バイク読書中 「Vespa style in motion」 #162012/12/02 12:06

Vespa: Style in Motion


Vespaが売れたのは、技術的な性能や、乗った感じとか、優美なデザインといった「モノの属性」だけが理由ではなかったと思う。

Vespaは、生まれた当初から、「見せ方」にはこだわっていた。
「どう見えるか」を、いつも気にしていた。

下衆な言い方をすると、Vespaは、広告がうまかった。

Vespaが生まれた戦後の当時は、今のように、広告が満ちあふれている時代とは違う。顧客に情報をどう伝えるか、そのパスを探すところから始めないといけない。Piaggioは、製品をどこにどう露出すべきか、考え続けていたように見える。

キーワードは二つある。
高級感と、ターゲットの明確化だ。

最初のVespaを発売してすぐの頃、高級車Lanciaのショールームに展示した。こういった、ハイソな感じに配慮したやり方が、「安っぽくない乗り物」としてのブランディングに成功し、戦後の貧しい時代でもスーツを着ているような、ホワイトカラーにも受け入れられた、と 以前書いた。

Vespaの広告は、いつも美しい。絵だったり写真だったりいろいろなのだが、美しい女性が描かれた、凝ったものが少なくない。(以前に 何回か取り上げた。 ) こういう、飾っておきたくなるような、芸術性を帯びた広告は、ヨーロッパには少なくないのかもしれないが(Pirelli のカレンダーとか)、Vespaのは、戦後すぐの、まだ実風景が殺風景なころから、この調子だった。当時は、よく目立った広告だったろうと思う。

女性を前面にした広告のターゲットは、二つあったと思う。一つは、男性の目を引くこと(笑)。もう一つは、女性にも売りたかったのだ。実際、イタリア国内はもとより、輸出先でも、「ハイソでオシャレな、南欧の開放的な乗り物」として、女性層にも訴求できていた、とある。

そんなわけで、「見せ方」にはこだわっだ。
当時から、ウインドウでの配置などにも、うるさめのチェックが入ったらしい。


そんな「Vespaの見え方」に、大きく影響した要因が、もう一つある。
急激に売れたことだ。

Vespaは、数が出ていた。
世界中で、売れていた。
日常で見かける機会が増えるに従い、「Vespaがいる風景」は、生活に溶け込んでいく。

Vespaは「普通に在るもの」として、人々に受け入れられていった。
露出を意図するまでもなく、風景になったのだ。

そして、Vespaの「見え方」が完全にブレイクしたのは、何といってもこれだろう。

24歳のオードリーに、世界中がまいった。
1953年 Roman Holiday

これが、Piaggioの宣伝戦略の成果だとする記事をどこかで見かけた気がするが。 戦時中のハリウッドでも、撮影所の足にスクーターを使っていた というから、その感覚が当時の映画人にもあって、Piaggioの営業が撮影の現場に入っていた、というのはありうるかもしれない。しかし、Piaggioが前もって、これはオスカー級だからイッパツ入れとこうか、と狙ったわけはなかったろう。

私見だが、上で「Vespaはスーツのオジさんにもアピールできた」と書いたが、そういった戦略が、ここで活きたのだと思う。
だって、スーツのグレゴリーと、うら若きオードリーのタンデムが決まるバイクなんて、古今東西、他にありうるだろうか?。

宣伝戦略の成果なんていうチンケな話ではなくて、これはもう、一種の必然だった、と感じられる。

別な例として、こんなのもある。
1960年のポールニューマン。

これは映画のショットではなくて、彼は、撮影の合間に、このスタイルで地方を旅して回るのが好きだった、のだそうだ。危ないってんで、奥さんに怒られたりしてたらしいが。(笑)

つまり、これらのVespaは、Piaggioが「使ってください」と現場に置いていったというよりも、放っておいても勝手に使われるような状況に既にあった、ということだろう。宣伝よりも普及が先か、ひいき目に見ても相乗効果だったろう。

とはいえ、このオードリーのイメージが、Vespaの販売に及ぼした影響は小さくなかった。二匹目のドジョウ狙いは、この後も続いた。(007のボンドカーならぬボンドバイクなんてのも、この類だろう。BMWや新トラなど。)
後々、東洋の島国で、TVドラマでキムタクが乗ったバイクが流行ったりしたこともあったが。そんなマーケティングは、もうこの当時から使われている、相当に古びた手だと、そいういうわけだ。

話を戻して。

Vespaの「浸透」はその後も続いて、絵画なんかにも描かれるようになる。

「ローマの休日」のイメージは影響していそうだが。
何か意味深で、いい感じ・・。(1957年)

Piaggioも、露出の機会はちゃんと使っている。

1960年のローマオリンピック。
憧れの選手が、しれっと乗ってたりすると、カッコイイわけよね。

さらに、普及→浸透が進むと、ある種の、文化的なムーブメントとして、表面化してくる。

Modsですな。(1964年)
これが何を象徴したかったのか、私にはよくわからないんですが。

そして、1960年代も、後半にさしかかると。
Vespaは、ターゲットユーザーを若年層へシフトした、と先週書いたが。広告も、それに即したものに変わってくる。

いくら若年層てたって、コリャ若すぎだっぺ!とご心配のお父さん。当時のイタリアでは、14歳から免許なしで原付に乗れたんだそうです。

その新たな試みとしてか、「前衛的」な広告も出始める。
その一つが、先週の最後に挙げた「りんご」である。

直訳すると「ベスパなヤツはリンゴを食べる」。(1969年)

まず、何じゃらホイ?と目を引く。
で、後から、何となく、意味が伝わる。
(パルコ・・・って感じ?。古い?。笑)

ちなみに、リンゴは、聖書によれば、禁断の果実だ。
下衆に言ってしまうと、モテますよ、「堕落できますよ」と、そういうイメージを伝えている。

少し前、日本でも、同じような、ちょっと下(しも)に寄ったイメージで売る、林檎を名乗る歌手が出たが。あれと同じような感じかと思えば、わかり易いかも知れない。

もっとストレートなのも。
「今日、オレは海。」
(ISBN 88-7911-108-6)

普及→浸透→文化の連鎖は、外国でも見られる。

当然、我が国でも。
昨今のモノ運びバイクより、全然かっこいいと思うんだけど。
ちょいと重心が後ろ&高くて、乗りにくそうだが。

もう、映画やテレビなどのメディアにも、普通に使われるようになっていて・・・。

Modsリバイバル、by Sting (1979年)
今見ると、「若かりしころ」のイメージ?。ちと恥ずかしい・・・。

私などは、Vespaというと、つい「白のPX」を想起してしまう年代なのだが。そんなのはきっと、某TVドラマで、成田三樹夫さんの「工藤ちゃん工藤ちゃん」(1979年) 、あれに影響されているに決まっているのだ。(笑)

そして、ここまで来ると、もう不可欠な小道具のイメージ。
(1993年)

ホンダのカブなんかは、あんなに台数は出ているのに、こういう映像関係に使われたのは、ほとんど見た記憶が無い。やっぱり、Vespaの「絵になる」所、見られる視線をいつも気にして育って来た、素性の違いを思わざるを得ない。

そんなわけで、今でも、 バリバリ使えて、乗って楽しいイメージ を維持すると共に、巨大な日本勢を向こうに回して、主戦場のアジアでも戦えているという。

イタリアのバイクメーカーとしても、特異な地位を保持しつつ、今日に至る、というわけだ。


以上、「外から見たVespa」を超・早足で概観したわけだが。

こうやって見てくると、世界中で、生活の風景に溶け込んだ「Vespa」は、それがもつ「芯」のようなものを、ずっと保って来ているようにも思う。

だから、今でも、そのブランドを維持できているのだろう、と思う一方。
その「芯」が体現しているものを、はっきりとつかめたとは言い難い。
(ここしばらく、ずっとこのブ厚い洋書に取り組んで来たわけだが。余計わからなくなった感すらある。)

もし、あなたが、並み居る日本製スクーターではなく、Vespaを欲しいとお思いなら。
「そのココロは?」と問うてみたい。

その、「Vespaが体現するもの」もそうなのだが、私は、Vespaの他(我々)が、それと同じような、強烈なもの、永く続くものを体現しえなかったのはどうしてなのか。そこを知りたいと、ずっと思っていて。
考え続けている。




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