70~80年代のバイクの本 まとめ2015/06/14 07:40



90年代に入る前に、簡単に総括をしておこうと思う。

やはり、その当時の時代性と、バイクならではの特殊事情が重なり合っていたように思える。

70年代。

世の中的には、ベトナム戦争の終結に代表されるような、方向感の無さというか、停滞感というか、「言われるほどは選択肢がない」感じの、ドン詰まり感と、ワケわかんない感が同居していたように思う。

今からすれば情報の流通量は限られていたし、その少ない流通経路の中でも、「書物」はまだ権威を保っていて、「ある程度の情報をまとめて語らないと伝わらない」分野では、選択肢の最右翼だった。

本を出す側には「ちゃんとしたものしか出さない」という矜持があって、まだしっかりと機能していたから、読む方も「本に書いてあるんだから本当だろう」と無邪気に信じても、大きなハズレも、実害もなかった。

他方、バイクというのは、世間的には16~18歳の限られた期間に熱中した後に「卒業」するもので、その辺を走っているのは、大概は「暴走族とその類似品」の若造だった。「卒業」ではなくて「進学」というか、バイクを末永く楽しむことも可能ではあったはずなのだが、実際にそうする人はごく少なかったから、一般人にとって、それを「暴走族」と区別する必要性は、全くなかった。

近所でバイクに乗っているオジサンは「変わり者」だったし、乗り方としては「ウサ晴らし」以前の「ひけらかし」レベルが多かったから、見た目のご立派さ重視の「ハーレーおじさん」なんかが正統派だった。そうではなくて、も少しマジメに乗ろうにも、ハードもソフトもレベルが低かったし、環境も整っていなかった。

そこへ「本」を出すとなると、チャネルもないしニーズもないから、商品としては両極端にならざるを得ない。その良い方の極端は、想像より遥かにレベルが高くて、40年余りを経た今でも、読ませるものが結構あった。( オートバイの本 スーパーライダー 世界のオートバイ 。) 当時、これらの本を、書店の軒先で探し当てるのは、えらく大変、というか「ほとんど運」だったろうと思うのだけれど。

80年代になると。

それまでの閉塞感は底が抜けて、村の掟はもう守らなくていい、のような「何やってもいいんだ」といった開放感が広まり始める。そこへバブルが重なって、不必要にカネ回りが良くなったから、爛熟と廃退が二人三脚でやって来て、背中には「狂乱」と書いてあったと、そんな時代になる。

考えてみれば、レプリカは、それによく合っていた。

まあ世間的には、「峠族」という暴走族の一種を増やしただけだったし、「ミツバチ族」なんて、おとなしい方の亜種も発生したのだが、バイクが普通の市民権を得るまでには、至らなかったようだ。

乗り手の全体数が増えたから、マジメに乗りたい人も増えたとは思うのだが。市場として、さしてニーズを生まなかったことは、当時の、マジメなツーリングモデルの販売が、パッとしなかった例が示していたように思う。

全体として、バイクは、「若者のもので、数年で卒業するもの」という趨勢は、そのまま残った。

だから、この後の90年代には、バリバリ伝説は頭文字Dに「卒業」したし、バイクに入ってくる数少ない後輩達も、先輩たちがレプリカで残した痛すぎる傷跡を避けるように、ゼファーやTWなんかのファッション系に移って行った。

そんな80年代の本だから、当初は、70年代を引きずったような地道な仕事( 「おれの単車」整備術 )や、マジメな仕事( ロードレーサー )があって、それに、ちょっと突き抜けたような、「若気の至り」( 賀曽利隆の オートバイ・ツーリング )と、似たような「やってみちゃった」型( 風をあつめて 息子とアメリカとオートバイ )が並んでくる。その流れで見ると、レベル違いの、究極の冒険( 地平線への旅 )も、その最強版?に見えなくもない。

センパイたちの暖かい助言、またはウンチクも多かった。( バイクひとり旅 ロングロマンティックロード ぼくとバイクの二人ごと )。
無論、新しい試みも、されていたのだが。( オートバイの科学

全体に、70年代にはない新しいタイプの書籍も増えて、まさに「何でもあり」な感じではあるのだけれど。幅(または数)が増えた一方で、レベルの方も様々だから、状況としては、玉石混交の混迷が深まった印象だ。

でも、一つ一つを読み解いてみれば、内容の方は70年代ほどは突っ込み切れていないというか、イマイチ中途半端な印象のものが多かったように感じた。もし平均点を取ったら、70年代より下がったかな?という印象。(作り手の矜持が劣化している。)

総じて、「探すのは大変だが、見つけた一品はさして良くない」という、80年代特有のあの手触り、そのままのような気がする。(笑) いいものは確かにあるのだが、探すのがえらく大変になったし、いざ見つけてみても、もう結構劣化していて、思ったほどじゃなかったなと。そんな感じだ。

ことバイクに関しては、ハード(機体)面でも、こういった書籍のようなソフト面でも、この傾向が強いように思う。

その理由のうち、最大のものは、「みんな素人向け」だからじゃないかと、私には思えた。

バイクというのは、やっぱり「若気の至り」で乗るもので、年に従い「卒業」する、そういう流れは変わらなかったから、市場としては「素人」が大きい、てか「ほぼそれしかない」状態が続いていた。

その証拠に、長く乗っているベテランにアピールできそうな本というのは、本当に少なかった。( オートバイ・グラフィティ W1 FILE くらいか。)

「バイク関連の市場は素人向けだけ」という状況は、これ以降も変わらない。
基本、ユーザーからのフィードバックは、全く存在しない業界なのである。
(これは直近でも状況は同じで、例えば、ダンカイリターンも「周回遅れの素人」として扱っていることでわかる。)

機体のメーカーは、円熟したユーザーのシブい要望なんかまるで無視して、 ニューカマー向けのアピール性だけを考えて機体を出し続けていた 。例えば、昔からCBに乗っていた顧客が、こうなればいいのに、と思っていたその希望が、10年後に乗り換えた新しいCBでは実現していた、なんてことは全く無くて、メーカーは、その時々の(手持ちの)フィーチャーを盛り込んで、適当にリビルドした「焼き直し」が、気分次第で出てくるだけだった。(そして、今やモトGPのレプリカ¥2千ウン百万なんてのが出て来る時代だ。救いようがない。)

話を本の方に戻すが、
90年代に入ると、バブル崩壊に伴うカネ回りの悪化もあって、機体以外のペリフェラル(書籍も含む)を含めた業界全体が、この保守的な方向性を強めて行く。

さらに、この頃からネットが普及してきて、情報チャンネルに占める書籍の優先度は低下していく。それが、作り手の矜持の劣化に拍車をかける波及効果もあって(「こんなものが出版されちゃうのか」という時代になる)、こと書籍に関しては、「売れるものだけを適宜出す」傾向が、なお強まる。

90年代のバイク関連の書籍をリストして見回しても、目に付くのは、
 ① 免許の取り方
 ② 素人さん向けの入門書、乗り方講座の類
 ③ 特定の機種をフィーチャーしたマニュアル・ムック
以上の3種類が圧倒的に多い。これに、
 ④ メンテ本
 ⑤ 個人的なツーリング記
を加えると、ほとんど全てを占めてしまう。

「探すのは大変なのに、見つけた一品はさして良くない」傾向が、さらに強まった印象だ。(覆水盆に返らず。一度抜けた「底」は、そう簡単には戻らない。)

まあ、そんなわけなので。
以降は、図書館の蔵書を逐一追っても、あまり見るべきものは出てこないようだ。

既に取り上げたものも、いくつかある。
 *  Z1開発ストーリー  1990年8月
 *  イトシンのバイク整備テク  の前身?、
    イトシンのイラスト新バイク整備ノート  1990年8月
 *  近頃のバイク馬鹿読本  1996年9月
 *  オートバイの歴史  1996年11月

次回以降は、これまでのように網羅的な取り上げ方はやめて、興味をひかれたものを適当にピックしてお伝えする、以前のスタイルに戻ろうと思う。
(毎週はやめて、不定期掲載にします。)


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