読書ログ 営業バンが高速道路をぶっ飛ばせる理由 ― 2016/10/30 05:44
(追記あり)
似たようなクルマ関係の本はマメに読むせいか(雑誌以外は)、Amazonのリコメンドによく出てくる本で、てことは売れている本だろうし、面白いのかな?と気になっていた。図書館の棚に借り手のない固体を見つけたので、試しに読んでみた。
残念ながら、内容は大した事がなかった。ほぼ題名の通り、営業バンの類のクルマは、自家用車よりも「理にかなった」作り方をしているから、走りの方も理にかなっていますよ~といったことを、経験と実例を交えて説明する本だった。
営業バンは荷物を積むから、車体も足回りも荷重容量に余裕をもってガッチリ作ってあるし、タイヤ一つ取っても、見た目の良し悪しなんかより、実際に乗った際の扱い易さと、必要十分な性能を実現すべく作りこまれていて、ヘタな自家用車みたいにフィーチャーに流されることもなく、まっとうに作られている、だから道具として優れているのは当たり前ですよね~と、そんなお話だ。
その、「実直に作りこまれた営業バンのような感触」を、著者は「道具感」と称して崇めている。
確かにそうなんだろう。最近の国産の乗用車を見ていると、スポーツカーですよ~、足グルマですよ~みたいな「キャラ作り」は良く為されている反面、それ以外の部分、基礎となるべき部分も含めてだが、まるで考慮されていないように感じることもままある。
もう少し具体的に言うと、スタイル流麗でエンジン豪奢で飛ばせそうなスポーツカーではあるものの、寸がデカくて持て余す、足周り硬すぎで疲れる、てかそもそもが、本領発揮は法律違反だから、実質的に「生涯・大ガマン大会」とか、どこから見ても廉価な街中用コミューターで、ユルくて遅くてかったるい・・・のは我慢しても、燃費は言うほどよくないし、寿命がことのほか(値段から期待するより遥かに)短かかったりとか、そんな具合だ。
無論、ちゃんとしたクルマもあるのだろうけど、アンテナ張り巡らして目を凝らして、必死に探さないと見つからないし、それが自分の用途に合うかは、さらに微妙だったりする。こんなにたくさんの車種が売られているのに。
私は古い人間だから、昔のクルマを比較対象に思い出すことができる。古いイタ車やフランス車には、公道で扱い易く、でもやる気次第でスピードだって保てちゃう、楽しい車種がたくさんあった。確かに手はかかったけど、意外と長持ちだったし。
でも最近のクルマは、もっとカッコ良く速くて安全だが、いざ運転してみると手ごたえが希薄で、何だか乗った気がしない。機械が勝手に走っている感じで、つまり人間はただのお荷物扱いだから、どうにも疎外される感覚が付きまとう。しまいには、主体的には関わりたくない感じ、ありていには「できれば乗りたくない」感じに落ち込んでしまう。
それに比べて、営業バンは実直に作ってあるから、乗って疲れず道具として優れているし、自動車の何たるかを考えるには参考にすべきだ、てかそれ以前に「乗っててホッとする 」。そんな意見は、私のような素人でも理解できるし、普段あまたのクルマに実際に触れ、評価することを仕事にしている、この著者ような玄人の皆様はなおさら、のっぴきならない感情であり、欲求なのだろうと思う。
しかし、異論がある。
クルマのジャーナリストたるもの、この道具感が「ないこと」を糾弾こそすれ、それが「あること」を賞賛してはいけないと、私は思う。
まず。
「道具としてのクルマの最低条件」ついて考えてみる。
いつぞや、バイクの乗り方に関する洋書を 取り上げた際、優れた道具は人間とシンクロし、使い手の感覚の内に、肉体の一部として取りこまれる、といった話があった。
裏返すと、人間が感覚の内に取りこめる優れた道具は、その感性ににシンクロしうる特性を備えていなければならない。
ということは、「人間の感性にシンクロする特性」は、道具が備えるべき最低条件のはずだ。「それがあるから優れた道具、そういうのを選ぶようにしましょうね」ではなくて、「本来、道具ならばあって当たり前」なのだ。
だから、営業バンがマトモで乗用車は違うんですよ知ってる?ではなくて、乗用車がマトモに乗れないことの方を糾弾するのが筋だと、私は思う。
次に。
「実際の所、自家用車は道具なのか」について掘ってみる。
クルマは、ラクに安全に移動ができて、物も運べる便利な道具だ。しかし、ラクに移動したり、物を運ぶ用途には、別の選択肢も有りうる。だから、わざわざおカネをかけて購入して維持管理して、運転までしなければいけない自家用車を選ぶ必然性は、その利便性とは別の所にあるはずだ。
つまり、わざわざ自家用車を選ぶということは、実用以上のメリットを期待しているはずで、私が思うにそれは、乗り手が主体的にクルマに関わること、端的には「運転すること」に集約されるのではなかろうか。
いつでも好きな時に、自分で運転して出かけられるからこそ、人は、自分用の乗用車を買い、手元に置こうと欲する。
しかし、自家用車、特に国産車は、オーナーに楽しく運転してもらうことに、ほんの一部の車種以外、配慮してこなかったか、またはその配慮に、法外な報酬をふっかけていたと、私は思う。
パワステATトラコンに、最近は自動ブレーキ。やっぱり、ラクに運転してもらうためのフィーチャーばかりが目立っていたし、今も目につく。
しかし押し並べて、ラクなことはタノシクない。だんだん飽きて、しまいにはいたたまれなくなる。楽なことと楽しいことは、実は真逆のことなのだ。(日本語では、ラクとタノシイに同じ字を当てるせいか、これらを同じものと誤解する向きが非常に多いのだが。)
運転の楽しさの尺度でクルマを評価し、それを求めてきた真のクルマ好きは、昔から少数ながらは居たものの、時につれリタイアし、または諦めてその他大勢に迎合したりで、数を減らし続けてきた。(劣化する以前に、作り手に無視された挙句に諦めた好事家は、想像するより多いように思う。)
そういう動向はしかし、日本車のみならず、今や欧州車も同じだ。巷には、やっぱり欧州車は良くできてますね~のような、古めかしい信仰を未だに維持している識者も多くて、本書の著者もそれに漏れないのだが。現実は、日本車に釣られるように、欧州車も、同じような臭いをさせて久しい。きっと、人間側の様相も、日本と同じような傾向にあるのだろう。
たぶん、ちょっと古めのフランス映画などで、役者さんがクルマを扱う手つきが妙に流麗で、感心したりするような場面は、もう、めっきり少なくなるのだろう。
といったような情勢は、正しいとかイケナイとかいったことではない。たぶん、クルマという乗り物の本質が、人間が扱う道具ではなくて、人間がラクをするための手段であることを示している。スピードレンジを挙げる一方で、人間を緩ませ続ける一種イビツなあのクルマ達は、そのことを端的に示す証なのだ。
大多数のオーナーにとって、クルマは、便利でありさえすれば良かった。
かつ、それを所有することが、価値として認められていた。
全く。今思うと、ただのバブルとしか思えない。
しかし、それがまた、売り手にとっても、商売上、至極都合がよかったのだ。クルマのビジネスモデルは、今でも大量生産方式で、つまりは稼ぎを出すために、数を売ることを宿命付けられている。買い手の数がより多い方向に、商品性をシフトし続けざるを得ないから、ユーザーの嗜好と、メーカーの方向性の2重螺旋は、文字通りのスパイラルを描きながら、自らを制御することなく、分裂を続ける。実質的には、ブラウン運動のような確率論と同じだから、それが「進化」なのかどうかは、時の運だ。
そうやって、道具感と夢がお互いを削り合った挙句の成れの果てが今のクルマなのだとしたら、この殺風景な風景は、ある種の必然の結果なのだ。
だから、本書の論は、現状の説明にこそなれ、解決にはならない。
その証拠に、「理にかなった」営業バンを、仕事以外で走る皆様も誰もが乗るようになったとて、何かが解決するようには、私には思えない。
カメラの世界では「プロ機」というホメ言葉があるが、本書は「クルマのプロ機理論」とも言えるかもしれない。それは、かつて高級カメラにムネをトキめかせたオジサマ達には刺さる理屈なのかも知れないが。クルマのプロ機といえば、プロボックスやクラウン コンフォートあたりかと思うが、そんなのがベスト!では悲しすぎるし、モデルチェンジの度にしてきたはずの「進化」って、一体何だったの?と言いたくもなる。
プロ機理論の本家(?)のカメラは、裾野のゴンデジがスマホカメラに駆逐されて、市場としてはかなりお寒くなってしまった。今、クルマ業界は、こぞって自動運転に向かっている最中だが、クルマが「ラクする道具」なのだとしたら、それは正しい趨勢だ。反面、ドライバーを駆逐することでもあるから、カメラ同様、市場が壊滅に向かうこともありえるだろう。
不思議なものだ。クルマ好きの皆様が、この本から得られるのが、彼らの行く先が真っ暗であることの暗示なのだとしたら、この本がなぜ書かれ、読まれるのか。私には判らない。
この本には、サスペンションのセッティングの話などが書かれていて(導入だけで詳細は無しだから「釣り」っぽいが)、自分のクルマの足回りをいじって良くしよう!などと思い立つ、いたいけなユーザーも居そうな気がする。しかし、クルマの素性は基本設計で決まる割合が大きいし、そもそもの素地が良い機種をたまさか当てていたというラッキーでもないと、その願いは叶わないだろう。(部品少なく構造簡単なバイクだって同じなのだ。クルマの最適化は、さらに大変だ。)
もし、真面目でウブな読者ほど損をするという構図なら、この本の目的は、知識ではなく宣伝だということになる。(私見だが、その区別がつかない程度の力加減で、わざと書かれているようにも感じる。) それは寂しいことだと私は思うが、各々の読者が、自分で判断すべき話なのだろう。(「自分で手を入れないと仕上がらない未完成品を買わされていた」ことを知らされたのに等しいと思うのだが。それでも怒らない優しいユーザーが対象読者ということか。)
最後に。
いつものように、趣味のバイクに、話を拡張して終わろうと思う。
バイクも、人間が扱うものだから「道具感」が問われることは変わりがない。しかし、その先にある目的が、クルマのような「実用」ではなく、あくまで趣味としての「乗る楽しみ」なので、趣味性を厳しく問われるべきだし、問うていいと、私は思っている。
バイクは、クルマのように、「ただの手段ですよ」のような逃げ道はない。
危険を承知で乗る、嗜好品なのだ。
だから本来は、「道具としての素養」を備えているのは「最低条件」という欲求はクルマよりも強いはずで、さらにその上に、趣味性、つまり、オーナーにどんな楽しみを与えられるかの具体的な提示が必要であり、商品性のコアになるはずだ。
しかし、何度でも言うが、二輪車の業界は、日本車は特に、このことに真面目に向き合ってこなかった。
フィーチャーやスタイリングで商品性をアピールする一方で、主に省力化で訴求するやり方(例の「乗りやすい」という自画自賛)は、四輪のやり方によく似ていた。イージーさを売りにするんだから、必然的に、それに迎合し易いニューカマーを、主なターゲットに据え続けてきた。
そんな便利なカモが居続けてくれた間はマーケットを維持できたが、今や「新人」は減る一方だし、バイク以外にも楽しいことはいくらでもある世の中だ。メーカーが言う「進化」がウソっぽいのは、もう素人でも分かるレベルだし(ユーザーにとって、特段メリットとして感じられない)、たぶん、今の業界を下支えしている団塊崩れや旧車檜、つまり、旧態依然の価値観を保っているレイヤーがご退場あそばした後、日本の二輪マーケットは、壊滅に向かうのではなかろうか。(何だかさっきから、マーケットが壊滅する話ばかりしている気がするけど。) 普遍的な価値と、新しい価値のどちらも提供できていないんだから、当たり前の帰結だ。
まあ、それ以前に、クルマの方で自動運転車が立ち上がってしまえば、バイクなんかが生き残れる確率は極小なのだが。(操縦という主体的な関与を奪われた使用者が、リスクが大きいバイクを選ぶ必然性はゼロだ。誰もバイクを選ばない。)
規模の大きいバイクメーカーは、アジアの田舎でカブのような実用車の市場が、それなりのボリュームを残している間は食いつなげるのかも知れないが。趣味で乗る用の大型バイクは、その小さい市場にフィットした個性ある小規模メーカーが台頭するような、昔ながらのビジネスモデルが戻らなければ、大メーカーが余興で作る「釣り」車種が残るのみという寂しい状況に陥いった後に、消滅に向かうだろう。
まあどっちにしろ、私のような老兵は、降りるか大衆迎合かの二者択一となるのには変わりがない。
現に、私はもう、何を目指して走ってきたのか、見失いつつある。とっくの昔に振られていたチェッカーを、遥か後方に見るような気もしている。
そんなわけで、どうにも明るい話にならないのだが。それは、本書のせいというわけではなく。きっと、Amazonのリコメンドのアルゴリズム(AI なの?)がヘボなせいだと、そういう事にでもしておこう。(笑)
しかし、そう思うと。
やっぱり、AI が仕切る自動運転車なんかには、乗りたくないなあ・・・。
Amazonはこちら
営業バンが高速道路をぶっ飛ばせる理由
追記
広告モデルで回っているGoogleあたりが、「釣り」を流したがるのは分かる気がするが。ただのリテールのAmazonも同じだとすると、原因はもっと根本的なことかもしれない。
AI が、そもそもそのような基本特性を備えているのか。
人間が、そもそも「釣り」を求めるものなのか。
AI とてシステムの一部だから、作り手側の仕様と都合によって形作られるもので、それが必ずしもユーザー側を向いているとは限らない。あくまでメーカー側の論理で動く「使えないコールセンターの受付」になる確率は、低くはないのだろう。(システム化した、つまり、システム思考で作られたクルマやバイクが面白くないのは、きっと、そのせいだ。)
他方、「釣り」を消費して満足する人間が、今や(昔も?)少なくないだろうことは、容易に想像がつく。しかし、需要と供給が、文字通り「釣り合って」いるということであれば、特段、問題ではない。他の要因が顕在化でもしない限り、この先も問題として認識されることはないのだろう。
上述のユーザーとメーカーの2重螺旋には、アポトーシスの機能はないようだから、この先もずっと、無闇に続こうとするだろう。だから、その制御について、我々が云々できるようになるのは、まず問題が認識され、解決が議論され、試行された後のことだろうから、相当遠い未来になる。
たぶん、AI 運転車なんかが実現し普及するとしても、その頃には、私はもうとっくにこの世に居ないだろうから、自分が触れて嫌な思いをする心配はしていない。
しかし、その遠い未来でも、乗り物を使い続けているだろう将来の子供達に、今の乗り物好きが遺してやれることというのは、本当に、何もないのだろうか。
コメント
_ ryo ― 2016/11/07 23:55
_ ombra ― 2016/11/14 21:02
ryoさん。
どうも、お久しぶりです。
いつぞやお勧めいただいた690Dukeですが。
近場に試乗車がありませんで。残念ながら、乗れてません。 (^^ ;
> 少しアクセルに触れたらドカーン!
そういえば、こういう演出の改造パーツ、結構あったように思います。
バイク/クルマ限らずですね。
単純に、パワー感は増しますので。霊験あらたかなんでしょうね。(笑)
> 逆に言うと、今回の本の内容は素人でも解るレベルですね。
さらに裏返すと、我々は普段、そういうこともわかっていない、素人未満のクルマ乗りに囲まれてるってことになりますね。怖いですね。
>> ラクなことはタノシクない
> この言葉は、とあるクルマ漫画で覚えました(笑)
私の場合、出所は、昔に読んだ、トライアルの万沢さんの記事でした。
SSDTだったか、英国の過酷な競技に出ていて、もうヘタばって疲れて死にそうな時に、周りから Are you enjoying? と訊かれて。楽しいわけねえだろう!バカにしてんのか?と、その時はムカッと来たらしいのですが。後でわかったのは、彼らは嫌味やなにかでそんなことを言っていたのではなくて、その辛さに立ち向かうことをEnjoyと言っていた、彼らが「楽しむ」とはそういうことだったのだと、そう理解したのだそうです。
うーむ、これはちょっと敵わないかも・・?と、当時、私も感じました。
> ストリートビューで風景はわかるからツーリングは行かなくてもいい
きっと、目玉と脳だけの生き物なんでしょうね。(笑)
> 「オートバイが好きだ」と参加者に言わせる
スゴイですね。
変な宗教のイニシエーション(入信の儀式)みたいですね。
まあ、BMWでもハーレーでも、規模が大きいオーナーズミーティングって、同じような臭いがするものですが。「自ら均質を求める」というか、信じる対象を探している、物欲しそうな顔といいますか。
でも、それって、信じて欲しい企業側の皆様にとっては、都合がいいんでしょうね。
我々は、どうせなら、もっとリアルでカラフルな夢が見たいですね。
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長文失礼します。
自分はトランポとして日産のキャラバンに乗っているのですが
以前実家のエクストレイルに乗ったら、少しアクセルに触れたらドカーン!と
発進するので焦りました(笑)
スペックはきちんと調べていませんが、同じNA2リッターで、同じく大き目の
車体となっており、後者は車両の活発なイメージに合うようにしたんでしょうけど
あまりにも演出が過ぎていて「これはちょっとなぁ」と感じました。
今のキャラバンが初のマイカーなので、車についてはほぼ素人ですが
逆に言うと、今回の本の内容は素人でも解るレベルですね。
>「実際の所、自家用車は道具なのか」について
ここは自分にとってはコメントが難しいですね。
車は好きですが、バイクを優先してトランポに乗っているので
完全にラクするための道具として扱っています。
オイル交換やベルト交換程度の簡易なメンテはするけど
ボディは買ったときからボコボコで、そのまま放置。
たとえ雨漏りしても気にしないと思います(笑)
>ラクなことはタノシクない
この言葉は、とあるクルマ漫画で覚えました(笑)
漫画で覚えたとはいえ、とても大事なことだと思ったので
自分もいつも意識するようにしています。
でも、ネットで情報があふれるこの時代、そういう事が分かる人は
減る一方な気がします(ネットで情報を集めて、それで解ったつもり)
自分の身銭をきって経験しないと、特にバイクならば乗って触って
経験が大事な世界と思うんですけどね。
一番ひどいと思った例は、「Googleのストリートビューで
現地の風景はわかるからツーリングは行かなくてもいい」でしたね。
ユーザーの劣化も相当なもんですよ。
>二輪車の業界は、日本車は特に、このことに真面目に向き合ってこなかった。
ホンダは最近イベントで「オートバイが好きだ」と参加者に
言わせるそうで、それを聞いた僕は吐き気がしました(笑)