読書ログ 道具にヒミツあり (続き) ― 2016/07/17 05:54
(前回の続き。)
著者はたぶん、日本がもう一度、もの造りのココロを取り戻して、優れた道具を作るすべを復活してほしいと願っている。
私も、優れた道具である国産バイクに、死ぬ前に乗っておきたいなあと、切に願う次第なのだが。
多分、そうはならない。
まず、ユーザーの側も劣化もひどくて、たとえ優れた道具を出したとて、評価してもらえないことがほとんどだ。前述のハイブリッド車がいい例だろう。見た目がカッコ良かったり、単純に燃費が良ければ、それでいいと。同じ脈絡で、鳴りのいいギターが長く愛されたり、作り手が評価されるとは限らない。
次に、道具そのものの美点を、値段で代替してしまう価値観が、跋扈して久しい。安かろう悪かろう、問題なし。その分、頻繁に代替すればよろしい。その方が、ユーザーもメーカーも都合がよいと。(100均に通うイメージ。ゴミばかりが増える。) 新しい技術が、そういう方向を助長するために使われることも、今や当たり前の光景だ。
そして、現実問題、時代は、さらに下っている。
(形のある)モノではなくて、(形のない)情報を売って儲けようというこの所の動きも、どうやら行き詰りつつある。(TV、パソコンに続いて、スマホも粗方行き渡ってしまって、もう売れない。) 造り手側のネタとしては、情報以前のモノの方に戻ってきていて、ユーザの省力化をさらに進める方向で「もう一山」を狙っている。(IoTとAIで自動運転車、といった辺り。) だがそれも、実体は主にソフトウエアの話だし、ユーザー(使い手)とカスタマ(おカネを払う人)を分離してしまうことでもあるので、優れた道具を評価してもらうのとは、真逆の方向性でもある。現実問題、「職人技の伝承」とか、そんな話では全く無いのだ。(きっと、またゴミばかりが増える・・・。)
そんな状況を成り立たせている基本的な考え方が、「大量生産」の裏返しである「消費者としてのマインドセット」ではないかと、私は思っている。
日本では、戦後の復興期からこっち、「何が買えるか」で個人のアイデンティティを担う考え方が跋扈してきた。懐かしいセリフを引っ張り出すと、「いつかはクラウン」というあれである。高価なものを買えるのは「えらい人」、レアなものを発掘して愛でているのは「わかっている人」。持ち物で、所有者の価値を推し量るやり方を前提に、自分がどう量られるか、よりよく見てもらうには何を買ったらいいのか、そういう尺度で、ものを選ぶ。
買い手は、より「えらい」、「わかっている」演出に好適な製品を選び続ける。クラウンやベンツは、大きくて見栄えがして、高価だからいいのだ。ハイブリッド車は、自然に優しい意識高い系の証拠、または流行に乗り遅れたくないかの、どちらかが粗方だろう。
しかしこれは、実態としては、常に「他人の目」をものさしに、「もっと評判のいい道具」を供給してもらうだけだ。レベルとしては、「してもらう側」にずっと居続けることになる。道具を、使い手として、能動的に評価して選ぶ意識は、ほとんどないから、いつまでも「する側」、つまり、製品を道具として使いこなし、自らの能力を高めるために努力する側(趣味、またはスポーツ)には移行しない。
作り手も、売れなければ食えないので、この傾向に合わせざるを得ないのだが、実は、「評判で製品を選んでもらう」というのは、大量生産でドカンと売るという大企業の方法論に、すばらしくマッチする。(大量生産方式で、生産の「量」がどれだけ利益に貢献するかは、関係者なら周知の事実と思う。)だから、大きな企業のもの造りは、一品一品を丁寧に作り上げる「もの」そのものの価値ではなくて、もっぱら「評判作り」の方に費やされてきた。
かくして、甘えん坊のユーザーと、甘やかすメーカーの蜜月は、延々と続いていく。(というか、ほとんど「原理的な相乗効果」と言っていい。)
近年では、若者がものを買うこと(消費)に意欲的ではないから、こういった価値観は、そろそろ終りのようにも見えるのだが。実態は、「給料が安くてモノが買えない」だけだったりする。モノが動かないからカネが回らない → 景気が悪くて給料が上がらない、という負のループが回り始めて久しい(デフレスパイラルの正体、金利がどうこうとかいう話ではなくて)。もはや、給料を上げれば、ものが売れるようになってみんな幸せ~という、あの昭和の時代にまで経済を逆回転させるというのは、無理な話ではなかろうか。
さらに、「一品一品を丁寧に作り上げる」職人の世界というのは、そんな時代よりも、さらに前の話のような気もするので。もの造りのココロを真摯に語るというのは、もはや、ノスタルジーでしかないようにも思う。
時代というのは、何か(ここではもの造りのココロ)を一旦は極めたとて、ピークアウトしてしまえばそれすら忘れて、ただひたすら、下り続けるもの、なのかもしれない。
それを脱するには、極めたことに慢心せず、そのココロを磨き続け、次世代に伝えること(山を越えること)はもとより、世の中が変わっても通用し続けるよう、根本的なアップデートを怠らない発想力と脚力(谷を飛び越え続けること)の、両方が必要なのだろう。
何だか、行き詰まり感ばかりで救いようがない話になってしまったが。それは、私の個人的な見解が暗いせいで、本書とは関係ない。真面目に書かれた、ちゃんと面白く読める本なので、そこは誤解の無きよう。(それに、ひょっとしたら夏休みの自由研究のネタになるかもしれない。気がつくと、既にそういう季節になったようだ・・・。)
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