バイクの上半分 62013/08/25 06:04



バイクに乗るのに、物理はいらない。
身体が勝手に動くから。
むしろ、無意識に、身体が勝手に動く位でないと、危ない。

つまり、バイクを動かす動作プログラムは、無意識のレベルにまで、深く適応している。

しかし、これが意識に上ってくる場合がある。
最適化や、校正が必要になった時だ。

例えば、ブレーキレバーのタッチが、いつもと違う。
おやっ?と思う一方、ああ、この間調整したからだな、だったり、そろそろ調整しなけりゃな、だったりするが、そんなことを考えつつ、握りの操作を変えることで、いつも通りの、車体の動きを体現していく。
そうやって、また、「握り」の感覚を把握した辺りで、「ブレーキングの動作プログラム」は、無意識レベルに引っ込んで行く。

思うに、バイクの乗りこなしを決めるのは、この最適化の、スピードと量(巾かな?)なのだろう。

タイプの違うバイク、例えば、スポーツ車→オフ車に乗り換えても、苦もなく乗りこなしてしまう人というのは居るものだが、それは、最適化のスピードが速いのだ。

また、右チェンジと左チェンジを、苦もなく乗れる人というのも居るが、これは、両方の「ギアチェンジのプログラム」を持っている、つまり、保有しているプログラムの量(または巾)の問題となる。

一方で、もし、「プログラム」の範疇を逸脱する事態に遭遇した場合、どうやっても対処ができない事態に陥ってしまうと、プログラムも動きようがなくなり、停止してしまう。「頭が真っ白になる瞬間」とは、このことではなかろうか。

どうだろうか。
「プログラム」の正体の把握は、ライディングスキルの向上にも役立ちそうではなかろうか。(必須かもしれない。)

「プログラム」の校正を行うのは、端的には、センサからのフィードバックだ。

「いつもと違う」という感覚は、言い換えれば、「プログラムが期待するゲイン」と、「実際の結果」が違う、ということを意味している。

やはり、キーは、この、身体と外界が接する、エッジの界面にある。

前者の、「操作に対するゲイン」とは、機体の特性のことだ。
ブレーキを例に説明すると、「タイヤの性能を全て遺憾なく発揮できるのが良い機体だ」と考える技術者(メーカー)は、強力なフロントブレーキを付けたがるだろうし、「パニックブレーキでもライダーを安全に保ちたい」と考える技術者(メーカー)は、ブレーキの効きは緩く設定するだろう。良し悪しの問題ではなく、思想や戦略の話なのだが、設計者にとって、「バイクはこう動くべきだ」と考える設計思想が確としてあり、それを実際の動特性として体現できるか、そこが、プロとしてのセンスであり、スキルなのだ。一方、乗り手にとっては、上記の極端なブレーキを連続で乗ることを考えてみればわかると思うが、機体の特性は生死に関わる重要な問題だ。しかし、こればかりは、無意識では見えない。ちゃんと意識して、追ってやる必要がある。

後者の、「実際の結果」を感じ取るのは、ライダーのセンサー情報の処理能力、つまり、感性だ。機体の「特性」、入力対する「ゲイン」を感じ取り、実際にどう動作として体現できるか、「特性」を現実に引き揚げるよう、機体を操ることができるのかが、乗り手のスキルだ。その入り口を、乗り手のセンサ(感性)が担っている。とても重要な役割なのだ。

そして、技術の進歩とは、このふたつの相克を手探りで最適化する、作業の連なりでもあった。


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The Upper Half of the Motorcycle: On the Unity of Rider and Machine

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