バイク関連の過去記事一覧2018/01/01 00:00

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バイクの本 LE MOTO DA CORSA2017/03/25 10:16

LE MOTO DA CORSA
al Circuito del Lario 1920-1939,
Sandro Colombo,
EDISPORT
MOTOCICLISMO, 1991
ISBN N.A.






















「思い通りにならない」の類のグチを言わなくなったのは、いつ頃だったか。
確か、中学~高校の頃は、周りにもたくさんいた。

歳を取って丸くなった(活動レベルが下がった)ことは効いている。
しかし今は、思い通りにならないのが当たり前という感覚でいるのが、大きいように思う。(同じ事かもしれないが。)

もう少し正確に言うと、幸せや満足というのは内発的なもので、外からもたらされるものではないと納得している、ということだ。

同じような考え方は、世間一般、哲学や宗教にも、よく示唆されている。

とある西洋の「成功の心得」は、内なる欲望は宇宙の原理に則っており常に正しい、(瞑想などで)正しくあるよう保ちつつ、その声に従って集中・精進すれば、必然的に成功する、と言う。

極東の宗教観にも、悟り無きを悟り、自らの愚を覚え、あるがままに悩み、本願に念を唱えれば、如である世界が自ずと来る(如来)、煩悩と叡智は裏表だ、とそんな考えがあるらしい。

当てになるかは分からない。
読み方の問題もあるだろう。
だが、みな同じ事を言っているようにも思える。

望むものの粗方は、実は自分の中に在る。
外から貰えるものではないのだ。

(実際、外からの情報は、一見有益なだけの、ノイズの方が遥かに多い。それに、他人と争って得られるものには、ロクなものがない。ずっと前からたくさんあるものだが、ただ「いいもの」と喧伝されているだけのもの。そうでもないと、皆が欲しがる訳が無い。)

この辺の事情は、バイクも同じだ。

最新型を買ったり、すごいね、上手いねと褒めて貰ったり、大きいバイクで遅いヤツを抜き去ったりした時の喜び(優越感)は、どうにも、一瞬で消え去ってしまう。

外因性の優越感は、長続きしない。
だから、繰り返し求めることになる。

メーカーは、これを製品戦略に織り込んでいて、今のバイクは、いかに短期間で買い換えてもらえるか、よく考えて作られているし、そのように売られてもいる。

技術は「進化」していると言われる。だが、そのほとんどは無目的化していて、何のためにあるのか分からないか、あるのに使いようがないかの、どちらかだ。

ありすぎる馬力、出すぎるスピード。(一度も使う機会がなかったり。)
転ぶ気がしない安定感。(いや、転ぶから。)

新しいエンジンの制御技術は、もっぱら次の規制への対応を目的にしていて、つまりは、お役所に向けに作られている。故に、それがユーザーの利益に直接貢献することは、ほぼ何もない。単なる「法制度上」の話をしているだけで、実質、どれだけ貢献するものか、試算や検証がされることさえない。



まともなバイク乗りなら、こんな「従順なお散歩犬」なんか欲しがらないだろう。

(いや、この技術の目的はバイクではないことは承知しているので。そちらのツッコミは無用である。ちなみにこれ、「キャスターを変えている」旨の技術解説を見かけるが、変っているのは、トレールの方だと思う。)

「乗って楽しいバイク」とは、こんなものではない。
ちゃんと人の感性に添うものだ。

人が乗り、操作し、内外からの入力に反応し、結果として返して来る。
その大きさや周期、遅れなど(私はいっぺんに「波長」と例えている)が、人が楽しいと感じる姿をしているもの。

everlastingなもの。
飽きないもの、普遍性があるもの。
長く愛され、長く使われるから、耐久性は不可欠だ。

どうやれば、そうなるのか。
どう作れば、そうできるか。

過去、そういうバイクをいくつか取り上げてきたが。それらが全て、そうなるべく、意図的に作られていたとは言わない。ぶっちゃけ、たまたまそうなっただけ、としか思えないものも少なくなかったが、何れにせよ、それを「楽しくしよう」と、日に影に奮闘した人々がいたおかげで、それが実際に「楽しく」なったろう事だけは、妙にリアルに想像がついたものだった。

上に挙げた写真は、満遍なく楽しそうに見えるのだが。それは、「思い通りにしよう」と奮闘していたり、その結果「思い通りになった」瞬間であったりするわけで。楽しそうなのは、当たり前なのだ。

思うに。
技術的に、「楽しいバイク」の何たるかというのは、ほぼ、この頃にはもう、分かっていた。
(個人的な見解だが、具体的には、1950年代頃までかと思う。)

バイクにとって、「楽しい」というフィーチャーは、その時代で終わっていたのだ。

それ以降、我々は、踊り場で、同じ所をくるくる回っていただけだ。
成長とか、進化と思い込んでいたものは、ただの贅肉のようなものだ。

先日、読者の方から、文章より写真の方がよいと言われ、愕然とした。
いや、私もそう思ったのだ。(笑) だから余計に驚いた。

自分のグチにも、そろ飽きてきた、というのもある。

ただ、私が求めていたのは、ああバイクって楽しそうだな、乗りたいなと。そう思う、根本の部分の共感だったのだなと。

そしてそれが、この時代の写真で、既に如実に伝わってしまったということに、今更ながらに驚いた。

技術的には、今の何万画素のカラー写真とは比べるべくも無い、古い、銀塩の、白黒写真だ。それでも、彼らの心情を、如実に伝えてくれている。

それがまるで、技術の「進化」と言われるものの空回り加減を示しているようでもあり。二重の意味で、ガックリ来たのだ。

「何だよ。終わってたんじゃん。」

そんなわけで、当ブログの更新は、当面休ませて頂こうかと思う。
読者の皆様には、長い間のご愛顧に、お礼を申し上げたい。

また何かあったら、再開することもありうるかとは思うが。
このまま消滅と相成っても、ご容赦願いたい。


以上


真ん中の不審者はカルカーノです。


ベスパの本 Sei Giorni2017/03/19 09:20

ISBN 88-87748-37-3


先週に続き、文章でなく写真でまとめる。
これまた前回と同じく、イタリア語のVespaの本だが。
今回は、レーシングベスパ、Sei Giorni を扱った本だ。

以前、他の本を取上げている時に、何回か写真のみ 引用した が。
単独で取り上げるのは今回が初めて・・・だったと思う。
(よく憶えていない…。)



当然、美しいメカの大写し写真なんかが続くんだが。




これはこれで、じっくり取上げたい気はするが。
人の画像に移ろう。

時代は、日本で言えば昭和なんですけどね。カッコイイなあ・・・

並びます。

スタートですね。
人が多いなあ。


自然体でカッコイイです。

いや、無論、走り出せば必死ですよ。

街並みがまた。
日本でも、京都あたりを走らせたら意外と似合うのかな。

うーん、やっぱり自然体。
スーパーカブでは、こうはならない。何ででしょうね。

いい顔です。


どうでしょう。
旅に出たくなりました? (笑)

同じレースの写真でも、最近のは「すっげえなあ」とは思うものの。
こんな風に、「いいなあ」と感じるものは、見なくなった。

何ででしょうね…。



※ 本書のご購入をお考えの方、上記のISBNからお調べ下さい。