読書ログ ミラノの太陽、シチリアの月 ― 2016/06/05 09:03
イタリアの、市井の人々の暮らしを描いた短編集だ。
図書館で、 いつだか取り上げた本 の近くにあったのを、ふと借りた。
著者は、日本の文学賞をいくつかお取りになっている有名な作家さんだ。既にイタリア在住が長く、イタリアに関する小品をたくさん物している。既にご存知の方も多そうだが、私は、初めて読んだ。
どちらかというと、暗い話、影の話が多いようだ。
イタリア人といえば、明るくて楽天家で、人生を謳歌しているような「明」のイメージがステレオタイプかと思うのだが、この本では、逆の面・・・いや、楽しみがあれば悲しみがあり、笑顔があれば涙もあるという、普通の人間としてのイタリア人が描かれている。社会の下層や、あまり恵まれた境遇にない、普通の人々の描写が多いせいか、「暗」の面が強調されて見えるようだ。
ルネサンス絵画のように、艶やかな色彩と、明暗の刻みでもって、ある意味、くっきりリアルに見えかねない、彼らの人生の側面を、日本人である著者は、まるでミラノの霧の向こう側にあるかのように、絶妙の曖昧さと距離感でもって眺めている。
そのせいだろうか、確かに、彼らは日本人とは考え方が全く違うイタリア人ではあるわけだが、その人間性の芯の所は、実質的に、さほど変わらないなと。そういう後味が残るのは、各話に共通しているようだ。(それは、私が既にイタリアに毒されて長いから、または、もともとラテン気質の変人故に共感の幅が広いから、なのかも知れないが。)
私はこの本を、例のように、出張の往復の新幹線の車中で読んだ。
移動だけで延べ8時間を越える長距離だったが、それだけに、会社は、いろんな用を詰め込んでくれる。そのため、特に帰路では、メンタルがかなりアップセットしていて、平たく言うと、まだ「カリカリ来ている」状態だったが、その沈静化に、少なからず役に立った。
短編を一つ読んでは、しばし黙考。
暗い車外の風景を、見るともなく眺める。
時速280kmで運ばれながら。
結局、これだけの長時間手にしていたのに、半分ちょいしか読まなかった。
ゆっくり、読んでいたのである。
急いで読むものではない。
そう思ったのだ。
そういえば、昔、クルマ業界の、とある識者殿が、「雨でイタリア車が壊れるのは、イタリアに雨が降らないからだ」などと評していて、面食らったのを思いだした。
当たり前だが、イタリアにも雨は降る。
どころか、国土が南北に長いのは日本と同じで、地域により気候が様々なのも、よく似ていると思う。
もう何十年も愛用している私のイタリア車(バイク)は、雨で調子を崩したことは一度もない。(あまりの雨に、乗り手の方がメゲたことは、何度もあるけど。) ずいぶん前に乗っていたイタリア車(クルマ)も、雨のドライブは快適だった。
要は、識者殿のご愛車がお壊れあそばされているだけで、つまりは、狭量な偏見だったのだろうと思う。(それに、雨で電装がリークして停まるのは、70年代の日本車の方が、遥かに多かった気がする。)
そして、今の我々は、もうそんなものに無闇に流されずに済んでいるわけだが。
我々の方も成熟した、ということだろうか。
本書の、残りの半分だが。
しばらく大事にとっておいて、夏休みにでも、ゆっくり読もうと思っている。
(無論、本は自分で買うつもり。)
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私が読んだのは単行本だが。
ミラノの太陽、シチリアの月
廉価な文庫もあるらしい。
ミラノの太陽、シチリアの月 (小学館文庫)
読書ログ 半減期を祝って ― 2016/06/12 04:47
ある女流作家さんの短編集だ。
ずいぶん有名な方らしい。
この5月に出たばかりの、新しい本だ。
図書館で、「オートバイ、あるいは夢の手触り」という題の一編が目に止まり、そのまま借りて読んでみた。
この目当ての短編は、全く大した事がなかったのだが。本のトリに置かれていた表題の一編が、やはりというか、一番印象に残った。
30年というのは、セシウム137の半減期のことだ。
そこから想像がつくように、福島原発事故から30年後の、近未来の日本の姿を描いている。
30年後の日本は、すっかり国際競争力をなくして、経済的には落ちぶれている。その上、無作法な近隣の大国に曝され続けた影響か、かつて憎んでいたそれら近隣の国々の、嫌な特徴をそのまま併せ持ったような、歪な国になってしまっている。
東京オリンピックの折の妙な熱狂に乗じて、選挙で地すべり的な勝利を得た政権は、その後、どんどん独裁化していて、統治は強圧的で不条理。政権への従属と忖度を強い、差別政策により国民同士を対立させることで、統治の安定を図っている。
生粋のヤマト人が重用される一方で、その周辺の他民族は、差別の対象になっている。アイヌ人やオキナワ人はもとより、その階層の一番下に置かれるのは、原発事故の件で政権にとって目の上のたんこぶ的な存在であるトウホク人だ。
(ヤマト人の)子供達は、権力への忠誠を軸に組織化され、優等生は数々の特権を教授する仕組みだ。親の心配をよそに、心と体の両面で組み込まれてしまっており、せっせとトウホク人狩りに精を出したりしている。
テレビのアナウンサーは言う。
今年は、あのいまいましい事故から30年。
めでたくも、あのセシウムは半分に減りました。
祝いましょう。
(祝え。)
・・・・・
奥付によると、この著者は、今年の2月に亡くなっている。
上記の短編が雑誌に載ったのは、その後の3月号だそうだ。
ということは、この一編は、遺作に近いのかも知れない。
私は、この作家さんを、よくは知らない。この一冊しか読んでいないのに、安易に断定するのはよくないのだろうけど、どうも、この最後の一編は、他よりも特別におどろおどろしく感じた。
冒頭に書いた「オートバイ…」の一編などは、普通の老若の女性の心情を丁寧に描き出す、女流作家さんらしい、たおやかな良品だったのだが。こちらは、全く別物の、薄気味悪さを感じさせる。
ひょっとして、死期を悟った著者が、最後にこれだけは書いておきたいと、普段は書かないであろう、世情に対する懸念のようなものを、詰め込んだのかも知れない。そのせいだろうか、何となく、首尾一貫していないし、まとまりもない。焦りのようなものも感じさせる。(例えて言うと、ミラノのピエタみたいだ。)
ただ、もし、この気味悪さが著者の懸念だったなら、それは、さほど的を外したものではなく、むしろ、どうにも心当たりがあるもののように感じられた。
仲間とか絆とか言いながら、周りと差をつけるべく努力を怠らない。
ややもすると、何かを奪い合ったり、足を引っ張り合ったりしがち。
そうやって、お互いにがんじがらめになって、次第に見苦しくなる。
最近はとみに「よくある風景」だと思うのだが、そんな我々の傾向を、そのまま30年ばかり延長してみると、この本に描かれている世界の薄気味悪さは、射程に入る。そう感じた。
今から30年後(より正確には25年後だが)、私はもう、生きてはいないだろう。だから、30年後の日本が、どんなことになっているのか。確かめる術はないのだが。代わりに、過去30年を振り返ると、良くなったこと、進歩したことは多くはなくて、均して見れば、やはり「下ってきた」感覚が強い。だから、尚更そう感じる。
私には稼ぎも才能も無いので、子供達に遺せてやれるものはほとんどなさそうだから、せめて、何かを伝えておきたいとは思っている。だが、どうもその能力もないようで、空振ってばかりいる。
この作家さんは、違ったのだろうか。
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半減期を祝って
読書ログ 模倣と創造のダイナミズム ― 2016/06/12 05:12
表題の通り、模倣と創造の関連性について、各界の識者による小論(または短編)を収めた本だ。
既に日焼けした表紙を見るまでもなく、新しい本ではない。文章が書かれたのは、2002年だそうだ。バブル崩壊のダメージから抜けられず、物造り以外のメシのネタを、皆で探し回っていた頃だ。
その一環なのか、当時、政府から「知財元年」なんて方針が出されていた。バブル以来、米国では、新興成金たる日本企業が、特許訴訟で高額な賠償金をむしり取られる事例が結構あって、この頃、日本企業は、防衛のための米国出願を増やしたりしていた(賠償金の代わりに、審査登録代を、米国特許庁に上納申し上げていた)。
そんな折に、模倣大国・中国が、ちょうど横で伸し始めて来ていたから、それまで米国にむしられた分を、今度はアジアからむしってやろう的なお話だったかと思う。
しかし、日本の方も、他からむしるための知財の戦略的な整理も蓄積もしていなかったし、アジア各国の制度整備もまだまだだったから、肝心の実入りはさっぱりだった・・・といった事情は、実は今も同じなのだが。
知財革新なんか言っても、対内的には、JASRACみたいな、変な既得権益を発生しただけだったし、対外的にも、タイに設置したの子会社に上納させている分が上がってくる程度で、実質的な効果は皆無だった。
そうこうしているうちに、中国の方が知財ノウハウを蓄積してきて、いつ仕返しをしてやろうかと、こっちを見ながらニヤニヤしている、そんな状況だったりする。
知財の価値って、何なんだ?
これが私の側のモチベーション。
他方、業界の見解としては、もともと戦後の日本が、西欧の工業製品の模倣から立ち上がったことは確かで、当初は、西欧からナンボか非難(排除)はされたものの、なお、だいぶお目こぼしをしてもらっている自覚があった。(ブタが太るのを待たれていた。) バブル以降、米国の知財戦略に苦しめられ続けてきたわけだが(ブタが太ったので獲られていた)、そういった一連の経緯、経験からしても、日本が、同じ刀をアジアに対して抜くことは、正当化されるのか?と、そんな疑問があったようだ。
模倣と創造の関連について、もう一度、整理してみよう。
これが、本書の背景らしい。
今回、本書からは、「モーターサイクル技術の模倣から再創へ」と題する一編を、特に取り上げる。
(つまり、ここから先は、ほとんど私の趣味のバイクの話になる。失礼…)
この手の話は、いつも「ホンダ史」になるのが通例だ。
何せ、二輪業界の最大手だから注目度が違うし、ホンダ自身が、創業時からの逸話を積極的に発信していて、書くネタには事欠かない。宗一郎というカリスマも居るから、お話の盛上げ所にも困らない。
しかし、この本は珍しくて、そのライバルであるヤマハの方にスポットを当てて、話を始めている。
いわく、ヤマハの技術史は、楽器としてのオルガンを、工業製品として量産することから始まった。その後、ピアノやハーモニカなどにも手を広げることで、事業を拡大していた。
ヤマハがバイクの生産を志したのは、終戦時に接収されていた、飛行機のプロペラの製造機械が、当局からそっくり返還されたことにある。(ヤマハは、戦時中、木工技術を生かしてプロペラの製造をしていた。) その機械を転用し、持てる資産と人員で参入可能、かつ最も有望な事業として、モーターバイクに白羽の矢が立った。
(木製のプロペラ製造機で、どーやってバイクを作るつもりだったのかは是非とも伺いたい所なのだが。残念ながら、その記述はない。)
戦後すぐの日本は、バイクを造る小さなメーカーが数百の単位で乱立する混乱の時期にあった。しかし、ヤマハの参入は後発組で、業界は既に淘汰の時期に入りつつあった。技術力、経営力に劣る小メーカーは既に撤退していて、事業として成り立ちうる、まともな競合だけが残りつつある頃合いだった。同業のメーカーが集中していた浜松という地の利もあり、近隣の工場見学などで、参入の妥当性は判断出来たらしい。
初めのバイクの設計は、例によって、当時の二輪先進国であった欧州のバイクを輸入・模倣することから始めている。機材も人員も限られる中、当時、注目を集め始めていた「工業デザイン」の考え方もいち早く取り入れて、でき上がったYA-1(赤トンボ)は、教材のDKWよりも、遥かに見栄えが良かった。
無論、耐久試験なども入念に済ませたから品質も高く、浅間火山レースなどで勝ってしまい、これがホンダの対抗心に火をつけたから、この2社は、この後もレースを舞台にやり合うことになる。そのせめぎ合いが、品質の向上をもたらしたとは、この業界一般の評価である。
そして、そのせめぎ合いは、その後の「輸出の時代」にも受け継がれ、産業としてのジャパニーズモーターサイクルの世界的な勃興に、一役買うことになる。
著者によると、一般に、工業技術の発展というのは、模倣→習作→再創の3段階を経るのだそうだ。初めは、既製品のデッドコピーから始まり、多少の修正や工夫などを入れ込む時期を経て、自身による創造を融合することで、技術的に自立し、事業として大きく飛躍する。
では、日本のバイクが何を「創造・融合」して発展したのかというと、もっぱら「デザインだ」ということになっている。
この「デザイン」の意味だが、原語のdesignにある「初めの理念から、製品のできばえまでを含む、設計作業の全て、もの造りの一連のあり方」といった意味ではなくて、日本では一般的な理解である「見てくれの形」の意味のようだ。
その根拠だが、ヤマハのデザイン部門でもあるGKデザインの代表が、1980年代初頭に、西欧の記者団に語った内容が一例として挙がっている。いわく、日本はバイクを、単なる機械として捉えていない、跨って操るエロティックな魅力を発見、発達させており、独自のオリジナリティーを込められている、そしてそれが、日本のバイクが、世界の人々を魅了している所以である。
その他、神社仏閣型のホンダ車のデザインと、和服の女性の後姿の関連などの「類例」が示されるのだが。
つまり、日本のバイクが勃興したのは、今風に言うと「萌え力」の所以だと、そういうことのようだ。
私は、若い時分からバイクが趣味で、長年バイクについて考え続けてきたが、そのワタクシでも、思いもよらない単純すぎる見解だと思う。
個人的には、バイクが色っぽいと思ったことはないし、バイクに色気を求めたこともないから、全く興味が湧かない意見ではある。
しかし、世間一般的には、乗り物を異性に例える言い口は結構目にするし、バイクなんて嗜好品は「カッコよければいい」ものだろうから、メーカーの方も、いろんな尺度でカッコよさを追求、創出、アピールしてきた。そんなこんなを考えると、無下に否定できる意見ではないのかも知れない。
いや、それにしてもだ。
ガックリ来た。
日本のバイクが、当初から事業として始められ(儲かればよくて)、ぱっと見のカッコよさを標榜してきた(売れればいい)、そんなお話にはもうウンザリ、というのが一つ。(それが今に至るまで続いており、「いいバイクを作りたい」という健全な欲求はかつても今も無かったから、乗って楽しい真の嗜好品たるバイクが、いつまで経っても出てこない、といういつものグチが、私の真意。)
さらに、戦後70年を経て、日本が独自に作りえた物って、結局、「萌え力だけだった」などと言われてしまうと、二重の意味でガックリくる。
だが、もしそうだとするならば、日本がモノ造り以外の知力で稼ごうとした場合、何とかして、その「萌え力」を知財として権利化して、儲ける方法を考えねばならん・・・のだろうか?
例えば、「貴社のバイクの色気は日本の登録商標なのでカネ払え」などと、比較的新参のKTMや、どこぞの中華メーカーあたりにイチャモンつけに行くと、そういうことか?
・・・終わっているだろう、そんなの。
何だかもう、どこでもいいから亡命しちまいたいような衝動に駆られた。
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模倣と創造のダイナミズム
読書ログ サーキット燦々 ― 2016/06/19 07:26
以前取り上げた、 マン島TTを書いた本 と、同じ著者による本である。
2005年の、ちょっと古い本だ。
本棚から久しぶりに取り出して、めくってみた。
題名から察せられる通り、日本のレース界の来し方が、いささか情念を込めつつ書かれている。
日本が初めて乗り物でレースをしたのは明治時代・・・といったお話もあるのだが、その辺はお触り程度。歴史的な詳細をさらう本ではない。お題は、やはりというか、戦後の復興期から、日本がモータリゼーションの坂を駆け上がる、60~70年代の情念が主題である。
この手の書き物の通例に違わず、戦後の、ホンダからお話が始まる。
宗一郎がわめいて、藤沢が頷いて、滑ったり転だりで時代が進んだ。
そんな話。
お題目のサーキット、つまりレースのお話は、富士登山レースや、浅間火山から始まる。その頃の現場の雰囲気が、臨場感を持って書かれている。
まるで見てきたような筆致なのだが、著者も実際に見ていた(出てもいた)故だから、説得力はある。だが、美しい回顧色をかなり感じさせるので、どちらかというと、当時の関係者からヒアリングした内容の方が、情報としては価値がある(珍しい、本当らしい)ように思われた。この傾向は、以降も続いている。
レースの方に話を戻すが、この当初から、メーカーががっぷり関わって「おカネの話」になってしまい、警察を初めとする道路行政の制約もあり続けたから、その後の推移は「右往左往」に近かった。次の場所、もっと良い場所を探し、移しして、冠の名前を変えてみたり(何とかクラブマンレースとか)、何とか協会みたいな組織化が出来たと思ったら変わったり。その脇で、ホンダに続いて皆して、海外のレースにわらわら出て行ったりしていた。
そんな中で、著者がマルクメールとして挙げるのは、鈴鹿サーキットだ。
まず、お話がホンダに戻り、宗一郎が、日本にも本格的なサーキットを!とわめいて、場所を探す視察と誘致に絡んだ出会いがあり、鈴鹿で宗一郎と藤沢が頷き合って・・・。いや、作るって言ったって、そんな本格的なレース場なんて本邦初であって、その工事で培われた技術は、日本の道路舗装技術の暁であった。云々。
サーキットの整備は、開発環境の整備でもあるから、車両技術の方も磨かれて、エンジン技術なども、格段に進歩したのだが。この頃、その技術水準に、やっと4輪が追いついてきて。(4輪業界は、2輪と違ってお国に保護されていて、競争したり切磋琢磨の必要がなかったから、基盤技術では2輪より遅れていた由。)
いや、追いつかれたのは技術だけではなくて、市場の方もシフトが進んでいたのが、大きく影響したろうとは思うのだが。それは置いて。
これ以降は、4輪のレースの話になる。
ベレットや、スカGとポルシェなんかが・・・FISCOができて・・・。
著者は、この頃から本格的にレースの現場に関わっていて、文章の「見てきたような感」は、いっそう磨きがかかる。(実際に、よく見てたんだから当然だが。)
私見だが、それ以降、バブル期以降から、今現在に至る「レース」は、「フォーミュラ何とか」や「何とかGP」に代表される、高度に組織化、かつ専門化した花形興行に露出が収斂し、それ以外の、草の根の「何とかカップ」は、散発的に数奇者が集まる程度に留まったままだ。かつて、2輪業界の振興を目的にしていたオートレースも、今や風前の灯だ。レースが「根付いた」とは、お世辞にも言えない状況にある。
しかし本書は、そこに至る前の「ピーク」で、話を終えている。
「ああ、あれはピークだった。」
レースを、そんな風に情熱を持って懐かしむ。
そういう本だと思う。
じいちゃんの、青春時代。
この本に書かれる一連の流れ(時系列に整理されておらず、記述が時間を行ったり来たりするので頗る読みにくいんだが)は、モータリゼーション、つまり、我々日本人が、エンジン付きの乗り物を、身近な道具として生活の場に取り込んでいく、その青春時代の一段面としての「レース」を、良く描き出している。
また、著者の2輪への深い愛情も感じられて、そこは大変に共感させていただいたのだが。
一生懸命だったし、真面目だった、それは理解できるのだが。当時のレースが、現在に及ぼしたこと、及ぼさなかったことを考えるに、本書の内容は、やはり、ちょっと美化が過ぎるというか、もう少し、反証のようなものも、あっていいように感じる。
こと2輪に関して言えば、今のレースが、マニアではない我々一般ユーザーにとっては、ほぼ見せ物程度の存在でしかなく、実際の所、「ファクトリーマシンと同じ塗色の特別仕様をプラス¥ン万で買える」以外はほとんど関係がないという現実を考えると、ここで書かれているレースの来し方というのは、もう少し批判的に論じられていいと思う。
(ちなみに、「レースで開発した技術を市販車にフィードバック」なんて宣伝文句は、まるっと全て嘘っぱちだ、という話は、いつぞや詳細に 取り上げた。 )
といった辺りは、実は著者も同じような認識で、確かにうまく行かなかったり、汚かったりダサかったことも多いのだけれども、頑張ったけど及ばなかったこともあり、誤解されていることもある。だから、あの頃のスピリットの美しさを多少なりとも正しく伝え、できれば一部だけでも受け継いでもらいたい。本書の終盤は、サーキットでの安全講習などの近況や、著者が関わった政治の話になるのだが、その行間には、そんな著者の情感が垣間見えるようだ。
そんなわけで、私としては、どうにも妄信する気にはなれなかったのだが。
当時を一緒に懐かしみたいご年配(ご同輩かも)や、昔の珍しい話をじいちゃんから聞いてみたい若い人には、いい本かと思う。
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サーキット燦々(さんさん)
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