読書ログ 生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後 ― 2016/09/11 12:11
シベリア抑留の後に帰国し、現在もご存命の方からの聞き取り調査をまとめたものだそうだ。(以下、便宜的に「語り部氏」と呼称する。)聞き手でもある著者は近代歴史学の学者さんで、語り部氏のご子息である。
基本、語り部氏の生涯を、時系列に追うだけの内容なのだが、収録される期間は戦争の前後のみではなく、その数代前からお話が始まる。これは、語り部氏の境遇に影響を及ぼす遠因から挙げておかないと、全体の流れが見えなくなるからで、例えば、北海道で生まれたが本籍は新潟だった、というその生誕時の境遇が、ご先祖から連なるどんな帰結でもたらされたのか、当時の社会情勢も含めて記述される。その後、日本が戦争に突入し、敗北し、立ち直り、今に至るまでの世相の流れが、市井の一人の目から見た情景として、綴られていく。
語り部氏は、本書では「下の下」と本人が仰られているが、社会的な基盤や地位には恵まれなかった方のようだ。それだけに、時代に流される度合いは高かった。特定のポストや立場は、持っていたり、与えられたりするものではなく、努力や運などで、それを得られる「こともある」だけだったから、モノの見方や考え方は、公平で現実的、つまり冷徹で、かつ、驚くほど正確だ。さらに書き手の方も、学者さんであるせいか、不幸や断絶なんかをドラマやポエムにして訴求みたいな、ありがちな意図が全くなく、事実を事実として淡々と重ねる記述が続く。(一部、著者の私見も挟まるが、一見してそれと分かるので、誤解や混同を呼ぶ余地は小さい。)
我々庶民の大多数と同じ立場から、特定の立場や視点に拘泥することなく、歴史(同時代を生きているので、世相、または「社会情勢」の方がしっくり来るか)の荒波に翻弄される、現場の生の情景を目の当たりにできる。これは、語り部氏と同じド庶民であり、かつ、世相(人々の考え方や感じ方)の移り変わりに興味を持つ、私のような読み手にとっては、得るものが大きかった。
普段、我々の暮らしのあり方は、当たり前/常識として共有される感情、考え方、物の見方や感じ方、雰囲気なんかに大きく影響されているのだが、当たり前だけに意識もされず、普通は書き残されたりもしないものだ。しかし、そういった常識や文化、世相などは、地域や国によって大きく異なるし、同じ国でも、時代に従い大きく変わる。地域性や時代性というのは、そのあたりにこそ宿るものなのだが、記録されないが故に、これを外から(歴史軸で言えば「後代から」)把握・理解することは、本当に難しい。時代を生きた本人が、何を感じ、考えていたのかを語る生の情報というのは、だから実に貴重なのだ。
少し意外だったのは、この現場証人の感覚が、ほとんど想像の範囲内だったことだ。
例えば、先の戦争に突入するにあたり、庶民そのものからして、銃を持って戦地に赴くことを望んだようなことが言われることもままあるが(あの当時は、お国の為に死ぬのが当たり前だった、そういう雰囲気だった、のような)、実際の所、そんなわけでは全くなかった。
その日一日を食うに精一杯の庶民にとって、国の上層部が何を考え、画策しているのかなど、ほとんど関係がないことだった。だから、当時の日本が戦争に向かったあり様というのは、日本という国が、全体として、そういう境遇に徐々に落ち込んで行ったと、そんなことだったのだろう。
そして、それをもたらした仕組みというのは、よく言われるように「無責任の連鎖」だったように思われた。軍隊は、つまる所「お役所」で、権限を持つ者の粗方は、上からの命令を(自分に都合よく解釈した上で)下に強制するだけの小役人そのものだった。実効性、つまり、何の役に立つのか、どれだけ効果があるのか、本当はどうすべきかについて、真面目に考え、対処しようとした人物というのは、その「命令の伝言ゲーム」の列の中では、本当に稀だった。だから、現場で回るのは「任務」ましてや「理想」ではなく、いつもの「苦しみ」が、惰性のようにただ空回りするだけだったのだ。
シベリアもある意味状況は似ていて、ソ連でも軍隊はお役所だったから、日本との契約にあった「捕虜を労働力として提供することで賠償の一部と成す」ことを履行すべく、機械的に発せられた命令が履行されただけだった。ただ、不幸なことに、ソ連には、捕虜をまともに働かせる仕組みも予算も思慮もなかった。だから、現場がそれぞれに、言われたことを勝手に解釈・適当に履行した。その結果が「あれ」だったと、そういうことらしかった。
捕虜の管理を現場で担当した兵士にもいろいろいて、よく言われるような、権限を傘に着て悪さをするような連中も少なくはなかったようだが、それでも「日本軍よりは遥かにマシだった」。部隊によっては、軍の頃の階級を傘に来た日本人捕虜同士の横暴や差別の方がより深刻だった、とある。
ソ連兵にも、プライベートでは軍の階級を外して公平中立に振舞う傾向はあって、それは日本兵にとって、かなりの衝撃だったようだ。これは多分、同じ時期に、本土で一般の日本人が進駐軍に感じていたカルチャーショックと、かなり似ていたのではないかと思うのだが。何故だろうか、それが共産主義という箱の中に入れられると、日本人捕虜の間で階級闘争を強いる教育(見た目は文革にそっくり)に化けるというのは、ちょっと不思議に感じられた。まあ、アメリカの方も、レッドパージで、感情的な差別主義に陥るのは同じだったから、権威主義的な自由主義というは、所詮はこういう堕ち方をするんだと、そういうことかも知れない。
そういったダークサイド(無体な動き方)は、その後の日本人も大差はなくて、日本人が勤勉だったなんて本当は全くの嘘っぱち、適当なポストに収まって、文句ばかりで働きがないくせに給料だけは要求するという「お役人的な生き方」は戦後も構造的に保存されたし、憧れの対象(理想?)でもあり続けた。食うに精一杯の庶民は、精一杯働かざるを得なかっただけなのだが、それを「勤勉」と称してみせる辺り、何となく、お役人的な卑小な意図の臭いが、漂っているようでもある。
それでも、世の中に、どこか成長分野があれば仕事はあったし、成長分野が移れば「やり直し」もきいた。昔は、世の中の仕組みや現状についての情報なんてなかったし、社会的なセーフティネットどころか、サポート自体が全くなかった。自助努力しか手段がなかったわけで、でも少なくとも、自助努力の場だけはあったから、希望だけは何とか持てた。食うや食わずのギリギリの所でも、希望さえあれば何とかなる。だからこそ、今までやって来られたんだ。
それが今や、物も情報もあるのに「やりようが無い」状況は切羽詰る一方で、人々には希望がないから、見たいもの、都合のよいものしか見たがらないという悪循環に陥っている。「苦しみだけが回る」のは戦時中と同じで、しかも展望がない分、今の若い人はかわいそうだな。
語り部氏は、そう語っている。
私自身、子供達に、希望じみたことがろくすっぽ言えない・・・どころか、自分の方も鬱屈の度合いの強まりを自覚しているのを思い出して、最後の最後に、こんな所で語り部氏とシンクロしてしまうというのは、どうにも不幸だなと。そう感じた。
一番残念だったのは、今の日本の世相で気になっていること、助け合わずに足を引っ張り合うこと(震災や大雨などの天災に苦しむ人々は、公的援助と自助努力にお任せ)とか、ルールを激しく強制する一方で、ルールそのものの内容やありようを議論することをタブー視すること(コンプライアンス×自己責任=いじめ)なんかは、その深い歴史でもって、日本人に深く刻まれた特徴なんじゃないかと思えたことだ。
西欧では、人種や文化文明、宗教などで群れに分かれていがみ合うのがデフォルトで、その争い方の移り変わりがこれ即ち歴史なわけだが、日本は、比較的にも均一に近い群れの中で、わざわざ自分達で階級を作って、差別しあってきた歴史がある。士農工商→軍隊→中央官庁ヒエラルキーてな感じで、その「差別の作法」は、適当に宿替えをしながら、今でも我々の中に生き続けているのではないのか。本質的な対応からは目を背けて、とりあえず隣の奴の足を引っ張って、喜び、安心したがる性向は、我々日本人の「血」なのだろうか?。
本書に戻るが、無論、この本にあるのは「一個人の感想」であって、世間一般の感情と言えるのかには議論があろう。しかし、本書の場合は、現在に連なる時間的にも近い情報だし、一般化は、読者の課題であり、かつ、十分に可能でもある。そうやって、一般化の作業を通して、語り部氏の経験を、自身の身に活かせる人が想定読者だろうし、そういう人は無論、そっち方向に抜け出したい人にこそ、お勧めしたい本だと思う。
逆に、言われたことをそのまま信じたいタイプの人には、一個人の生涯を淡々と追う(だけ)なんて「ただの苦行」だろうし、他人のアラを探すことで自分を優位に置くネタを探したい(最近良く見る)タイプの皆様には、もっと恣意的・感情的に書かれた歴史解釈本なんかが他にたくさんあるので、そちらの方が好適だろう。
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生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後
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