挑戦するフォトグラファー ― 2020/04/04 06:43
ツールドフランスとかの、ヨーロッパの自転車レース界の裏側を綴った本だ。
元は選手を志したが、今はカメラマンとして、それなりの大御所になったという著者の、備忘録というか、随筆である。
内容としては、ま新しいものではなく、多分、本書を手に取るであろうロードレースになじみがある向きには、少々物足りないだろう。
ただ、あの「バイクにタンデムで自転車の合間に入り込み写真を撮るお仕事」というのが、どんだけ厳しい仕事なのかというのが、「へー」だったり、「やっぱり?」ではあった。
世間的に、特に都市部では、息をゼイゼイやらかす類の活動がはばかられるご時世だが。(コロナ騒ぎ。)自転車乗りが、せめて読書でウサ晴らし、にはなるかもしれない。
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挑戦するフォトグラファー
道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心 ― 2020/04/04 16:49
少年犯罪の調査が本業という著者が、過去の冤罪事件を調査する過程で、関係者が残した著述に当たったり、当事者に実際にインタビューしたりしているうちに、「少年」ではなく「冤罪」の方にハマってしまい、冤罪を起こす構造的な理由について、当時の社会情勢や脳科学まで網羅しながら、暴いて見せてくれている。500頁超という大著だ。
最高裁での死刑確定の後、差し戻し審で無罪となった事件は、戦後すぐの時代から結構な数があった。当時は、明治から続く警察組織の変革期で、内に外に複雑に人間模様が絡み合っていた。さらに政治家や報道陣、「一般大衆」まで加わって、捜査の現場に「成果」を求め、結果として、警察側に「えせヒーロー」を、その裏面としての「無実の死刑囚」を、作り上げていく。
著者は、その、群集心理として湧き上がる道徳心、その裏返しとしての正義感を、冤罪の大きな原因として挙げている。
個人的な感想だが、この構造、どうも、日本人の、特にお役所に顕著な「逃げる癖」、ちゃんと終わらせるのではなく、「終わったこと」にして済ませようとする性向が、効いているように思われた。
えせではないヒーローのウルトラマンを引き合いに出してしまうが、スペシウム光線で怪獣をブチ殺せば、パッと見は一件落着には見える。しかし、怪獣に殺された人が生き返るわけでなし、荒らされた街が戻るわけでもない。怪獣の死体処理もせねばならんし、同様な事態へ対応するための準備や予防措置も必要になるはずだ。
だが、普通はそこまで考えない。
やったやった、悪い奴をぶちのめした。
気分がいい。
正義が執行された。
それは、無責任な憂さ晴らしと、変わらない。
所詮は他人事。
だから、それがもし自分に起こったとしても、誰も助けてくれない。
同じような瑕疵は、今でも残っているし、だから、背負うべき咎も、今でも同じだ。
何かをやりたいわけではなく、やった気になれさえすればいい。
今、ネットなんかを見ていると、その傾向は、なお強まっている。
きっとこれからも、冤罪は、様々な形で、続いていくのだろう。
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道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心
理不尽な進化 : 遺伝子と運のあいだ ― 2020/04/05 11:04
題名と中身はいささか違っていて、著者の意図は、一般の進化論の理解には間違いがあり、それを正したい、ということらしいのだが。世間の学者の代表的な言説を挙げ、私的に批評することに終始している。
進化の実態というのは、一般に信じられているような、「優劣」のお話とは全然違う。多分に偶然、つまり運が大きく作用する。環境に適用したものが生き残るというのは、実態は逆で、環境の方が(例えば隕石とかで)突然その種に都合よく変わったから、という場合も結構ある。単純な「優劣の証」では、全くない。
進化論というのは、ダーウィンの当初からそういうお話だったのだが、進化を「神の思し召し」と考えたがるようなオールドタイプは、進化論の出始めの当時からいたし、民族的な優劣に結び付けたい政治家なんかにも、便利に利用され続けてきた。結果、今のような「ダーウィニズム」が流布し、定着したと。
一般の理解は、こうだろう。
「進化とは、不連続・不可逆な進歩であり、いわば、深い谷を飛び越えて、向こう側の高みに達せた者のみが体現できる、優越性である。その差は絶対的で、いくら努力したとて及ばない。」
「格が違うのだよ。」
だがそれは、進化論の理解ではない。
私の趣味のバイクの世界でも、雑誌などで「新型バイクは進化した」ってのが常套句なのだが。これも同じ意味合いだ。
だが実際に乗ってみると、進化どころか進歩もしていない、ヘタするとコストダウンで退化している例も少なくない。
本質を理解も覚束ないのに、上から目線で訴求してくるこの物言いに、私はずっと反発し続けていたから、この著者の主張には、大まかには同意するのだが。
申し訳ないが、書籍として出版するほどではなくて、せいぜい「私的な日記レベル」のように感じられた。
最近、こういう本は多い。ブログのおまとめ出版のような。
進化論のやり直しの「取っ付き」としてはいいかもしれない。
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理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ
「身軽」の哲学 ― 2020/04/11 06:59
かなりお年を召した著者だが、ご自身の読書遍歴なんかを敷衍しつつ、「身軽」という「憧れ」を語っている。
・・・のだが。
あまりに随筆過ぎて、何を書きたいのか、私にはさっぱりわからなかった。
(東洋)哲学でもないように思う。
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「身軽」の哲学
戦略の世界史 ― 2020/04/11 07:04
上下巻各々500頁を超える大著だが、そのせいか?図書館の新刊コーナーで、ヒマそうにしていたので。下巻だけ、借りてみた。
米国人の著者によるこの手の本は、ちっぽけな言いたいことのために、膨大な資料とテキストを援用するパターンが多い。なので、大体は最後の章だけ読めば大まかな所はわかってしまう。おおいかん、これは戻ってキッチリ読み込まんとアカンな!、というケースもなくはないが、やっぱり稀だ。本書もやはり、最後だけ読めば十分な方だった。
サルの群れの時代から、政治的に、戦争で、ビジネスで、「戦略」つまり何事かをなそうと計略を立てることは、エラい昔からなされているが、それを類型化し、時系列にも配慮して、流れを追う作業をしている。無論、そのほとんどは、近年の政治的、ビジネス的な使われ方に占められていて、見覚えのあるものがほとんどだ。
その正体というのは、スクリプト(ある決まった処理を行う情報処理の手順)化したストーリー(物語、他人の納得感や感情におもねるつながりや流れを持つ情報の帰結)とか、そういうものだそうだ。ふーん。
何だか、わざと難しく(わかりにくく)言い換えることで、勝手に納得している風でもあり。わざわざ出版していただく程でもないような気もするが。
これも最近の流行りのようだが、「民主主義」のような絶対的バズワードをストーリーに入れ込んでいる。例えば、「自分の利権構造に阿るのが民主主義であり、それ以外は悪だ」といったようなストーリーだ。なるほど、インパクトはある。安倍君もトランプ君も、同じことをやっている気がする。
まあ、著者は、そんなことを書きたかったわけではないかも知れないが。そのために、この量を書くのか・・・大変だな、と妙な所で納得した、変な読後感だった。
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戦略の世界史(上) 戦争・政治・ビジネス
戦略の世界史(下) 戦争・政治・ビジネス
戦略の世界史 戦争・政治・ビジネス (上)(下)巻セット
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