バイクの上半分 162013/11/10 05:50



潜在意識の「動作プログラム」は、小さい単位の各々が、複合・連続し、一連となることで、実際の動作を担っている。ひとつひとつは独立だが、重なり、連なるだけでなく、互いに影響しあうので、そのプロセスは、かなり複雑だ。

一連の複雑な動作をよどみなく行うには、このプロセスをスムーズに流してやることが必要なわけだが、その最もありがちな妨げの一つは、「意識」なのだと。

例えば、注視による意識の集中が、このプロセスを邪魔してしまう。スポーツでもよくある。ゴールを見なければいけないのに、ボールを見てしまう。バイクなら、目の前の路面ではなく、遠くを「眺め」るべき、となる。(先週の話)

ことがライディングの動作プロの場合、普通とは違う特殊事情も多い。バイクの動きの大きさや速さに比べ、人間の動作は、ごく小さい。ハンドルの数度の回転角、アクセルのほんのひと当て・・・。また、「動かす」だけでなく、「動かさない」動作もしている。(例えば、路面や風圧の外乱にこらえて、「ホールド」するような動作。)

動作が、小さくて、複雑だ。
だから、意識の影響も受け易い。

自動動作プログラムは速くて正確だが、融通が効かない。(有事に役に立たない。)
だから、意識とのバランスが大事なわけだが、バイクの場合、その力加減が微妙で「やりにくい」とも言える訳だ。

「自動ライディングプログラム」は、陶酔的でもあり、現に「ライディングハイ」のような言われ方もしている。「能力」という意味で、自動ライディングのレベルアップは、究極の目的でもある。ただ、それが「うぬぼれ」であった場合、悪夢の始まりになりかねない。

逆に、意識の方が、自動プロに「おもねる」ということもありうる・・・どころか、よくあることだ。(おや?と思いつつ)行けるだろう→後悔!、といった事態は、身に覚えがあると思う。自動プロの感触を、意識の方が、追認してしまうのだ。

自動プロは、「いつも通り」と思いたがる。
見ている(つもりの)ものと、自動プロが内包する「いつもの風景」が、脳の中で混同される。 見たいものと、見えるものを勘違いする。
漫然と走ると、この罠にはまる。

この「罠」、実に厄介だ。
「自分がマズイかも?」というだけでなく、「他人もマズイかも?」がありうるからだ。
意識と潜在意識のバランスを崩して、パフォーマンスを低下させている運転者が、あなたの横を併走しているかも知れない。そういうリスクのことだ。

たぶん、右直事故でドライバーいわく「バイクが見えなかった」といった辺りも、動作プロの自動実行に任せて、漫然と走っていたことが、原因(の一つ?)なのだろう。

もし、この辺りを納得できたなら、しっかり応用すべきなのだ。
例えば、夕刻、自分の影が前に長く見えるとき、それは、対向車からは、逆光であなたが見えないことを意味する。もう「最大級の警戒」をすべき状況なのだが、普段、走っていて、そこまで考えて、配慮することはめったにない。ろくすっぽ車間距離すら保ってない場合がほとんどだ。

危険の前兆は、かすかだったり、無かったりする。
それを補うのは、知識ベースの情報や、論理的な思考の方なのだ。
潜在プロは、未来予感まではしてくれない。いくらよく見ていても、見えない危険は、自動プロでは対応できない。

この連載の初めの方で、大脳の有効性は適応力にある、と書いた。環境の変化が、かつて無いほど速い現代において、潜在プロの適応力は追いつかない。そこは、意識の側の仕事になる。

また、前回、意識は、自動プロの動きをモニタはできる、と書いた。
だから、「見張り」はできることになる。

「意識」の出番も、ちゃんとあるのだ。
意識は、潜在プロの能力を知り、信用し、活用すべく働けるはずだ。

ただ、その距離感が難しい。干渉してしまうと、自動プロの有効性が一気に落ちるし、逆に、巻き込まれてしまっては意味がない。
この、絶妙の距離感を保つのは、ベテランでも常に注意が要る。

著者いわく、実際の所を観察すると、たとえ、うっすらと予期できていたとしても、大概は、意識と自動プロが、いいかげんな折り合いをつけることで済ませることが多いのだそうだ。例えば、少しゆっくり目に走るだけで、実際に事があった場合には、避けも止まれもできないスピードで走っていたり、とか、そんなことらしい。

まだある。
さらに、伏兵が居るのだ。


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コメント

_ moped ― 2013/11/10 17:46

まいどです。

ライディングスクールで、「見る」ではなく「観る」を徹底しろと言われたことを、思い出しました。

視覚で認識しても判断を伴わなければ、見てるだけで、漫然としたもの。
でも、何か来そうだと前兆を捉えられれば、観てることになります。
そのためには、常に考える、予測することが必要です。
これは、バイクの上半分にしかできないことです。

集中力を維持できれば、予測し続けられるのですが、公道では、自分で速度やラインを決められないこともあるので、そこが観つづけることを難しくしているのでしょう。

_ ombra ― 2013/11/17 06:26

どうもです。

公道では、予測は無論、それが外れた時のマージンを取っておくことも重要なわけで。

「観て予測して、半歩引いて備えよ」
「過度に意識せず、集中して続けよ」

何だか、禅問答のような話になってきて恐縮ですが。
どうなりますやら。(笑)

もう少々、お付き合い下さい。

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