バイクのマンガ グッバイエバーグリーン ― 2017/02/04 07:05
Amazonが、あまりにしつっこく勧めてくるのに負けて。
買って読んでみました。(沈)
萌え系ってんですかね、セーラー服のむちむち女子高生がリッターレプリカで速い!てほどエグくはなく。(帯のイラストには少々びびったが。)中身はもう少し枯れた感じの、ハートウォーミングな絵&物語。
古いものに相対する祖父の意思を継ぐ女子高生(性格ほぼ単細胞)が主人公で、周辺に老若男女の個性派の脇役をばら撒くことで、世界観を形作る。ありがちな構成ではある。(ワンピース似。)
登場人物は皆、一見、違う方向を向いていたり、いがみ合ったりしているのだが、根っこの方では同じベクトルを持っている。それを、果物の皮でも剥ぐように、一枚一枚めくって行って。見えて来るのは、古いものに対する、思い入れや、思い込みだ。
この内容は、端的には、「古いバイクを扱う雑誌に連載されていた」からであり、少々勘ぐれば、「古いものから脱却できない、古い人に向けて書かれた物語」でもある。つまり、今、萌え盛りの皆様よりは上の世代、古いものへのシンパシーを濃厚に持つ年代が対象読者と。
そういったスジなので、私のようなオジサンでも、辛うじてついては行けるのではありましたが。残念ながら、女子高生の、しかも、物語としてかなり単純化された心情を中心に展開されるストーリーは、現実感が無さ過ぎて。このオジサンの、古び干からびたマインドには、刺さらなかったのでありました・・・。
現実世界で、古いバイクを何とか維持せんともがきつつ、悪化の一途の状況に辟易している私のような古参には、YDS1やRZに乗りたがる若者や、職人気質のバイク屋やガラッパチな女店員、画面の隅で微笑んでいる物わかりのいい老人などは、都合のいいプロット、「体のよい作り話」にしか見えない。
てか、YDS1て右シフトじゃねえのか中免取り立てが乗れんのか?とか(いえ、正解は左シフト)、焼きついているのにキック降りてんぞ?とか、タンク小さく航続距離短いあのSDRで、こんだけ長距離走るってどうよ?なんて、つまんないことばかりが気になって。我ながら、ジジくささに閉口した。(笑)
久しぶりに、線が細いマンガ絵を追って、眼が疲れたし。(既にガッツリ老眼の由。) 個人的には、やっぱり、この手のマンガは、もういいかなっと。
でも、いったん買うと、Amazonのリコメンド、さらにヒートアップするんだよねぇ。新刊が出ました!同種のがあります!とか。まだまだ続くんだろうなあ・・・。(sigh)
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グッバイエバーグリーン (アース・スターコミックス)
バイクのマンガ 雨はこれから ― 2017/02/05 06:57
Amazonのあまりにしつこいリコメンドに負けて、買って読んでみました。
パート2。
この作者は、もう何十年も前に、中古バイクの雑誌の連載で、ポルシェとカタナの追いかけっこを読ませていただいた記憶があるが。( ポイント・オブ・ノーリターン てやつ。個人的には、ピンと来ないんだが。主人公のこだわりが偏狭で「ノータリーン」に見えてしまい・・・これでバイクは厳しかろう。)
本書も、そのカタナのオジサンのそっくりさんが主人公で、今度は、いじくったSRでシブく決めている。そのシブいオジサンの、平たくて奥行きのない日常が、淡々と綴られている。
登場人物の配置も、上述の「ノーリターン」と似ていて、同年代に加えて、「若い連中」も相手にする構成で、「歳を食ってる分、ディフェンスに回る」のような、若いヤツと絡みたいの?イヤなの?物欲しげだけど我慢してます・・・風の話が続く。でも、「けつデブ」・・・違った、「デカ尻」は出てこない。これからなのか、オジサンはもう、そっちは枯れちゃったのか。
ここで描かれるオジサンの年代に、まだ親近感があるワタクシではありますが。家族という重石がなく、かつ仕事に行き詰っちゃった、年かさの、リターンではないベテランのバイク乗りの「悪あがき」としては、まあ、こんなもんかなあと。そういう意味では、よく描けているのだろう。
いじくった古いSRが身体に馴染んじゃってる辺りは、何となく「らしく」感じられたが。50代も終盤になんなんとするオジサンが無理なく操れるのは、せいぜいこの程度の車重なのだよね。でも実際、SRはどんだけいじくっても、こんなには速くならない。バイクが速くなる前に、振動で人間が腱鞘炎になる。(笑)
前回のマンガ と違って、線が太くて粗い絵は見やすくて、この年寄りの目には優しかったが。この作者は、元々タッチが粗い人だが、本書ではさらにいい加減になっていて。わざとなのか、作者も老いているのか、よくわからないが。まあ、大人の読み物だろうから、これでいいのか。
それにしてもだ。
淡々とした、非日常的な無目的感が、なんと言うか・・・
シブいサザエさん?
「ノーリターン」にシンパシーを持つ人なら、読む価値があるだろう。
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雨は これから vol.1 (Motor Magazine Mook)
読書ログ 世界一の考え方 ― 2017/02/12 07:13
本田技研からF1のレース界に転進した著者による「仕事論」である。表題は、世界一のレースであるF1における仕事上の考え方、といったニュアンスのようだ。
Amazonのレビューが悪くなかったので、期待したのだが。大した事がなかった。
著者は、自分の経験と、そこから得られた教訓のようなものを、至極真面目に紹介してくれているが。特に真新しいものではなかった。
本書の主な題目の一つは、国外で仕事をする際の苦労だ。日本に居たときは必要のない類の、覚悟や刮目といった話だ。
しかし今や、この著者の当時よりも、国外で働く人は増えているし、近隣諸国とのイザコザも増えているので、「異質な外国」を意識している人は少なくないだろう。そこへ来て、この本書の内容は「今さら感」が否めない。
2014年の刊と、さして古くはないのだが。一般的な仕事論やマネージメント論、ビジネス論として読むにも無理がある。(もっといい本はたくさんある。)
F1を始めとしたレース界の裏側まで知りたいというマニアや、メーカーとしてのホンダが好きな人には好まれる本かもしれない。
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世界一の考え方
読書ログ 宇宙は「もつれ」でできている ― 2017/02/12 07:25
この題目、いやウチの会社なんか「もつれ」ている上に「ほつれ」ているとか、いやいやウチの夫婦はもつれているから「もっている」、みたいな自虐ギャグを呼びそうだが。
副題は、 「量子論最大の難問はどう解き明かされたか」。その通り、量子物理学が提唱されてこっち、その理屈の筋道は、結構な振幅で振れ続けてきたわけだが、そこにどんな学者がどう関わってきたのか、その長い経緯を追ったドキュメンタリーである。
量子論に関わる論文に加えて、手紙や手記、雑誌の記事などを丹念に追って、その流れをつなげて見せてくれている。お話が第1次大戦の当時の昔話から始まるのだが、今のようにSNSの情報が豊富にあったりするわけでもない。量子力学の学者には曲者も多いから、文献から彼らの意図を理解して、前後を繋げて流れを追う作業は大変だったろう。著者は若い女性ジャーナリストだが、大した力量だ。
ブルーバックスなので新書版だが、¥1,500の定価に恥じない600ページに及ばんとする大著で、読み応えは十分だ。ただし、個々の物理の理論はほぼ既知として扱われていて、詳細は記述されない。物理の理解の役には立たないから、人間ドラマとして、割り切って読んだ方がいいだろう。
読み進むに従い、どこかで見たことがある名前が続く。
アインシュタイン、ボーア、ボーム、ボルン、ディラック、ハイゼンベルグ、フォンノイマン、エーレンフェスト、 プランク定数 、 ご冗談でしょうファインマンさん 、 シュレディンガーの猫 、 ラザフォード後方散乱 、 ドブロイ波 、 フェルミ準位 ・・・。
確かに、量子論は突拍子もなかった。しかし、そのおかげで、従来の古典物理とは全く違う風景が見えるようになった。他方、所々に矛盾や欠落もあり、完璧とはいえなかった。スッキリと納得が行かないその姿が、理解が及んでいないのか、理論の方の問題なのか、容易にはハッキリしない。議論が議論を呼び、世界の頭脳が切磋琢磨した。
学者達は、披露と議論、非難と考察、馴れ合いと閃きなんかを絡めながら、理論を掘り下げ、隙間を埋める作業を、皆で共同して、コツコツと進めた。
その動機は、「原子がどうなっているかを知りたい」、それだけだ。
それだけのために、人生をかけて考え続けた。
名声や優越感が目的ではないそれは、「真面目な狂気」とも言える。
そんな才能が、あの時期、あの地域に密集して現れたことは、とても不思議に思われる。(当時の日本にはなかったし、今でも本当に少ない。)この学者達、ぶっちゃけ、どうやって食ってたんだろう?と思ってしまうのだが。当時の欧米には、そんな生き方が許される、経済的、道義的な余裕があった、ということだろうか。(日本には、今に至るまでずっとない、のだろう。)
彼らの数式を言葉のように使う。数式をこね回し、裏返しすると、別の姿が見えてくる。それは、文章で例えれば、「したいわけではなかった」が「結局はそうなった」こととして理解する。そんな作業だ。ある意味、「行間を読む」にも似ているその作業を通じて、我々が見ているのは何なのか、この式は、何を教えてくれようとしているのか、考える。そうやって、一歩一歩、階段を登って行く。
しかし、やがて戦争が、続いてイデオロギーが、彼らを翻弄する。悪い敵を抹殺するために落とした原爆を否定する学者はアカだから糾弾していいと、そんな妙な風潮になった。困難はもっぱら、物理の内部ではなく、外からもたらされる時代になる。
良いこともあった。技術が進歩して、真空、高電圧、高周波やレーザーなど、新らしい技術が使えるようになった。物が豊かになり、小規模な実験装置ならカタログで部品を集めるだけで作れるようになった。大型のサイクロトロンや、シンクロトロンだってある。実験が理論を補完することで、より真実に近づいたと、皆が納得できる結果が得られるようになってきた。
しかし今でも、
わからないからもつれているのか、
もつれているのかわからないのか、
わからない。
どうやら、もつれてはいるらしいのだが。
どう、もつれているのかも含めて、まだ解明の最中だ。
登場人物や、この著者のように、相当しつこくないと読みきれない、もつれた物語なのであった。
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宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか (ブルーバックス)
読書ログ 本当の夜をさがして ― 2017/02/19 06:54
我々は闇を知らない。忘れたことも忘れている。
何と、星を知らない人すらいるのだと。(米国の話。)
人類は、電気の明かりが普及するまでずっと、星明りで生きてきた。
夜が明るくなったのは、つい最近のことだ。
だから、それがもたらす影響、我々人間の変化だけでなく、自然界のあまたの動物への影響も、顕在化するのは、これからだ。
その昔。米国の片田舎に、初めて電気が通ったときの話が出てくる。
「家中の電気をつけて、クルマに乗り込んでしばらく走って、遠くから、白く光る家を眺めた。」
その光景は、豊かさの象徴だったのだと。
(私は、電気より先にクルマが普及していたということの方に、驚いたのだが。)
人間の眼球は、明視と暗視で使う網膜細胞が違うのだが、最近の人間は、明るい所ばかりにいるので、暗視細胞の発達が未熟だ。現代人は、夜目が利かない。
昔の人は、もっと闇が見えた。
例えば、ゴッホの「星月夜」の夜空は、誇張ではなく、実際にああ見えていた可能性がある。
現代人は、夜目が利かないから、夜が怖い。
女性は特に。「常識」に脅かされてもいる。
我々は、闇を知らない。知らないから、闇を恐れている。
だから、明かりで照らす。
その明るさに慣れて、さらに、明るさを求めるようになる。
我々が光害にどれだけ犯されているのかを図る目安として、 ボートルスケール があるのだが、著者は本書で、その9つの段階になぞらえた章立てで、明るい方から暗い方に、話を進めている。
いや、話が暗くなるわけではなくて。
暗さの話を進めるだけだ。
都市部で、道をこうこうと照らしている街灯は、一般に、安全と治安のため、と言われて久しい。光は善で、闇は悪だと、聖書にも書いてある。
しかし、統計を見れば明らかなのだが、街の明かりは、犯罪を減らさない。犯罪は、暗がりでは行われない。レイプは草むらではなく、もっぱら室内で行われている。
街の明かりで、レイプ犯はターゲットを物色し、泥棒は侵入のための道具を選び、放火犯は燃えそうな物に目を付ける。反対に、明かりを消せば、犯罪者はやりにくくなるし、端的に人は出歩かなくなるから、単純に犯罪も減るのだと。
余分な明かりがなくなったら、どうなるか。
端的に、星が見える。
「星が見えること」が、人間に及ぼす影響は、小さくない。
「降るような星空」の経験者は、分かると思うのだが。
見上げていると、まるで飲み込まれるような、吸い込まれる、または落ちて行くような感覚を覚える。
人は、その光景から、空の向こうは宇宙であること、我々は、宇宙に浮かぶ小さな星のひとつにいる、さらに小さな生き物であることを、端的に理解する。
星の上で暮らす動物として、当たり前の(当たり前だった)感覚。
昔の人々は、皆で夜空を見上げながら、暗闇の中で得たその感情を、共有していた。
闇は不安ではあるようだが、実は、安心でもある。
我々の感覚を、鋭く磨くものでもある。
その感覚を、我々は失って久しい。
そして、失ったものを想起するのは、難しい。
400年前、誰でも星を見られたが、望遠鏡は、ガリレオしか持っていなかった。今は、誰でも望遠鏡を持てるが、誰も星を見ることができない。
そういった状況に気付き、危機感を持つ人々は増えていて、夜空を守るための各種の団体や共同体が立ち上がっており、効果が出つつある。
・ダークスカイ保護団体
・ナイトスカイ・プログラム@国立公園 (羨ましい。日本にありや?)
・政府のダークスカイキャンペーン
など。
闇の重要性に気付き、それを守るための取り組みが始まり、次第に実を結んでおり、闇が戻りつつある、という明るい話で、本書は終りに向かう。
最後の章では、世界で最も美しい(本来の)星空を見られるのはどこか、それがどんなものか、が語られる。それは、本書の闇の旅路を、最後まで踏破した人だけが垣間見る、お楽しみだ。
著者は、田舎育ちのせいか、星空には馴染みがあるようで、「闇」に関して人が感じるはずのものを、辛うじてにしろ、想起できる能力があった。それが、本書の執筆には大いに役立ったようだ。著者はジャーナリストで、科学者ではない。だから本書は、いわゆる科学読み物ではないのだが、理屈ではなく、ある程度情緒的な筆致だから、かえって伝わるものがあるし、馴染みやすい読み口だった。
空は、ずっと前からそこにあった。
今でもあるはずなのだ。
その「本来の姿」があるとして、それが何なのか、私にもわからないが。
(よくある自然保護論と同じで、人間がいなかった頃が「本来」で、それを取り戻す、または守るべき、という理屈になると、まず、人間の活動を制限すべき、最終的には、人間の数を減らべき、といった刹那的な色彩を帯びかねないが。)
少なくとも、闇や星が、人間の根源に近い感覚につながるという論は、新鮮に感じた。
いや、個人的には、朝焼けや夕焼けも好きなんだが。
闇が昇る刹那の色。
闇と光の境目。
(冬は、いつもそれを見上げながら通勤している。)
ちなみに、私は「寝床は真っ暗派」である。
明かりが漏れていると、うっとおしいと感じる。
子供達も同じなのだが、普段は、暗闇は怖がる。
不思議なものである。
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本当の夜をさがして―都市の明かりは私たちから何を奪ったのか
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