バイクの本 「グッバイ!タンデムシート」2013/07/07 05:57



前回 に続き、女性によるバイクにまつわる読み物である。

女性の作家さんが書いたエッセイだ。
当時は、たくさん本を書いていたらしい人で、文章は手馴れている。
この手の本にありがちな、素人っぽい、ぎこちなさは全く無い。

80年代、バブル、バイクブーム・・・と時代が爛熟の角度を上げる、その少し前の頃から、話しは始まる。

そのせいだろうか、意外とシュアだ。

以前取り上げた この辺 のような、シモの栓が抜けてるクラスの、明け透けなお下品さは無い。

愛車は、GSX250Eだそうだ。
当然のように、相棒とアシの、中間の扱われ方。
シュアでしょ?。(笑)

一方、タカズミやケンタウロスなんていうビッグネーム(すんげえ懐かしいが)をさらっと出すことで、業界人であることをアピールしている。

携帯もネットも無かったあの時代、メディアに露出するグループと言うのは決まっていて、そこが価値観の原点だった。そのグループに個人的につながりがあることを示すのは、だから、業界の価値、今で言うハイソ?のアピールだったのだよ。うん。

ちなみに、巻末の解説は、片岡義男氏である。

そういった感じの読み物なので、無論、オンナのアピールも清楚なものだ。
「わたし、仕事なんかやめて、あなたのお嫁さんになる!」
ふふん。
まだあなたには、お嫁さんは似合わない。

女性ならではの視点は、前回の本とも違っていて、また一つ新鮮ではある。

ただ、この齢の私が読むと、ハハとオンナの狭間の年頃を見下ろす感じになってしまうのが、また何というか「妙」ではあった。

カレと走る話が多い。
前回の本のように、バイクは一人だ、と言えるようにならないと、一人前とは言えないかな。(笑)

それは、習熟度の話ではなく、多分、人間のタイプが違うのだろう。
本の後書きは、87年に書かれている。
察するに、この人はもう、バイクには乗っていない。

20代。
原付からステップアップして、4~5年。
もう、走ることが、楽しくてしょうがなかった頃。

それに、時代は、表に出る前の六本木が「正」だった頃。

その残り香。

あの頃の匂いを、嫌味なく思い出せる。
それも、たまにはいいかな、と思えるかたなら、お勧めできるかと思う。


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こちらは表紙がイモラだが。実は撮影用のヤラセだったそうだ。(笑)
グッバイ!タンデムシート

バイクのマンガ 「My Favorite BIKE 2―オートバイ青春短編集」2013/07/14 05:12



ここ何週か、お題を「文芸」に移してから、低迷しているが。
そろそろ底である。

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以前、いくつか バイクのマンガ 取り上げた が。

新しいのも、読んでみようかな、と思い。
Amazonで、レビューが好評なのを、買ってみた。

うん。
つまんない。

にべも無い言い方だが。
本当に、にべも無い内容なので。仕方が無い。

まず、表題とは違って、昔話として、ベテランの皆様に読ませる内容では、全くない。

逆に、昔ながらのマンガの役割、若年層向けの「入口」として、「コレがイイんだよ」という価値観を単純明確に示すべく、書かれているようにも見える。

以前、どこだったか、同じ臭いのするものを読んだ。
やはりマンガで、クルマの中古雑誌の、連載か何かだったと思う。

「同じ臭い」とは、「予め世にある権威に、おもねることが価値だ」という考え方だ。

  やっぱ、昔からある、コレですよねっ!。
  それと同じなボクって、スッゲ~んすよ!。

ただのマネのくせに、偉ぶり屋さんで、説教くさい。
そのくせ、妙に寂しげで、仲間を欲しがる。

まあ、ご本人が自腹で、「コレがスゲェ」とお思いなだけなら、ご勝手にしていただいて結構なのだが。情報として出版する価値は無かろう。

もし、これが、若年層が「最初に触れる価値」だとしたら、救いようがない。

今や、「メディアを通してイメージを流布して、時代の認識を乗っ取ることで、業界の利益の粗方を押さえる」型の、古臭いマーケティングは、崩壊して久しい。(悪あがいて、続けているヤツはいるが。)

だから、こんなやり方が、余計、寂しく見えるのかな、とも思った。

しかし、こんなものが、商品として売られているとは。
驚いた。
宣伝にもなっていないのに。

将来、子供が本棚から取って、変な影響を受けたりすると不憫なので。
この一冊は、廃棄しようと思う。


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My Favorite BIKE 2―オートバイ青春短編集 (ビッグコミックス)

バイクも載ってる本 「この100年、俺の100台」2013/07/15 06:10



「底」のエントリーなので。
吐き出しておく。

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これを、バイクの本としていいのか、微妙な所だが。
バイクも多数取り上げられているので。一応、そういうことにしておく。

著者は、あの、マツダのロードスターを立ち上げた方だそうで。
期待して手に取った本だったのだが。

著者が、新旧の車やバイクについて、感想めいたことを書き綴っている。

60~70年代の、著者が現役でお若かった頃の車種は、当時の生々しい情景があり読めるのだが。年代が下るに従って、通り一遍というか、いい加減な筆致になる。

メグロやライラックのあたりは、まるで見てきたような書き方で楽しめる。(見ておられるんでしょうけど実際。) しかし、年代が下がって、近年の車種になると、例えば、BMWのGSは新旧ひとからげに無理やりなまとめをしているし、水冷のドカでは、素っとん狂なことを書いている。全体的に、英車の記述が多いようだが、それがピークだった頃の洗礼を受けているのだろう。

著者は、業界では重鎮として有名な方なようだ。だからと言って、この本を「優れたご意見」として賜るのはちょっとムリで、「たくさんある昔話の一つ」がいい所だ

あとがきで、著者は、最近、名車が生まれないのは、人間的に魅力的な、良心のある技術者がいなくなったせいだ、それは、日本が伝統を大切にせず、結局は「カネに負けた」からだとして、技術者を糾弾(叱咤激励?)している。

全く。 これには同意しかねる。

著者は、年代としては、実際に戦場に送られた次の世代、日本が「坂の上」に向かう時代に当たる。日本が豊かになり、本書にあるような「名車」に次々に乗れるようになった時代だ。だから、それらの実情を知っているのは、プロとして、いわば当然なのだ。

しかし、著者は「エンジンは官能的じゃないといけない」とは言っているが、彼自身、官能的なエンジンを造れた様子はないから、たぶん、どこをどう設計してセッティングすれば官能的になるのか、結局は分からなかったのだろう。

私のような、彼の息子の世代でも、官能的なエンジンはいくつか知っている。しかし、それが今、再現できるかといえば、難しいのはすぐに分かる。いけない排ガス、ゴージャスな燃費、微妙な信頼性の組合せを、廃液を捨てられない、危ないメッキでピカピカに偽装して、済ますわけには行かないからだ。
(著者もご存知のはずなんだが。)

今、技術の現場を見回しても、そこで働く個人々々は、勤勉で良心に富み、人間的にも魅力的な人がとても多い。その彼らをして、強みを発揮できなくしているのは、彼らが置かれている環境のゆえだと、強く感じている。

いわんや、カネに負けた憶えなど、全くない。
(首切りが盛んな昨今だが、「まず食う必要がある」のは、戦後と同じだ。)

戦争で死ぬ目に遭い、後世を同じ目にあわせたくないと頑張った初めの世代、「坂の上に向かう時代」を導きながら、その果実を味わう前に(名車には乗れずに)逝った祖父の世代に、訊いてみたい気がした。

個人的な意向だが、もし、私がルマン1000のニュアンスを、電制で再現できたなら(制御の本質への到達)、私の人生の仕事の粗方は、終わりだろうと思っている。


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