バイクの本 ショベルヘッド・メンテナンスブック2015/10/04 07:04



道路の流れには、国や地域の人となりが出る。
と思っている。(私の勝手な持論。)

以前、出張で行った、とあるアジアの小都市では、無数に走るスクーター(125ccクラス?)が、クルマの渋滞を抜きまくっていた。「すごいよ」てなお話は、事前に同僚から聞いていたし、まあ最近は日本でも朝の通勤路は似たようなもんなので、すごく驚きはしなかったのだが。雰囲気は、ちょっと違っていた。

よくよく見ると、行動原理は単純で、「行けるなら鼻を突っ込む」という、それだけだ。ただ、抜かれる方が、怒ったり不快さを表す様子が、全く無い。抜かれる方は、自分のペースに完全に納得していて、抜く方も、自分のペースの方が速いから、タイミングを見て抜く、とそれだけだ。ぱっと見、全景はみすぼらしく(乗り物がボロだから)、間合いが近いので世知辛くも見えるのだが、「君は君、我は我なり」という、個人主義的なニュアンスが強く感じられて、どちらかと言うと、イタリア辺りの南欧の都市部を思い出させる流れだった。

対して、日本の公道では、速すぎても遅すぎても非難される。誰かに抜かれると「飛ばしすぎ、怖い、非常識」と怒るし、抜き際には「邪魔だ、迷惑だ、ずうずうしい」などと怒る。どうも、「丁度よい速度」のような基準があって、それを他人に押し付けていいというのが、基本の考え方のようだ。上にも下にも逸脱は許さない。そういう同調圧力が、かなり強い。 ただ、その「基準の速度」が、実は個人差が大きくて(例えば、クルマと自転車とか)、現実に突き合せると収まらなかったりするから、お互いに黙したまま曖昧にしておかないと、日々無事に過ごせない。そんな実情は、全景として、日本文化の悩みどころを、端的に表しているように思う。

同じことは、時系列でも言える。定点観測で、昔と今を比べた際の変化は、昔の人と、今の人の意識の差を表している場合がある。

私の若かりし頃を思うと、昔は、もう少し緩かったように思う。
各自のペースを許し合える幅があった、と言うか。
台数が少なかったので間合いが緩かった、ということもある。

それが、よりウルサくなったのは、気のせいかも知れないが、自己責任とか、コンプライアンスなどという単語が跋扈し始めた、世紀が変わった辺りだったように思う。景気が悪かったせいか、皆、お互いに許しあえる余裕を、どんどんなくしていた。同調圧力が厳しくなる一方で、「自分は大丈夫、普通だから」と無邪気に安心する心理が同居していて、その矛盾が、上記のような世知辛さを増していたように思う。

他方、その「強い同調圧力」を無視することで、存在感を表そうとする人々がいる。
バイクでいえば、「族」と「ハーレー」が最右翼だ。

族の方は、批判のし甲斐がないので捨て置くとして。(最近はオトナが多いから、ちゃんと料金払って高速乗ってたり、ホーリツは意外と守ってたりするので。批判のしようもなかったりするのだが。)

ハーレーの方は、いにしえの「ポリススタイルのハーレーおじさん・練り走り軍団」から、直近の「ついていくのに必死・店主催のツーリング軍団」まで、その稀有な内向きの文化を、長きにわたって維持している。

別に、ハーレーが特に悪いわけではないのだが。
ハーレーは目立つから。
図体も音もデカい。売れているから、数も多い。

「遅い方にずれている」というのもある。
乗り手の側の感覚としては、ハーレー軍団も、国産リッターレプリカ君たちも、自分のペースで走っているのは同じだろう。でも、追い抜き車線をブッ飛んでいるレプリカ君たちは、いつもほぼ一瞬で居なくなってしまうのに対し、追い抜くことを許してくれないハーレーさんたち軍団は、いつまでもいつまでも面前でブリブリとデカい音を出し続けてくれたりするから、より深く印象に残ってしまう。

全く、信号待ちの渋滞のすり抜けについて行こうと必死になった挙句、あらゆる路肩と車間に詰まりまくり、宿便と化している集団などを見るにつけ、店は、マイクロロンなどを店頭に並べる以前に、コーラックかボラギノール辺りを常備すべきだろうと、るる提案してやろうかと衝動が走る。(笑)

でも、実はこれも、事情は、昔と今で違っている。
そのニュアンスは、集団ではなく、単騎を見た方が、よりわかりやすい。

21世紀のハーレーは、自分で乗ってみるとわかるが、えらく乗りやすい。
アイドリングで車体をブルブル震わせたり、発進でワナワナとわなないて見せる所作などは、昔のワイルドなイメージを踏襲しているように見えるが、よくよく観察すると、わざとそのようにちゃんと設計してあるだけだ。(共振周波数/固有振動数を合わせてある。) 要は、「ただの演技」なわけで、昔々のハーレーのように、内部のワイルドさ(またはアンバランス)が、表面にわななき出たものでは決して無い。走行に関しても、手触りは実に素直で、今やこれ以上「乗りやすい」バイクはないだろうと思わせる程にこなれている。最近のハーレーが、「コスプレだ」と揶揄される由である。(他方、車重は変わらずかなり重いので、押し引きは相応の腕力と慣れが相変わらず要る。)

メーカーもラインナップは考えていて、水冷化を模索する一方で、苦しいエミッションにも関わらず空冷もリバイズしながら残してくれている。(水冷が売れないから仕方ないんだろうケド。) 入門クラスの883も健在で、街中でちょいとウサ晴らしに使うにはもってこいだ。でもこれ、日本車でいえば250ccの感覚なので、高速では「左車線を淡々と」になっちゃうし、タンクの用量が小さいから、ガソリンスタンドが少なくなった昨今では、足を伸ばすのは辛かろう。さらに直近では、世界的なダウンサイジングの方向性をフォローしてか、その下のクラス(125cc相当?)も増設して、敷居下げて(ウソ、売り上げを増そうとして)くれているようだ。でも、何だか、毒はどんどん抜けていて、よりコスプレ臭が強まっているように見える。

どれも車体の大きさからして小回りは利かないのだが、慣れればスリ抜けだって可能だし、周囲のペースに合わせるくらいは、お手の物のはずなのだ。

そんな「進化」したハーレーがもたらしてくれる折角のフォースを、しかし、乗り手が善き方向に生かしている例は、あまり見かけない。
いや、どちらかというと、ダークサイドで存在感を示している方を、よく見かけるような気がする。

抜かれそうになると、微妙にスピードを上げる。
はいれるスペースが開いたら、予め鼻を突っ込んでおく。
コーナーで、微妙なブロックラインを通る。
もっとあからさまに、仮想敵を据えて追い掛け回すとか。
(883系の勘違い君とかね。相手はイヤがって逃げ回っているだけ。)
何だか、「オレの方が上なんだから敬え」と言いたげなような。
勝手に上位に置いた自分を、相手に押し付けたがっている?。(バイクに限らず、近頃よく見かけるタイプかも。)

そんな風景を見ていると、どうも、ハーレーは、そのブランドイメージの一つであった「孤高のイメージ」、ひとり独力で淡々と旅をする、そんなシブいイメージからは、遠ざかっているようだ。

単騎の怖いハーレーさんは、昔から居た。
大概は外見からして怖くて、典型的なヒゲデブさんとかも居らした。

まあ、喋ってみれば、見た目の割りに、意外と気さくないい人で、どうも、走行ペースが周囲と合わないのは、当時のハーレーが、自分のペースでしか走れない乗り物だったと、そういうことらしかった。

ペースがかなり明確に決まっている乗り味で、乗り手も、そのペースがことのほか気に入っていて。
故に、そのペースで走り続けるから、合わないと。

そうかもなあ、と思う。
だって、そもそもは、あの広大な大陸を、淡々と走るための道具なのだ。
そう風景も変わらないし、自然も結構、過酷である。
その中を、飽きずに、淡々と、なるべく無事に、走り切る。
そのための道具を標榜していたはずなのだ。
「そういう設定でないと、やってらんねえだろ?」と。

いや。
ただの想像である。

単純に、機械の設計やセッティングに、余裕がなかっただけかもしれない。
本当のことは、わからない。

でも、もし「ハーレーが体現したかったもの」、ハーレーの魂が、明確にあったのだとすれば、それは、あの当時の方が、より濃かったことだけは確かだ。

なら、「薄まってしまった」今の機体とは、どこが違うんだろうか。

ショベル、いや、ハーレーをバラす手順というのは、本書で、初めてじっくりと見た。

本書はハーレーのメンテ書だが、他の同類の書籍と同じで、素人がこれを読んだ所で、何か役に立つわけではない。オレ、インチの工具もSSTもない、ただの丸腰なんだ~と改めて気付いて、実際に手を出したら大変そうだな~、エンジン重そうだし~とか、そんな察しがつくだけだ。ただ、機械の構造がどうなっているのか、そのあらましを眺めるには、いい資料だ。

大体、ハーレー自体「見りゃわかる」構造だし、クランクの形状とか、クランクピンの独特な作りなんかは知っていた。以前、英車のレストアを教える学校(店だが)の校長だったと思うが、試しにハーレーを開けてみたら、えらくガッチリ(ちゃんと)できていて驚いた、のような話もどこかで読んだ。それに、個人的には、この年代のOHVのV-Twin、しかもキャブ車というのは、身近で馴染みまくっているアーキである。

だから、「改めて驚いたポイント」というのは、なかったのだが。
何となく、想像はついた。

基本、頑丈で、丁寧に扱ってやれば随分と長持ちしそうな造りだ。クランクケースは小さいが、排気量にしては華奢な印象。無理(大きなパワーアップを伴う根本的な改造)は、しない方が良さそうだ。

機械的な密度は低くて、手を入れる(メンテ)には便利な反面、その頻度が、寿命に大きく影響しそうだ。ココ締めて~油差して~なポイントが、そこココにある。最新の日本車のように、機械密度が高くて精密な反面、減ったり歪んだりした際のリカバーが効かない(使い捨ての)造りとは、対照的だ。

たぶん、コイツをまっとうに維持し続けるには、「当たり前のことを、しっかり、淡々とやり続ける」必要がある。

しかし、日本のバイク業界は、外車も含めて、上から下まで、これが本当にできない業界なのである。(基本整備をまともにやらない。儲からないから。)

本書には、取材協力したショップのコメントも、適宜、挟まっているのだが、その中には、当時のディーラーに対する恨み言から始まる、よくある例も散見される。いわく、あの頃の店のオッサンは、自分が売った商品を、ろくすっぽ直せなかった、と。

一見派手で、超高価なのに、造りは素朴で、実は手がかかるこの素体を、まともに直せる人材なんて、当時の業界にはいなかったろうことは、容易に想像がつく。(いても超・少なかったろう。) PL法も消費者庁もまだなかったし、外車は単価が高くて、儲けが「売ること」に偏る度合いがより高かったから、尚更だ。

仕方ないから、自分で直す。インチの工具(当時は高価だった!)やSSTを揃えていって、次第に手を入れる深度を上げて、自腹で勉強して。できる作業が増してくれば、「オレのも直してくんないかな」てな依頼も来るようになり、次第に待ちの機体が列を作るようになってくれば、商売として立ち上がってしまう。さらに、本場USAでちょいと修業して、ついでにチューニングパーツの仕入れルートを確立したりできれば、もう立派な大御所である。当時は、そんな成り行きも多かった。

彼らのコメントは、たたき上げの経験論なので、有無を言わさぬ迫力と説得力があるのだが、一歩引いてよく考えてみれば、要はただの「自己流」で、商売レベルとして当たり前であるはずの、検証を経てきたのかすら、怪しかったりする。失敗仕事にカネをとられ、見切って去った客を「わかってない」で片付けるのはよくあることだし、何も知らない素人のニューカマーを「そんなもんだよ」でうまくいなせれば、商売としては続いてしまう。ハーレーの場合、臆面もない利幅も可能だしね。たぶん、ウデの方の実際のレベルは様々、バラツキが大きいだろう。

無論、中には「本物」もいるかもしれない。しかし、誰が「本物」なのかをユーザー側が見極めるには、、それなりの経験を積んで、選球眼を磨かねばならない。さらにまた、長い時間と努力と、金額を費やす必要があるだろう。

だけど、記事には、そんなことまでは書いていない。きっと、あなたが素敵なハーレーを手に入れて、これらのショップに持ち込んだとしても、本当に直るのかはわからない。(それ以前に、とっくに潰れてたりもするんだけどね。)

機械の方も同じだ。しっかり整備を続けていて、かつ、まだ距離が短い(寿命が残っている)掘り出し物なんて、本当に少ない。大概は、整備不良、かつ、ヤレた古い機体を、何とか手を入れて延命する、が実情だろう。オーナーも経験も浅いから、できましたっ!と店から戻ったその機体が、本当に調子が「戻った」のかの判断すら覚束ない。ましてや、そこに「ハーレーが体現したかったもの」を感じ取れるものかどうか。

つまり、賭けですよ。
でもさ、そのくじ、高すぎないか!?
そんな状況は、ベベルとか、OHVフラットとか、そんな類例と同じ事情だ。

さらに、そんな数々の難関を抜けられた結果にわかることというのが、21世紀の路上には、もうショベルが走れる隙間はないと、そんなことかもしれない。

維持にかかる負荷と、走りにかかる労力の両面でもって、易々と逃げ回る新型を、、羨むような目つきで、後から、眺める日が来るだけなのかも知れない。

そんな想像がついてしまうので、ああ、だから私は、もう「本物のハーレー」には触れずに終わるのだろうなあと、ちょっと寂しげで、かつ残念な(無念と言うのかな世間的には)、読後感ではあった。

まあ、もう手持ちのルマンですら「重くてヤダ」なんか言っている、酒に筋肉を溶かしちまったこのオジサンにとって、ハーレーなんて、元々ムリだったろうとは思いますのですけど!。(笑)

それに、本書にご寄稿のショップやユーザーの皆様に共通する、「ハーレーを信じてます感」、信仰?とでも言うのだろうか、その感覚に、私は共感できなかった。ひょっとしたら、乗っていれば芽生えてくる類の感情なのかもしれないが、本書を見ていると、どうも順序は逆、つまり、「信仰があったからこの道に入った」ようにお見受けした。きっと、見ているものが、私とは根本的に違うのだろう。

ただ、ハーレーの魂は、あのショベルの特徴的なエンジンヘッドの外見とか、そんな表層に宿るものではないということ、そして、もしハーレーが魂を失いつつあるのだとしたら、それは、例えばポルシェとかフェラーリなんかと同じ帰結で起っているのだろうこと、その二つだけは、はっきりと想像された。

だって、四輪でも、レストアしてまで大切に乗られているのって、ナローとかマルニ、段ツキとか、あの世代までで、その後の世代はもう続いていない。それはたぶん、直らないし、直せないのだ。さらに後、最新型の世代になると、もう直す事すら想定していないように見える。(設計として、ライフサイクルを限ってある。)

考えれば当たり前なのだが。
もし、機械に魂があるのなら、それは、機械に宿るのである。
機械そのものが自由に動く術を奪ったら、魂なんて、なくなってしまう。

昔に作られた名車の個体は、新規のエントリーがなく、今ある分が古びて行くだけだから、ただ減って行く一方だ。

そうして、それらがほぼ潰えた頃には、自動運転車なんかが走り回っていて、公道は、全く違った風景になっているのだろう。(バイクなんか、なくなってるかも。)

デジタルが、当初の触れ込みとは逆に、しばらくすると息苦しく感じるのは、それが、人の意とは無関係に、自律して動くからだ。それを救う手段の一つは、 カスタムに解放すること で、だからこそ、メイカーズのようなブームや、ドイツで話題の次世代の工場の自動化なんかが、ああいう姿になっているのだと思うのだが。ことバイクに関しては、お題が「カスタム」とくれば、ハーレーが一番近い所にいる気もするのだが、残念ながら、現実は、そちらの方には向かっていないようだ。

もし、その残念な方向が「進化」なのだとしたら、バイク雑誌が、誉めるつもりで新型を「進化した」と書くのは、やはり、間違いだ。


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コメント

_ 恐妻家 ― 2015/10/07 22:59

ホムペや著者近影も含め、いつも楽しく拝見しております。
さて、ショベルの次の「進化」という名前を背負ったハーレーに四半世紀以上乗って(持って)おります。エボリューション(進化)と言うと格好良いですが、MBOしたての経営陣が、パワー不足に加えて信頼性と安定性が不足(だから三拍子を奏でる)したショベルヘッドエンジンを一新するカネがないので、これから徐々に良くしますよ、という、命名や宣言というより自虐ネタみたいなものですが。
ご説の通り、「ワイルドさ」は日本車に煽られ無理してパワーを上げたショベルヘッドのアンバランスさが生んだ都市伝説だと思います。エボも乗りやすくなったとはいえ、そこはアメリカ女ですので、何事もオーバーアクションで伝えなければ決して動いてはくれず、日本車みたいに以心伝心で動いてはくれないのでそこが誤解されているのかもしれません。カスタムという厚化粧で性格が捻じ曲がってしまった可能性も否定できませんが、根はとっても素直なミルウォーキーの田舎娘なんです。
コスプレですか?ダビッドソン家三代目がちょうどこのショベルFXで始めたものですから、もはや伝統的なデザイン戦略の一つと言っていいのだと思います。ちなみに「FXSローライダー」のプルバックハンドルとシシーバーが、ロケットカウルと三段シートという日本流変換を経て「族」の伝統に継承されたとの説もあるそうで、源流を一にする双方が、行動様式が同一でも何の不思議もないのかもしれませんね。
なお子供の頃に、知らないおじさんに着いて行ってはいけませんと躾けられたので、同調圧力にさらされそうな街中は避けいつも山の中で一人で走ってます。いえバイクなら充分幸せですのでお構いなく(笑)

_ ombra ― 2015/10/11 09:40

恐妻家さん

どうも、お久しぶりです。
前回カキコ頂いたのは、カメラのネタでしたか。
ずっとご覧頂いていたとは恐縮です。

そうですか。エボにお乗りでしたか。
しかも、キャリアが25年超となると、出て初めの頃に買われたんですね。

私は、今の今まで、あのエボは「革命」の意味だと思い込んでましたが。
そっちはrevolutionですよね。バカだなオレ。(笑)

エボの頃、ハーレーは、体勢を一新して、商品だけでなく、ディーラー網にも積極的に投資をして、市場でのポジショニングを上げていましたね。それまでの、何だか暗くて汚くて、一見さんが入りにくい感じのスペシャルショップがサプライチェーンから一掃されて、正規ディーラーは、明るくて清潔な店舗に統一されていました。(ハーレージャパンが店舗のデザインを仕様にしていて、その投資と、販売ノルマに耐えられる店舗だけになった。) ユーザー側としては、供給(サプライチェーン)とサービス(サポート)の質が安定して、安心して買える商品になりましたね。

維持がラクになったとはいえ、25年超を乗り続けておられるとは、並ではないですね。
幸せなハーレー乗りでいらっしゃる。

本文中では文句ばかり書いていますが。まあ、残念なものほどよく目に付くものなので。ちゃんとした・・・と言いますか、幸せなハーレー乗りの皆さんが、しっかりといらっしゃることは、無論、私も承知しております。

夏が盛りを過ぎた頃など、地方のワインディングをゆったりと流している、いい感じの旅ハーレーを見かけることが、よくあります。「そういえば、外から見た感じと、乗ってみた感じが一番違ったのが、ハーレーだったなあ・・・」などと思い出しながら、実にうらやましく見送ったりしています。

ただ、近頃のハーレーの皆様は、どうも「ハーレーというバイク」ではなくて、「ハーレーというブランド」が好きなのかなあと。バイク自体には、あまり興味がない。そんな人が増えているように見えています。

メーカーの方も、その方向に商品を作りこんできたような?。
まあ、そうでもしないとビジネスの規模は増えませんから、仕方がないのかも知れません。

モデルヒストリーの詳細を追えている訳ではないので、ハーレーはショベルまでとか、DOHV(ってんですかね、あのツインカムは)はハーレーじゃないとか、そんな線引きをエラそうにできるわけでもないのですが。

「一台を長く乗れる」性能は、エボ辺りがピークだったように感じます。
そういう意味でも、うらやましいです。
25年の年月は、ブランドのように、カネでは買えませんからね。

私としては、エボが出始めの頃、それ以前の小さいフレームにエボが載ったモデルが一瞬だけ出ていた記憶があって。あれがいいなあ、とずっと思っているのですが。車種名が思い出せない・・・。
(もしご存知でしたら教えてください!)

_ 恐妻家 ― 2015/10/14 21:59

御返事いただいて恐縮です。
お尋ねの車種ですが、スポーツスター(883cc or1200cc)かFXR(80cuin)でしょうか?
スポーツスターは今もあるモデルですが、FXRフレームは一回り大きなダイナフレームに置き換わりました。
私が乗っているのはFXRで、ハーレー史上最も硬いフレーム(笑)だったらしく、未だに本国では本職のコワいオジさんたちがエンジンを新型に取り換えて愛用しているようです。もっとも日本では、フレーム形状が日本車みたい、と全く人気無かったようですが。
しかし、人気無かったのを差し引いてもパーツが出なくなってきました。ルマンは大丈夫ですか?

_ ombra ― 2015/10/18 21:09


ご返答ありがとうございます。 <(_ _*)>

すいません、質問が曖昧でしたね。

・スポーツスターではない、大きいエンジンの方の車種で、
・エボが出始めた頃(1990年頃?)に、
・当初はショベルからキャリーオーバーしたような、サイズの小さい
 フレームに、エボを載せて出していたものが、
・イヤーモデルのモデルチェンジで、サイズが大きいフレームに
 変更になった車種。

当時(確か90年台の初頭)、一度だけ実車を見たことがあるのですが、確かに見た目が小さいハーレーで、店員さんいわく「この車種は、今年からフレームが変わって大きくなったので、このサイズのエボは、この年が最後なんですよ」。何でも、国産4発への乗り換えで入ってきた下取り車だそうで。そんなに貴重なハーレーなのに、一年足らずで手放されちゃって、もったいなあ、のような会話をした記憶があります。

そうですね、FXRでしょうか。
随分続いていた車種ですし。

最新のハーレー(大きい方)は、この当時よりさらに巨大化していて、私のような根性なしには荷が重すぎる。スポスタ系も車重は結構ありますし、750は国産みたいで・・・。やっぱり、あの当時のエボ、さらにフレームが小ぶりだった、あれがベストだったかな~と、今でも思い出すことがあるのです。

そのFXRにお乗りなんですね。
いいな~。

不人気でしたか?。
ヘルスエンジェルの初代総長は、ハーレーはFXRが一番だ、乗るならオマエもFXRにしろ!と言い切ってましたが。
・・・確かこの本です。
mcbooks.asablo.jp/blog/2011/04/23/5821326
実はワタクシ、よさげなFXRの中古を前に立ちすくんだ経験が、一度ならずあります。(笑)
良い車種なのに、日本(だけ)では人気がないという例は、良くある気がしますね。

ルマンのパーツはですね。

外装なんかは、もう出ないものも結構あります。特殊な形状のウインカーの車種なんかは、苦労されているようです。外装以外でも、ちょっとした部品なんかで出にくいものもあるようですが、消耗品はあらかた出ますし、グッチは元々、あまり「減らない」バイクなので。普通に乗っている分には、あまり苦労はありません。

一番怖いのは、タイヤだったりします。バイアスルマンは、BMWのR100RS辺りと同じようなサイズなので、これまで不自由はなかったのですが。BMの方も絶滅しかけてますからね、そろそろ不気味な雰囲気です。18inchはまだ余裕ですが、16inchはとっくに苦労&妥協が必要です。

グッチは昔から部品の流通が悪くて、一部のスペシャルショップに頼っていた経緯があるので、「最近」出なくなったのかの区別がつかないんですけど(笑)、イタ車は、ブレーキ部品なんかはメーカーにかかわらず共通だったりしますし(全部ブレンボ)、パーツのメーカーも小規模で小ロットの再生産をしてくれる、愛好家団体が多くて継続圧力もある、と有利な面もあるようです。

メーカーの方も、新型のパーツが、実は旧型にもポン付けできたりと、それなりの配慮をしてくれていた時代もあったようですが。こちらの方は、年式の古さ以前に、メーカー自体がM&Aで再編されて別物になったりしていますから、もう期待できないようです。

メーカー、つまり正規代理店が頼れないとなると、それ以外のスペシャルショップ、特定のメーカーを専門に扱っている個人経営の店に整備に出すことになりますが、これが、本文にも書いたように「ばらつき」が大きい。扱っている台数が多ければ、例えば市販のパーツの品質の検証なども十分かと思いきや、そちらは儲け優先でいい加減だったりしますし(商売なので、儲からないことは基本やらない:安いパーツは要注意!)、ヤード(部品取り車のストック)からパーツをもいで来るタイプの店では、病気ごと移植されちゃったりとか、いろいろあるようです。

私は、乗っていたのがグッチなので、当初、この店なら大丈夫!というのがわかるまでの「授業料」を払いましたし、今も払い続けていますが。ハーレーのエボでしたら、大改造をするとか、逆に絶対ノーマルにこだわる等しない限り、小さなトラブルは純正品の流用などで何とかなって、スペシャルショップに泣きつくような決定的な事態には遭わずに済みそうなイメージがあったのですが。

もうエボも、そういう年式になりつつあるということでしょうかね・・・。

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