'90sのバイクの本(7) 三ない運動は教育か2015/08/23 08:22

1994年11月刊


3ない運動の成り行きを追ったルポタージュである。
毎日新聞の編集委員と、交通事故分析・安全教育の研究者の共著だ。

題名の通り、三ないの教育としての意義を追求する内容である。
いつぞや取り上げた類書 とは、かなり趣が違う、ちゃんとした本だった。

90年代のこの頃は、三ないからの脱却が目立ち始めた頃で、その変化を、教育現場で直に取材するという、絶妙のタイミングで書かれている。

三ない運動が始まり、盛り上がったのは80年代の前半。表向き、きっかけは「PTA連合会からの要望に応じて」ということになっていたようだ。

PTAとあるから、父母の側からの要請があったように思われそうだが、「教育委員会のヨメ」(無償で献身的なお世話を強制されているの意)と揶揄されるPTAが、自主的に何かを言い出すはずがない。(実際にPTA活動に携わったことがある方なら、ご想像が付くはず。) 先生の側の意向であったのは明白で、要は、言いだしっぺの責を免れるための策だったのだろう。

自分の中高生時代を思い出してみればわかるが、先生というのは、大体はお役所思考だ(公立校なら尚更)。そうではない先生も、いないことはないだろうが、いてもほんの数人、が現実だろう。

自分の高校の生徒が、バイクで死ぬ。これは、先生方にとって、2重の意味で落ち度になる。まず、生徒がバイクに乗る不良だということ。次に、死という最悪の結果を防げなかったこと。指導力と管理力の両面で、無能という烙印を免れない。

時代は、80年代の中盤。バイク界は、底辺の原付に着火したブームが、レプリカに向かって燃え盛っている最中だ。バイクのハードのスペックはドカンと一気に上がったが、操縦性にマージンは無くて、うまく乗るのは相変わらず難しかった。なのに若者は殺到して、路上の台数も見るからに増えたが、事故はそれ以上の勢いで増えていた。

あの頃の情景を思い出すと、各地の峠は、スニーカーでスッ転んで、路面でくるぶしを平らに削った若いトンビなんかで溢れていた。友人を亡くしたような経験をお持ちの、ご同輩も多かろう。

今考えると、全く信じられないのだが。
当時、若者がバイクに乗りたいという熱意は、こんなにも強かったのだ。

つまり、三ないを炎上させる燃料には、事欠かなかった。

お役人が、問題解決に用いる方法は、2つある。
「無かったことにすること」と、「終わったことにすること」。

バイクに乗れる16歳は、親にとっても扱いにくい年齢だ。親の言うことなんか聞きやしない、先生何とかしてください、そんな丸投げ型の親も少なくない。管理強化の名の元に、何かを「やること」ではなく、「やらないこと」で解決しようとする三ないは、一番簡単かつラクな、小役人が考えそうな手段だった。さらに、親と教師で利害が一致していたから、いかにも便利に吸収されて、すぐに定着した。

初めに口火を切ったのは愛知県だったそうだが、全国レベルでの実施を先導したのは神奈川県だったというのは、有名な話だ。(先頭を切って出てくるのがこの2地域だとういうのは、何となく納得できて笑える。)

1982年の高P連で採択されて、三ないは全国規模の方針となった。つまり、三ないは、お役人組織に生きる先生という職種にとって、デフォで守るべき命令に昇格した。と同時に、数少ない「職場の良心」を握りつぶす方便として、機能を始める。

一応、高P連での決議では、5年毎に方針を見直すことにはなっていたようだ。5年も経てば、校長先生は交代になるから、自分の任期さえ無難に過ごせば、後は次の校長が考えれば?と、そういう意味なのだろうと思われるが。まあ想像の通り、その5年毎の採択も、現状確認の大本営発表を繰り返す方便になっていて、議論がその方向で進むよう、周到な根回しがされていたとある。

田舎の高校なんかでは、生徒がバイクに乗れないと、単純に不便だったりするので、三ないに対する疑義のような意見も、一応は述べられる。しかし、「全体方針に従わない不届き者」としてさらし首になった後、あっさり無視されると、そういう筋書きだ。(筋書き以外のイベントも、事前に周到に排除される。)

以上でもわかる通り、バイクは問題なんかじゃなかった。
小役人ライクな、メンツとか都合の問題だった。
皆が知ってる通りだ。
だから当然、効果もない。

三ないに効果が無いことは、統計を見れば明らかだった。
90年代に入っても、事故(死)は増え続けていた。

生徒たちは、二輪だけではなく四輪の免許も取っていたし、クルマで死ぬ数も少なくなかった。死傷者数は、地域によって差が大きかったが、それは、三ない運動への熱心さよりもむしろ、交通環境(街中の混雑など)などの他の影響を示唆しているようだった。(そも、第?次交通戦争とか言われていたくらい、道路状況が荒れてもいたのだが。)

でも、先生というのは不真面目だった。学校でバイクを禁止された生徒が、仕方なく乗っていた自転車で轢かれて死んでも、それが自分のせいだなんか考える先生は居なかった。そもそも、生徒の事故の原因を考えて対処ようなんていう、真面目な先生が皆無だった。もう学校とは無関係の、卒業生の死因となれば尚更だ。

無論、少しだけはいた「良心」を持った先生は、この現実を前に動き出そうとはしたようだが。当然のように、無体な圧力がかけられた。(上記の不都合な統計を「なかったこと」にするとかそんな。笑) その状況を変えるきっかけが、お役人仲間でもある、警察からの支援だったというのは皮肉である。

校長先生は、自分の任期だけを、平穏に過ごせればそれでいい。
しかし警察は、増え続ける交通事故という数字からは逃げられなかった。

他にも、例えば、あの青木兄弟が高校生の時、学校側が突然に方針を転換し、「レースをやめなければ即・退学」と言い出した際に、紆余曲折の末、人権委員会の介入を招いたら、学校側の態度が豹変したと、そんな例も挙がっている。(小役人は、格の差なんかに敏感、かつ弱いのだ。)

警察(一部ではメーカーも)と連携した、交通教育が本格化し始める。
先陣を切ったのは、あの神奈川だったというのも有名な話だ。
(事故死が全国ワーストで、余裕が無かったのが効いたらしい。)

生徒向けのカリキュラムの検討が始まって、ようやく、「やらないこと」ではなくて、「やること」の難しさに、(良心以外も含めた)現場が気付き始める。何をどうやって教えれば、高校生が吸収してくれて、かつ事故の削減に効果を持つか。手探りの苦労と、事例の紹介・・・。

その辺りで、本書の記述は終わっている。

それから、20年が経った今。

少し調べてみたところでは、三ないは、「全国統一」という枠組みは崩壊したらしいが、取組みの熱意は地域別にマチマチという状況を引きずりながら、現在まで来ているらしい。

まあそれ以前に、若者が乗り物に対する興味をなくして、三ないそのものが無意味化したことの方が大きいように思うが。なにせ昨今では、営業に配属された新入社員クンが、実は運転免許を持っていないことが後から判明して人事が慌てたとか、そんな話もよく聞くご時勢だ。(若者界では免許取らないのがデフォ。)

想像だが、今の学校の現場では、三ないがあった頃の話を聞く方が難しいのではなかろうか。お役人にとって、大勢が変われば、その前のことは「なかった」ことになる。当然、担当者も消滅するので、それを語るお役人も居なくなるからだ。(戦中を語る職業軍人がごく少ないのと類似。)

そんなこんなで、もう過去の遺物のようにも思われる三ないだが、日々、バイクで路上に出ている身としては、それが終わった感じは、あまりしない。

三ない精神とはこじ付けかもしれないが、手近なバイクなんかを悪者に仕立てて、便利に現実逃避して安心したがる薄らバカは、今でもいくらでもいる。

逆に、バイクに現実逃避したがる連中も増えているような気がしていて、混迷の度を深めているように思う。

バイクには、現実逃避は通用しない。
(してもいいが、自殺と同じだ。)

ここ何年かで、ウチの周りだけかもしれないが、あの時の峠族のような軽装で、ピカピカの250ccで直線だけは妙に飛ばす、ヘッタクソなオッサンなんかを、よく見かけるようになった。その走りっぷりは、何と言うか、自分の居場所を確保して、できうる限り広げたいと、そんな瑣末な意図を強く感じさせて、妙に不快だ。

勘定してみると、最近、路上で事故を増やしていると話題の団塊リターンの皆様は、実は、三ないが盛り上がった当時に、それにもろ手を挙げて賛成していた親の世代、そのものなのだ。

実に納得しがたい矛盾だ。
バイクは子供にはダメだが、自分はいい、ということだろうか?

その考え方と、年齢からして、思い直して謙虚に上達というのは、期待薄な気がする。

教育や指導が通用しないのだとしたら、事態は、三ないの頃よりも、ゆゆしき方向に落ち込んで行っていると、思っていた方が良さそうだ。


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