バイクの上半分 23 ― 2014/01/12 09:46
前回 、現実と自己イメージの一致が大切だ、という話をした。
ことライディングに関しては、インストラクターや先生が身近に居ない場合も多いが、トレーニングを工夫し繰り返しすことで、第三者の助けなしでも、現実認識能力の向上を望める、とある。
例えば、コーナーでバイクがどれだけ寝てるかを客観的に確かめるには、白いチョークなどでタイヤのトレッドを横切る線を引いておいて、どこまで消えるか見ればよい。確かに、「意外と寝ていないんだな」と、そんなことを確かめるなら、これで十分だ。そんな、ちょっとした工夫だけでも、明らかになることは結構あると。
と言いつつも、最も直接的な方法、つまり、映像として外から撮ってもらうことが、自分の乗り方を客観的に確かめるのに、最も確実な方法だ、ともある。(つまり、昔懐かしい「俺サ」は、ライディングスキルの向上に寄与していた・・・だから今でも、ライダースが、「ヒザスリ講座」で後を継いでいる、という論理的な帰結が。笑) 私も以前、たまたま?自分が走る姿を写真で見た際、脳内イメージとのあまりの差に、愕然とした記憶がある。
デジカメが普及した昨今では、動画を撮るのも簡単になったし、仲間同士での撮り合いはもちろん、三脚に立てて前を横切る(だけ)、のような手段もある。(投稿動画サイトでは結構見かける。) 以前に比べて、やりようは広がっているわけだ。
「ライディングの向上に対し、意識ができること」という話に戻ると、自己認識と現実の差というのは、大体は、自分が思っているほどは上手くないと認識すること、いわば、「負けを認める」方向の話になりがちだ。その辺が、精神的な「第一関門」になっているようにも思う。
本当に乗り始めの、10代の頃を思い出すと。バイクなんて、まず、仲間内の「ええかっこしい」が手を出して、それにつられて後が続く、というパターンが多かった。しかし、当のええかっこしいはとっとと降りてしまって、お前がバイクに乗るの?なんか言われていた真面目そうなヤツの方が、しぶとく残っていたりする。
この「第一関門」が、ふるいとして効いている証左かもしれない。
そんなものだ。
自分に対し、真面目に向き合えるヤツしか残らない。
そう。
だからこそ、日本のメーカーは「ええかっこしい」向けのバイクばかり作っていないで、公道で真面目に取り組んでいる「真の顧客」向けの道具を考えるべきだ、(Moto Guzzi という、いい先生が居たのにね!)というのが、私の主張な訳なんだが。
えーと。
戻して。
意識ができる大事な仕事の一つは、「予測」に代表されるリスク認識だ。
自分の外で起こるリスクの実態そのものは、自分の側からは、制御(コントロール)できないことも多い。だが、考える方向を逆に、自分の内面に向かって何ができるかを考えると、「自分が、何をどのくらい怖がるのか」、あるいは、「自分の中にある何を怖がるべきか」を認識しておくことが大事、とも言える。
我々の内面に存在するリスクの話だ。
以前、リスク認識は能力に影響する、という話を書いた。(高さ3cmの平均台の上は走れるが、3mのは怖くて走れないの法則。やることは同じなのにね。) 逆に、妙に上手くイッちゃっている感覚、「ハイ」に陥るのもよろしくない、ともあった。
整理すると、
・外部の危険には予測で
・内在する危険(すくみやハイ)には意識化で
立ち向かえる、ということだろう。
著者は、これらを包括し、拡張するような形で、「プランニング」という言い方をしている。直訳すると、「計画」だが。上のような、今、刻々と起り続けていることに加え、例えば、ツーリングのルートの策定から、トイレ休憩や給油のタイミングなど、ロングタームのものまで含むし、また、レースの一瞬の駆け引きのような、特殊な場合も含んでいるようだ。
要は、「起こるべくものを、予め並べておくこと」だろうか。
意識の整備、と言えるかも知れない。
さらに、そこへ向かって準備(鍛錬)をすること、「トレーニング」も、意識の役割とある。一種、冒頭の話に戻るのだが、特に独学の場合は、正確な自己認識が不可欠だと。
トレーニングは、習得や向上だけでなく、矯正の意味もある。無駄な、あるいは危ない癖を直すという、入り口の話もあるが、より深度の深い「行動プログラム」の変更を要する場合がある。これが実に厄介だと。
例えば、スポーツの場合、ルールや、トレンドが変わったりで、「やり直し」になることもよくある。既に、行動プログラムが高度に洗練されたアスリートの場合、その挿げ替えや変更は困難だ。えらい苦労(練習)の末に、「更新」に成功したように見えていても、新しいプログラムが、古いプログラムの上で代替をしているだけで、古いプログラムは、決してなくならない。そして、ふとした拍子で出てこようとしたりする。
そして、この「困難な更新」は、残念なことに、ライディングの世界では特に、必要になることが多いのだそうだ。(身につけてしまっている変な乗り方を、正す作業になるということ。)
たとえ、「長い間、安全に乗ってこれたベテラン」でも、客観的な技量としては、大したことがなかったりする。(熱心な素人に及ばない場合がある。) なぜかと言うと、「上達」というのは、意識的に着手して、実際にやり続けないと、成されない性質のものだからだ。
つまり、「これでいい」と思っているベテランは、上達しない。
本書流に言い換えると、「上達を目指すのは、意識の仕事だ」となる。
これが意外に難しい。
逃げ道も多いからだ。
実際、失敗の原因や理由を、自分以外のものに帰して、逃げることは簡単だ。(むしろ、そっちのスキルに長けている「だけ」の例も、少なくなかったりする。)
「コレがちゃんと動かなかったんだ」 (モノのせい)
「アイツが来るまで、上手くいっていたんだ」 (ヒトのせい)
ある意味、潤滑油でもあるし、実に便利なので。誘惑も大きい。
みんな普通にやっているし、そこから無縁であることなど、そうそうできない。
だが、本当は、実に残念な事態なのだ。
だって、学びや上達の機会を、みすみす逃しているのだ。
折角のチャンスだ。
ただやり過ごして済ませてしまうのではなく、上達に結びつける。
「負けを認めること」なんかに引っかかっていないで、現実を認め、自分の側に原因を求める。
そのためには、訓練が必要だと。
何だか、妙に説教じみた話になって来たが。
具体的な方法となると、簡単だ。
「失敗カウンター」
バイクに乗っている最中に、自分が「失敗だ」と思ったら、こいつを押す。
「失敗」の定義も簡単だ。
同じ状況なら、また同じことをするか?の問いに、
YESならスルー。
NOなら、ワンプッシュ。
これを被験者のバイクに据えて、「使ってみて」とやっても、初めは面倒だし、忘れている。だが、次第に使うようになるにつれ、面白い変化があるそうだ。
昨今のビジネス書あたりだと、失敗の数を可視化することで客観的な評価ができる、とかそんな話になりそうな所だが。全く違う。
大体、「失敗」と言ったって、いちいち覚えていはしない。
例えば、ツーリングから帰ってきて、カウンターが「52」とあったとして、全ての内容を言えるか?。
それに、そもそも乗っている最中は、失敗に詳細を、いちいち考え込んでいる暇なんてない。
単純に、カウントが次第に減って、上手くなって行くものだよ、という話でもない。
逆だ。かえって、増えて行く場合もあるのだと。
自分のミスに、厳しくなっているのだ。
何が失敗なのかを、冷静に見つめるようになる。
自分の失敗から、逃げなくなること。
「失敗カウンター」は、そのための道具になりうる、のだそうだ。
(いわば、「第一関門」突破マシーンだ。)
そして、その心積もりは、自分のライディングの質と向き合う、そのステージに立つための、初めのステップなのだと。
そうやって初めて、自分の失敗を感じ取る感覚を研ぎ澄ます(ファインチューンする)、本当の訓練が始まると。
そういうことだそうだ。
えーと。
一つ、老婆心で付け加えておきたい。
日本に、こういう西欧流のノウハウを、上のように簡単に紹介してしまうと、その本当を理解せずに、表層だけを導入して、結果として間違うケースが多い。
例えば、
単純に数字の変化を見つめましょう→評価しましょうとか、
いついつまでに減り始めないといけないとか劣っているとか、
そんなような、妙なことになるケースが多そうだ。
だから私は、あまりお気軽な紹介は、したくないのだが。
皆様におかれましては、くれぐれもそういうことにはならないよう、お気をつけ願いたい。
最後に、余談をもう一つ。
上で挙げた、「他人のせいにする」心の傾向だが。
人というのは、自分の能力の限界に近づいて、努力に対して成果が上がらない状況になってくると、その傾向が顕在化しがち、なのだそうだ。
つまり、グチや言い訳が増えるというのは、その人が、限界に近づきつつあることを示している可能性があると。
これは、マスツーリングなどだけでなく、職場なんかでも、生かせる教訓かも知れない。
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The Upper Half of the Motorcycle: On the Unity of Rider and Machine
コメント
_ 1km-diver ― 2014/01/12 21:57
「成功」カウンターというのを、ハンドル右にもつけてはいかがでしょうか。
_ ombra ― 2014/01/13 22:43
うーむ。
私のようなトロいオジさんは、「赤上げないで、白下げない」状態になって、混乱しちまいそうですね・・・。(笑)
私のようなトロいオジさんは、「赤上げないで、白下げない」状態になって、混乱しちまいそうですね・・・。(笑)
_ moped ― 2014/01/26 18:37
まいどです。
>人というのは、自分の能力の限界に近づいて、努力に対して成果が上がらない状況になってくると、その傾向が顕在化しがち、なのだそうだ。
いやー、耳が痛い。けれども、他責にするのは楽である一方で、学習する機会を逃しているとも言えるでしょう。
乗り物の操縦は、リアルタイム制御が必須なので、オフラインで訓練したことは、なかなか実行できないものです。
たとえば、マニュアルを熟読するとか、危険予知訓練とか。危険予知訓練では、実際の運転ならば1~2秒以内で判断しなければならないことを、数分かけて、じっくり危険要素を洗い出すものです。
確かに、気づきの機会には、なります。しかし、実行できるかは別です。
知っている、理解している、実行できるの3つには、大きなギャップがあります。
>人というのは、自分の能力の限界に近づいて、努力に対して成果が上がらない状況になってくると、その傾向が顕在化しがち、なのだそうだ。
いやー、耳が痛い。けれども、他責にするのは楽である一方で、学習する機会を逃しているとも言えるでしょう。
乗り物の操縦は、リアルタイム制御が必須なので、オフラインで訓練したことは、なかなか実行できないものです。
たとえば、マニュアルを熟読するとか、危険予知訓練とか。危険予知訓練では、実際の運転ならば1~2秒以内で判断しなければならないことを、数分かけて、じっくり危険要素を洗い出すものです。
確かに、気づきの機会には、なります。しかし、実行できるかは別です。
知っている、理解している、実行できるの3つには、大きなギャップがあります。
_ ombra ― 2014/01/26 20:42
毎度です。
> 知っている、理解している、実行できるの3つには、
> 大きなギャップがあります。
そうです。
そう思います。
そのギャップの、「仕組み」。
それを研究した痕跡が、どうも、本書には記されているようなんですが。
なかなか難解で。
読みあぐねています。(笑)
> 知っている、理解している、実行できるの3つには、
> 大きなギャップがあります。
そうです。
そう思います。
そのギャップの、「仕組み」。
それを研究した痕跡が、どうも、本書には記されているようなんですが。
なかなか難解で。
読みあぐねています。(笑)
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