バイクの上半分 252014/02/16 06:22



「メンタルトレーニング」の話の続きだ。

その最も有用な使い道の一つは、
「実際に練習するには危険すぎる、不測の事態への備え」
だとある。

事故への備えは、大切だ。
だからといって、「たくさん事故をしてみて練習しましょう」
とは行かない。

「ハイスピードコーナーでのスライド」をいきなり練習するのもムリだ。
命がいくつあっても足りないし、免許が何枚あっても足りない。
まずは、ロースピードでそろそろと滑らせてみる辺りから始めるんだろうけど、もしハイスピード域ではやり方が違うものだったら、これも練習にならない。

そも、モータースポーツは、有事の際のとっさの時に、最適な判断を、時間をかけて、論理的に、導き出す猶予が無い。どれが一番良いのかを、手持ちの選択肢から探している暇なんかないのだ。
「瞬時に、身体が勝手に動く」
ようでないといけない。
つまり、動作プロに頼ることになる。

ということは、自分が「何ができないか」を正確に知る(意識する)ことが必要、という逆説になる。

また、「有事の際」に、もし逃げ道があったとしても、それは、「探さねば無い」ものでは役に立たない。「既にそこにある」ものでないといけない(間に合わない)。

さらに、それをとっさに選べるかは、
「見つけられるかどうか」の問題ではなく、
(当然、既に見つけているとして、その上に)、
「その刹那に、そこへ舵を切る動作プロがあるかどうか」でお話が決まる。
そういう構造になっている。

その能力を、どうやって構築しておくか?。

著者は、最悪の事態を想定した、どこへ逃げるか?の『かもしれない運転』で練習しておくことで、「準備」は可能だ、と言っている。

今、前のクルマが事故って、横を向いて(道を塞いで)止まったとする。
その時、止まれるか?
どこへ逃げるか?

いつも、逃げ道を探すことを癖にしておく。
(いつぞやの、エラーカウンターが役に立つ、かも。)

無論、逃げ道が無いこともある。
なら、マシな方を選ぶ。
「突っ込むとしても、壁よりフェンスの方がマシだ」

「まずブレーキを」という、日本の教習所でありがちな教えは間違いだ、ともある。一番ありがちなのが、前のクルマがブレーキを踏んだからボクも→間に合わずにドカーン!というパターンだからだ。

公道では、本当によくあることなのだが、
「前のクルマに付いていっているだけ」状態にあるドライバー、
それが、一番陥り易い危険なのだと。

「道をふさがれて、逃げ道がなかったんだ!」
そんなケースでも、後で検証してみると、避けられる余地が結構あった場合がほとんどなのだそうだ。
後知恵のずるい言い方かもしれないが、現実として、「避けられる余地を見逃していた」ということになる。

いつも、「避けるマインド」で居ること。
それを、癖に、動作プロにしておくこと。

クルマと違って、なにせバイクだ。
逃げられる隙間は、結構ある。

逃げるとしたらどこか、を常に考える癖をつけておくこと。
例えば、クルマのお尻ではなく、クルマとクルマの間の空間の方に意識を置くこと。


よくある心理ゲームの図で言うと、
「人の横顔の方ではなく、花瓶の方を見ろ」
となる。


横顔の方を見ていると、有事の際にとっ込んじゃうからね、
というのが、ここでの認識論的な解説となる。

(クルマの間にしゃにむに突っ込め、と言っているわけではありません。日ごろ、そういう目でもって、有事の際の心の準備をしておきなさい、という意味ですよ。一応。)

一見、「道を塞いだ、行き場のない事故現場」でも、左右には「避ける余地」がふんだんに余っていたりするのだそうだ。

(クリックで拡大)

本書には、ギャップを越えて歩道に逃げる時の具体的な方法なんかも書いてあるが、くどいしネタバレに過ぎるので割愛する。


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The Upper Half of the Motorcycle: On the Unity of Rider and Machine

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