バイクの本 「RACERS Vol.23/24 Marlboro YZR」2014/05/18 14:17



確か、誰だかに読めと言われて。
まあ、興味もあったので。自分で買って読んだ。

この雑誌の通例で、要はただの昔話なのだが。
最近、新たに取材をしなおした内容でもって、構成をしなおしている。
「あの時のアレはこうだった」という文脈。

薄い割には高い本だが、「広告がない雑誌」という珍しい作りのおかげで、何だよこれ!結局は物欲刺激かよ!という例の不快感からは無縁に、安心して、昔話に浸れる。

今回のは2冊続きで、内容は90~94年のヤマハの歩みだ。
レイニー最強といわれた時代。
そして、それが突然の終焉を迎えた時。

当時、日本は、バブル期のバイクブームがピークを過ぎた頃だ。
レプリカは峠で渋滞していたし、北海道はミツバチがブンブン飛び回っていた。

「数がいた」という意味で、それなりの市民権を得ていた、ということだろうか。以前は、テレビ界からほぼ完無視されていたバイクのレースも、ぼちぼち放映されるようになっていた。(夜中に眠い目をこすりながら、雄叫ぶ千年屋さんに、周回遅れでついて行ってた・・・。)

世界GP開幕戦の鈴鹿といった大一番は、(ほぼ?)生で中継されていたように思う。高速コーナーでホイルスピンしつつ、横っ飛びしながら立ち上がってくる、あのレイニーの強烈なライディングのインパクトは、今でもよく憶えている。

2st 500の時代は、メーカーのカラーが、今よりもハッキリしていたように思う。

ヤマハは元から2st志向が強くて、市販レーサーもずっとあったし、公道車でもRZなんかでやらかしていた。GPもケニーの時代から続いていたし、開発チームは、リソースはあまり潤沢そうではなかったが、よくがんばっているように見えた。今流に言うと、傍目にも「ストーリーが見える」感じだったろうか。

ホンダは、初めは4st志向が残っていたが、結局ダメで、2stに来た。でも、3発とか妙な形式で、独自性だけは保とうとしていた。開発は、そういった変な、もとい独自性の強い(カネがかかる)開発を、すまし顔で進めていたようにも見えていた(お金持ち大企業のイメージ)。ファン層も、正義の味方や官軍が好きなヒト、あるいは宗一郎伝説に染まったままのイメージだったような。

スズキは・・・、えっと、良く知らない。(笑)
いやホントに、シーンとシュワンツの間が思い浮かばないのだ。マモマモくらい?

という書き口をご覧になって分かる通り、当時、私はどちらかというとヤマハ派で、コンペのホンダは、チームの運営(乗り手を筆頭に、人の扱い方なんかも含む)が大企業的だったりで、ドウモネ~な感じで眺めていた。

じゃあ、アゴやケニーは官軍じゃなかったのかよう、というご指摘には、ま、そうかな、と今は思うが。(笑)

戻して。

ヤマハが、強かった当時。
レイニーは、GPチャンピオンを3連覇していた。
終わり方(例の事故)も唐突だったから、そのインパクトたるや、大きかった。

あれから、20年が経った。
20年だ。
苦すぎる思い出も、微妙にぼやけて、細部が甘さを帯びるには、十分な時間だ。

その20年の間に、読み手(私)も年を取った。仕事を含む様々な経験もあって、当時の状況を、よりリアルに把握できる。

本書で描かれる当時の開発の状況というのは、全く、「トラブってる現場」そのものだ。

現場から、金切り声で断末魔を叫ぶフィールドエンジニア。
連日の徹夜で応える設計陣。
積み木崩し(※)の連続で疲弊する製造現場。

(※) 多種多様な製造案件を効率よくオンスケジュールでこなすために緻密に積み上げた製造プランを、こっちを急ぎでやってくれ!という「突っ込み案件」に突き崩され、再度、積み直すことを言う業界用語(?)。

きっと、これに「ソフト開発」を加えて、しかもそれをカネで解決すべく人海シフトを敷いたりすると、今のレースの現場になったりするのかな。

その当時の、ヤマハの開発の技術的な道筋だが、端的にまとめると、
 ・開発案件が多い
 ・でも逃げずに全部やる
 ・あちこちイジって、かえって何だかわからなくなって
 ・結局、振り出しに戻る
「カネと時間と工数をかけた挙句のありがちな結論」、またはデスマーチ?。全く、ものづくりの現場では、今でもよく「あるある」だ。

でも、やはり、一番、強烈に甦るのは、あの時の「終わった感」だ。

あのレイニーが、突然、選手生命を絶たれた。
世界最高のライダーでさえ使いこなせない、どころか、一瞬で葬り去る。
そんな技術に、意味あるのか?

私の疑念のアスペクトは、2つある。

まず、これらのレーサー開発から、我々ユーザーにフィードバックされたものが、ほとんどないこと。

当時、いくつかあった市販車の2st 500なんて、いかにも「まがい物」丸出しだったし(400のNSは酷かった!)、250だって、繰り返すモデルチェンジの実態は、先鋭化というのは褒め過ぎで、その荷重設定域は、素人・公道ユーザーにとって「死ね」に等しい例すらあった。(公道レベルでは、どうにも操りようの無い設計、ということ。)

当ブログでも、過去、メーカーによるレプリカの訴求のし方については、 ホンダで暴露された例 を見たことがあったが。実態としては、ヤマハも大同小異だったろう。(後方排気やV型を彷徨っていたあの頃のこと。)

もう一つは、「顧客に向かっていない」ことだ。

ここでの「顧客」は、レーシングライダーのことになる。
どうも、一般消費者とは違う意味で、無視され続けているように思えるのだ。

だって、大治郎が死んだ理由が「わからない」なんて、ありうるのか?
エンジンだってサスだって、いろいろログっているはずなのに。

富沢もシモンチェリも、自爆じゃなくて、他者に轢かれて死んでいる。
最近、同じ事例が多い。
これは、何かの示唆ではないのか?

もしこれを、「刃物の切れ味が増せば、殺傷力が上がるのは仕方ないですよね」と評するなら、「タイヤを初め、全体のエネルギーレベルを上げているだけだから、タイムが上がるのは当たり前でしょうね」と返さざるを得ない。

私は、「バイクを作る」という仕事は、「ただ研ぐだけ」ではないだろう、と言っている。

作り上げた物の価値を、誰に問うているのか。

問う相手は「顧客」、本来は、エンドユーザー(バイクを買ってくれる公道ライダー)であるはずだが、レーサーの場合は、レーシングライダーでもよい。そこに向かって、自分が作ったものの「意味」を、問うているのか。

この、「ユーザーに問う」姿勢が無いと、技術者の仕事は、ただの一人よがりになる。そうして、次第に腐っていく。
(最近は、「上司に問う」ことしか考えてない例も多い。最低以前に、最悪である。)

最近は、矜持とも言ったりするようだが。
それがない。

本書の中で、このYZRの「ユーザー」は、すっかり不自由になってしまった自分の20年の向こう側を振り返って、こう言っている。

「僕には、後悔することなんて、一つもないんだ。
だって、僕は、完璧にベストを尽くしたんだ。
あれ以上のことは、僕には、できなかったはずだから。」

全く。当時の現場のエンジニアの中にも、同じ考えの人間が、何人かはいたかと思うのだが。多分、実際に発言することは無理だろうと思うので。私があえて書くのだが。

やはりあれは、技術者として、恥ずべき仕事だったと思う。

まあ、そんななので。
レイニーが飛んだその日から、私は、レースを次第に見なくなった。
だから、その後の、ミック無敵の時代などは、噂にしか知らない。(「お金持ちが余裕で安定している」様子にも思えて、興味が沸かなかったこともある。誤解だったのかな。)

その後、「世界GP」が「Moto GP」になって、フォーマットが4stになり、Ducati が帰ってきて。何か変わるんじゃないか、と期待させるものがあったので、また見始めたのだが。

多少の変遷は経たものの、やっぱり、結局はあんまり変わっていないように思えている。

要は、タイヤの設定に、車体が呼応しただけではないのかな。
「バイクの進歩」って、つまりは「タイヤ容量の向上」のことなんですかね。

そして、その上に、電制と来ている。
ユーザーの関与は、どんどん減っていないか?

そのせいかは知らないが、最新のスポーツバイクで峠を飛ばす人の姿は、もてあましているのに、やることがない、そんな風に見えることが多い。

そんな、どこか物憂げな背中を、何十年も前の古いバイクに跨りながら、私は、静かに眺めている。

不思議だなあ、と思う。

隔世の感、だけはある。
でも、年月の重さって、こんなもんなんだろうか。


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