バイク読書中 「Vespa style in motion」 #192012/12/23 07:17

Vespa: Style in Motion


最後に、これを書かないわけにはいかない。
Vespaには、四輪のクルマもあった。


1949年から、実際にマーケティングをしていたという記録が残っている。Vespaの創業は1946年だから、既にその当時から、四輪進出の構想くらいはあったのかもしれない。
ひょっとして、Vespaのプレスモノコックは、当初から四輪進出を射程に入れたものだったか?と、邪推したくなるタイミングだ。

機体のコンセプトも、Vespaとほとんど同じだ。
必要十分の性能とユーティリティを、皆が買える値段で。

これと同類のミニマムサイズの四輪車は、同じ1940年代終盤から出現していて、今ではひっくるめてバブルカーと呼ばれている。(あっさりしたWikipediaは こちら 。)
このカテゴリーには、小うるさいマニア、もとい大変にお詳しい方が、たくさんいらっしゃいそうなので(笑)。私は詳細は語らずに黙るのだが。
このVespa 400も、それに連なるものと考えていいと思う。

全長2.8m、ホイールベース1.7m
2ストローク2気筒393cc リアエンジン
ミッション3速
最高速度 90km/h
基本的に2シーターで、リアの空間は荷物または非常用

ドアを開けた風景。
(ISBN-88-87748-80-2)

キャンバストップの上から。
(ISBN-88-87748-80-2)

バッテリーは、口の中にある。
(ISBN-88-87748-80-2)

同じカテゴリーのライバル達を時系列で追うと、
 1953年に イソ・イセッタ
 1955年に メッサーシュミット
  同じ年に、 ゴッゴモービル
  さらに、遠い東洋の島国で フジキャビン

Vespa 400と同じ排気量の2stエンジンを載せるGoggomobilは、同じくスクーター関連の工場で組み立てられていたとある。その小さなクルマが結構売れて、けなげにもアウトバーンを疾走していた事実は、Piaggioを勇気付けたようだ。

Vespa 400は、満を持して、1957年に日の目を見ることになるのだが。
何と、FiatのNuova 500と同期というタイミング。
この辺からして、不吉なのだが。
実際、その通りになってしまう。

基本設計は1952年ごろ。それから5年を経た設計は、既に古臭く見えた。(機械的な信頼性も、まだ少々ナンだったらしい。)
しかも、まだ量にリーチできていなかったせいか、ちょいとばかし高かった。(量産効果が出ていなかった。)

初めから量を作れなかったのには、わけがある。
本国であるイタリア市場を、初めから諦めざるを得なかったのだ。

「FIATとの、公然の密約に従う必要があった。」

Piaggioは、イタリア乗り物業界の異端児ではない。どちらかというと、体制側だ。(2代目はアニェッリ家だし。) 当然、業界のしきたりには歯向かえない。

Vespa 400は、提携先の一つである、フランス中部のフルシャンボー工場で作られていた。バブルカーのメイン市場の一つであるフランスや、ベルギーでは健闘したらしいが。既にライバルの後を追う立場にあり、浸透は難しかったようだ。

アメリカ市場にも進出を試みたが、当初の予想通り(?)、こんな小さなクルマの市場は、たとえセカンドカー用にもありはしなかった。61年に豪華版 4速の「GT」を出したが、そういう問題じゃなかった。

イベントもやったけど。

モンテにも出ている。当然、完走。(28th、1959年)

パリ~モスクワって、どう?。
(ISBN-88-87748-80-2)

雑誌の表紙。オシャレです。

Vespaでおなじみの、華麗なブランディングを駆使しようとした痕跡はあるのだが。Vespaの時の見事な立ち回りとは違って、妙なぎこちなさというか、ためらいのようなものを感じる。

確かに、FIATに「鈴をつけられていた」事情はあるにせよ、技術的にも、市場に出すタイミングも、微妙に外している。

もう少し早く出せていれば、FIATが、トポリーノで得た市場を600で外して、500で挽回する、その間に市場に入れただろうに、と残念がる論評もあるようだが。当初からイタリア市場を度外視していたのでは、それも真実ではなかったろう。

端的に、Piaggioにして、手を伸ばしても届かなかった市場、とも言えるのだが。何となく、奥歯に物が挟まったような情報しかないし、もう1つ2つ、裏がありそうな印象だ。

結果として、Vespa 400は、「小さすぎた最初のグー」で終わってしまう。

その後、1960年代に、バブルカーの市場はしぼんでしまい、一旦、市場から消える。だがその後も、都市交通が激化したりで、スモールカーに注目は絶えなかった。大量生産に裏打ちされた、信頼性とコストの安さを兼ね備えた良質の小型車には、需要があったのだ。

Piaggioは、Vespa 400が市場から撤退した後も、スタディは続けていた。

スライドドアなどの画期的なアイデアを盛り込むと共に、エンジンは4ストローク化して信頼性を高めた。

しかし、1966年に、当時の社長であるUmberto Agnelliによって、中止命令が出ている。
理由の一つは、「Fiat500の後継機にカチ合う」だったそうだ。
FIAT126あたりのことだったのだろうか。
その後も、Fiatは、この市場を、おいしくいただく(または、政治力で死守する)ことになるのだが。

こんな斬新なスタディもあった。

実物大モックアップ。近未来チック、かつ・・・憎めない?(笑)。

近ごろ話題の、スモールEVあたりにブラッシュアップしても、斬新なイメージで通用しそうなデザインコンセプトと思う。

この発想。

今の日本に、いやずっと、日本にはなかったもの。
Vespaを、Vespaにしていたもの。
何となく、同じにおいがする。


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Vespaの連載(?)は、今週で終わりにする。

インドは書けなかった。

ごめんな。

怒んないでよ。
え?怒ってない?。すいません・・・。

こんなのもあったんだけどね。
Vespaの合体ロボ。 ガッシーン!→ 飛行。(うそ)
(ISBN-88-87748-80-2)


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最後に、本書の印象をまとめておく。

Vespaの全てが詰まっている洋書だ。その気になれば、「Vespa正史」について、かなりの情報を読み解くことができる。今回、私が書けたのは、ほんの1~2割の印象だ。

とにかく写真が多いので、ぱらぱらめくっているだけでも、十二分に楽しめる。本連載でも、写真はほとんど本書から引用した。(本書以外から引用したものには、ISBNを併記した。)

見逃せない本書の効用(?)は、もう一つある。
洋書が本棚にあると、通(つう)だな、って感じがするものだが。(笑)
本書は、結構厚いので、背表紙の迫力も満点だ。
Vespaフリークの方だけでなく、「通」の皆様にもお勧めだ。

選挙のせいで、円が揺れているようだ。洋書を買うのもバクチィですな。


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Vespa: Style in Motion

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