バイクの上半分 72013/09/01 05:15



バイクのご先祖様は、自転車だ。
そも、バイクという呼び名自体、バイシクルの略である。だから、外国では、「バイク」は自転車のことだったりする。こっちの、エンジン付きのバイクの方は、モーターバイクとか、モーターサイクルなどと言う。
でも、「バイカー」となると、エンジンつきの方で、古式豊かにガラのよろしくない方々を指したりと、なかなか、ややこしい。

さて。
自転車の歴史を、ざっくりとおさらいする。

今や、詳細な情報は、検索でナンボでも出てくるので。
細部は端折る。

まず、19世紀初頭に、Drais伯爵が、二輪の乗り物を発明した。
のが、初め(らしい)と言われている。
「Draisの」という意味で、本書ではDraisian、巷ではドライジーネとか呼ばれる型だ。

タイヤは前後に二つの single track で、パッと見は、今の自転車に近い。ただし、ペダルは無くて、フレームに打ち跨り、地面を足で蹴って進む。
前輪は、一応は舵角があるが、回転軸は地面に真っ直ぐで、キャスターもトレールもない。セルフステアが全くないので、ステア機能は、全て自分でハンドルを回して、実現せねばならない。

今の我々からすれば、相当に乗りにくそう、というか「使えない」代物だったように思わるれが。実際は、そうでもなかったらしい。

まあ、初めは、よちよち歩きだ。
よいしょ、よいしょ。

でも、そのうち、コツがつかめてくる。
左右の足で漕ぐタイミングと、ハンドルを左右に当てるタイミングが、だんだんと、合ってくる。
すると、漕ぐ間隔、つまり滑走距離が、伸びてくる。
ぐーん、と。
おや、意外と・・・速くね?。
てか・・・どこまで行くんだ~!。(笑)

人間が、これを乗りこなして行くに従い。
 もちょっと、何とかなんねえの? → こうすれば!
の連鎖というのは、興るものだ。

まず、ペダルが付いた。
まだチェーンがない時代なので、車軸に直付けである。

これで、スピードを上げようとすると、車輪の径をデカくするのが手っ取り早い。 てか、それしか手がない。

で、本書ではpenny-farthing、巷では、オーディナリーとか、ダルマ型、などと言われるタイプの登場だ。


どうしてもスピードが欲しい人(居るよね今でも)は、かなりデッカイ車輪をあつらえて、跨ったようだ。人の背丈大の車輪もあったようで、スピードは、今のロードバイク(自転車の方ね)と、同じくらいだったという。

とはいえ、そうではない人、あまりスピードは求めない人(例えば女性とか)のニーズも当然あって、自転車業者は、「アナタのお好みを、おあつらえ致します」的な所でも、競ったりしていたらしい。

でも、このダルマ型は、廃れてしまった。
次の、セーフティ型と呼ばれるタイプに、淘汰されたのだ。

チェーンが発明されて、距離が離れた2軸間でも動力が伝達できるようになった。さらに、ギア比でもって、車輪の駆動量を調整できるようになった。
前輪のステア軸が傾斜して、セルフステアが実現した。
もう、基本構造は、今の自転車と同じである。

この、セーフティ(安全)型という呼び名だが、端的に、前のダルマ型が、危険だったことを示している。

まあ、あの、どデカい前輪の上という、ハンパない高い位置に乗って「発進」するのもエライと思うが。(別途、それなりの足場が要る。)もっと怖いのは、止まる時だ。

ブレーキはないので、足を踏ん張るだけ。(さして効かない。)
まあ、何とかスピードは抑えられたとしても、急減速すれば、前にのめって落っこちてしまう。
長い下り坂だったりすると、もう、地獄に向かってまっしぐら、となる。

今、ブレーキどころかディレーラーまで付いた、新しくて便利な自転車に乗っている我々が、ダルマ型を評すると「アホやなコレ」となりかねない。

しかしだ。
何回か前の記事 で、実際にバイクに乗っないヤツに、それが何なのか、わかるわけない、という話をしたばかりだ。

ダルマ自転車に乗ったことがない我々には、そのライディングがどういうものか、判別できない。

さらに、著者は、この自転車の歴史には、技術的にも、しっかりとした理由があった順当なものだ、と指摘している。

まだチェーンがない時代に、自転車の利便性(スピード)を上げようとした時、これ以上のアイデアがありえただろうか。(アナタは思いつきますか?。)

そして、現に、ドライジーネやダルマを、乗りこなしている人々がいた。
その道具に、適応していたのだ。

ある意味、当然でもある。
道具は、人間に合わせない。
(合うように、作り替えないといけない。)
道具の順応のスピードは、人間の順応のスピードより、遥かに遅い。

だから、一般に、人間と道具が一体となって機能するシステム、man-machine system というのは、ほとんど、「人間がモノに順応すること」で成り立っている。

その変遷を振り返ると、man-machene system の歴史とは、機械が人間の能力を無理なく引き出せるようになるのを「待つ」歴史だ、とも言えるわけだ。

まあ、今見ても、バイクは、「エンジン付きの自転車」という基本構造から、それほど変わっていない。

チェーンまで、同じだったりする。これは、距離が離れた二軸間の動力伝達を、これ以上にシンプルに軽く(安く)実現できる機構を、まだ人類は思いついていないということでもあるし、セーフティ型の時のイノベーションを、未だ越えられていない、ということでもある。

さて。
話を、人間の方に移そう。

「機械が引き出すべき人間の能力」というのは、例えば、どんなことなのだろうか。


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