読書ログ 「消滅した国々」 ― 2013/07/06 05:17
小型の国語辞典のような、厚い本だ。全700頁を超える。
副題に、「第二次世界大戦以降崩壊した183ヵ国」とある通り、近代に消滅した国家を羅列して、その歴史を手短に説明している。
その説明は、よく言えば軽妙、悪く言えば通り一遍。おしなべて軽めで、信憑性には疑問符もなくはない。しかし、これだけの国が、それぞれの状況で「出ては消え」したその様相を、鳥瞰するには十分といった量だ。
いや、十分どころか、全体としては、量的にはかなりのものなので、通しで実務的に読もうというのは、避けたほうが良さそうだ。例えば、国々が滅亡した理由を類型分けしようとか、原理原則の導出、日本国を永らえさせる秘訣や手段なんかを読み取ろうなんかすると、えらい労働量になるだろう。つるっと読んで、ふーん、そんな国もあったのかー、と感心して終わる本かと思う。(実際の読まれ方も、粗方はそうじゃないかと思われるが。)
最後に、著者が、故郷であった大宮市が、平成の合併劇で浦和に植民地化され、以来、分離独立に向けて、市政に関わり、もがく様が書かれている。そんなバックグラウンドを思いつつ読むと、また違ったアスペクトが得られるかも知れない。
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消滅した国々―第二次世界大戦以降崩壊した183ヵ国
バイクの本 「グッバイ!タンデムシート」 ― 2013/07/07 05:57
前回 に続き、女性によるバイクにまつわる読み物である。
女性の作家さんが書いたエッセイだ。
当時は、たくさん本を書いていたらしい人で、文章は手馴れている。
この手の本にありがちな、素人っぽい、ぎこちなさは全く無い。
80年代、バブル、バイクブーム・・・と時代が爛熟の角度を上げる、その少し前の頃から、話しは始まる。
そのせいだろうか、意外とシュアだ。
以前取り上げた この辺 のような、シモの栓が抜けてるクラスの、明け透けなお下品さは無い。
愛車は、GSX250Eだそうだ。
当然のように、相棒とアシの、中間の扱われ方。
シュアでしょ?。(笑)
一方、タカズミやケンタウロスなんていうビッグネーム(すんげえ懐かしいが)をさらっと出すことで、業界人であることをアピールしている。
携帯もネットも無かったあの時代、メディアに露出するグループと言うのは決まっていて、そこが価値観の原点だった。そのグループに個人的につながりがあることを示すのは、だから、業界の価値、今で言うハイソ?のアピールだったのだよ。うん。
ちなみに、巻末の解説は、片岡義男氏である。
そういった感じの読み物なので、無論、オンナのアピールも清楚なものだ。
「わたし、仕事なんかやめて、あなたのお嫁さんになる!」
ふふん。
まだあなたには、お嫁さんは似合わない。
女性ならではの視点は、前回の本とも違っていて、また一つ新鮮ではある。
ただ、この齢の私が読むと、ハハとオンナの狭間の年頃を見下ろす感じになってしまうのが、また何というか「妙」ではあった。
カレと走る話が多い。
前回の本のように、バイクは一人だ、と言えるようにならないと、一人前とは言えないかな。(笑)
それは、習熟度の話ではなく、多分、人間のタイプが違うのだろう。
本の後書きは、87年に書かれている。
察するに、この人はもう、バイクには乗っていない。
20代。
原付からステップアップして、4~5年。
もう、走ることが、楽しくてしょうがなかった頃。
それに、時代は、表に出る前の六本木が「正」だった頃。
その残り香。
あの頃の匂いを、嫌味なく思い出せる。
それも、たまにはいいかな、と思えるかたなら、お勧めできるかと思う。
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こちらは表紙がイモラだが。実は撮影用のヤラセだったそうだ。(笑)
グッバイ!タンデムシート
読書ログ 「英国人写真家の見た明治日本」 ― 2013/07/13 07:03
外国に行ってみると、逆に、日本ならではの文化や、ものの考え方を、強く意識することがままある。
そして、時間を振り返ると、それが、変容し、廃れつつあるのだな、とも。
では、そも、日本古来の、本当の「らしさ」とは、どういうものだったのか。
それを探るには、外国文化に感化され、変容する以前の日本まで、遡らねばならない。
これが意外に難しい。
例えば、浮世絵なんかを眺めた所で、日本がどうだったかなんて、わからない。
「当たり前」だからだ。
今、我々が、日々、目の前に、普通にあることを、とやかく(細かく)記述する気になれないのと同様、昔の人々も、当たり前に思っていたこと(体外的な環境や、内面的な感じ方の「基準」)を、書き残すことは少なかった。
さらに、「他と比べてどうだったのか」の記述となると、その当時に日本に入り込んだ外国人による論評しか、事実上、手立てがない。
外国人による日本評は、今でも興味を引く対象で、よく読まれるものらしい。本屋の平積みにもよく目にする。しかし、その評価基準は様々であり、情報の質としても、玉石混淆だ。
明治の前後に来日した、外国の手記というのは、意外とたくさんあるものなのだが。具体性が乏しく、理解に苦しむものが少なくない。
本書の特徴は、そこにある。
リアリティを支える映像、「写真」。
しかも、撮った本人の解説つき。
ニッポンなう@明治
写真つきのツイート。
まあ文庫版なので、写真の精度というか、「味」までが再現できているのかは微妙なのだが。この値段なので、文句は言うまい。
以前、図書館で借りたのだが、これはと思い、自分で買い直した。
1900年代初頭(1902年とかそんな)に、日本を訪れた著者の印象を、写真と共に記している。
本当は、もっと膨大な本らしいが、単なる説明とか、日本人にとって自明の部分を端折って、それ以外の所をPick upし、適宜、写真を挟んだ編集版、との事だ。
35mmのライカなんかが登場する遥か以前、当時の写真は、銀塩?の乾板を蛇腹にセットする、大仰なものの世代だったようだ。
どうも、「30分動かないでくださいね」というほどは、感度が低いわけではなかったらしいが。
それでも、今考えるよりは、遥かに手間がかかったものらしく、人足を雇って道具を運ばせて、セットして撮るまでに一仕事、とそんな感じだったらしい。
当然だが、白黒である。
日露戦争に同行してまで撮り続けた「日本の姿」は、やはり貴重だ。
「百聞は一見にしかず」
全く、著者が印象に残った当時の風俗について、いろいろと詳述してくれていて。読んでいて飽きない。
私が印象に残った点をざっと挙げると、
日本の風景
富士山を初めとする、日本の「風光明媚」が、あの、凝りに凝った庭趣味を誇る(当時も誇っていたのかは知らないが)英国人の胸にも、深く響いたこと。
日本の職人
焼き物の絵師や、川下りの船頭など、職業として一芸に打ち込む人々のひたむきさと、その仕事の深さについて。
日本人の波長
外国人相手に、急がず、堅実に、守りつつ、魅せる。そういう、確かで、強かな面があったこと。
日本の女性
当時、隣国である中国や朝鮮では、外国人の世話をするのは、もっぱら「奴隷の男性」であるのに対し、日本の宿屋や茶屋では、「女性」が主な接点となる。その違いもさることながら、日本女性特有の物腰の柔らかさ、細やかな心遣いに深く感銘する半面、裏でキッチリ物事を仕切っているしたたかさ(笑)といったあたりへの言及もあり。
なるほどなあ、と思うこと頻りだ。
当時の著者をして、この妙なる日本が変貌の際にあり、その良さ悪さが渾然となり、変化して行っている、と語らせているが。
「本物の日本に会っておくなら今のうち」
現代の読者である私をして、未だに、その変化の途上にあるように感じる。
いろいろと、参考になる本だ。
写真はあえてお見せしない。ご自分でお買い上げいただきたい。
一つ、気をつけるべきは、この著者は「強烈な日本びいき」である点だ。
だから、読に方にコツが要る。
妄信せずに、ポイントを拾って、自分でつなげて読まないと、見失う。
しかし。
漱石が、英国留学で神経衰弱に陥っていたのと同時期に、こんな英国人が日本にいたとは。
歴史の妙かと感じた。
英国人写真家の見た明治日本 (講談社学術文庫)
バイクのマンガ 「My Favorite BIKE 2―オートバイ青春短編集」 ― 2013/07/14 05:12
ここ何週か、お題を「文芸」に移してから、低迷しているが。
そろそろ底である。
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以前、いくつか バイクのマンガ を 取り上げた が。
新しいのも、読んでみようかな、と思い。
Amazonで、レビューが好評なのを、買ってみた。
うん。
つまんない。
にべも無い言い方だが。
本当に、にべも無い内容なので。仕方が無い。
まず、表題とは違って、昔話として、ベテランの皆様に読ませる内容では、全くない。
逆に、昔ながらのマンガの役割、若年層向けの「入口」として、「コレがイイんだよ」という価値観を単純明確に示すべく、書かれているようにも見える。
以前、どこだったか、同じ臭いのするものを読んだ。
やはりマンガで、クルマの中古雑誌の、連載か何かだったと思う。
「同じ臭い」とは、「予め世にある権威に、おもねることが価値だ」という考え方だ。
やっぱ、昔からある、コレですよねっ!。
それと同じなボクって、スッゲ~んすよ!。
ただのマネのくせに、偉ぶり屋さんで、説教くさい。
そのくせ、妙に寂しげで、仲間を欲しがる。
まあ、ご本人が自腹で、「コレがスゲェ」とお思いなだけなら、ご勝手にしていただいて結構なのだが。情報として出版する価値は無かろう。
もし、これが、若年層が「最初に触れる価値」だとしたら、救いようがない。
今や、「メディアを通してイメージを流布して、時代の認識を乗っ取ることで、業界の利益の粗方を押さえる」型の、古臭いマーケティングは、崩壊して久しい。(悪あがいて、続けているヤツはいるが。)
だから、こんなやり方が、余計、寂しく見えるのかな、とも思った。
しかし、こんなものが、商品として売られているとは。
驚いた。
宣伝にもなっていないのに。
将来、子供が本棚から取って、変な影響を受けたりすると不憫なので。
この一冊は、廃棄しようと思う。
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My Favorite BIKE 2―オートバイ青春短編集 (ビッグコミックス)
バイクも載ってる本 「この100年、俺の100台」 ― 2013/07/15 06:10
「底」のエントリーなので。
吐き出しておく。
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これを、バイクの本としていいのか、微妙な所だが。
バイクも多数取り上げられているので。一応、そういうことにしておく。
著者は、あの、マツダのロードスターを立ち上げた方だそうで。
期待して手に取った本だったのだが。
著者が、新旧の車やバイクについて、感想めいたことを書き綴っている。
60~70年代の、著者が現役でお若かった頃の車種は、当時の生々しい情景があり読めるのだが。年代が下るに従って、通り一遍というか、いい加減な筆致になる。
メグロやライラックのあたりは、まるで見てきたような書き方で楽しめる。(見ておられるんでしょうけど実際。) しかし、年代が下がって、近年の車種になると、例えば、BMWのGSは新旧ひとからげに無理やりなまとめをしているし、水冷のドカでは、素っとん狂なことを書いている。全体的に、英車の記述が多いようだが、それがピークだった頃の洗礼を受けているのだろう。
著者は、業界では重鎮として有名な方なようだ。だからと言って、この本を「優れたご意見」として賜るのはちょっとムリで、「たくさんある昔話の一つ」がいい所だ
あとがきで、著者は、最近、名車が生まれないのは、人間的に魅力的な、良心のある技術者がいなくなったせいだ、それは、日本が伝統を大切にせず、結局は「カネに負けた」からだとして、技術者を糾弾(叱咤激励?)している。
全く。 これには同意しかねる。
著者は、年代としては、実際に戦場に送られた次の世代、日本が「坂の上」に向かう時代に当たる。日本が豊かになり、本書にあるような「名車」に次々に乗れるようになった時代だ。だから、それらの実情を知っているのは、プロとして、いわば当然なのだ。
しかし、著者は「エンジンは官能的じゃないといけない」とは言っているが、彼自身、官能的なエンジンを造れた様子はないから、たぶん、どこをどう設計してセッティングすれば官能的になるのか、結局は分からなかったのだろう。
私のような、彼の息子の世代でも、官能的なエンジンはいくつか知っている。しかし、それが今、再現できるかといえば、難しいのはすぐに分かる。いけない排ガス、ゴージャスな燃費、微妙な信頼性の組合せを、廃液を捨てられない、危ないメッキでピカピカに偽装して、済ますわけには行かないからだ。
(著者もご存知のはずなんだが。)
今、技術の現場を見回しても、そこで働く個人々々は、勤勉で良心に富み、人間的にも魅力的な人がとても多い。その彼らをして、強みを発揮できなくしているのは、彼らが置かれている環境のゆえだと、強く感じている。
いわんや、カネに負けた憶えなど、全くない。
(首切りが盛んな昨今だが、「まず食う必要がある」のは、戦後と同じだ。)
戦争で死ぬ目に遭い、後世を同じ目にあわせたくないと頑張った初めの世代、「坂の上に向かう時代」を導きながら、その果実を味わう前に(名車には乗れずに)逝った祖父の世代に、訊いてみたい気がした。
個人的な意向だが、もし、私がルマン1000のニュアンスを、電制で再現できたなら(制御の本質への到達)、私の人生の仕事の粗方は、終わりだろうと思っている。
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2009年刊 二玄社
この100年、俺の100台―作り手の心に恋をする (CG BOOKS)
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