読書ログ 道具にヒミツあり ― 2016/07/09 05:25
子供向けのジュニア新書なのだが、図書館で、まるで私を狙ったかのような題名に釣られ(笑)。そのまま、借りて読んだ。
著者は、こういった、もの造りウンチク系の本をたくさん出されている方らしい。昭和8年に大田区で生まれ、18歳から51年間、町工場で旋盤工をされていた。もの造り大国・日本を実際に支えた世代で、現場の機微を、よくご存知だ。その著者が、実際に取材に回って、今のもの造りの現場を描く。題材は、ボールペンやメガネ、自転車にギターなど、様々な身のまわりの「道具」だ。
正直、初めは、あまり面白くなかった。私は、一応だが仕事は技術畑に居たから、技術的に真新しいことが少なかったのだ。
しかし、これは、そういう読み方(新知識の吸収)をする本ではない。
昔あった、NHKのプロXの類の本(他人の苦労を涙ながらに賛美する)でもない。
既に、もの造り大国とは言えなくなっている日本だが、今でも、いろんな工夫をすべく考え抜いている技術者(または職人さん)は随所に居て、その成果が、いろんな所に波及して、実際に役に立っている。小さな技術の大きな発展が、思いも寄らぬ所で生かされている。その意外な繋がり方が見えてくると、話が俄然面白くなる。
著者が一番訴えたいのは、「技術者の真面目さ」らしい。ちゃんとしたもの、いいものを作ろうという真摯な努力の積み重ねが、日本では、今でも生きている。その姿をきちんと伝え、日本の技術の良質さや、進むべき(戻るべき?)進路を、若人に示す。
イジワルに見れば、情報源はいわば、取材相手の受け売りだから、悪いことは言わないだろうし、我田引水もあるだろう。試しに、コンペティタにも同様の取材してみたら、全く別の裏話が出てくる、そんな可能性も十分にある。
また、今や日本に残っているのは、技術力の高さではなくて、真面目さだけなのか?と、そういう見方もできるだろう。
個人的には、成功する技術者というのは、真面目さは無論のこと、ある種のズルさやシブトさも必要だと思うので、ジュニア新書レベルの教育論としても、ちょいとイイ子ちゃん過ぎるようにも思うのだが。まあそっちの方は、別の本なり、実生活なりで学べばいいのだろう。
本書に出てくるギターの話は、大手ではない老舗のギターメーカーの、品質に取り組む姿を伝えている。実はこれ、ギター業界の美談として、よく見る類の話なのだが。何を隠そう、私も当該メーカーのユーザーなので、実感として、思い当たる節はある。
私が中学生の時に(たまたま)買ったこのメーカーのギターは、数十年という時を経て、年式なりにボロくはなったが、今でも結構良く鳴ってくれている。また、数年前に子供に買ってやった4本弦の小さなギターは、時に従い、どんどん鳴りが良くなっている最中だ。
ギターにとって、この「鳴る」というのは実に大事なファクターで、ギター以外も含めた楽器というのは大概、鳴るのが楽しくて弾くものだ、と思っている。
自分なりの音楽性をハッキリ持っていて、それを前面に出すことで、つまり音楽そのもので勝負できる人なんて、ほんのわずかしかいない。ほとんどのミュージシャンは、既にあるメロディー(譜面)を、手慣れた楽器でなぞるだけのレベルに終始する。
例えて言うと、「いつものクルマで、いつもの道を走っている」状況に、ほぼ等しい。
「それでも、楽しい。」
そう思えるのは、弾き手が、弾いている実感を持てるかにかかっている。
自分の体が(ギターなら、指が)、音を鳴らす。
楽器が震え、空気を揺らし、メロディーになり、ハーモニーになる。
それを、実感として感じるのが「楽しい」のだ。
「鳴らしている実感」は、楽器の存在意義、そのものだ。
(こういうのが、本当の「道具のヒミツ」なのだと、個人的には思っている。)
それを理解している作り手が、日本に居てくれて、実際にそれに出会えたというのは、本当に、得がたい幸運だと思う。
逆に、もの造り系の大企業において、こういう理解がほとんど進まなかったばかりか、既に衰退して久しいというのは、全くもって不幸だなと感じる。
例えば、巷で大変に評判のハイブリッド車は、ただ燃費が良いだけで、乗った感じは大変に鈍らだと聞く。燃費以外のあらかたのニュアンスは、どこかに置いてきたか無視されたような有様で、モノとしての造り方も、良く見てみれば、ユーザーが感じる乗り味よりも、メーカー側の都合、こうやった方が簡単に作れるとか安く済むとか、そんな都合を優先した造りに見えることが少なくない。先端技術というお札(おふだ)は、そのご都合主義を覆い隠すように貼られているかのように見えてしまう。
(いつものグチをまた書くのだが、)バイクの方はさらに酷くて、性能は高いがそれ以上に高価なものと、値段は安いがそれ以下にソコソコなものに2分している。値段で買えるのは刺激であって、満足ではない、という意味では4輪と同じだが、もっと同じなのは「売り言葉」で、バカの一つ覚えで「乗りやすい」の一辺倒だから、乗ってる実感が乏しいことでも良く似ている。
運転がラクな乗り物は、仕事で使うには便利だし、時には安全でもあるわけだが、趣味で乗る分には、面白くも何ともないし、状況によっては、危険でもある。(集中力が持続できない。上達しない。etc.) 結果、「いつものバイクで、いつもの道を走る」のには嫌気が差して、次第に、乗らなくなる。
私が、若い頃から乗っているイタリアのバイクは、「乗ってる実感の権化」のような機体で、だからこそ、数十年もの間、飽きずに楽しんで乗ってこられた。無論、無事故である。(乗っている時の集中力が違うのだ。) 他方、国産バイクも(利便性の観点で)並べて置いていることが多いのだが、こちらは、上述のようにすぐ飽きてしまって、放置→入れ替えが常態化している。
道具は、慣れた後の感触が大事、のような話を いつか書いた。たぶん、もの造りのココロというのは、そんな辺りにあって、かつての日本には、それをわきまえた技術者(または職人)が少なからず居たという点で、他国よりは優れていた。しかし近年、その数はどんどん減っていて、そのココロすら忘れかけている。そんな状況に陥るほど脚力が弱ってしまったことが、昨今の国力衰退の原因の、小さくない一つだろうと、私は思う。
他方、それをもたらしたのは、「大量生産」というもの造りの形態そのものによるのではと、個人的には考えている。
(続く)
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