読書ログ 究極のエンジンを求めて ― 2016/09/25 06:57
ずいぶん古い本だ。1988年の刊。
図書館で見かけて、題名借りした。
著者は、自動車会社でエンジン設計を担当し、1978年に退社して評論家に転じたという、古参のエンジニアである。
当時のクルマのエンジンについて、良し悪しを技術的に論評した記事が並ぶ。ページの造りは、A4版の二段組に、細かい活字とグラフや図表で、結構なボリュームがある。初出はモーターファン誌の連載記事だそうで、副題の「毒舌評論」の通り、オジサマがワルノリ気味に、いろいろと書いている。かなり専門的な書きっぷりで、読者にも、それなりの知識レベルを要求する。月刊の自動車工学や機械設計の読者あたりが本来の対象らしいが、そうでない人々にも「勉強にはなる」ペースであり、読んでいて息切れする感じではない。
とはいえ、30年近く前の本なので、エンジン関係の技術トピックといえば、給排気の慣性設計とか、シリンダーブロックや燃焼室の形状設計、加給など、機械設計に寄った所がほとんどだ。制御技術が本格的に立ち上がる前なので、そっちの話はほとんどない。(今見ると新鮮かも。)
いや、お話としてはそれ以前で、エンジン設計には哲学がなきゃいけないとか、技術の革新より儲かりゃいいのかのような批判など、精神論的なお話のウエイトも小さくない。
商売優先で、ユーザーの利益(乗る楽しみの追求)は二の次というメーカーの姿勢を糾弾する辺りは、結構共感できるのだが。この著者は、メーカーの技術を評価できないユーザーの方も、にべもなく一刀両断にしていて、当ブログなんぞよりも、よほど辛らつ、かつ奔放である。
多少のシモネタも交えたオジサマギャグも要所要所で炸裂しており、お話を楽しくしよう、盛り上げようという意図はわからんではないのだが、どうも、「エンジニアの話は面白くないの法則」にも忠実に則っておられていて、少々お寒い雰囲気を醸してしまっている。また、もともとが単行本化を考えていなかったのか、著者がお歳で忘れっぽいのかわからないが、同じ内容の繰り返しが結構あって、くどさを感じることもままある。
しかし、こうやって当時の技術を俯瞰してみると、全く著者の批判の通り、本当に周辺技術ばっかりで、エンジン技術の核心にかかわるようなものは皆無だ。どちらかというと、「とりあえず、やってみました」や、「何とかなりました(今だけは)」のような、その場しのぎの印象のものが多い。
一応、本書はバイクのエンジンも範疇に入っていて、例えば、巻末近くに、ヤマハFZ750の5バルブエンジンなども取り上げられているのだが、NRの8バルブエンジン(笑)を引き合いに、こっちよりはマシかな?などとやった後、多バルブ化の一般的な評論をしている。
全般的に、「いつまでもつ技術だろうか?」といったトーンの論調が多いのだが、その危惧の通り、この本にある当時の技術のほとんどが、もう今では完全に廃れていて、お目にかかれないものばかりだ。
本書刊行の当時、著者は65歳で、取材で訪れるメーカーの若い技術者は孫みたいなものだったようだ。質問にもろくすっぽ答え(られ)ず、技術的な情報も出し渋るメーカーの対応におかんむりで、宗一郎はもっと本気でやってたぞ!(どこのメーカーかわかっちゃうけど)、継承ができておらん!的な文句も散見される。まあ、メーカーにしてみれば、見返りが見込めないのに取材に協力する理由もない故の、ドライな対応だったのだろうとは思うのだが。
そして現在、それからさらに数世代を下がった自動車開発の現場は、トレンドの主導役を、電子制御に完全に譲り渡して久しい。(エンジン技術の本懐たる熱効率、燃焼コントロールは、直噴化で「終わった」感じすらある。) さらに、エンジン自身も、半身をモーターに乗っ取られて、キマイラみたいになってしまった。
他方、経営トレンドの方も、自動車の性能自体が、ユーザーが使いきれる範囲を完全に逸脱していて、使えもしないハイエンド域での微妙なニュアンスにプレミアを払ってくれる優良(有料?)顧客に、儲けのほとんどを依存するに至っている。技術そのものの意味よりも、「どうスマートに売らんかな」の方に焦点が行ってしまっており、結果として、著者が憂慮した、そのものの方向に進んでしまった、として良いようにも感じる。
「ヤッツケ仕事」に関しては、私はあまり非難できる立場にない。私のいるIC業界は、技術の進歩といっても「お隣のICとニコイチで同じ値段!」なんて仕事ばかりが求められた経緯があって、ヤッツケ仕事的な方法論に引っ張られ続けてきた。クルマの技術が、デジタル(古くは電子制御)に侵食されて久しいが、仕事のペースも、そんなIC屋やソフト屋なんかのスタイルに、乗っ取られてしまったような感じもする。
本書に戻ると、まあそんなわけなので、今読んでも、「ああ、あったなあ…」と懐かしさに浸れる瞬間はあるかも知れないが、技術的に拾える情報はあまりない。たまに、キラッと光る断片のようなものもあるにはあるが、それに気付いて拾えるのは、やはり、時代を知っている古参のような気もする。つまり、今、これを読み返したとて、実地の役立つことはほとんどなかろう、とそう感じる。
この本、当時は、それなりに物議を醸したらしいのだが。
今や、「伝わるはノスタルジーのみ」と、どうも、そういうことのようだ。
Amazonはこちら
大昔の古本なので、プレミアのようです。ちなみに、定価は¥2800。
数千円の価値があるのかは疑問で、個人的には、手近な図書館で探してみることを推奨。
究極のエンジンを求めて
続編もあるようです。
続 究極のエンジンを求めて
新・究極のエンジンを求めて
コメント
_ moped ― 2016/09/25 22:16
_ ombra ― 2016/10/01 21:46
mopedさん。
どうもお久しぶりです。
mopedさんが、この本の古参の読者とは存じませんで。
大変失礼致しました。(笑) <(_ _*)>
確かに、エンジン技術の詳細についての論評というのは、当時は珍しかった気がします。
言われている「口惜しさ」は、理解します。
しかし、発信しようにも、受け手がいないようにも思います。
技術の真相を理解したい or できるコアなユーザーが、評価の軸になりえた時代はとうに過ぎ。マーケットの主体は、新しいフィーチャーを、表層的に撫でるだけの人々になって久しいです。
それは、かつてのプロの仕業ゆえの帰結かも知れないのですが、今に生きるプロとしては、そういう人たちを相手に据えせざるを得ない。というのは、どうも、技術を商売として使う立場にある以上、抜けられないスパイラルのようです。
どういうわけか、そのスパイラルを下るに従い、ユーザーもプロフェッショナルも、次第にイマジネーションを失って行くように見えるのは、何かしら、別の構造的な欠陥があるのかもしれませんね。
(ラクするための技術ばっかり作ってるんだから、仕方ないんだろうなあ、とも。笑)
人を育て、重用していく仕組みを内在しない組織は、流されるのみです。
どうりで。
貯金が減っていくわけですね。(笑)
どうもお久しぶりです。
mopedさんが、この本の古参の読者とは存じませんで。
大変失礼致しました。(笑) <(_ _*)>
確かに、エンジン技術の詳細についての論評というのは、当時は珍しかった気がします。
言われている「口惜しさ」は、理解します。
しかし、発信しようにも、受け手がいないようにも思います。
技術の真相を理解したい or できるコアなユーザーが、評価の軸になりえた時代はとうに過ぎ。マーケットの主体は、新しいフィーチャーを、表層的に撫でるだけの人々になって久しいです。
それは、かつてのプロの仕業ゆえの帰結かも知れないのですが、今に生きるプロとしては、そういう人たちを相手に据えせざるを得ない。というのは、どうも、技術を商売として使う立場にある以上、抜けられないスパイラルのようです。
どういうわけか、そのスパイラルを下るに従い、ユーザーもプロフェッショナルも、次第にイマジネーションを失って行くように見えるのは、何かしら、別の構造的な欠陥があるのかもしれませんね。
(ラクするための技術ばっかり作ってるんだから、仕方ないんだろうなあ、とも。笑)
人を育て、重用していく仕組みを内在しない組織は、流されるのみです。
どうりで。
貯金が減っていくわけですね。(笑)
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ご無沙汰してます。
Motor Fan連載時の読者だったので、著者の直筆サイン(しかも毛筆)の書籍を持ってます。
連載を読んでいると、著者が好むエンジン技術が見えてくるので、称賛される、あるいは酷評される(たいてい後者)が、予想できるようになります。そうは言っても、兼坂さんのように、ぶった切るエンジン批評は、日本では前例がなかったので、楽しく読ませてもらいました。○○のいコドモたち、とよく書かれていました。
ここ数年のエンジン技術のつまらなさは、貯金を食いつぶしていくようで、つまらないというよりも、悲しささえあります。技術がないわけではないので、それを素人にわかりやすく伝える労力を払っても、よいのでは、と思う今日この頃です。