読書ログ クルマ社会のリ・デザイン ― 2016/12/17 09:42
前回の「移動」の本 が消化不良で終わったので、口直しに読んだ。
クルマ社会を、様々なアスペクトでもって語り、提言する。
そういう体裁の本である。
まあ、提言というか、要は、各方面の専門家とか識者なんかの皆様が、各自の専門分野から、自動車社会を眺めた風景を、熱く語り、あるいは無責任に放言したものだ。
目次の項目をランダムに抜書きすると、
クルマ社会の光と影
都市とモビリティ
クルマ社会の「主人公」は誰か
クルマ社会の音風景
先進クルマ社会を語る-海外事例
クルマ社会の成熟
いなかのモビリティ
クルマ社会の問題とデザイン力
目標への接近-新たな経済価値
2004年刊行の本で、少々古いから、話題の鮮度が良くないことは仕方ないとしても、「読ませる」内容では決してなかった。
例えば、高齢化とクルマ社会の関係について論じた節では、「これまでの統計から、2015年にはこんなに高齢化が進むと考えられ、こんなにタイヘンになります」てな感じで論が進むのだが、イマイチ焦点がぼやけているし、具体性にも欠けている。その話題の2015年は、今となっては「去年」なので検証も可能なわけだが、現に、半ばボケたと思われる老人がクルマで子供をひき殺すような事件が頻発しているとなれば、この提言だか卓見だかが、さほど役に立たなかったことになる。
後知恵で批判したいわけではない。わざわざ読むまでもない内容だったと、それだけのことだ。
昔話をしよう。
うちの子供が、まだ小さかった頃の話だ。
老人が良く乗っている、電動式車椅子がある。
その電動車椅子老人が、子供を乗せたベビーカーにぶつかることがよくあった。
正確に言うと、「ぶつかる」のではなく、老人の方が、意図的に「ぶつかってくる」のだ。
オレが通るのに邪魔だ、ということらしい。
薄笑いを浮かべながら、どけどけ→ガシャン。
ぶつけられた方の親が非難すると、「この老人になんて酷いことを」と被害者ぶる、または「何もわかりません」とボケたフリを始める。この演技がまた堂に入っていて、感心するほど見事だったりする。
そんな例を結構耳にしたし、私自身も経験した。
発生の頻度と範囲の広さからして、特定の老人の仕業というわけでもないようで、では世間一般的な現象なのかと考えると、それも薄気味が悪いのだった。
老人カートとベビーカーが歩道でバトっている風景と言うのも、我が国の現状を良く表しているようで、今思い出すと笑ってしまうのだが。しかし今や、老人がクルマで、子供が歩行者で、事が死亡事故と、状況がエスカレートしているとなれば、笑ってなどいられない。
人は歳を取ると、人柄が円熟して丸くなってゆくものだ・・・というのは、正論かも知れないが。そうでない人間も、一定数は必ずいる。人は歳を取りボケる際に、自分を客観視したり、非を認めたりする能力から真っ先に衰えるという、脳科学だか人類学だかの話も、どこかで読んだ。
高齢者全体の人数が増えるとなれば、そこに一定の割合でいるはずの(語弊を承知で言う)「良くない老人」の絶対数も増える。そういう老人が起こす事故が、現に今、増えているのだとすれば、我々はクルマ社会を使いこなせておらず、予測できていたはずの危機に対処できていないマヌケだということになる。反省してしかるべきで、今できることがあればやるべきだ。
私個人に関しても、潮時をわきまえ、潔く運転を止めることを、どうすれば確実にできるのか、その手立てを打っておきたいし、その手立てが具体的に何なのか、はっきりさせたいと思っている。
バイクを軽いのに替えたいなどと言い始めている時点で、終わりは始まっていると自覚はしている。私も半ば、老人なのだ。
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クルマ社会のリ・デザイン -近未来モビリティへの提言
読書ログ 建築はほほえむ ― 2016/12/25 10:01
図書館で題名が目について、借りて読んでみた。
詩集のような、エッセイのような。
大学で建築を学び始める学生向けに、建築という仕事の心得について書いたものだそうだ。
読めば、確かにそんな内容である。
建築と、それを囲む環境、街とか、山や、空。
建築と、そこで過ごしたり、暮らす人たち。
その周りで遊ぶ子供。今だけでなく、昔の子供も。
聞いている音、見ている風景、感じていること。いたこと。
いいものと悪いもの。本物とニセモノ。
言葉、歴史、感情、心。
仕事、評価、個性。
仕切りと配置が形作る、空間で起こる、人の暮らし。
ふと、建築について何か読みたい、考えたいと、思う時がある。
(前例は こちら 。)
人が何かを作りたいと思うとき、本当は、作りたいのは「物」ではなくて、その物が「人にもたらす何か」の方なのだろう。
人間が作りうる最も大きいものは「街」で、建築は、それと一体化した、最も大きな要素だ。
建築は、人が作る最も大きな要素であり、かつ、人が暮らす際の現実感に、最もダイレクトにつながっている。
それが学べたら面白いだろうし、満足なものを作れたら、最高だろう。
既にデザイナーでもエンジニアでもない、ただの落ちこぼれである私は、こういった本の行間と、澄み切った冬の空を見上げながら、そんなことを考えるのが好きだ。
私の父は、大工だった。
都会と郊外の狭間にいて、住居用の一般住宅を請け負う、小さなちいさな工務店。
家には、仕事用のトラックやバンと、小さなバイクがずっとあった。街中の現場はクルマを停めておけないから(駐車場はないが、路駐は無慈悲に駐禁を切られる)、そういう時の足に、バイクは必要だった。
当然のように、バイクはただの道具扱いで、大切にされた形跡はなかった。運転もあまり真面目ではなかったようで、雨の日なんかはよく転んでいた。だからバイクは、あちこち曲がって、キズだらけなのが普通だった。
私がまだごく小さい頃、確か、スーパーカブのような小さなバイクだったと思うが、その荷台に乗せられて、父の背中越しに、バスのウインカー、当時は、剣のような形をした飛び出し式の造りだったのだが、それが、バスの前ドアの辺りから、横にヒョコっとせり出ているのを、眺めていたことを憶えている。(父は、バスの後ろで、その発進を待っていたようだ。)
父は、小さかった私を、よく仕事の現場に連れて行った。私の母は病気をする人で、しばらく入院することもあったから、小さな子供を預かってくれる便利な仕組みがなかった当時、他にやりようがなかったからだが。
子供の私は、現場に落ちている材木の切れ端なんかを拾って加工して、釘で繋いで、何かを作って遊んでいた。飛行機とか、クルマとか。力作は、ウルトラマンに出てくる戦闘機だぞ。(笑) 父には自分の作業があり、当然のように、私は放ったらかしだった。
当時の私は、大きくなったら大工になる!などと言って、父を喜ばせていたようだ。でも、現場で私がノコで手を切ったり、何か失敗をすると、手当てどころか、ぶん殴られて、こっぴどく怒られた。あまり、懐の広い人ではなかったのだが。まあ今となっては、「不器用な人だった」と、大人対応をしておこう。(笑)
その後、私が免許年齢に達した頃。
家にあったのは、 GR50 だった。
当時でも、ずいぶん古びた車種で、どうも、父が買ったわけではなく、誰か知り合いに貰ったとか、そんなことらしかった。これまたいつも通り、汚くてキズだらけだった。
原付免許で、そいつに乗り始めた初心者の私は、転んだり直したりしながら、バイクの扱い方を憶えていった。もともと電装がリークしていて、バイトの帰りに雨に降られて立ち往生するような有様だったから、メカの方も自然と触れるようになって行った。
それなりにピーキーな2stで、頑張って乗れば、何となく「やった気になる」感じで面白かったせいか、GRに乗る頻度・距離は、次第に増えた。
そんなこんなで、だんだんとバイクにのめり込む私を、父は、あまり良い目で見てはいなかったようだ。
父の生まれは、田舎の大家族の末っ子だった。
その父にとって、義務教育修了と同時に都会に出るのは、ほとんど唯一の進路だった。
父が都会に出てきたのは、「金の卵」という言葉が世に出る前で、受け入れ側にチヤホヤされることもなかったから、学も身寄りもない父が、都会で一人で暮らすというのは、なかなか世知辛かったようだ。
父が、大工の見習いに入ったのは、幾つかの職業を経た後だった。
当時の大工は、一人の棟梁に多くの弟子が連なる大所帯だった。夏に皆で海水浴に行くと、筋骨隆々の身体にまだらの刺青を散らしたフンドシ姿の棟梁に、多くの若者がぞろぞろと続く。えらい壮観だったよ、と後年の父は笑っていた。
その弟子達のほとんどは「ストレート」で見習いに入っていて、遅れて来た父は、「年下の兄弟子」に囲まれて、これまた肩身の狭い思いをしていたようだ。
当時、世間では、バイクが安くなって若者達に普及していて、比較的気軽に乗れていたようだ。そのうちに、父も小型のバイクを手に入れて、乗り回し始めた。
そんな折、ふと思い立って、その小型バイクで田舎の実家に帰ってみたそうだが。母親に怒鳴れた挙句に、追い返されたと。
『何しに来た!バイクを見せに来たのか!!』
大成するまで帰ってくるな、チャラチャラしてんじゃねえと、そんな意味らしいのだが。オレは別にそんなつもりじゃあなかったし、結構な距離を頑張って走って行ったのに。あれはねえよなあ・・・と後年、本人はグチっていた。
そんな父のバイクライフは、しかし、ほどなく収束に向かう。
ある日、兄弟子の一人が、バイクで事故をした。
父が一緒に走っていたのか、事故の様子は?など、詳しい状況はわからない。事故をしたのは、どうも、見習いの中でも古株の一人だったようだ。包帯姿で、病院のベッドに横たわる、意識のないその人の傍らで、家族の到着まで見守る役を、なぜか、父が担うことになったらしい。
横たわるその人は、初めは苦しそうに息をしているのだが、段々と息が細くなり、やがて、ほとんど止まる・・・・・と、突然大きく息を吸い込む。「深くを泳いでいて、水面に出た時に一気に息を吸うだろ、あんな感じだ。」 それを何度となく繰り返すのを、父は、傍らで見続けた。
やがて、家族が到着し、お役御免となった父は、その場を離れた。
どうも、その人は、ほどなく亡くなったようだ。
そんな経験があったせいか、父は、自然とバイクから離れた。
それ以降も、バイクに特別にのめりこむことはなかったが、以後も、「道具として」、父は、バイクには乗っていた。
私がGRに乗るようになり、その後も、大きなバイクを自分で買って、でも相変わらずヘタクソで、転びまくっていた不器用な息子を、父は、ヒヤヒヤしながら見ていたろう。
その息子が、学校を出て、サラリーマンになり、夜中過ぎまで働くようになった(当時はこれが普通)のを、父は、会社員は大変だな、オレは大工でよかった!などと言って笑っていた。
まあ適当なころあいで、そっちの方は切り上げて。大工の方を手伝えよ、とも言っていたのだが。
それもいいかなと、私が考え始めた頃に、父はもう、死病で死んでいた。
ここ数年、私が通勤に使っているスーパーカブは、その生前の父が乗っていた、そのものだ。あの当時、GRは不便だ、大工の道具箱すら載らない、やっぱりオレはカブがいい、と言う父に命ぜられ、私が調達した機体である。
父の死後、20年以上、実家に放置されていたのを、私が再生した。サビを落とし、オイル、タイヤ、バッテリーなど消耗品を換えただけで普通に動くようになったのには、正直、驚いた。一応の意味でやっておいたキャブのOHも必要なかったか?というくらい、再生作業は、あっけなかった。
でもそれは、カブの「品質が優れているから」ではないと感じている。
どちらかというと、「それだけの品質でしかない」というのが近いだろう。
イメージで言うと、部品なんかが多少ズレたり減ったりしても、お動きがさほど変らない程度に、初めから緩く作ってある。お動きに支障が出るほどヤレるのには相当の時間がかかるから、傍目には、信頼性とか、耐久性がある、ということにもなる。部品がゴツいとか設計が頑丈とか、そういうことでは決してない。
乗り味も然りで、こいつは本当にただの荷車で、つまりは、物を運ぶことを主に考えて作ってある。確かにラクに乗れて燃費もいいが、操作に対する反応は「ぶっ壊れてんのか?」または「バカにしてんのか?」というくらい大雑把で、人間扱いされている感じが全く無い。人間もほぼ荷物扱いで、シートもミニマムクオリティだから、ちょっと長時間乗ると尻が痛くなるし、それから逃げようがないしで、だんだんと精神的に行き詰っていく。さらに長距離となると、「頑張る」イコール「我慢」でしかないから、乗る程に、心がどんどん荒んでいく。
何のことはない。周りのドライバーと同じなのだ。
今、この時代遅れの古臭いカブで、大きく速く快適になったクルマたちの合間にいて、その世知辛い路上の流れを、路肩から眺めているわけだが。なぜだろう、クルマに乗る人々の表情は、険しくなる一方に見える。車間距離は、ドライバーの真理的な余裕を反映することが多いと思うのだが、極端に狭い(イラついている)か、極端に広い(ビクついている、または離れたがっている)の、両極端が多いようだ。
日本人は、豊かになったそうだが。
本当なのか?
毎日カブに乗ってみて、父が、こいつに真面目に乗らなかったのが、何となく、分かるような気がした。
みんなクルマの特性が悪いせいだ、と言いたいわけではないのだけれど。
ふと視線を上げると。
そんなクルマの世知辛い流れの向こう側に、澄み切った冬の大空と、そびえる大きなビル群が見えた。
父は、建築の仕事に、何を見ていたろうか。
分かる術は、もうない。
まあ、ただの町の大工だったから、建築を語るというほどのことはなかったろう。
ただ、私が、父から受け継げたものは、自分の手で何かを作ることへのこだわりと、このゆるいカブぐらいのものらしいと。
・・ハハ。致し方ない。
もう、そんな考察は後にして。
今は、クルマと空の両方を眺めながら、気を引き締めて行くことにしよう。
( 遠くを見ることは、運転にもいい はずだしね。)
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建築はほほえむ
読書ログ 世界の不思議な音 ― 2016/12/31 08:54
題名に違わず、「音の不思議」を探求し続ける著者が見つけた、世界中の「不思議な音」を紹介する本だ。
普段、我々が暮らすうえで、最も頼みにしている感覚は、視覚だと思う。
それに比べて、聴覚はずいぶん雑に扱われていると、私は感じていた。
そもそも、要らない音が多すぎる。
クルマや電車など乗り物の騒音はひっきりなしにしているし、そこいら中に画面があって(家のテレビは無論、スマホ、パソコン、駅の通路のサイネージなどなど)、アラームや呼び出し音や、要らん商品の説明、妙に耳につくBGMなんかを、繰り返し淡々と聞かせてくれる。静かなはずのオフィスでも、電話は鳴り、人は喋り、時には、大変に大きなくしゃみを響かせて、フロア全員を飛び上がらせる迷惑なオジサンも生息している。(あれは本当に心臓に悪い・・・。) 楽しみに聴くはずの音楽だって、以前は、わざわざ時間を工面して、LPレコードを大仰に扱って大事に聞いていた。それも今や、一曲いくらの小銭で買って、何か別のことをしながら聞き流す、消耗品になって久しい。まあ、日本の場合、身近で銃声がそうはしないのは、ナンボかマシかな、とは思うが・・・。
我々は、そういう「無意味な音」に囲まれて、それを無視しながら、暮らすことに慣れている。そう訓練されているし、つまりは、聴覚をないがしろに生きている。
なので、改めて耳に集中して、聞こえるものに意識を向けると、そこに立ち上がる「意味」に、慄然とすることがある。
音響工学の教授でもあるこの著者は、無論、そんな私の、遥か前方を突っ走っている。きっと「偉い人」なのだろうけど、どちらかというと「変わり者」の印象だ。何かを気負っていたり、上から目線なんかは、これっぽっちも無い。
珍しい、または凄い音があると聞けば、足取りも軽やかに世界中に馳せ参じ、「風船割りの儀式」を繰り返す。(風船を割った音が反響する様子をデジタル録音して、後で解析して音響の特徴の分析に供する「お仕事」のこと。)
その結果を、「こんなの知ってる?凄いんだよ!」式に、楽しげに、軽やかに、語り続ける。軽妙な訳も効いている。
著者はまず、独特な音響をもたらす「場」について紹介している。
音響とは、音が反射して返って来て、元の音と干渉し合って独特の響きをもたらしたり、長く音が続いたり、繰り返し聞こえたりする現象のことだ。我々が普段耳にする音は、健康診断の聴力テストで入る無音室と、響きが良いコンサートホールや録音スタジオの中間に相当する、いくばくかの音響効果を必ず含んでいる。
著者は、その極端な例をいくつか紹介していて、下水道や、地下の巨大な石油貯蔵タンクなどに赴き、実際にその中に入っては風船を割り、それがもたらす独特な音響効果について詳述している。また、建築の中には、この音響を特に考慮し、成功したものもあって(無論、失敗作もある)、建物を作る際の、建築家の意図とセンスという観点で話をしていて、建築つながりで 前回取り上げた本 との関わりも想起され、個人的には興味が尽きなかった。
音響の仕組みは、複雑で、興味深い。音は、まず、それを発する材料(喉は無論、木や骨などの素材や媒体)から、複雑な周波数スペクトルでもって発生する。それが空気中を減衰しながら伝播し、壁や地面、天井などで反射し、またはそれに従って曲がり、時間差をもって、時には何度かに分けて、聞き手の耳に到達する。
人間の耳は左右が離れており、間には頭蓋があるので、左右の耳で、別の音を聞くことが多い。その音の差から、音源の種類、方角や距離(=位置)まで特定できる、優れた能力を持つ。(もっと優れた聴力を持つ動物はたくさんいるが、人間が能力として劣るのか、潜在能力を使っていないだけなのかは、議論があるようだ。)
複雑な音響が、人間の認識能力を経てイメージとして結実する様相は、バラエティに富んでいる。喋る階段、盗聴ホール、司祭の大声は聞こえるけど信者の小声は聞こえない礼拝堂、逆に小声だけは良く聞こえる「ささやき回廊」などなど。日本にも、鳴き廊下や、鳴き砂の浜辺なんかがあるし、お寺か何かで「ここで手を叩くと響きます」という床の○印の上でパン!とやってみた向きも多かろうと思う。ローマ式のすり鉢状の競技場や、ピラミッド、ストーンヘンジが特定の音響効果を持っていて、それが宗教的な効果をもたらしたらしい、どころか、それを狙って設計された可能性すらあると聞くと、ストーンヘンジで、昔の人はどんな儀式を行い、音を聞いていたのか、興味が膨らむ。
音の発生は人為的なものに限らない。自然界は多彩な音に満ちていて、鳥や虫などの鳴き声はもとより、風の音、雷鳴、変りどころでは地震の前の地響きなど、いろんなものが鳴っている。都会の喧騒を離れて田舎で「静かに」のんびり、なんていうのは幻想で、けたたましく、または延々と鳴く鳥なんかは結構いるし、話し声が聞こえないほど賑やかな蝉や蛙だって居たりする。
それらの音の「相互作用」にもいろいろあって、例えば、動物同士で情報をやり取りしたり、威圧したりけん制したりもあるだろうし(音で物を認識しているコウモリなんかは死活問題)、海の中で一番うるさいのは「エビ」だと聞けば、誰もが意外に思うだろう。なぜ砂漠を歩くとブーだのキューだの変な音がするのか?なぜ砂によって音が変わるのか?まだよくわかっていないそうだ。また、滝の下の絶え間ない水音は、完全な静寂と同じく、感覚を封じる威圧感があるので、これを拷問に応用した例があるなど。なかなか驚かされる話が続く。
完全に人工的な音、例えば、映画の効果音や(光線銃が「ピュンピュン」みたいな、真空なのに)、スマホの起動音の話も少々あるし、音楽の話として、楽器の構造や材質(音を発するに適した素材)の話や、倍音の構成と、それが「心地よい」仕組み、録音についての話(著者の本職でもある)などもある。
さらに、無音の効果、つまり、音がないというのはどういうことなのか、どこに行けば音がないのか、視角と音響の相互作用など、全く、あらゆる視点から音響が語られている。
いつもそこにあるのに、容易には気付かない。
しかし、奥深くて面白い。
久々に、科学読み物で楽しませてもらった。
私の母は、今は実家で一人暮らしをしているが、まだ孫(私の子供)が小さい頃の電話の留守録を、大事に取っておいていた。
試しに聞かせてもらうと、確かにそれは、かつての我が子そのもので、拙いながら、賢明に「ばばちゃん」に話しかけ、思いを伝えようとする、幼い子供のがんばりが伝わってくるような録音だった。実にほほえましく、母が大切に思うのも納得がいった。
子供が小さい頃の記録を見返していて、一番感動する場面というのは、録画の「音」、登場人物の声や、背景で鳴っている騒音などの音の方だったりする。文字通り、臨場感が違うのだ。眠りかけた記憶をリアルに掘り返す効果としては、視覚的な映像よりも、遥かに効果が高い。
聞く所によると、世間には、写真で町並みを残さんと撮り続けるアマチュアカメラマンと同じように、街の音を残さんと録音をする好事家も居るそうで、デジタルレコーダーの普及は、彼らにとっても朗報だったと、どこかで読んだ。
確かに、自分が小さい頃や若い頃の街の音は、今とは違うものだったはずだが、今では聞くことが叶わないし、リアルに想起することもできない。もし、それを今、聞くことができたとしたら、かつてのそれを、その頃の自分の感覚を、リアルに彷彿とさせてくれるのではないだろうか。
クルマの音、駅のアナウンス、CMのBGMやテレビの主題歌、・・・
さて、私の母の留守録だが。
その電話機には、録音を取り出せるインタフェースがなく、保存することができずに、そのままになっていたのだが。先の東日本大地震の折の計画停電で、電源が遮断された際に、消えてしまったそうだ。
母にとっては、小さくない震災被害でもあったようだ。
私も残念である。
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