社会はヒトの感情で進化する ― 2020/06/13 10:41
「感情」と「進化」を一度に論じるという視点に惹かれて読んでみた。
世間一般、「進化」という言葉は、「不連続な進歩」の意味で使われている。
例えば、クルマの広告「新型車は進化した」という物言いは、「旧型とは違うのだよ」という、有無を言わさぬ差別(化)の主張を込められている。それが、消費者に、購入後の優越感を想起させる点で、売り文句として効果を奏す。そういう仕組みになっている。
歴史的に、例えば、民族的な優位性を主張する根拠として使われたりもしてきたので(ナントカ人は何とか民より進化しているから征服とか抹殺していい、のような)、その誤用の流れが、今でも続いている。
ところが、「進化」の本来の意味、ダーウィンが進化論で書いたのは、ただの「適応」で、新しい環境における有利な特性、端的にそれだけの意味合いだったりする。
単純に、「その時に便利」というだけなので、進化の結果、能力が落ちる、ということもありうる。例えば、進化して固い鎧を獲得した結果、捕食数が減って個体数は増えた、だが、動きが遅くなったので生息域が減り、エネルギー消費量が増えたので寿命も短くなった、のような帰結だ。進化は、進歩ではないのである。
で、社会心理学とか行動経済学のようなイマドキの学術分野では、その本来の意味合いの方の「進化」を、集団に対しても応用するのだそうで、例えば、「昔と違って、今は人々がこう考えるようになったのは、生存競争で有利だからで、それは進化の結果である」と、そういう言い方をするのだそうだ。
著者は、人々の考え方や感じ方をまとめて「感情」と言っているのだが、それが、統計的に優位な方向に変化するのを「進化」になぞらえ、道徳や民主主義なんかの枠組みが、進化に該当するあらたかな例であると、そう言っている。
なのだが、その実例が、どう見ても歪曲というか、間違いもアラタカだったりするので。まあ、お話のスジとしては、オハナシ半分に面白がるのがせいぜいかなと。
そんな読後感だった。
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社会はヒトの感情で進化する
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