バイクの上半分 122013/10/14 18:21



一般に、身体の器官の進歩というのは、機能や大きさなどが、適宜、状況に適応して進んだもの、ということになっている。(前ヒレが手になり羽になり、のような。)だが、人間の脳はそれとは違って、どうも、「付け足し型」の進歩をしたらしい。古くからある脳幹の周りに、その機能を補足するように、新しい脳細胞が増えて行った。妙な例えだが、アフターマーケットパーツのようだ、と本書では言っている。ひょっとすると、一部のバイク乗りが、熱病のように「カスタム」にこだわり続けるのは、人間の脳の構造がもたらす、本能的な欲望の表れなのかもしれない。(笑)

脳幹の働きは、古の当初から変わらず、生命の維持の根幹に関わる機能を担っている。(だから、脳幹の損傷は、生命に直接関わる、重篤な影響をもたらす可能性が高い。) 新たに付け加わった脳細胞は、全く新しいことを行うことは少なくて、基本、従来の機能を補足したり、強化したりしている。ある部分は、先天的プログラムとして、危険時の退避行動などを担う一方、「予備」の部分も確保されていて、それらがネットワークで働くおかげで、あらゆる状況への即応力が高まったり、並外れた判断スピードを得たりできている。

とはいえ、まだ磐石というわけではなくて、場合によっては、混乱が起きる。上述の「予備」の部分は、脳内ネットワークが上手く回っている最中は有用な一方(「ひらめいた」りしてくれる)、一旦、混乱が起きると、かえってノイズ源になってしまい、混乱を増すこともある。相反する感情を同時に抱いたり、反対のことを同時にしてみたりする。例えば、素人ライダーが勢い余って、アクセル開けながらブレーキを踏んだりするようなことは、ありがちだ。(うん。ごく若い時分に、やったような気がする・・・笑。)

ただ、この有り余る大脳の能力がもたらす可能性は大きくて、普通の動物が到達し得ない機能をもたらしている。自分を外から見る能力や、実物に依らない「想像」で物事を組み立てたり、試したりできる。(想像で済むんだから、コストはタダだし、可能性は無限大である。) この能力が、人間を、普通の動物がつながれているくびきから開放する役割を担っていると。

注意点もある。脳の情報パスは限られていて、基本、人間が「意識的に」行えるのは、一つのことに限られる。(一見、マルチタスクをこなしているように見える場合も、実は「かわりばんこに素早く」やっているだけだと。) クルマの運転をしていて、助手席と話し込んでいると、運転はおろそかになるし(どう走ってきたか、憶えてなかったりする)、峠で頑張ってたり、危険を感じたりすると、ラジオの話は聞こえていない。

だから、多数のことにいっぺんに対処しないといけない事態は、混乱の元だ。例えば、スポーツなどで、コーチに断片的な指摘を多数くらっても(球を見ろ、手先に集中しろ、外足を踏ん張って脇を締めろ、云々)、ピンと来なかったりするのは、そのせいらしい。

(個人的な見解だが、身体を動かしている最中よりも、後から思い出して反芻している時の方が、より鮮明に状態を把握できることもあるように思う。身体のセンサーの方はしっかり機能していて、分析に耐える情報の蓄積を続けている、ということかも知れない。)

同時多発的な状況に対応するには、注意を払える範囲に限定して練習を組み立てて、身体で動作を憶えつつ、一歩一歩進むのが良いそうだ。また、その後天プログラムを是正したい時は、「意識して」反復するのが、結局は近道だ、とも。(この、後天プロの是正には、いい方法があるそうで、後で教えてくれるらしい。)

次回は、後天プログラムの構造について少々。


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