バイク読書中 「Vespa style in motion」 #032012/09/02 09:09

Vespa: Style in Motion

敗戦国の、戦後の混乱期。もとは航空関連だった工場がスクーターに目をつけて、模倣と工夫を織り交ぜながら、機体の熟成と、市場の制覇を目指す。そのストーリーは、 いつぞや取り上げたラビット によく似ている。

件のラビットの本には、戦後に分割された工場が、もとは同じ会社だった親近感と、戦中から工場間に存在した競争や棲み分けを引きずった軋轢とが織り交ざって、ちょっとした相克を醸す様子にも(行間にだが)触れられていたが。本書には、そこまで詳細な記述は無い。むしろ一般レベルの、曖昧な印象に終始している。

当時、バイクマニアでもあったという Trossi伯爵 の協力や、既にイタリアに入ってきていたCushmanなどにヒントを得る形で、Piaggioの新たな参入先(の一つ?)として、二輪コミューターが浮上。

とはいえ、イタリア国内でも、スクーターの生産は1930年代の終盤には始まっていたそうだから、「ヒントを得た」というのは、「こんな乗り物があったのか」の意味ではなくて、「これなら作れる&売れる」という「手ごたえ」のようなものではなかったかと想像される。

当時のスクーターといえば、まさに子供用のスクーター(キックボード)に、芝刈り機の?エンジンをつけたような造り。ちょいと便利な「動くイス」レベルだった。

ハリウッドの女優さんが練習するの図。
「コレ、撮影所の移動に便利なのよ」といった所か。
(メカニズムを、リアタイヤの真上に縦積みで収めているというのは、今見ると、斬新な気もするけど。)

当時のモーターサイクルといえば、ウルサくてキタナイ(チェーンとか、今も同じか)というのが通り相場で、一応フルカバードで、女性のかたにもキレイに乗っていただけますよ、といったコンセプトだったようにも見える。


長距離を頑張って乗るような感じではなくて、ごく短距離を快適に、という思想なので、そう凝った作りは要らないのだが。あまりに簡単すぎると見た目にショボイし、信頼性も怪しく見えて「ホントに動くの?」となってしまう。かといって、変に凝ったり、独自に過ぎると、コストが厳しくて数が出ない。
遊びと実用の境目からの脱皮を果たしていなかったので、市場は限られており、北米でのお遊び用途の程度だった、といった話は、この本だけではなく、他でも何度か見かけた気がする。

とはいえ、この戦後の時期、ユーザー側にも固定概念がなくて、斬新な新製品を受け入れる素地は大きかった。(バイクはこういうもの、これ以外は受け入れない、のような硬直性が無い。) また、当局の規制もまだ本格化しておらず、例えば何ccまでとか、コレとコレは絶対に付けないといけない(付けてはいけない)のような縛りも、今の感覚よりは相当少なかったはずだ。

「何を作ってもよかった」

自由とは、文字通り、自らに由るということだ。
しかし、成功するには、実力とセンスはもちろん、運も要る。

この時に、Piaggio初のスクーター試作車として出てくるのが、MP5だ。

MP5:Moto Piaggio numero 5
by Renzo Spolti
in 1944

なんでいきなりNo.5なのか(No.1~4はボツった?)、よくわからない。例えば今、MP3なんかで検索すると、新しい方、前二輪の三輪車がどちゃまんと出てきて、混乱するだけだ。

上の写真は、ライティングなども凝っていて、実に美しく撮っているのだが、それでも、垢抜けない印象だ。もっとざっくばらんな写真、 このあたり を見ると、さらに安っぽくも見える。
当時も評判はなかなか悪くて、ほとんど「醜いアヒルの子」扱いだったらしい。100台程度が試作されたようだが、結局は、日の目を見ずに終わってしまう。

しかし、作りとしては、その後のモデルと共通点が幾つか見られる。
ステアリングヘッドからフットボードまでを、板材を緩やかに曲げて作っている所や、小径タイヤに深いフェンダーを被せている所、ハンドル周りの「細部に美を込めたような作り」などは、こいつの子孫たちによく似ている。

人が乗っちゃえば、そんなに醜くはないんだけどね。

しかし、それなりの役割は果たしたモデルだ。
この、ボテッと「見るからに遅そうな」スタイリングは、当時の経営者(Enrico Piaggio)から見て、「あのなあ」だったらしく、彼に、新たなトリガーを引かせる。

そうして、この醜いアヒルの子。
美しい白鳥に生まれ変わる。



バイク読書中 「Vespa style in motion」 #042012/09/09 06:16

Vespa: Style in Motion

(前回の、MP5の続き)

Enrico Piaggioに雇われたD'Ascanioが、このプロジェクトを刷新して、1945年の末に作り上げたのが、MP6だ。


このスタイリングは、確かに、あの見慣れたVespaだ。
構造もほぼ同じで、モノコックのボディ、ミッション一体型のダイレクトドライブ、ハンドチェンジ。

その4年後、大成功を収めたVespaを祝う(宣伝する)ラジオ番組の中で、D'Ascanio自身が語ったとされるコメントが紹介されている。ざっくりポイントだけ紹介すると、

  ボクは航空機の技術者で、バイクはよく知らない。

  Vespaは、バイク乗りとして特段の努力をしなくても、乗れるよう考えた。

  安っぽくなく、かつ、実用的なものにした。

  動力(エンジン)の位置を人間から離した。
  かつ、カバーで覆った。(丸出しはイヤ。)

  エンジンとミッションを一体にして、コンパクトにした。

  ホイールの取り付けは、四輪と同様に、付け外しをラクに。

  ボディは必要最小限にした。
  (小さく、軽く、安く:材料費、使用する鉄板の面積の話か)

  ハンドルから手を離すのは怖いので、操作系は全て手元に集めた。

  でも、既存の操作法とほぼ同じなので、すぐ馴染めるはず。

<ナレーション>
 「Piaggioは、あの戦禍から、不死鳥のごとく甦りました。
  皆様のVespa。お待たせしません。続々生産中!。」
<ファンファーレ>

と、そんな感じだったらしく。

最後のナレーションは、大企業ならではの技術力を何気にアピールしていてニクいが。

D'Ascanioのコメントの方は、技術屋らしい、実にあっさりしたものだ。
しかし、Vespa出生の視点を、よく伝えていると思う。