バイク読書中 「Vespa style in motion」 #172012/12/09 07:35

Vespa: Style in Motion



この厚さの洋書なので。さすがにホイとは読めませんな。いくら写真が多いとはいえ。

当初は、もっとコンパクトにまとまるかなと思っていたが。もう冬になってしまった。(確か、始めたのは夏・・。) 書いてる本人も、いいかげん飽きてきたので。もうそろ終わりにしようと思う。

先週は、視点を外に置いてみたが。今週は、また内側視点で、現在に至るまでのVespaの内実、「Vespaは何を考えていたか」を、大股で書いてみる。

時系列でいうと、前々回の続き、前回の後半となる。

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1965年にEnrico Piaggioが亡くなって、経営層が世代交代した後、Vespaのプロダクト も、世代を変え始める。それは、経営層の考え方が変わった、というのもあるのだが。市場の方が大きく変化して、それを追わざるをえなかったのだ。

60年代の後半は、二輪車の市場は、本格的な大型バイクと、ミニマムサイズの原付(モペット)に、大きく二分されて行く。原付の方は、Vespa 50で対応したが、それまでの売れ線だった125~200ccのクラスは、市場では微妙な存在になってしまった。実際、売り上げは芳しくなかったらしい。

1969年に、Gileraを買収した。スクーター専業から脱皮して、モーターサイクルのラインナップも揃えるのが目的だったと。

「もしもし?聞こえる?。
 もう小一時間も、こっちを見つめてるヤツがいるの。
 Gileraを見たことがないみたいだわ。」
あのブリリアントな広告スピリットは、まだ健在。
バイクの方は、あんまりパッとしないけど。(笑)

1970年代、世界的に景気がかげりを見せ始めた所に、オイルショックが追い討ちをかける。ガス食いのクルマを置いて、ユーザーが二輪に戻ってきてくれるかと思いきや、そうは甘くなく。売れ線は、小排気量モデルに限られたままだった。

1971年に、InnocentiがLambrettaを売り飛ばして、二輪から撤退した。
Piaggioも、トラクターやボートなどにも参入して、食いぶちを探していた。

Piaggioのロゴマーク、見えます?。

そんな時代だ。
Vespaは、どうあるべきか。
Vespaとは何か。
もう一度、考え直した。

その答えの一つが、ET3だ。

1976年

ちょっと前まで、Piaggioのメインの売れ筋だった「125cc」だが、この時代はもう、小排気量のイメージだ。軽く小さく、スリムでコンパクト。気軽で軽快な、若者のイメージ。エンジンや電装は従来から大幅にリバイズしていて、この大きさでタンデムも楽勝。しかも燃費がよくて、乗るのが楽しいという優等生だ。

昔、フェンダーライトの頃の、うす緑色の実用車のイメージからは完全に脱却して、どちらかというと、Vespa 50のポップなイメージを引き継いだ。しかし時代を反映してか、色は、多少おとなしめの紺だったりする。


30歳になったVespaは、「できる中堅」に成長した。そして、この後の、イタリアの政治と治安の混乱の80年代を、底辺から支える役回りを演じる。

イタリア国内の二輪市場は、60年代初頭からは原付の時代だった。原付市場は、70年代を通して成長し続け、80年代に入る頃にピークを迎える。台数は出ていたが、単価はおいしくないので、折角つかんだ新しいユーザー層を、どうにかして上のクラスに移らせたかった。それは、当時のイタリア二輪メーカーに共通した願いであり、課題だったらしい。

それまでのVespaの血を内外に明確に引き継ぎつつ、設計は、時代に合わせてリバイズした。その成熟モデルの投入は、そういった状況への、もうひとつの答えでもあったろう。

1977年

と同時に、そういったものを求めてやまない、従来からのコアなユーザー層にも、ばっちりと響いたようだ。

1980年に、パリダカで乾燥、もとい完走。
SSDTの栄光、再び?。

これらのモデルは、80年代の前半に、Vespaを支えるのに成功したものの。
80年代の中盤になると、業績は、また深刻な不振に陥る。

主な原因は、日本車だ。
オートマで、運転が楽で、造りも値段もそれなりで。 既に、量で世界を席巻していた日本車の脇で、Vespaは、「かすれた存在の一つ」だった。

見回せば、英国の二輪業界は全滅。後は、BMWとハーレーがちょろちょろ。残りは、微小な「その他大勢」。

1983年に、やっと、オートマのPKを出したが。既に、そういう問題ではなかった。

1987年。Piaggioは、大きな変革を試みる。

まず、Vespaの名を捨てた。
革新的な機構、構造を多数織り込んだ、真新しい機体を設計した。
それは、製品としての「モノ」だけではなく、その背景にある、設計、開発、製造の全て、その一式を、最新型に入れ替える試みだった。

その名はCOSA(コーザ)。
ある意味、日本車を追っただけ、とも。

排気量別にシリーズ展開もしたのだが、これは、ビジネスとしては失敗だった。

Vespaの時代の可憐さが失せた無骨なルックスは、プラスチッキーな質感とあいまって、言う程は斬新じゃなくて・・・、ぶっちゃけ、パッとしなかった。

さらに、盛り込まれた新機軸のいくつかは、品質に対する疑念を惹起しただけに終わったようだ。

まるで、Piaggioの迷いが、そのまま反映されているような製品だったのだ。

広告もパワーダウン。にしても安っぽい・・。

Piaggioは、40歳になって、ミッド何とかクライシスにでも陥ったかのようだ。
で結局、メカ的にも、ビジネス的にも評価が枯れていた、その前のモデルの路線で、しのぐに至る。

そして、そこから這い出すのに、さらに10年を費やすことになるのだ。



(その間の、経営や資本関連のゴタゴタは、面白くないので略します。)


さて。

今でも、ET3やPXなんかは、ちょっと探せば、その辺に中古がまだ転がっているし、パーツの供給にも問題がない。皆さんが、実際に触れてみることも可能だし、稼働している実物をご覧になる機会も十分にあるだろう。私が文献を調べて、あれこれ書く必要もないと思う。

そして、その後の、現行のモダンモデル達だが、それこそ「今そこにある存在」なので、それが持つ意味、それがVespaを名のる所以は、ご自身で、実際に見て触れて、確かめていただきたい。

そしてもし、何かを感じたなら。
そいつを是非、教えてほしい。





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