バイクの本 「進駐軍モーターサイクルクラブ」その32015/12/19 10:45





前回 の続き。
著者のことにも触れておく。

この著者は、いわゆる「バイク好き」ではない。本書の取材を続けるうちに感化されたか、古いバイクを手に入れたような記述が巻末近くにあるのだが、本書の動機も「バイク好きが高じて」というワケではなかった。

著者の感心はむしろ、「基地問題」の方にあった。基地の近くで育ち、その恩恵にも与ってもいたのだが、迷惑の方を被っている連中の活動にも参加していた。一応、日本人の側として、基地があることへの不満や不快の方にシンパシーがあるのだが、実際に、基地に馴染んで育ってきたこととのギャップを、自分では埋められず、イラついていた。

そんな「若いイライラ」は、取材の際にも漏れ出ていた。60年代の安保に向かう、日本中が基地と戦っていたあの時期に、あなた方は、米兵とバイクで遊んでいたんですかと、端的に言うと、そんな感情が抜けなかった。

AJMCへの取材も、横田ベースへの関心から始まったようだ。そして実際、AJMCの立川、府中、調布、横田という流れは、基地問題の流れ、そのものでもあった。

彼の父や、祖父の世代の証言は、その流れに呼応していた。

あの頃は楽しかった、やんちゃしたなあ。30年の月日を一瞬に遡り、目を輝かせて語る彼らの表情は、それを青春として過ごした、確かな証として、著者の前に出現した。彼らが語る時代の群像は、基地問題を、日本の青くて苦い青春として、逆の側から照らし出す。その過去を、現実として捉えなおした著者は、自分の感情の断絶を、いくらかは埋められたようだ。

そんなわけなので、ことバイクに関して、この本が、当時を正しく描けているのか。果たして、著者にその力量があったのか。取材や解釈に、本当に偏りがなかったのか。少々怪しい。実際、「初めにナントカありき」で書かれた匂いは、ふんだんにする。

ただ、それを私の視座から眺め直すことで、ある程度の知見にはなった。

やはり、一番の衝撃、いや「思った通り」だったのは、日本のバイク業界が「初めっから今の姿」だったことだ。

この50年代の当初から、雑誌とメーカーは「宣伝」を通じて結託していた。レースも、その存在意義を、メーカーの宣伝にほぼ限られていた。業界には、ユーザー視点はほとんどなかった。(あったメーカーは、商売で負けて早いうちに居なくなった。) 自社の製品が、世間の役に立つとか、人々に喜んでもらえるとか、そんなことを糧にしてきたわけではなかった。生き残ったメーカーは、自分が生き残ることを最優先したからこそ、生き残った。それは始終、販売そのものを主導して考えるDNAとして受け継がれ、今に至っているだろう。

もし、そうでなかったら。
前回、戦後すぐの富士登山レースが、参加者の横暴ゆえに地元の反感を買い中止に追い込まれた顛末を書いたが、もし、そんな暴走族のはしりのような有様ではなくて、地元はもとより、長い目で見たその後のユーザーの利益にも配慮した、真摯な態度で当たっていたとしたら。今で言う 箱根駅伝のように、毎年、富士を駆け上がるバイクの列を、競技として、眺めることができたのかもしれない。

製品が「おカネ欲しそうな顔をしている」とは、よく言ったものだ。 CB1100R や、 NR 、RC211Vなんかを思い出すと、確かにそういう顔に見えるし、プライスタグを見れば、「おカネ欲しい度の深化」も続いているのは一目瞭然だ。本来は、ただの「コストの差」のはずなのに、それを「技術の進化」と擬装し続ける雑誌も、やはり、同じ穴の狢だ。

そして、それを欲しがる我々消費者の動機と言うのは、それに手に入れれば「おカネ持ってそうに見えるから」ということになるのだろうか。(おカネではない、他のものを持ってるように見えそう、という「誤解」のような気がするが。) そうなると、持ち物は「最新型」でないと意味がないから(一つの物を長く使うのは美談かも知れないが、ビンボくさい由)、メーカーは、新製品を次々と供給することを価値として、ずっとユーザーの「足元を見」続けてきた。ユーザーの側も、無邪気にそれで満足するべく、雑誌の辺りに教育されてきたし、乗り手のレベルやウデを問わずに済むよう、評価の尺度としては「乗りやすさ」が、バカの一つ覚えのように繰り返されてきた。

行き方が決まっているというのは、便利でもあるし、ラクでもある。業界もユーザーも、この輪転機を、無邪気に回し続けて来た。実際の所、もうユーザーはお腹いっぱいで、 「行き過ぎ」を訴える声 も繰り返されていたが、メーカーは、無視し続けた。病状に気付きながら、やり方を変えられないのは、逃げであり、老化であり、無能の証であって、何より、不幸だ。

私は、「あの時に、西洋至上主義に染まっていればよかった」と言いたいわけではない。50年代のトラだって、「おカネ欲しそうな顔」を、全くしていないわけではないのは、あのエドワードターナーの、暑苦しい顔を思い出すまでもない。

ただ、あの時に、あの状況にあってさえ、自分の殻を破れなかったのが、我々が今も感じる「閉塞感」となって、ずっと影響しているように感じるのだ。

米兵が日曜にブチ遊ぶ姿には、バイクは、ライダーが楽しむためにあったのだと、素直に感じさせる何かがある。それは、当時も同じだったはずなのだ。

ユーザーが楽しむ様は、米兵が実際に見せてくれていた。
ヒントどころではなくて、「答え」が目の前にあった。
でも、日本人は、それを受け入れなかった。
理解しなかったとか、そぐわなかった、ではない。
「当時はできなかった」でもない。(ならば、「今はできている」はず。)
商売を優先して、結果的に、拒絶した。
自分の事情を優先し、結果として、変われなかった。
悪く言えば、チャンスをふいにした。

駒は、さらに悪い方に触れる。
この時代の後、バイクを代表するイメージとして、暴走族が台頭する。
仲間内の感覚に引きこもる、強い内向きの引力を感じさせるアレである。
そこには、バイクが本来持っていたはずの自由の匂いは、全くしない。
そして、現在に目を移して、少し周りを見回すと、あまりガラのよろしくない「仲良しSNS」の辺り(ヘイトとか)にも、全く同じ匂いがする。
このことは、ユーザーの側も変わらなかったし、同じものを、ずっと今も引き継いでいると、示しているのだろうと思う。

本書にある「戦後40年後のバイク評」と、さらに30年後の私が感じていることに、ほとんど全く差がないことに、当初、私は驚いた。

しかし、よく考えてみれば、要は「変わっていない」それだけのことだ。
視点を替えると、我々は、一本調子に坂を下っている。

本書の冒頭で、米国の古いバイク雑誌にも「旧車コーナー」があって、「やっぱりバイクは、オレの20年代のが一番!」のような、古参の意見が載っていたとある。バイクの運転は、理屈抜きで身体で覚えるものだから、初めに馴染んだものに、ずっと馴染み続けたがる傾向は、確かにあるのだろうとは思う。

だから、振り返れば、リジッドの人や、キャブの人、Wの人や、ハーレー、ドカの人が居た。(私は、グッチの人・・・でいつまで居られるやら。笑)

昔はよかった、と言いたいわけでもない。
そんなあれこれを考えてもなお、何かが、時間と共に失われ続けている。そう感じるのだ。
感覚的な、何か。
裏返すと、矜持とか、そんなもののような。

エンジニアが一生懸命なら 、それは製品に出て、ユーザーの共感を得て、作り手と受け手の双方が、幸せになれる。

ことバイクに関して、そんな機会は、どう考えても減っている。

「どうせまた次のがすぐ出るよ」と、皆、知っている。
だから、買う時は妥協を伴う。仕方ない。これでいいや。
そんな製品は、つまらない。
だからだろう、最近のバイク屋では、店員も客も、作り笑いだ。
高速でも峠でも、ライダーが楽しそうに笑っている姿は、あまり見かけない。(視線を気にしている風の所作は、よく見かける。老いも若きも。)
少なくとも、本書で見る米兵の方が、楽しそうに見えるのは確かだ。

最近、私は、新しいバイクに乗って、感心はしても、感激することはほとんどない。ウルトラスムーズで無味乾燥で「乗りやすくて」、つまるところ、やることが、ほとんどなくて。それはきっと、外から見た日本人の印象、そのものではなかろうか。

どうしたら、この米兵のように、自由にバイクを楽しめるようになるものか、と考える時。私はきっと、「ギブミー視線」を、米兵に投げかけている。

それは、取りも直さす、「何も変わっていない」ことを自ら証明するようでもあり。ひどく不快だった。


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進駐軍モータサイクル・クラブ―Free wheelin’ in the ’50s

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