句には事欠かないようなのだが。

実際、デスモなんか彼が使い始める前からあったし、L型二気筒のレイアウトも、モトグッチのレーサーにヒントを得たものだ、と彼自身が言っている。(と、どこかで読んだ。)
パンタにしても、TT-F2のフレームは公道に堪えない、などと言っていたくせに、その後に続くパンタ市販車の系譜はまるで不出来で、フツーに距離を重ねられるようになるまで、熟成に10年くらいは要したように思う。

だいたい、Ducatiのプロダクトに対し、彼がどの程度、影響力を持って仕事をしていたのか、わからない。
ただの、エンジン専門の技師だったのか?。
あの小難しくてやりがいのある動特性まで、全て彼が考えたのか?。

それが、彼の意図通りだったのかも、わからない。
やりたくてやったことが、その通りの結果になったのか。
意図しなかったが、それ以上の結果がたまさか出たのか。
もっとやりたかったんだが、何かの理由で妥協した結果だったのか。
実は、図面だけ書ければよかったのか。(そういう技術者はよくいる。)
勝てさえすれば、売れなくてもよかったのか。
その逆か。

人間性とか、人生に対する厳しさとか、そんなことも言われるようだが、人格と仕事のデキには、何の関係もない。
などと言うと怒る人がよくいるのだが、見た目がオカマやヤクザでも、いい仕事をするやつはするし、逆に、どんなに優れた人格者でも、役立たずは居る。皆さんだって、失敗したのはキミの人格が劣っているからだ、などと言われれば、違うんじゃん?と言いたくなるだろう。人格と、仕事に対する鋭どさ厳しさは、本質的に違うものだ。
だから、彼がいかにいい人だったとしても、Ducatiが褒められる、いわれにはならない。

私がモトグッチのエンジニアの話を書いた時 、当時のモトグッチは比較的大きな会社で、社内に複数の技術チームを擁していた。あれはあいつがやった、これはオレ、のような棲み分け、というか担当がはっきりしていた。なので、各々のプロダクトを比較することで、エンジニアの質や意図がよくわかったのだ。
(開発現場が、いくつかの案件を並行する程の規模なのに、ぱっと見回して様子がわかる程度に収まっていて、各々の仕事の細部が埋もれずに残っていた。だから、逸話やデータといったディティールがそれなりに残っていて、後から追ったり組み立てたりが容易だった。あれは、私のように後から調べる人間には、幸運な環境だった。)

Ducatiの場合、そういうことでもなかったようだし。

あとは、デザイナーとしてテルブランチ辺りの名前が、(代役として?)ちょろっと出てきたくらいだろうか。


タリオーニの名前は、何となく宣伝文句と言うか、便利なブランドとして使われているだけ、に見える場合が多い。
(タンブリーニあたりも同じだろう。)

その辺りを、少しは学べれば、と思って買ってみたのだが。

また、何かわかったら報告しよう。



"Fabio Taglioni, la Ducati, il Desmo"
con una straordinaria spiegazione inedita scritta da lui stesso

Nunzia Manicardi

Libreria Automotoclub Storico Italiano
Torino

ISBN 不明