バイクの上半分 152013/11/03 05:44



ラインの話の続きである。

レースを見る人は知っていると思うが、スピードを争うサーキットでは、コーナーを大回りして、通過スピードを上げるばかりではない。「抜き際の突っ込みでインを取る」ラインを良く見かける。

直線部(ブレーキングポイント)をより奥に取れるから、進入の瞬間は前に出られる。しかし、曲がっている最中は、きつい極率が長くなるので、遅くなる。いわば、わざわざコースをハードブレーキときついコーナーの連続として走るわけだから、リスクは上がる。例えば、進入スピードの見積りを誤った時の、リカバリも難しくなる。(コースアウトしてしまう:公道ではリスクがかなり高い。)

そして、トータルのタイムが本当に速いのかは、場合に依る。緩いコーナーの連続と、きつい、またはテクニカルな複合コーナーが連なる場合では、前後のコーナーのつなげ方が変わってくる。「一番いいライン」は、バイクの車種によっても変わるだろう。

レースでも、競り合って、インの取り合いをした結果、タイムが落ちることはよくある。その前方で、大回りラインを悠々と走るライダーが逃げてしまったりも。やはり、「インを取る」ラインは、言わば、稼ぎのために数字(順位:ポイント)が欲しいライダーが、リスク承知で仕方なく、脱出スピードを犠牲にして突っ込みを優先し、コーナーを速く回りたいライバルの「前をふさぐ」ラインなのだ。

本書には、一般ライダーが、サーキットで、レーシングラインと大回りラインのタイムを比較した所、ほとんどのライダーが、大回りラインの方が若干速かった、とある。一般ライダーには、あまり役に立たないラインなのだろう。特に公道では、メリットは薄そうだ。

復習だが、大回りラインは、コーナーでのマージンを大きく取れる。バイクにも人間にも負担が小さい、つまり、人間の方が疲れていたり、バイクの調子が悪かったりしても、安全の確保が容易だ。より公道向けとも言えるが、ただ、道巾を一杯に使うので、しくじった時、センターライン越えたりすると、ダメージが大きいので注意が要る。

つまり、公道を走る基本として、「どれだけ曲率を大きく取れるかを探りつつ走る癖がついている」ことが必要、というわけだが、これには、潜在意識の行動プログラムを使うしかない。初めはゆっくり、ラインを意識し、次の動作を意識し、その動作の連なりを、また意識する。そうやって一歩一歩、試行錯誤しつつ、身体レベルに落とし込んで行く。

ベテランは、これがかなりの度合いで癖になっていて、「勝手に身体が動く」感じになっているわけだが、逆に、そうなると、もう意識からはコントロールできない。モニタできるだけになる。

そのための、最大の早道(コツ)は、著者いわく、「遠くを見ることだ」と。

実際、バイクの動きは、意識によるコントロールが追いつかないスピードだ。著者は、例として、だだっ広い駐車場で、コップの下に敷くようなコースター(丸い紙)を路面に置いて、コーナリングしながら踏む、という遊びを挙げている。これが、意外と皆、できないものなのだそうだ。コースターを意識して、凝視してしまうことで、かえってできなくなってしまうと。(凝視せずに、視界の端に置く程度がいいらしい。)

凝視によって、意識が、潜在意識の行動プロに干渉するのが混乱の元、ということらしい。

確かに、初心者が、気になるもの(はらんで来る対向車とか)を凝視しすぎて、かえって寄って行ったりすることはよくある。前輪のすぐ前の路面を凝視して、それに逐一対処しようと身構えるのは、素人が陥りがちな「無理な相談」だ、とベテランは知っている。

無論、目を閉じて走れるわけではないので、視界の情報が必要なことは確かだ。(見ないでいい、というわけではない。)ただ、その情報は、自動行動プログラムが処理するものなので、広く浅く(=多量に早く)情報を取るのが吉と。

実際、「遠くを見ること」ほど、ライディングの向上に霊験あらたかな指南法もないのだそうだ。

エキスパートほど、えらい遠くまで見ているものらしい。ヘルメットの視線でわかると。(頭が立っている。)
コーナーで頭を立てるのも、三半規管の水平を保つというよりも、この「視界の確保」の意味合いが強いとも。
雨で視界が悪いと、前を走るライダーのテールランプなんかばかり眺めてしまって、危ないし疲れる、という経験も思い起こさせる。

前述のように、コーナーは入り口で決まる。
そして、公道は、見知らぬ入り口の連続である。
だから、より遠くまで視界に入れておかないと、いかな優れたアクションプログラムとて対処できない、ということだろう。

しかし、「近目になる」過ちは、エキスパートでも突然に起こりうる。「上手く遠くを見続ける」のは、実に忘れがちなポイントであり、確実にモノにするには難しい、とも。

確かにそうだ。身に覚えもある。
下手に慣れたり、疲れていたりで、漫然と走っていると、突然の「ヒヤッ!」に襲われる確率は高くなる。(ちゃんと見てない。) たぶん、慣れてきた頃が危ないとか、大きな事故は家の近所でやりがちだ、といった辺りも、同じことを指しているのだろう。

きっと、当ブログをご覧の皆様は、いいバイクに、楽しく乗れている方が多いだろう。
もう、目を三角にしたい年頃も過ぎている方も多いと思う。(笑)

そろ私も、ちゃんと顔を上げて、全景をよく眺めつつ、良きも悪きも、全部食いつくしてやろう、と認識を新たにした。


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コメント

_ moped ― 2013/11/03 18:16

まいどです。
読み応えのある本で、興味深いです。
和訳版を欲しくなります(笑)

サーキットを走ってみると、コーナーの入り口外側と、中の内側、そして出口の外側に、たいていゼブラゾーンが設けてあるので、それが目安になります。つまりゼブラゾーンをつなぐようにライン取りすれば良いのです。
と言うは易しですが、実際にやってしまう失敗は、進入速度が速くて、イン側に着くことができず、アウト側にはらんでスロットルを開けられず遅くなっている上に、しかもアウト側のゼブラゾーンにマシンは向かっているという悪循環・・(-_-;)
これを解決するには、俯瞰的な視線、視点が必要になるのでしょう。(理想を言えば、バードアイ)

いつ、どこで、どうやってマシンの向きを変えるべきか・・これは公道でも、サーキットでも、ライダーの判断にゆだねられているので、永遠の課題かも知れません。

_ ombra ― 2013/11/09 07:58

サーキットって、道幅が広すぎて、ワケわかんなくなってりしますよね。(笑)

ラインというのは、ただ同じ所を走っただけではダメで、同じようにスピードを出し、ブレーキングも我慢して、走りの流れそのものをなぞらないと意味が無い(わからない)と、昔どこかで読みました。

イン側にゼブラをかすりつつ、全開で立ち上がる・・・。
レースなんかで普通に見ているので、簡単にイメージはできるのですが。
自分でやるとなると、なかなかそうは行きません。

「傍から見ていると簡単そうだが、やってみると、そうは行かない」
同じようなことは多いです。
例えば、クルマの「車庫入れ」なんかも、同じなような。(笑)

「いいライン」の話ですが、著者の言うように、具体的に「これ」と指し示せるものでもない気がします。巷では、サーキットのライン取りを理想として論じることが多いわけですが。単純すぎますし、無責任とも。

公道では、ある程度、感覚的に論じることも必要そうですし。
個人的には、「楽しいラインはどこだ?」程度の表現の方が、何となく通じそうな気がしています。

雑誌の特集なんかになりませんかね。
” キミは知っているか? 『楽しい』ライン取り ”
(笑)

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