「絶望の国の幸福な若者たち」 ― 2011/12/03 07:15
昨今の若者の文化や意識を論じる
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若者が書いた若者論ということで、話題になっている本のようだが。
多少の反論が真新しいかな、といった程度で、特に得るものはなかった。
世代論なんて、大体は「書くネタ」として面白ければよいので、一面的だったり、都合が良かったり、おべっかや、恣意的なでっち上げだったりするものだ。
論としての妥当性も普遍性もあまりないので、その時々で面白おかしく取り上げられた後は、あっさり死語化したりする。
古くは「団塊」や「新人類」、最近の「バブルとゆとり」といったあたりも、そうなるのではなかろうか。
本書も、若者の意識の、特徴や変化について、統計やインタビューにより多面的に論じてはいる。しかし、統計は大雑把で焦点がぼやけているし、インタビューでは逆に視界が狭すぎて「ごく一例」の印象となる。その間を埋めて、論に厚みを持たせるのが著者の腕だったりセンスだったりするわけだが、そこはあまり意欲的でない。
社会学的な視点を売りにもしているようだが、何かを知りたい、と思っている感じはない。上手に書こう、とは思っているようだが。調査に要した労力には同情するが。
結局、「ほとんどいつも通り紋切り型」という意味で、世代論として、従来の枠組みからは出ていないと思う。
考えたいとか、知りたいと思っている人には向かないだろう。
ネタとしてはいいかもしれない。
早速、震災までネタにしているのは、不謹慎だと思う。
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絶望の国の幸福な若者たち
「言語を生みだす本能」 ― 2011/12/04 07:23
言語能力と本能について考察
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題名から、言葉と本能の界面について、何か知見が得られるかな、と思ったのだが。
言葉は本能的に作られるもので、その逆ではない、ということが、くどくどと述べられているだけだった。
音声による情報伝達というのは、人間以外の動物でも、なかば本能的になされているので、言葉がまるきり後天性だ、というのも極論だと思うが。この複雑な文法を持ち、地域や世代や教育の影響も大きい「言語」が、まるきり本能による、というのも極論だろう。その辺の区分け(定義)から始めた方がよさそうな印象だ。
大体、言葉の神秘性について、言葉で考えていて、わかるもんなんだろうか?。
しかし、くどい本だった。
せっかく頭がいいのだから、もう少し工夫なり技なりが欲しい所だ。
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言語を生みだす本能〈上〉 (NHKブックス)
「道のかなた」 ― 2011/12/04 07:37
道を撮った写真集
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全く一般の写真集なのだが、どうしても「バイク乗りの目」で見てしまう図柄ばかりなので。そのカテゴリでも取り上げさせていただく。
師走に入り、すっかり寒くなってしまった。
地方によっては、バイクは走れない季節、でもあろう。
ツーリングに行けないウサ晴らしとして、何枚か眺めていただこう。
舗装路だけではなく、散歩道も網羅されている。
世界中の、いろんな種類の「道」が取り上げられていて、見ていて飽きない。
私のへなちょこデジカメの複写→縮小では、ニュアンスのあらかたは失せてしまっているのだが、当然、本で見る「実物」はもっときれいだ。この鮮明さと奥行き感はデジカメではなくて、ブローニーのポジあたりではなかろうか。できれば、自分で購入されて、眺めていただきたいできばえだ。図版も大きめで数も豊富で、この値段ならお買い得である。
道への郷愁が満たされるか、かえって煽られるかは責任を負いかねます。(笑)
バイクで出た時に、たまに自分でも撮ってみるのだが・・・こうは撮れない。どなたか、うまい撮り方を知っていたら教えて欲しい。(レンズの画角とか・・・。)
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「道のかなた」
ハガキ版もある
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どこまでも続く道 (Healing Photo+CardBook)
「道つながり」で、こちらもどうぞ。
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「バス停留所」
「株式会社という病 」 ― 2011/12/10 06:57
会社やビジネスという文脈が、考え方に及ぼす影響を思索
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子供のころに見たアニメ映画だったと思うが、小さな女の子が、こんな台詞を言っていた。
「あら、だって。パパは、会社に行くものよ。」
さようかほどに、会社は当然のように存在し、物質的な糧として、また精神的なよりどころとして、当たり前のように機能している。(または、機能していないので、物質的、精神的な圧迫要因になっている。)
一般に、そう思われているようだ。
この、当たり前の与件のように振舞う「会社」を、「病」という全く脈絡のない比喩に置くことで、不快だが避けられないもの、誰でもハマりかねない落とし穴、といった予感を抱かせる。
うまい題名だ。
そこに「姑息さ」を見る人もいるかもしれないし、例えば会社という制度を一方的に糾弾するために書かれたような本を想像されるかもしれないが、違う。もっと、まじめな本だ。
目的は、著者も書いているが、「会社とはどういうものなのか、の考察」だ。
「会社」が、どんな姿をしていて、どのように成り立ち、我々にどう影響したか、しつつあるか。それを、淡々と「考えて」いる。
一応、整理して伝えよう、という心遣いはしてくれているが、思索の道筋を略さず記した「記録」のようにも見え、平たく言うと、文章は少々くどい。結果として、伝えたいものが明確にあったのか、ただ考えたことを書きたかっただけなのかは、ぼやけている。
しかし、著者の思考の後をたどるのは、あながち無駄な作業ではない、とも思わせてくれる。著者の経験と見識には厚みがあり、それを言葉に乗せる技にも優れている。多面的で、時に鋭く差し込む著者の視線は、その辺のビジネス書の風情とは、一味違った風景を見せてくれる。スリリングで、刺激があり、参考になる。
閉塞感が強まる昨今、立ち止まり、振り返る形で考えてみたい人にとっては、有用な書だと思う。
しかし、何せ「思索」なので、結論はない。
これからどうすべきか。
それは、自分で考えねばならない。
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2007年版
株式会社という病 (NTT出版ライブラリーレゾナント)
最近、文庫版も出たようだ。
株式会社という病 (文春文庫)
「 NEO RUINS 」 ― 2011/12/11 06:45
廃墟と化した都市を描いた画集
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ずいぶん前の話なのだが。
変な夢を見た。
海に程近い事務所に転勤になり、しばらく経った頃だ。
いつも通りの街並みなのだが。
妙に、さびれている。
ひと気がない。
建物は汚れていて、明りは見えない。
空き家になって、久しい雰囲気。
地面のコンクリは割れ、浜辺からの砂に侵食されている。
浜辺でよく見る小さな花なんかが咲いていて、潮っぽい風に吹かれて、揺れていた。
放置されて、ずいぶん経っているのだ。
廃墟といっていい。
足元の砂なんかを、つま先でザクザク掘り返しながら、私はつぶやいた。
「ひどいもんだな。あれから、20年しか経ってないのに。」
・・・・・「あれ」とは、私が赴任した時を指していた。
妙に、はっきりとした夢だった。
衰退が自覚されて久しい昨今だが。
寂れる、ということが、どういう表層(風景)を成すか。
あの夢から、注意して見るようになった。
去年あたりだったか、廃墟の写真集が流行った。
軍艦島あたりが、よく取り上げられていたように思う。
「衰退」の時流に沿った流れだったか、とも思うのだが。
こんなものを見て、何かを感じるのは、私だけではないのかな。
そう思いながら、眺めていた。
そして、あの震災が来た。
あの、瓦礫に埋もれた悪夢が、現実となってしまった。
幸い、冒頭の海沿いのオフィスは震源からは遠く、無事に、まだ機能している。
私は地震のとき、たまたまそこに居て、液状化が吐いた泥水を避けながら、歩いて避難した。
あれが、正夢になる事態は避けられたのだが。
このまま行くよう、祈っている。
夢で見た「20年後」まで、既に半分を切っている。
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本書は、写真集ではない。画集である。
日ごろなじみのある都市、東京なんかが廃墟になった様を、みっちりと書き込んでいる。
繁栄の裏返しとしての衰退を、その意味を、見通す契機にできるかな、とも思って買ってみたのだが。そこまでのクオリティかは疑問だった。絵は小さいし、頁数に対して、少々お高い。
著者の名前あたりでググると、中の絵を見られるサイトがあるようなので、興味のある方はご覧いただきたい。
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元田久治作品集『NEO RUINS』 (エーテー・アートブック)
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