バイクの本 「進駐軍モーターサイクルクラブ」2015/11/29 07:53




80年代半ばの古い本だ。
端面が真っ茶に焼けている。

題名の通り、戦後間もなくの頃の話。

といっても、「当時を知る古参が自身の体験をリアルに語る」内容ではなく、80年代に20歳代だった若い著者が、当時を知る世代を尋ねて得た伝聞を、オムニバスにまとめている。

富士登山レースや浅間などの、当時の周辺の世相も含まれている。その意味で、表題から想像されるような、進駐軍、つまり、米国の兵隊さん関連のお話だけを、ガッツリまとめたわけではない。

全体として、戦後~60年代の、日本(と言っても関東周辺)のバイクシーンを、切り取って、つなげてみた、に近い。

お話は、著者が、横田基地の「モーターサイクルクラブ」を尋ねる所から始まる。

AJMC、All Japan Motorcycle Club は、確かにあった。

字面だけ見ると、「全日本バイククラブ」のような、日本人による組織のような感じもしなくはないのだが、実際は「アメリカ軍が組織するバイククラブの日本方面支部」のような意味合いだったらしい。

80年代初頭のこの当時、既にクラブは事実上の休眠状態で、基地内に巨大なクラブハウスは残されているものの、バイクが数台、置かれているだけ。数人だけ残っているメンバーが、古いアルバムを引っ張り出して、クラブの歴史などを説明してくれるのだが、どうも、当人達も伝聞を知っているだけらしい。アルバムの方も、写真が羅列しているだけで、キャプションがあるわけでもないから、情報の確度としてはイマイチ怪しい。

ただ、映画「乱暴者」そのものの、’50sな雰囲気にひかれた著者は、アルバムをそのまま借り受けて、その画像の足跡を、自力で辿り始める。

AJMCは、日本最初のAMA加入クラブで、AMA関連の雑誌にも情報が散発的にあったようだ。また、当時の販売店(バルコムとか)などから得た情報などをまとめて、雑誌にレポートを載せたところ、当時を知る関係者からの連絡が入り、そこからまた芋づるがつながって行く。戦後の当時に、外国製の大型バイクで進駐軍と「つるむ」ことができたのは、よほどのスキ者か業界人だけだったから、「狭い業界」だった当時のバイク業界の姿が、そこからさらにあぶりだされる、とそんな文脈で話が進む。

AJMCは、戦後2年目の'47年に組織された。
初めは、横田ではなく立川だったらしい。

戦後の当時、米進駐軍でプライベートでバイクに乗ることを許されたのは将校クラス以上に限られたようで、また、当時の大型バイクは米国人にとっても高価な代物だったから、休日に私物のトラなんかを日本で乗り回していたのは、軍人でもそれなりに上級の「紳士」が多かったようだ。後述するが、組織としても、ただの「バイク乗りの集まり」に留まらない、しっかりとしたものだったようだ。また、その活動を一望すると、外国に駐留する彼らが負い続けていたものの一つである「親睦」の色合いを、ずっと帯びていたようにも感じる。

駐留軍人が組織するバイクのクラブは他にも多数あったようだが、AJMCは、その内でも最大規模だった。主な活動はツーリングや週末レースだったが、街で出会った日本人ライダーたちにも声をかけて、勧誘のようなこともしていて、活動はオープン、かつ、かなり広範囲に行われていたようだ。

ツーリングの行先は、近場では三浦半島から、富士~箱根あたりの定番はもとより、遠くは北海道まで行っていたらしい。彼らの愛車は、当時の最新・高性能車である英車がメインで、トラ、BSA、アリエル、ビンセントなど。「1台で家一軒」というプライスの、当時の日本人から見れば、超ド級の高級品だった。


北海道ではこうなる。
雨が降ればヌタヌタだから。バイクも重いから埋まっちゃう。
賀曽利、風間、忠さんのキリマンジャロ みたいな絵柄だが。当時は日本もアジアの秘境か。)

当時の日本の道路といえば、大概は穴だらけの未舗装路で、標識もろくすっぽ無いのが普通だったから、道順どころか言葉も通じないアメリカ兵が目的地に達するのは至難の業で、オンリーさん(日本人妻)を後ろに乗せて、道を尋ねながら進んだりしたらしい。


これもんの大型バイクに跨ったアメリカ兵が、派手な女性とタンデムで、爆音とともに砂煙を上げながら連なって走る様は、壮観だったろう。

当時の彼らは、日本のインポーターたちの上客でもあったから、「昼飯付きの店主催ツーリング」へのご招待なども結構あって、何でも、昼食で出た"A Lobster Tempra Lunch"、エビ天定食?がえらく人気で、星条旗新聞にも載ったとある。ただ、この「営業攻勢」は相当にしつこかったようで、しまいには「店の前を避けて通る」ようになったともあるから、営業面での効果の程は、良くわからなかったようだ。

ツーリング以外の「イベント」も、多数行われていた。
その多くは、「週末レース」に類するものだったらしい。

'49年11月に、日米親善・全日本モーターサイクル選手権大会が、多摩川スピードウエイで行われた。これは、当時、競輪の方で盛り上がっていた公営ギャンブルの波に乗るべく、バイク界として乗り出す形で始まった「興行」だった、とある。これにはAJMCが全面的に協力し、GI 達が最新バイクで走る「レースのお手本」として、強力な人寄せ手段になったようだ。日本小型自動車工業会は、この大成功の勢いでもって、オートレースの立法化を’50年4月に得て、’51年10月の船橋オートの初開催へと繋がっていく。’50年は朝鮮戦争の開戦の年でもある。次第に景気が上向くとともに、これらの興行も賑わいを増して行く。

ただ、このイベントでは、AJMCは、ただの人寄せパンダの一発屋として使われたに過ぎず、この種の協業が、この後も続くことはなかったらしい。’53年からは、名古屋TTを初め日本側でのレースが本格化するのと、朝鮮戦争の停戦に伴うAJMCメンバーの異動(他の基地への転属)が相次いだこともあって、大規模なイベント開催はなくなる。そうして、’55年からは、調布などでのドラッグレースなどの、AJMC独自の活動に重点が移って行く。

AJMCは、ジムカーナなどのアトラクションを初め、日米親善のアマチュアレースを開催して、米軍ブラスバンド隊の演奏を沿えたりと、レースだけに留まらない、質の高いイベント内容でもって、大変な盛況を呼んだようだ。

ただ、実質的には「興行」などでは全く無くて、自分達が楽しむと同時に、駐留地との「親睦」を強める色合いも濃かったようで、得られた収益は全て日本赤十字に寄付された、とある。それ以外にも、基地の近くの小学校の運動会には「景品」の寄付を怠らなかったし、米軍関連を含む「施設」への慰問なども、継続的に行なわれていた。

その、AJMCの週末レースの様子を、幾つかまとめる。

● 府中ベースでのドラム缶レース

バイクでドラム缶を押しながら、所定のコースを走破して、ゴールまでのタイムを競う。
こういう「レース」を、私は始めて見たのだが。排気量やパワーなどのスペックは関係なしに、操縦スキル(?)の勝負となるのだろう。なかなか面白そうなのだが。(笑)




● 多摩川河川敷のジムカーナ

当然、ただのジムカーナではない。タマネギを置いたお玉を受け渡しながらリレーするとか、地面にビンを置いたり取ったりとか、一癖あるジムカーナである。

ついでに(?)、多摩川の水の中を突っ切ってみたりもする。
無論、これもレース形式でやったらしいのでね。侮れない。(笑)

● ドラッグレース@調布の滑走路

(当時は先進の)光電管なんかも使った本格派だったらしい。

軍用機を背に、この迫力。
ちなみに、飛行機の発着が入るとサイレンが鳴って、その間だけ全員退避してレースは中止。発着が済んだら、また再開すると。

ドラッグ用に改造したスペシャルバイクも。

今見ても、この広さ感はうらやましい。
かっちょえー。

これらのイベントには、実際に、多くの日本人が見物に訪れていて、でかいバイクと美味そうな食事をふんだんに楽しむアメリカ兵を、羨んだり、憧れたりしていたようだ。また、実際にバイクを所有しているスキモノには参加の機会もあって、ホンダなんかで挑んだライダーもいたらしい。とはいえ、レースそのものよりも、盛んにジョークを飛ばしながら、あまりに開放的に楽しむ米兵の様子に圧倒された、とある。

地元のバイク屋の中には、これらレースのためのチューニングの仕事が持ち込まれることもあって、なかなか繁盛した店もあったらしい。当時の日本のバイク屋のオヤジは、技術者というよりは職人に近かったから、本国ではマニュアルづくで行われるパーツの取り付けを、モノを見ただけで判断して、テキパキと作業してしまうその様に、依頼主の米兵が驚嘆した、ともある。

アメリカ兵は、底抜けに明るく開放的で、楽しそうだった。
しかし、その裏方は、想像よりもかなり厳しく管理されていた。
ただの見せびらかしに陥らないよう、キッチリと組織されていたのだ。

定例ミーティングは、週に2回、平日の夕刻から開催されていた。出席できなければ罰金で、これが運営費に当てられたとある。彼らにとって、まず、プライベートを尋ねるのはマナー上よくないことだったし、さらに、職業柄、階級を含む軍務に関する情報を得るのはご法度でもあったから、メンバーの「連絡先を知らない」例も少なくなかったとある。だから、イベントを含む各種の運営をキッチリ行うには、定期的に集まって、詳細まで打ち合わせて事前に決めておくのが一番、かつ唯一の方法だった。

AJMCの活動は日本人にもオープンで、勧誘などもあったことには既に触れたが、終戦直後のこの当時、大方の日本人は、昼夜違わず働いてナンボの身分だったから、平日の夕刻に集まるというこの運営について行けない場合も多くて(出席できない)、たとえ一旦AJMCに加わっても、もたずに抜けていく場合がほとんどだったようだ。

そんな感じだったから、AJMCに関する当時の日本人の目線というのは、アメリカ兵と共に、同じ側から眺める目線というのはほとんどなくて、粗方は、彼らが楽しむその様子を「外側から眺める」目線だった。バイク乗っていたからどうこうということはほとんどなくて、基本、他の兵隊さんたちと同じ。ただ、バイクに乗った兵隊さんと、そういうことだったようだ。

上で挙げたレースの様子を見てもわかるように、週末にバイクに乗るアメリカ兵たちは、とにかく楽しむ。彼らは、オンとオフ(仕事と休み)をキッチリ分けて考えるし、そもそもバイクに乗るからには、オウンリスクは了解済みだ。スピードとか技量の優劣なんかはどうでもよくて、とにかく、日曜をどれだけ楽しめるか、そこに彼らの主眼があった。そして、そのためのオーガナイズを含む自治を、当然のようにこなす組織力も兼ね備えていた。

そういった、表と裏の落差加減が、彼らの「楽しみ」を支えていたわけだが、当時の日本人に、それが伝わったかどうかは、微妙なようだ。

革のウエアでバッチリ決めた映画俳優のようなライダー達が、高価な大型バイクを使いまくって遊びまくる。艶やかな女性、大盛りの肉(ハンバーガー)、コーラにビールが、さらにその上に彩りを添える。

それを眺めているのは、「生きるか死ぬか」から「食うや食わず」にやっと抜け出したばかりの日本人だった。その文化的な差異や、気持ちの豊かさなんかを、本質的に感じたり見抜いたりというのは難しくて、その物量の差に圧倒されるのがほとんどだったろう。多分、米兵が、こっちに来て一緒に楽しもうと手招きした所で、実際に加わるのはムリだったし、だからこそ、おうよ絶対に楽むようになってやる!と対抗心を燃やす、といった辺りが大勢だったろう。

そして、その「立派な軍人さん」も、実の所、全く安泰ではなかった。朝鮮やベトナムなんかで戦闘が本格化すれば、転属もあるし、そうでなくても戦場に出払ってしまって、遊びどころではなくなってしまう。戦争が終わって、ラッキーにも生き残れていたとしても、本国に帰ってしまうのが普通だから、また日本に戻って、我々の面前で、バイクを走らせてくれるわけではないのだ。

上に挙げた各種のレースなどは、戦争の合間に開いた一瞬の花のようなもので、継続という意味での安定には欠けていた。当時は、日本の世相もどんどん動いていたから、それと一緒に流れて行って、そのうちに、そんな時代もあったねえと、過ぎ去ったもの扱いされるまでに、たいした時間はかからなかった。

この著者にしても、その辺の印象は同じのようで、写真に写る米兵と日本人の身なりの差に目を留めて、これが、たった30~40年前の日本の姿だったんだ、と盛んに嘆息したりしている。

それからさらに30年が経った今を考えるまでもなく、身なりや持ち物、食い物なんかはだいぶ追いつきはしたものの、50年代に、アメリカ兵が見せてくれて、手招きしてくれていた、このオープンな楽しみ方というのは、日本人には、全く縁遠いままのようだ。

この当時の日本は、アメリカを心底羨んだが、その価値観や考え方、楽しみ方なんかを、こなしたり、または丸ごと受け取った訳ではなく、ただ、その表層をなぞっただけだった。そんな言い口もよく聞くが、確かに、その通りだったように感じる。

ただ、それは、例えば米兵の文化浸透の努力が足りなかったとか、日本人には合わなかったとか、そういうことではなくて、単純に、日本人は、あの戦争を経て全てを失ってもなお、自分が持っていたコアを変えなかった、いや、変えようがなかったと、そういうことなのだろうと感じた。

さらに、バイク業界に話を限定すると、業界全体として、その価値観を受け取らなかったどころか、拒否したように見えるのだ。そしてそのことが、今の日本のバイク業界全体が持つ価値観に、そのままつながっているようにも感じた。この点については、次回以降に詳述する。

次は、この著者が当たったという、50年代の語り部である日本人の先達の話を紹介する。
(続きます。)


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進駐軍モータサイクル・クラブ―Free wheelin’ in the ’50s

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