読書ログ 「ブラジル人の処世術 」 ― 2014/08/16 07:00
よく、イタリア人は秩序を守らないとか、秩序が「無い」などと言われるようだ。実際に行ってみても、北と南で程度の差はあれ、まず全体より個人の感覚を優先するのは確かだ。しかし、その場その場の機転で「何とかする」能力には、かなり感心したりする。
本書の要旨は、そういった現象のブラジル版、かつ、その奥に深い人間性を見る、といった内容だ。
南米の、ちょっと悪い言い方だが、こすっからいイメージ。
良く言うと、人間くさい。
ベタついてくるほど。
似て非なるもの、対極なもの、表裏、そんなものがいろいろ、
例えば、感情と道徳、仕組みと法、願望と官能、芸術と見せ物、
なんかだが、そんなのが絡み合い、とぐろを巻いている。
汗臭いほど。
副題にある「ジェイチーニョ」だが、(主に自分自身の)ピンチを救うための、人間臭い交渉ごと、とかそんな意味のようだ。こうやって本になるくらいなので、いろいろと深い背景があって、ここで一言では説明できない。実際に、本書をご覧いただきたいのだが。
ブラジルの歴史的、宗教的、文化的な背景の故、考え方が日本とはまるで違うんですよ、という所から、まず承知してからかからないと、さっぱり理解が進まないだろう。
ジェイチーニョをすごく単純化して表すと、まず、(単なる)知り合い優先の精神がベースにあるので、まるで知り合いのようなニクめないヤツを演じると、いろいろと効能がある、とかそんな感じか。
ブラジル人はグレーである、曖昧を好む、のような説明がされているが。
ちょっとホメすぎで。ただ、現金なだけ、のような気もする。
曖昧とは、日本人に対しても、よく使われる表現だが。
意味合いとしては、逆のようだ。
ブラジル人は、エゴと平常心の間。中庸。
日本人は、不決定。スルー。
最近、日本人って、どちらかというと、一元論者ではないか、と思うことが多い。具体的には、よく、全体論、「みんなのため」という言い方で、出現するようだ。実のところ、根本は皆、自分本位で。互いに奪い合う所作がベースだったりするのだが。うまいこと、「居心地」や「居場所」などと言ってみる。でも、次第に我慢がならなく、こすからくなると、また「みんなのため」と言い合いながら、一向に助け合おうとはしない。
日本人は、秩序や伝統を重んじる、とも言われる。確かにそうかもしれないが、端的には、他人に冷たい。秩序を重んじるのも、それが都合がよかったり、利益を守ってくれる時だけだ。だから、自分さえよければ、困っている相手を「助けないでいい」、そういう理由を、秩序は、与えてくれる。(汚職撲滅が世界で一番難しいのは、日本かもしれない。ブラジルも、違う意味で、相当なもんらしいが。)
いや、本書は、そういう「ブラジルの対岸から日本を照らす」形の比較文化論ではないし、そう読むべきでもない。
そのまま、ブラジル人の感じ方、考え方について、フンフンと読む本だ。
(自分とは全く違う感じ方、考え方をする相手がいる、と納得し、それに慣れること。グローバル化というのは、そういう意味でもある。英語の勉強のことではなくて。)
著者は、ブラジル人の「人間本位」の考え方を誉めている。
確かに、日本人には、かなり足りていないことだし、それが無いことが、足かせにもなっている。
とはいえ、「人間本位」を前面に持ってきてしまうと、ブレるはカラ回るわで進まないし、かえって幸せをスポイルすることにもなりかねない。
うまく行かないものなのだ。
イタリア人とドイツ人のハーフが理想の人物像になるとは限らないし、
HONDAのバイクにMoto Guzzi のエンジンを載せても、ろくなことはない。
そんなようなことだ。
きっと、現実を突き詰めて、最後に残るのは「真実」ではなく、「矛盾」だ。
と、そういうことなのだろう。
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