読書ログ サーキット燦々 ― 2016/06/19 07:26
以前取り上げた、 マン島TTを書いた本 と、同じ著者による本である。
2005年の、ちょっと古い本だ。
本棚から久しぶりに取り出して、めくってみた。
題名から察せられる通り、日本のレース界の来し方が、いささか情念を込めつつ書かれている。
日本が初めて乗り物でレースをしたのは明治時代・・・といったお話もあるのだが、その辺はお触り程度。歴史的な詳細をさらう本ではない。お題は、やはりというか、戦後の復興期から、日本がモータリゼーションの坂を駆け上がる、60~70年代の情念が主題である。
この手の書き物の通例に違わず、戦後の、ホンダからお話が始まる。
宗一郎がわめいて、藤沢が頷いて、滑ったり転だりで時代が進んだ。
そんな話。
お題目のサーキット、つまりレースのお話は、富士登山レースや、浅間火山から始まる。その頃の現場の雰囲気が、臨場感を持って書かれている。
まるで見てきたような筆致なのだが、著者も実際に見ていた(出てもいた)故だから、説得力はある。だが、美しい回顧色をかなり感じさせるので、どちらかというと、当時の関係者からヒアリングした内容の方が、情報としては価値がある(珍しい、本当らしい)ように思われた。この傾向は、以降も続いている。
レースの方に話を戻すが、この当初から、メーカーががっぷり関わって「おカネの話」になってしまい、警察を初めとする道路行政の制約もあり続けたから、その後の推移は「右往左往」に近かった。次の場所、もっと良い場所を探し、移しして、冠の名前を変えてみたり(何とかクラブマンレースとか)、何とか協会みたいな組織化が出来たと思ったら変わったり。その脇で、ホンダに続いて皆して、海外のレースにわらわら出て行ったりしていた。
そんな中で、著者がマルクメールとして挙げるのは、鈴鹿サーキットだ。
まず、お話がホンダに戻り、宗一郎が、日本にも本格的なサーキットを!とわめいて、場所を探す視察と誘致に絡んだ出会いがあり、鈴鹿で宗一郎と藤沢が頷き合って・・・。いや、作るって言ったって、そんな本格的なレース場なんて本邦初であって、その工事で培われた技術は、日本の道路舗装技術の暁であった。云々。
サーキットの整備は、開発環境の整備でもあるから、車両技術の方も磨かれて、エンジン技術なども、格段に進歩したのだが。この頃、その技術水準に、やっと4輪が追いついてきて。(4輪業界は、2輪と違ってお国に保護されていて、競争したり切磋琢磨の必要がなかったから、基盤技術では2輪より遅れていた由。)
いや、追いつかれたのは技術だけではなくて、市場の方もシフトが進んでいたのが、大きく影響したろうとは思うのだが。それは置いて。
これ以降は、4輪のレースの話になる。
ベレットや、スカGとポルシェなんかが・・・FISCOができて・・・。
著者は、この頃から本格的にレースの現場に関わっていて、文章の「見てきたような感」は、いっそう磨きがかかる。(実際に、よく見てたんだから当然だが。)
私見だが、それ以降、バブル期以降から、今現在に至る「レース」は、「フォーミュラ何とか」や「何とかGP」に代表される、高度に組織化、かつ専門化した花形興行に露出が収斂し、それ以外の、草の根の「何とかカップ」は、散発的に数奇者が集まる程度に留まったままだ。かつて、2輪業界の振興を目的にしていたオートレースも、今や風前の灯だ。レースが「根付いた」とは、お世辞にも言えない状況にある。
しかし本書は、そこに至る前の「ピーク」で、話を終えている。
「ああ、あれはピークだった。」
レースを、そんな風に情熱を持って懐かしむ。
そういう本だと思う。
じいちゃんの、青春時代。
この本に書かれる一連の流れ(時系列に整理されておらず、記述が時間を行ったり来たりするので頗る読みにくいんだが)は、モータリゼーション、つまり、我々日本人が、エンジン付きの乗り物を、身近な道具として生活の場に取り込んでいく、その青春時代の一段面としての「レース」を、良く描き出している。
また、著者の2輪への深い愛情も感じられて、そこは大変に共感させていただいたのだが。
一生懸命だったし、真面目だった、それは理解できるのだが。当時のレースが、現在に及ぼしたこと、及ぼさなかったことを考えるに、本書の内容は、やはり、ちょっと美化が過ぎるというか、もう少し、反証のようなものも、あっていいように感じる。
こと2輪に関して言えば、今のレースが、マニアではない我々一般ユーザーにとっては、ほぼ見せ物程度の存在でしかなく、実際の所、「ファクトリーマシンと同じ塗色の特別仕様をプラス¥ン万で買える」以外はほとんど関係がないという現実を考えると、ここで書かれているレースの来し方というのは、もう少し批判的に論じられていいと思う。
(ちなみに、「レースで開発した技術を市販車にフィードバック」なんて宣伝文句は、まるっと全て嘘っぱちだ、という話は、いつぞや詳細に 取り上げた。 )
といった辺りは、実は著者も同じような認識で、確かにうまく行かなかったり、汚かったりダサかったことも多いのだけれども、頑張ったけど及ばなかったこともあり、誤解されていることもある。だから、あの頃のスピリットの美しさを多少なりとも正しく伝え、できれば一部だけでも受け継いでもらいたい。本書の終盤は、サーキットでの安全講習などの近況や、著者が関わった政治の話になるのだが、その行間には、そんな著者の情感が垣間見えるようだ。
そんなわけで、私としては、どうにも妄信する気にはなれなかったのだが。
当時を一緒に懐かしみたいご年配(ご同輩かも)や、昔の珍しい話をじいちゃんから聞いてみたい若い人には、いい本かと思う。
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サーキット燦々(さんさん)
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