"Fabio Taglioni, la Ducati, il Desmo" ― 2011/10/09 08:29
「イタリアから本を買った」パート3。
これでおしまい。
実を言うとですね、まだちゃんと読んでません。(笑)
ドカティのエンジニアとして有名なタリオーニだが、私にはその姿を、どうも具体的に想起できない。
・ あの真紅の、刺激的な革新のバイクをなしえたエンジニア
・ 傑作を生み出す、優れた手腕
・ 先見の明とオリジナリティ
・ 鬼才
・ 天才
云々。
いろいろと、美辞麗句には事欠かないようなのだが。
実際、デスモなんか彼が使い始める前からあったし、L型二気筒のレイアウトも、モトグッチのレーサーにヒントを得たものだ、と彼自身が言っている。(と、どこかで読んだ。)
パンタにしても、TT-F2のフレームは公道に堪えない、などと言っていたくせに、その後に続くパンタ市販車の系譜はまるで不出来で、フツーに距離を重ねられるようになるまで、熟成に10年くらいは要したように思う。
だいたい、Ducatiのプロダクトに対し、彼がどの程度、影響力を持って仕事をしていたのか、わからない。
ただの、エンジン専門の技師だったのか?。
あの小難しくてやりがいのある動特性まで、全て彼が考えたのか?。
それが、彼の意図通りだったのかも、わからない。
やりたくてやったことが、その通りの結果になったのか。
意図しなかったが、それ以上の結果がたまさか出たのか。
もっとやりたかったんだが、何かの理由で妥協した結果だったのか。
実は、図面だけ書ければよかったのか。(そういう技術者はよくいる。)
勝てさえすれば、売れなくてもよかったのか。
その逆か。
人間性とか、人生に対する厳しさとか、そんなことも言われるようだが、人格と仕事のデキには、何の関係もない。
などと言うと怒る人がよくいるのだが、見た目がオカマやヤクザでも、いい仕事をするやつはするし、逆に、どんなに優れた人格者でも、役立たずは居る。皆さんだって、失敗したのはキミの人格が劣っているからだ、などと言われれば、違うんじゃん?と言いたくなるだろう。人格と、仕事に対する鋭どさ厳しさは、本質的に違うものだ。
だから、彼がいかにいい人だったとしても、Ducatiが褒められる、いわれにはならない。
私がモトグッチのエンジニアの話を書いた時 、当時のモトグッチは比較的大きな会社で、社内に複数の技術チームを擁していた。あれはあいつがやった、これはオレ、のような棲み分け、というか担当がはっきりしていた。なので、各々のプロダクトを比較することで、エンジニアの質や意図がよくわかったのだ。
(開発現場が、いくつかの案件を並行する程の規模なのに、ぱっと見回して様子がわかる程度に収まっていて、各々の仕事の細部が埋もれずに残っていた。だから、逸話やデータといったディティールがそれなりに残っていて、後から追ったり組み立てたりが容易だった。あれは、私のように後から調べる人間には、幸運な環境だった。)
Ducatiの場合、そういうことでもなかったようだし。
あとは、デザイナーとしてテルブランチ辺りの名前が、(代役として?)ちょろっと出てきたくらいだろうか。
タリオーニの名前は、何となく宣伝文句と言うか、便利なブランドとして使われているだけ、に見える場合が多い。
(タンブリーニあたりも同じだろう。)
その辺りを、少しは学べれば、と思って買ってみたのだが。
また、何かわかったら報告しよう。
"Fabio Taglioni, la Ducati, il Desmo"
con una straordinaria spiegazione inedita scritta da lui stesso
Nunzia Manicardi
Libreria Automotoclub Storico Italiano
Torino
ISBN 不明
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