◆ (単行本) 幸福写真 ― 2023/12/30 05:26
前回に続いて、写真家による写真語りの本。
今回はアラーキーだ。
2006年と、少し(かなり?)古い。
やはり、B5より少し小さい、写真集と呼ぶには小ぶりの本。
内容は、組み写真とコメントの組み合わせ。
私も、子供が小さい頃、盛んに家族の写真を撮ってはセレクトしてアルバム化して、コメントを付けるのを習慣にしていた。ウイットを込めた書き込みで見る人を笑わせては、自分も一緒に笑った。
本書の作りも、近いものがある。
というのは無礼千万で、写真のデキは無論、構成や内容も、出版物として対価を取り、読者に満足を与えるという、商業レベルを楽勝でクリアしたものだ。私の自己満足とは次元が違う。
アラーキーの写真をじっくり見たのは、今回が初めてのように思う。この自由奔放さというか、自分の感覚を開けっ放しにしていられるのは、ある種の才能のようでもあり。見ていて少し恥ずかしい反面、羨ましく、また妬ましくもある。
死ぬまでに、こんな写真を一枚でもいいから撮ってみたいものだが。昔のアルバムを見直せば、ラッキーがあるかも知れない。
あったらいいな。
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幸福写真 単行本 – 2006/5/1
今回はアラーキーだ。
2006年と、少し(かなり?)古い。
やはり、B5より少し小さい、写真集と呼ぶには小ぶりの本。
内容は、組み写真とコメントの組み合わせ。
私も、子供が小さい頃、盛んに家族の写真を撮ってはセレクトしてアルバム化して、コメントを付けるのを習慣にしていた。ウイットを込めた書き込みで見る人を笑わせては、自分も一緒に笑った。
本書の作りも、近いものがある。
というのは無礼千万で、写真のデキは無論、構成や内容も、出版物として対価を取り、読者に満足を与えるという、商業レベルを楽勝でクリアしたものだ。私の自己満足とは次元が違う。
アラーキーの写真をじっくり見たのは、今回が初めてのように思う。この自由奔放さというか、自分の感覚を開けっ放しにしていられるのは、ある種の才能のようでもあり。見ていて少し恥ずかしい反面、羨ましく、また妬ましくもある。
死ぬまでに、こんな写真を一枚でもいいから撮ってみたいものだが。昔のアルバムを見直せば、ラッキーがあるかも知れない。
あったらいいな。
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幸福写真 単行本 – 2006/5/1
◆ (単行本) 良い写真とは? 撮る人が心に刻む108のことば ― 2023/12/29 12:10
1950年生まれの著者が、2017年に出した本。白黒写真とコメントが交互に来る構成だ。大型の写真集ではなく、B5より少し小さい。
著者は、写真を言葉で「も」伝えたい同種の出版を多数持つ。本書もその一つらしい。(この一冊しか見ていないので、よくは知らない。)
本書で、写真を語る言葉は、箇条書きになっている。初出は、いい写真を撮るにはどうしたらいいか、いい写真とはどんなものか、つらつら考えるうち、わかりやすいと思われた言葉をツイッターに投稿していたものとのこと。その中から、108項目(煩悩と同じ数?)を挙げている。
写真は、撮り下ろしではなく、アーカイブから選ばれたもののようだ。他の著書と同じ写真が、少なからずある。
本書で著者は、見た人が元気を出せるのがいい写真であり、写真家は、いくつになっても若い気持ちで撮影するのが肝要だと、繰り返し説いている。
その主張が的を射ているのか、私にはわからない。
たぶん、読者(の撮影スタイル)にも依るだろう。
個人的な印象だが、著者の写真の印象は、スナップ分野の優れた先達に学び(スタイルをある程度踏襲し)、それを生かすチャンスを、被写体に与えられた幸運を感じさせた。
そして、本書の著者の言葉は(自身の来歴語りも少なくないのだが)、そのラッキーに対する感謝と言い訳が、ない交ぜになったもののように感じた。
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旧版
良い写真とは? 撮る人が心に刻む108のことば (SPACE SHOWER BOOKS) 単行本 – 2017/3/31
新版
良い写真とは? 撮る人が心に刻む108のことば 単行本(ソフトカバー) – 2021/6/2
著者は、写真を言葉で「も」伝えたい同種の出版を多数持つ。本書もその一つらしい。(この一冊しか見ていないので、よくは知らない。)
本書で、写真を語る言葉は、箇条書きになっている。初出は、いい写真を撮るにはどうしたらいいか、いい写真とはどんなものか、つらつら考えるうち、わかりやすいと思われた言葉をツイッターに投稿していたものとのこと。その中から、108項目(煩悩と同じ数?)を挙げている。
写真は、撮り下ろしではなく、アーカイブから選ばれたもののようだ。他の著書と同じ写真が、少なからずある。
本書で著者は、見た人が元気を出せるのがいい写真であり、写真家は、いくつになっても若い気持ちで撮影するのが肝要だと、繰り返し説いている。
その主張が的を射ているのか、私にはわからない。
たぶん、読者(の撮影スタイル)にも依るだろう。
個人的な印象だが、著者の写真の印象は、スナップ分野の優れた先達に学び(スタイルをある程度踏襲し)、それを生かすチャンスを、被写体に与えられた幸運を感じさせた。
そして、本書の著者の言葉は(自身の来歴語りも少なくないのだが)、そのラッキーに対する感謝と言い訳が、ない交ぜになったもののように感じた。
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旧版
良い写真とは? 撮る人が心に刻む108のことば (SPACE SHOWER BOOKS) 単行本 – 2017/3/31
新版
良い写真とは? 撮る人が心に刻む108のことば 単行本(ソフトカバー) – 2021/6/2
◆ (単行本) 電柱マニア ― 2023/07/14 10:17
いや、いろんなマニアがいるもんだなと。(笑)
しかも、電気・電子関連の技術書籍を扱うオーム社による刊だ。何事かと思ってしまう。
実際、電柱の仕様を、あれこれ解説した本だ。
確かに勉強にはなるのだが。
この知識は、素人には全く使いようがない。(笑)
工場萌えとか、廃墟とか、妙にエッジな分野を狙った写真集が、このところ、よく見られたが。
その亜種とも思しき、電柱萌え的なページもあり。
とはいえ、これが楽しめるかどうかは、かなりの度合いで、人に依るだろう。
蓼食う虫も好き好き。
私もその手の虫ではあるが、少々種類が違ったようだ。
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電柱マニア 単行本 – 2020/9/19
しかも、電気・電子関連の技術書籍を扱うオーム社による刊だ。何事かと思ってしまう。
実際、電柱の仕様を、あれこれ解説した本だ。
確かに勉強にはなるのだが。
この知識は、素人には全く使いようがない。(笑)
工場萌えとか、廃墟とか、妙にエッジな分野を狙った写真集が、このところ、よく見られたが。
その亜種とも思しき、電柱萌え的なページもあり。
とはいえ、これが楽しめるかどうかは、かなりの度合いで、人に依るだろう。
蓼食う虫も好き好き。
私もその手の虫ではあるが、少々種類が違ったようだ。
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電柱マニア 単行本 – 2020/9/19
気ままに、デジタルモノクロ写真入門(単行本) ― 2022/06/26 03:48
白黒写真が好きである。
虚飾を廃した、エッセンス、本質、qualityだけを端的に抜き出す、その潔さがどうにも魅力だ。
凡そ、物事には、二つのタイプがある。
「シンプルで、本質的だが、たおやかで、手がかかるもの」
「気軽で、便利だが、複雑で、使い捨ての消耗品」
実際に手にできる「モノ」も、
思想や芸術、経験のような「コト」も、
世にある物事は、この二つの間にある。
本当は、「シンプルで本質的で、それ故に盤石なもの」が理想だし、それこそが真実だと、思い込んでいるものなのだが。
そうは行かない。
理想は、我々の創造物であって、実在しない。
だから、いくら追い求めても、まみえることは決してない。
人間という動物の限界でもある。
人は、自分が何を考えているかをわきまえないと(哲学とも云う所作だ)、自分が何と相まみえているのか、分からなくなる。
白黒写真は、自分が見ているものから、何を見て取っているのかを、端的に写し返す。
その思考のキャッチボールが、時に、とても心地よく感じる。
そんな次第なので。
自分が何を見ているのかを端的に写し返す、優れた白黒写真を撮るというのは、ひどく難しい。
その技術は、かつて我々が昭和と呼んでいた頃に、職人的な技術として発達した。いわゆる「銀板」、フィルムの時代だ。
それは、シンプルで本質的だったが、たおやかで、手がかかった。
その後、カメラは、半ば強制的に、デジタル化された。
他のものと同様、簡単、便利になるかと思いきや、そうは行かなかった。
裏で進むのは、複雑なセンサーで大量に取り込んだデータをプロセッサで処理してやっと画像を得られるという、めちゃくちゃ入り組んだ工程だ。
ただ、機械が勝手にやってくれるから、手はかからない。
逆に、手をかけて工夫する余地も、小さくなった。
一般に、デジタルを担う半導体回路は、修理が効かない。
基板ごと、Assy交換するしか手がない。
だから、LSIがディスコンになった時点で、製品のライフは尽きてしまう。
いわば、初めから、使い捨てを想定した代物だ。
それに、普通のデジカメは、そもそもがカラーを撮るための機械だ。白黒を撮るには、一旦カラーで撮ったものを、白黒に逆変換するという「行って来い」の工程となる。それは無駄だし、何よりも、そこで発生する断絶が、結果に偽りを含む契機にもなる。
シンプルさを信条としていたはずなのに。
この体たらくは何だろうか。
(光学的なウエットな思想と、デジタルのドライな思想の、相性が悪いのだが。)
しかし、せっかくの技術の進歩だ。
何とかして、デジカメで白黒写真を楽しみたいし、楽しめるはずだ。
その根本的な方法論は如何。
ずっと、思っていた。
本書は、そういった動機で、参考にできるかと思い、手に取ったのだが。
まあ、予想通り、全く違った。
内容は、基本的な用語の説明から始まって、フィルムとデジタルの双方の技術的な概観と、著者の白黒写真に対する思いと、そのノウハウの一端をご開陳したものだ。
この本にしかない情報というのは皆無で、写真が好きで少しかじった人ならば、ほとんど新鮮味はないだろう。
著者は、元は銀塩の専門家で、そちら方面の著書も多数ある。写真に対する考え方とか、実際の撮り方、何を撮ってきたかなど、既に書き尽くした人でもある。
本書は2019年の出版だが、その時、著者は75歳。お話の重心が、フィルムの方に偏るのは仕方ないし、そもそも「そろデジタルも書いておこうかね」といったノリなので、お話に要領を得ないのも仕方がないだろう。
フィルム時代を知らない若い人には新鮮だったりするのかもしれないし、そんな感じで読み飛ばされるべき本だろう。
なぜか今、世間では、若い人を中心に、フィルムカメラが流行らしい。
古くさい中古カメラが、高値で良く売れているそうだ。
片や、フィルムの値段は、下手をするとかつての10倍という勢いで値上がっている。
フィルムの現像・プリントを扱う店(昔はDPEとかラボとか言った)も、もうとっくに淘汰されていて、巷にはほとんど存在しない。あったとしても、やはり値段は爆上がだ。
一枚当たりのコストを考えると、昔の感覚に馴染んでしまった古参としては、気軽にシャッターを押す気分には全くなれない。
逆に、手持ちのフィルムカメラを処分する最後のチャンスでもあるわけだが、後戻りはできないし、変な愛着もあるしで、なかなか踏ん切りがつかない。
結果、古いカメラを携えたまま、ルビコンの上の思案橋をうろつき続けるという、体たらくを演じている。(老人の所作、そのものだ。)
きっと私は、ここで終わるのだろう。
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気ままに、デジタルモノクロ写真入門 単行本(ソフトカバー) – 2019/5/16
写真論――距離・他者・歴史 (中公選書 123) ― 2022/02/12 11:05
写真の発明から現在まで200年。その歴史を50年ごとに区切り、「距離感」に注目しながら総括する。そういう意図で書いた本だと、序章にある。
ただ、読んだ限り、その構成は、あまり重要ではないようだ。
もっぱら、写真の時系列のトピックや、著名な写真名の活動のうちで、著者が特に感じている事柄について、つらつらと書いている。世間で一般的かつ正式な写真史(←そんなものがあるのかは存じないが)ではなくて、著者の個人的な印象論に見えた。
まあそれだけに、新しい発見、「あの有名な写真家はそんなだったのか」や、「そんな写真家が居て、そんな影響があったのか」といった、学びにはなる。
ただ、その普遍性、仮にあなたが同じ写真集なり写真論を見たとして、同じように感じるかや、当時の人々が感じていたのかといった辺りは、事が印象論だけに、定かではない。いち読者として、ああ、そういう見方もあるかもなあと、やはり印象として、思うだけだ。
つい先月に出たばかりの新しい本だ。
私は、図書館の新刊コーナーでたまたま見つけて、手に取った。
著者が、このタイミングでこの本を著したのは、コロナ禍の影響が大きいようだ。
多くの人が、半ば強制により引きこもり、PCなりスマホなりの液晶画面を眺める時間が増えた。その結果、ネットに流れる映像の量も、また激増した。
写真家であり、印象論についての著書を多数持つ著者は、コロナがもたらした、そういった世の変化にインスパイアされ、写真が世に生まれてから、こうなるに至るまでの流れを、写真史としてまとめるに至った。どうも、そういうことらしい。それを感じさせる、ある種のうろたえというか、ためらいのようなものを、背後に感じさせる文章だった。
私は、フィルムカメラの世代であり、今でもそれを使い続ける、古い人間だ。世の中でフィルムが廃れて、デジカメに移り、さらにスマホに淘汰されるまでの流れを、ずっと横から見てきた。
そして今、静止画・動画を問わず、デジタル画像が氾濫する世にあって、それが当然あるべきものとなって久しい世の感覚、著者の言う「ポスト・フォトグラフィー」にどっぷりと浸かる世の中を、後ろから眺めている。
かつ、仕事でイメージセンサーを扱うので、最先端にも居るという、股裂き状態でもある。(笑)
かつて、写真は「記録」だった。今は「情報」つまり「相手を想定して何かを伝える手段」として、普通に使われるに至っている。
写真は今や、自分が得た印象を、ある意図をもって、他人に伝えるための道具なのだ。切り抜きや強調、行き過ぎれば改ざんも、当然あり得る。
撮影だけでなく、発信のインフラも整備され、簡単に、コストもかからなくなった。
そこにはもう、かつて写真が持っていたリアリティ、現実性、写実性へのこだわりは、見られない。
私はといえば、相変わらず、古いカメラの巻き上げレバーを手繰りながら、みんなして、何か大切なものを失くしたような気がしていたのだが。本書で、そんな感覚を思い出した。
写真家である著者にとって、写真は、記録ではなく表現なのだろう。かつて、そこはプロの独壇場だったが、今や、無遠慮な素人に席巻されてしまっている。その危機感なり恐怖感が、本書の背景にあるのだろうと感じられた。
本書の終章に近くに、 アジェ についての記述がある。アジェは、記録のために写真を撮り、それが後世になって表現として評価された写真家だ。いわば、記録と表現の間にある人なのだが、それを、他人の著作で語る辺り、著者が、自分の立ち位置に感じている、微妙な感情を表しているようだった。
しかし私は、ただの素人カメラ愛好家だ。今でも、何か真実っぽいものが写せたという自己満足を求めて、うろつくだけの老人だ。
そんな私にとって、本書が伝える印象論は独特だったが、相対的な視点に違いがあるだけで、優劣や、深度の差は感じなかった。
さすがに本を出すことはある、こんなに考え抜いているのか、こんなことまだ考えているのか、 そういった稀有な印象 は、得られなかった。
情報の量や質は、自分が持っているものと、あまり違わない。
ただ、アスペクトが違うだけ。
そんな印象だった。
古い金属カメラは、真冬はえらく冷たくて、触る気になれない。
だが、また、春が来る。
新しい季節を迎えられるのが、素直に、嬉しい。
また、桜が撮れるのだ。
その前に、梅も撮っておこうか。
手持ちのフイルムの使用期限が、過ぎていなければいいのだが。
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写真論――距離・他者・歴史 (中公選書 123) 単行本 – 2022/1/7
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