バイクの上半分 222014/01/05 09:50



(前回までのあらすじ)
動作の主体は潜在意識にある動作プログラムであり、それを出来うる限り自由にさせておくのが、その能力を最大限に生かすコツだ。しかし、意識の方は、何がどうなっているかを知りたがるし、動作プロが動く過程に首を突っ込みたがる。ところが、それは動作プログラムの手足を縛ることになるので、かえって能力を損ねる結果となる。要は、その境目を正しく保つのが、意識にとっては大事な仕事、というわけだが、意識的にできることというのは、そんなことだけなのか。

その一つが、仮説とか、予知だとある。
たとえ、直接に認識はできなくとも、それが「ありうる」ことの可能性を、常に認識しておくこと。

ただでさえ、意識というのは、見たいもの、興味があるものに集中しがちだ。都合の悪いもの、特に「危険」などは、意識していないと見えない場合もよくある。

予期しているといないでは、実際に起こった際の反応速度も違ってくる。突然に思わぬ事態に遭えば、何だか判らないうちにドカーンもありうる。少なくとも、来るか?と思っていれば、大分違うと。

「驚かなくなる」効果もあると。驚くというのも、一種の感情的な高ぶりなので、正常な反応を妨げる。経験に裏打ちされた「予測」を多数備えている百戦錬磨は、反応のし方も肝が据わっている、というわけだ。

この、「予想」という能力を妨げる因子には何があるか。
まず、「疲れ」。
次に、激しい感情。上述のupsetの類もそうだが、逆の「あふれる幸せ」も該当すると。そして、厄介なのは「怒り」だとある。

これは、私も覚えがある。
私の経験では、最も簡単に運転を粗くする因子は、怒りと・・・尿意だ。
(後者は、特に冬に顕著である。笑)

しかし、「危険に意識を集中なさい」などと言われても、そうそう集中力が続くわけでもない。(一点集中は良くない、遠くを見なさいなどとも言っていた。)実は、予知も、動作プロに落とし込まれていて、本人も意識しないまま、何となく反応している場合があると。

コーナーの前でアウト側にすーっと寄っているとか、路面が荒れを感じて多めに減速するとか、危険因子(挙動不審や、黒いベンツなども含む)とは距離を大きめに取っているとか、そういうことを、無意識にやっている。

そうやって、潜在意識に落とし込むことで効果を発揮する場合もある、という意味では逆説なのだが。自分の「引き出しに無い」因子には、反応のしようがない。だから、常に新しい危険性は認識しておけ、ということだろう。

この辺りは、認識論の話でもある。
「予知できる」危険と言うのは、既に頭の中にある危険でもある。
つまり、その「危険」は、既に身体の中に内在するのだ。

これが、現実と違えば役に立たないし、あるべきものが無ければ、対処もできない。頭の中の認識が、自己本位だったり、突飛なものでは役に立たない。現実に即していないといけないわけだ。

つまり、現実を認めろ、事実の前に素直であれ、ということだろうか。
自信家はかまわないが、天狗はダメで、現実論者であるべきだと。
ケニーロバーツ がその権化だったなあ・・・と以前書いた。)

素人さんがダメな理由。
皆様も、ビギナーの頃を思い出すと身に覚えがあるかと思うが、えらく深々とリーンしているつもりでも、実は、バイクはさほど寝ていなかったりする。いわば、彼が限界を現実よりかなり低く見積もっていることになるので、例えば有事の際に、すくんでしまって動きが取れない。

玄人さんの落とし穴もある。
もっと行けるはず、と無闇に思い込んでいるライダーは、現実には存在しないマージンを使おうとしてしまう。

要するに、我々は「自分の思い込みによる限界」の中で走っている。
それが、物理的な限界に近ければ、いざと言うときも機敏に動けるが、そうでないと危険が増す。

感覚と現実を実際に整合させるには、安全な場所で、おそるおそるでもプッシュして、次第に限界を増して行き、自分の限界を超えると共に、物理的な限界までを把握するような訓練を、システマチックに行うのが近道、とある。(そりゃそうだわな。)
本書には具体的な方法も載っているが、ネタバレに過ぎるので割愛する。(具体的なハングオンのし方、なんてのもあるが。ここで簡単におまとめすると、その辺のちょろい指南書と変わらなくなるので。)

余談だが、コーナーでのスリップダウンは、比較的安全なクラッシュのし方なのだと。ガシャンと行った瞬間の衝撃は小さめ、バイクが先に滑って行って、人間が後から、減速しながら(結構な割合で減速するらしい)追って行く形になる。(ローサイドの転倒)

逆に、身体が固まってコースアウト、は危ない。ガードレールにでも当たれば衝撃の度合いも大きいし、放り投げられれば頭から落ちる可能性が高い。さらに、後からクソ重いバイクがスッ飛んでくることもある。(ハイサイドの転倒)

「よく知っている」ライダーは、その辺の危険度も承知していて、「その刹那」にダメージが小さい方を、無意識に選んだりしているのだそうだ。


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バイクの上半分 232014/01/12 09:46



前回 、現実と自己イメージの一致が大切だ、という話をした。

ことライディングに関しては、インストラクターや先生が身近に居ない場合も多いが、トレーニングを工夫し繰り返しすことで、第三者の助けなしでも、現実認識能力の向上を望める、とある。

例えば、コーナーでバイクがどれだけ寝てるかを客観的に確かめるには、白いチョークなどでタイヤのトレッドを横切る線を引いておいて、どこまで消えるか見ればよい。確かに、「意外と寝ていないんだな」と、そんなことを確かめるなら、これで十分だ。そんな、ちょっとした工夫だけでも、明らかになることは結構あると。

と言いつつも、最も直接的な方法、つまり、映像として外から撮ってもらうことが、自分の乗り方を客観的に確かめるのに、最も確実な方法だ、ともある。(つまり、昔懐かしい「俺サ」は、ライディングスキルの向上に寄与していた・・・だから今でも、ライダースが、「ヒザスリ講座」で後を継いでいる、という論理的な帰結が。笑) 私も以前、たまたま?自分が走る姿を写真で見た際、脳内イメージとのあまりの差に、愕然とした記憶がある。

デジカメが普及した昨今では、動画を撮るのも簡単になったし、仲間同士での撮り合いはもちろん、三脚に立てて前を横切る(だけ)、のような手段もある。(投稿動画サイトでは結構見かける。) 以前に比べて、やりようは広がっているわけだ。

「ライディングの向上に対し、意識ができること」という話に戻ると、自己認識と現実の差というのは、大体は、自分が思っているほどは上手くないと認識すること、いわば、「負けを認める」方向の話になりがちだ。その辺が、精神的な「第一関門」になっているようにも思う。

本当に乗り始めの、10代の頃を思い出すと。バイクなんて、まず、仲間内の「ええかっこしい」が手を出して、それにつられて後が続く、というパターンが多かった。しかし、当のええかっこしいはとっとと降りてしまって、お前がバイクに乗るの?なんか言われていた真面目そうなヤツの方が、しぶとく残っていたりする。
この「第一関門」が、ふるいとして効いている証左かもしれない。

そんなものだ。
自分に対し、真面目に向き合えるヤツしか残らない。

そう。
だからこそ、日本のメーカーは「ええかっこしい」向けのバイクばかり作っていないで、公道で真面目に取り組んでいる「真の顧客」向けの道具を考えるべきだ、(Moto Guzzi という、いい先生が居たのにね!)というのが、私の主張な訳なんだが。

えーと。
戻して。

意識ができる大事な仕事の一つは、「予測」に代表されるリスク認識だ。
自分の外で起こるリスクの実態そのものは、自分の側からは、制御(コントロール)できないことも多い。だが、考える方向を逆に、自分の内面に向かって何ができるかを考えると、「自分が、何をどのくらい怖がるのか」、あるいは、「自分の中にある何を怖がるべきか」を認識しておくことが大事、とも言える。

我々の内面に存在するリスクの話だ。
以前、リスク認識は能力に影響する、という話を書いた。(高さ3cmの平均台の上は走れるが、3mのは怖くて走れないの法則。やることは同じなのにね。) 逆に、妙に上手くイッちゃっている感覚、「ハイ」に陥るのもよろしくない、ともあった。

整理すると、
 ・外部の危険には予測で
 ・内在する危険(すくみやハイ)には意識化で
立ち向かえる、ということだろう。

著者は、これらを包括し、拡張するような形で、「プランニング」という言い方をしている。直訳すると、「計画」だが。上のような、今、刻々と起り続けていることに加え、例えば、ツーリングのルートの策定から、トイレ休憩や給油のタイミングなど、ロングタームのものまで含むし、また、レースの一瞬の駆け引きのような、特殊な場合も含んでいるようだ。

要は、「起こるべくものを、予め並べておくこと」だろうか。
意識の整備、と言えるかも知れない。

さらに、そこへ向かって準備(鍛錬)をすること、「トレーニング」も、意識の役割とある。一種、冒頭の話に戻るのだが、特に独学の場合は、正確な自己認識が不可欠だと。

トレーニングは、習得や向上だけでなく、矯正の意味もある。無駄な、あるいは危ない癖を直すという、入り口の話もあるが、より深度の深い「行動プログラム」の変更を要する場合がある。これが実に厄介だと。

例えば、スポーツの場合、ルールや、トレンドが変わったりで、「やり直し」になることもよくある。既に、行動プログラムが高度に洗練されたアスリートの場合、その挿げ替えや変更は困難だ。えらい苦労(練習)の末に、「更新」に成功したように見えていても、新しいプログラムが、古いプログラムの上で代替をしているだけで、古いプログラムは、決してなくならない。そして、ふとした拍子で出てこようとしたりする。

そして、この「困難な更新」は、残念なことに、ライディングの世界では特に、必要になることが多いのだそうだ。(身につけてしまっている変な乗り方を、正す作業になるということ。)

たとえ、「長い間、安全に乗ってこれたベテラン」でも、客観的な技量としては、大したことがなかったりする。(熱心な素人に及ばない場合がある。) なぜかと言うと、「上達」というのは、意識的に着手して、実際にやり続けないと、成されない性質のものだからだ。
つまり、「これでいい」と思っているベテランは、上達しない。

本書流に言い換えると、「上達を目指すのは、意識の仕事だ」となる。

これが意外に難しい。
逃げ道も多いからだ。

実際、失敗の原因や理由を、自分以外のものに帰して、逃げることは簡単だ。(むしろ、そっちのスキルに長けている「だけ」の例も、少なくなかったりする。)

「コレがちゃんと動かなかったんだ」 (モノのせい)
「アイツが来るまで、上手くいっていたんだ」 (ヒトのせい)

ある意味、潤滑油でもあるし、実に便利なので。誘惑も大きい。
みんな普通にやっているし、そこから無縁であることなど、そうそうできない。

だが、本当は、実に残念な事態なのだ。
だって、学びや上達の機会を、みすみす逃しているのだ。

折角のチャンスだ。
ただやり過ごして済ませてしまうのではなく、上達に結びつける。

「負けを認めること」なんかに引っかかっていないで、現実を認め、自分の側に原因を求める。
そのためには、訓練が必要だと。

何だか、妙に説教じみた話になって来たが。
具体的な方法となると、簡単だ。

「失敗カウンター」

バイクに乗っている最中に、自分が「失敗だ」と思ったら、こいつを押す。

「失敗」の定義も簡単だ。
同じ状況なら、また同じことをするか?の問いに、
  YESならスルー。
  NOなら、ワンプッシュ。

これを被験者のバイクに据えて、「使ってみて」とやっても、初めは面倒だし、忘れている。だが、次第に使うようになるにつれ、面白い変化があるそうだ。

昨今のビジネス書あたりだと、失敗の数を可視化することで客観的な評価ができる、とかそんな話になりそうな所だが。全く違う。

大体、「失敗」と言ったって、いちいち覚えていはしない。
例えば、ツーリングから帰ってきて、カウンターが「52」とあったとして、全ての内容を言えるか?。
それに、そもそも乗っている最中は、失敗に詳細を、いちいち考え込んでいる暇なんてない。

単純に、カウントが次第に減って、上手くなって行くものだよ、という話でもない。
逆だ。かえって、増えて行く場合もあるのだと。

自分のミスに、厳しくなっているのだ。
何が失敗なのかを、冷静に見つめるようになる。

自分の失敗から、逃げなくなること。
「失敗カウンター」は、そのための道具になりうる、のだそうだ。
(いわば、「第一関門」突破マシーンだ。)

そして、その心積もりは、自分のライディングの質と向き合う、そのステージに立つための、初めのステップなのだと。

そうやって初めて、自分の失敗を感じ取る感覚を研ぎ澄ます(ファインチューンする)、本当の訓練が始まると。
そういうことだそうだ。

えーと。
一つ、老婆心で付け加えておきたい。

日本に、こういう西欧流のノウハウを、上のように簡単に紹介してしまうと、その本当を理解せずに、表層だけを導入して、結果として間違うケースが多い。

例えば、
 単純に数字の変化を見つめましょう→評価しましょうとか、
 いついつまでに減り始めないといけないとか劣っているとか、
そんなような、妙なことになるケースが多そうだ。

だから私は、あまりお気軽な紹介は、したくないのだが。
皆様におかれましては、くれぐれもそういうことにはならないよう、お気をつけ願いたい。

最後に、余談をもう一つ。

上で挙げた、「他人のせいにする」心の傾向だが。
人というのは、自分の能力の限界に近づいて、努力に対して成果が上がらない状況になってくると、その傾向が顕在化しがち、なのだそうだ。

つまり、グチや言い訳が増えるというのは、その人が、限界に近づきつつあることを示している可能性があると。

これは、マスツーリングなどだけでなく、職場なんかでも、生かせる教訓かも知れない。


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