失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織 ― 2020/11/01 07:03
米紙のコラムニストによる、失敗のフィードバックを論じた本である。
どちらかと言うとルポに近い内容だが、なかなか緊張感に富んでいて、妙にハラハラしながら読んだ。
米国には、これと似たような感覚の本がよくあるのか、何冊か読んだ気がする。
この辺り:
・ 医者は現場でどう考えるか → 当ブログでも 以前取り上げた 。
・ 生き残る判断 生き残れない行動 → 取り上げたか忘れた(笑)
本書は、失敗の再発防止のフィードバックができている具体例と、できていない業界の状況や原因を論じている。
「できている業界」の最たるもの、というか唯一の例として、航空業界を取り上げている。
まず、失敗は起きるものという前提に立ち、それがどう起きたかのデータを収集する仕組みを作る。
フライトレコーダーやボイスレコーダーの設置といったハード面の対策はもとより、ソフト的にも、例えば、失敗の報告を奨励するよう組織を構成し、文化的(認識論的)な所までケアすることまでを含む。
そして、もし失敗が起きた際は、その「原因」を追究する。
この初っ端から念押しが必要なのだが、ここで追及するのは「原因」であって、「理由」や「責任」ではない。
「原因」は、それを取り除く、または解決すれば、同種の失敗は二度と起こらないと言える物事のことだ。
「理由」は、どうして起こったかの帰結を述べた物語だ。世間で「理由」と言われているものの粗方は、都合が良い情報の選別や、そうでない情報の隠ぺい、偶発的要素の無視や恣意化などの「編集」がなされている。情報の質としては「言い訳」と大差ないので、再発防止には役に立たない。
「責任」は、「犯人捜し」のことだ。犯人をあげつらって罰したり追放すれば「済んだ」と思う人は少なくないが、原因が根治されてなければ、同じ失敗はまた起きる。次のかわいそうな「犯人」が、同じ穴にはまるだけだ。
原因追及には、有能な第三者が、しがらみにとらわれることなく、当らねばならない。彼らに忖度を求める圧力が及んだり、活動に妨害や限界があってはならない。
さらに、最も大事なのは、失敗した現場の担当者や、失敗を報告した者を罰しないこと、それを制度化して保証することだ。むしろ、失敗を隠ぺいした際に罰が及ぶようなルールにすべきだと。そうでなければ、ミスの報告など誰もしなくなる。
こういった手法は、航空業界では根付いており、成果も出ている。旅客機の事故率は、自家用車より遥かに低い所以だ。
対して、「できていない業界」として、医療業界や、警察や検察が挙がっている。どう「できていない」のかの様相は、両者で少々異なる。
医療業界は、緊急性を伴う難しい処置が立て続くような、極度の緊張を伴う作業が多い。その際に「過度に集中する」ことが失敗を呼び込むことがあると。当初は的確な判断に基づいて始めた処置とて、始めてみると予想外の要因に阻まれて、上手く行かないことはままある。そんな時、単純に焦ってしまい、例えば、タイムリミット、呼吸停止の際には何分以内に次の処置に移らないと死亡率が急激に高まる、のような制限を超えてしまい、さらに悪いことに、超えたことに気づかない。
こういった種類の失敗は、経験豊富で、有能で、自信家の担当者に、より起こりがちなのだそうだ。一旦判断した結果を、都度、疑うような作業を、普段からしていないし、それを「失敗」として忌避する気分が影響するのだろう。
悪いことに、同種の人間は、ミスが明らかになった後も、それを認めようとしたがらない。プライドが邪魔をするのだ。
そして、このプライド型の悪弊が顕著な最たる例が、警察や検察なのだそうだ。
過去、その実態が連続して明らかになった時期があった。遺伝子捜査が技術的に可能になった際に、それが過去の裁判に遡って適用され、冤罪が次々に明らかになった。それまでの犯人逮捕~判決の流れというのは、最もそれらしい人物を犯人に仕立てることで、終わったことにしていただけだったのだ。刑事ドラマや本人が良く言うような「刑事としての長年の勘」なんて、まるで当てにならなかったのだ。
更に悪いことに、冤罪が明らかになった後も、彼らは自分のミスを認めようとしなかった。屁理屈での反論、ありもしない証拠の後出し等々、あらゆる手を尽くして裁判の偏向を試み、進行を長引かせた。最終的に無罪が確定した後も、オレは自分の判断が正しかったと今も信じて疑わない、と公言してはばからない。
それはそうだ。彼らを含む官僚は、法の下で働いているが故に、無謬性が前提となっている。最近、我が国でも、大きな交通事故を起こした元高級官僚が、明確な証拠が挙がっているにもかかわらず、裁判の場で自分のミスを堂々と否定して顰蹙を買っていたが、あれも同類の思考様式だろう。彼らの頭の中では、「自分はミスをしないこと」は常識であり、現実なのだ。
そんな彼らのことを、みっともないと思えるような、まっとうな神経の持ち主なら、自分のミスを冷静に見つめ、克服できる柔軟思考は維持したいと思うだろう。本書には、そのための手立ても例示されているから、真面目な読者にはお勧めできる本である。
実は、私はこの本を、病院のベッドで読んだ。上述のように、医療業界は「できていない業界」と名指しされていて、「できなかった」例が羅列されいる。それを、当の業界の真っただ中で、そこに身を預けつつ読むというのは、かなりスリリングな経験だった。
緊張感あふれる良い読書だったが、せめて読む場所は選ぶべきであった。(苦笑)
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失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織
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