読書ログ 行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 ― 2017/01/22 08:02
前回の本 を探していて、目に付いたので読んでみた。
私は自転車も好きでよく乗るが(てか冬場の通勤はカブじゃなくて自転車が多い)、自転車の旅行記は、まともに読んだことがない。ちょっと読んでみようか・・・と試しに借りたのだが。かなり面白かった。
ずいぶん前の話だが、自転車競技をやっている知り合いが、スポーツは道具が無いほど面白い、のようなことを言っていて、なるほどと思った記憶がある。彼は以前は陸上をやっていて、身体の故障を期に自転車に転向したのだが、自転車は道具が介在する分、スポーツとしての面白さが減ると。
そうかも知れない。
身体と道具の割合を考えると、バイクは道具が占める割合が相当大きい。(道具がほとんどかも。)身体を使うダイレクト感や肌感覚のようなものを楽しみたいなら、自分の脚で走る自転車の方に分がある。
ツーリングも然り。しかも本書は、世界一周、単独行だ。それはそれはダイレクトで、肌感覚に満ちてたレポートが続く。
砂漠の真ん中でパンツ下ろされて身包み剥がされた後に、パンツを上げてくれた強盗の話などは、実に笑えた。
ネタバレになるので、あまり詳細は書かない。安い文庫本だし、ぜひ皆様にも読んで頂きたい。
ちょうど、この年始の時期は、南米に移って久しいダカール(?)ラリーをやっていて。「荒野を走る」イメージだけは、本書と少々かぶったのだが、無論、そのゴージャスさとは天と地の開きがある。やっていることの本質は同じようにも思うのだが、こうも様相が違うもんかなと、妙に不思議に感じた。
このダカールラリー(ダカールには行かないのに変なネーミングだ)自体も変質していて、特に南米に移ってからは、いろんな意味で、ティエリーの時代の「乾き」のようなものが完全に失せてしまい、かえって無味乾燥になるという、変な帰結を経ているように思う。
出てくるバイク(クルマもだけど)を見ていても、「ご都合主義のイビツな造り」は同じなのだが、以前は、手作り感と言うか、何とか突貫で間に合わせました!のような、どこかほほえましい感じが、ワークスマシンでも見て取れた。
でも最近は、今時のエンジニアリングというかデザインなのか、機能優先で使いやすい意味ではよくできていて、確かに便利そうではある反面、何だか、境界の向こう側の別世界の感じが強くて、現にそれでレースをしている人の感覚や、仮に自分がそれに触れることにも、容易には想像が及ばない。
カッコ悪くてさっぱりそそられない、というだけかも知れないが。あれに実際に触れる機会があっても、あまり嬉しくないなと思ってしまうのは、モトGPなんかのサーキットのロードレースと同じだ。
じゃあ、いっそのこと自転車に転向すりゃいいじゃんよ、という話ではあるし。本書の著者も、自転車の世界一周は、基本、自転車通勤程度の体力と技量があれば可能なものだと、励まして(?)くれてはいるのだが。
いえ、やっぱり無理ですから。(笑)
Amazonはこちら
行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 (幻冬舎文庫)
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://mcbooks.asablo.jp/blog/2017/01/22/8330843/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。