読書ログ 「ピダハン」 ― 2012/08/25 10:07
アマゾン原住民のピダハン族の言語を切り口に、「文化」の背景を考察する
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ぱっと見、妙な装丁の本だ。
アマゾンの原住民の写真に、
「言語本能」を超える文化と世界観
なる副題。
言語、本能、世界観??。
訳のわからないプロモーションで、目を引こうという作戦か?。
実際に中を読むとわかるのだが、どうも、言語学の世界では、
・言語は、人間の本能が作る
・だから、言語はどれも本質的には同じものだ
(例えば、英語でも日本語でも、その違いは些細なものだ)
・文化文明による後付けの影響は、ありえない
というのが「定説」なのだそうだ。
というのは、以前取り上げた これ の辺りが、その最右翼だったらしい。
その時にも書いたが、普通の感覚からすれば、
・言語は文化に依る
(例えば、英国人の考え方と、英語の造りには相互作用がある)
・だから、言語には地域性がある
・人間という動物が持つ本能が、普遍的に作り出す物ではない
というのが、一般の理解だと思う。
以前読んだ、 「進化の本」 に、言語を司るDNAの話が出ていたが、これも、音声パターンを意味づけて認識する能力の話で、言語そのものがDNAに組み込まれているわけではない。お椀はご飯を作らないのだ。
ところが、言語は本能によらない、という論旨は、言語学分野では「学術的に受け入れ難い」そうで、その妙な矛盾が、本書でも、全編に渡って繰り返されている。
筆者は、言語学者でもある。
なので、この本の内容は、言語学会に衝撃を与えた、と、そういうことらしい。
だから、こんなワケわからん表題になっていると。
しかし、本書の面白みは、全く所にある。
ピダハン族の文化、そのものだ。
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筆者は、聖職者でもある。
布教をする為に、原住民の懐に深く入り込み、その言語を習得して、聖書を翻訳する。
それを後押しする専門の機関があるそうで、その派遣員として、アマゾンに入り込んだ人物だ。
言語学の専門知識は必須である。事前に、著名な欧米の大学で言語学も習得している。 その有能さは、折り紙付きだ。
(言語学的には逆説かも知れないが、)言語を習得するには、土地の文化に深く分け入らねばならない。現地民が、どういう脈絡で、何を感じ、考えているのかを把握しないと、彼らの言うことが理解できない。自然、現地民のものの考え方や感じ方、つまり「文化」を、深く覗き込むことになる。
著者はアメリカ人だが、都合、数十年に渡って、ジャングルの奥地で暮らすことになった。その、長期に渡る滞在が、筆者に及ぼした影響は、ことのほか大きかった。
本書には、その詳細が記述されている。
言語や本能より、そちらの方が、よほど面白い。
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さて、そのピダハン族の文化だが。
一見、理想的なものに見えるのではなかろうか。
自然の中で自給自足。
子供も含めて、村人は全て平等。
個々人の力で、全てこなすのが基本だ。
無論、個人の力では及ばないこともある。そこは、お互いに助け合う。
余分なものを欲しがるのは恥だ。数日くらいは、食べなくたって平気だ。空腹におののくことの方が、みっともない。
だから皆、小柄だが、筋肉質で、引き締まった体つきをしている。
富(余分なもの)がいいことだと思われていないので、貧富の差がない。
村の中で、暴力は御法度だ。手を出していいのは、浮気がばれたダンナをポカポカなぐる、奥さんだけだ。(笑)
夜は熟睡しない。着の身着のままのジャングル暮らしで、いつ天敵に狙われるかわからないから。夜中でも、誰かが話しこんでは、笑っている。
そんな感じで、みんな、いつも陽気で楽しげだ。
彼らの、ものの考え方には特徴がある。
実際に目にしたことしか、考えてはいけない。
当然、しゃべってもいけない。
話題に上るのは、実際に見たことのみ。
お互いの視界が届く空間的、時間的な広がりの中だけで、彼らは生きている。
過去のしがらみや、遠い未来に縛られずに済むせいかはわからないが、彼らはいつもよく喋り、微笑み、幸せそうに見える。
実際に満ち足りていて、都会ではありがちな、精神疾患のようなものは、見られない。
村の外の物でも文化でも、受け入れる必要なんかない、むしろ、受け入れるのはイヤだ、と思っている。
自分たちの暮らしが一番だと、信じて疑わない。
ナチュラルで、プラクティカルで、カジュアルで、シュアな人たち。
そんなわけなので、ずいぶん前、アマゾンに西欧人が押し寄せるようになってこっち、布教がしにくい手強い民族として、知られていたらしい。
たいした武器も持たないのに、当時からの素の姿を今だに留めているのは、その辺に理由があるらしい。
外圧に対して強情。だからこそ、この一見、脆弱な人々が、残って来れた。
無論、裏面もある。
表面と同じく、激しい。
外部の文化は受け入れないので、浸透度は低いのだが、便利な道具を「借用」するのは時と場合で、例えば、銃だって持っている。
助け合うのは村の中だけで、村の外から来た人間、例えばブラジル人(人種からして見るからに違う)なんかが、彼らのテリトリー(特に土地)に手を出そうとすると、平気で殺しかねない。
村と外との界面だけでなく、村の内部にも、矛盾はある。
出産の折、苦しみに助けを求めて泣き叫ぶ女性は、放っておかれる。基本、自分のことは自分でしないといけないからだ。そして結局、明け方には母子ともに死んでいたりする。それは「仕方が無いこと」、そも命とは、そういうもの。
しかし、ジャングルに出かけて、ケガでもしたのか戻らない村人がいれば、皆で必死に探して助け出す。村人は、助け合わねばいけないからだ。★
・・・ワケわからん。
我々と、違うところ、同じところが様々だ。
良さと悪さも、まだら模様。
まあ考えてみれば、我々も同じ。矛盾のかたまりだ。
例えば、
自己責任だ。
でもルールは守れ。
・・・ワケわからん。
ワケわからないのは、ワケのつけ方のほうが悪いのかもしれない。
上の★辺りで挙げた、ピダハン人の振る舞いの「理由」は、西洋人である著者が勝手に考えて、付け足したものだ。それは所詮、「外部の理屈」であって、当事者たちにとっては、迷惑なこじつけかもしれない。
そも、理由をつけようとすること自体、間違っているのかもしれない。もっともらし理由がついたところで、何の解決にもならないし、事態の好転にもならないものだ。ただ、理由や名前をあてがえば、何となく、分ったような気になれるだけ。
そんな諸相を、まるっとひっくるめて、少し遠くから眺めてみると。
要するに、我々の側の、常識から感覚まで、ものの感じ方や考え方が、実にいい加減なものだと。言い過ぎれば、ただの、多少凝った虚構なのだと、ピダハン達は、教えてくれる。
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その証拠に、不条理はいつも、我々の身近にある。
最愛の子供が、死んでしまう。
「病気」だそうだ。
「病気」って何だ?。
一緒にツーリングしていた仲間が、死んで行く。
何の落ち度もないのに。
「事故」だそうだ。
何だ?、その「事故」って。
去年の3.11には、でかい「災害」てのがありましたね。
病気とか事故とか、呼び名をつけたら、何か済むのか?。
でも、何もできない。
不合理だ。わかっている。
・・・なじる気にもなれない。
そうして、黙してしまう。
その、負い目のようなものを背中で感じているからこそ、ピダハンのような人々から、こちら側を見る視線を感じた時、我々が背負う矛盾が、浮き彫りにされる思いがするのだ。
きっと、恐怖を感じる向きもおられるのではなかろうか。
認知~理解の作法は、習慣の積み重ねによる。
所詮、cultureなんて、habitの構造体だ。
その構造は、長年積み重ねて来ただけに、もっともらしい重みを持つ。容易には壊れないし、教育や訓練という船に乗って、ほとんど変らずに受け継がれて行く。
現に最小限で満ち足りているピダハンの人々に対し、我々「文明人」が、ただ生きているだけでは足りず、「もっともっと」を求めつつ、互いに争うのをやめないのは、人間の本能や、何かしらの必然性や妥当性があってのことではなくて、ただ、われわれがそういうhabitをもつ集団ですよ、というだけなのである。
果たして、どっちが文明人なのやら。
多分、以前取り上げた 「カネなし」 や 「親切な」 の彼らを苦しめていたのは、我々が誇る文化、文明なのだろう。
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話を本書に戻すと、前述の言語学云々のプロモーションとは別に、そういった「感受性と思考の構造としての文化」を考える上で、非常に稀有な刺激を与えてくれる。
かなりボリュームがある本だし、途中グダグダもあるのだが、なるべくがんばって、最後まで読むべしと思う。(著者は、最後にまとめを試みていて、ちょっと衝撃的な内容も含まれる。詳述はされないのだが、著者はこの経験に際し、相当大きな痛みも伴ったらしい。どうも、ピダハンの文化にかかわる深度が、深か過ぎたようだ。)
ひとつ残念に思ったのは、西欧特有の、理由を探す見方、考え方ではなく、もっと素の見かた、無地に絵を描く感じの観察に依っていたら、面白かったかもしれない。(イメージとしては、昔の日本の猿学フィールドワーク的な視線が近いか。) まあ、西洋的ではなくなると、西洋世界で評価されなくなるので、名声からは遠ざかってしまうし、かえって「伝わらなかった」かも知れないのだが。
視線の取り方や考え方で、ものごとは違って見える。だからこそ、「ものは考えようだ」と老人は言うし、「悟れ、信ぜよ」と東西の坊主は合唱し、「問題そのものが存在しません」と官僚は言い募る。
でも、そういう問題じゃないよなあ・・・というモヤモヤは、やっぱり残る。
真実と、認識の、境目の「形」。
それは、是非とも自分で解決してみたいと、考え続けている。
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ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観
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