死とは何か さて死んだのは誰なのか ― 2020/09/20 06:23
前回と同じ著者による、これも有名な本だと思う。
一緒に図書館に予約したのか、題名に惹かれたのか。
あちこちに書いた短文を寄せ集めたものだ。
同じモチーフを集めたものだが、寄せ集めだけに、話の筋に一貫性はない。
繰り返しが多くて、思索が深まることもない。
またその話か。
次はないのか。
次第に飽き飽きしてくる。
この本からわかるのは、著者は、死が哲学の最初でかつ最大の対象であり、それに始まる諸々の物事をずっと考えて続けていますよ、ということだけだ。
死とは何か。著者は最初に結論を言っている。無だと。
無とは、ないことだ。ないことを理解できるのか?とかそんな話だ。
つまるところ、著者の思考的ハビットの表層を繰り返し撫でるだけで、読者の思索の役に立つわけでもないし、疑問が氷解することも稀だろう。
それに、何となく、他人を見下す姿勢が香る。
私の考えがわからないの?(仕方ないわねえ。)
自分で考えることが大事なのよ。考えてる?
事程左様に、死に関する高尚な(?)思索なわけなのだが、実際に、著者に死期が近づき、死を身近に感じた時に、役に立ったのかは疑問だ。
死神というのは、自分の死神が、近くまで来た時に初めて、その本当の怖さがわかる。
他人の死神は怖くないし、遠くにいるうちもまた、怖くない。
この著書の思索は、まだ怖くなかった頃のものが多い。
それが始終変わらないということは、つまるところ、「考えることに逃げている」ようにも見える。
死に対しては、いかな著者とて、そうせざるを得なかった、ということかも知れない。
そんなこともあって、本書の論は、何となく、核心に近づけていない印象を、個人的には持った。
(というか、そもそもが、考え方の姿勢の方が論点で、死はその題材に過ぎない。)
表題からして、死期を悟った方が手に取る可能性がありそうだが。
お勧めしない。
死ぬことについて、あまり考えたことがない人や、死生観を明瞭にもたない人への刺激、または最初の一歩くらいには、なるかもしれない。
実態としては、この著者のマニア向けの副読本、といった所かと思う。
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死とは何か さて死んだのは誰なのか 池田晶子
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