◆ (単行本) 四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼 ― 2024/01/26 04:56
四国を回る人は今も多いが。本書は、どこを回った、どうだった、という「ご近所さんのお遍路経験談」のようなお話では、無論ない。
一応、著者の遍路に沿った形で話は進むが、そもそもが単純な記録ではない。そこに集う個々人はもとより、地域性や歴史に関しても深く考察した思索が続く。その広がりは、これを巡礼本と呼ぶのを躊躇させるに十分なほど、広く、厚い。
今ではほぼ観光と化している巡礼だが、かつては(そして少数だが今も)プロの巡礼が存在した。巡礼者は(地域によって差があるらしいが)それに関わる沿線の人々から施しを受けられるが、それにすがって生活する人々のことだ。実態は(あまりいい言葉ではないが)乞食に近いこれらの人々は、元居た場所に居られなくなるようなのっぴきならない事情を背に逃げてきた人、時に逃亡中の犯罪者まで含まれる。
そういった人々が起こす事件というのもコンスタントに発生しており、それを題材に、主人公の出身から経歴、価値観の辺りを並べれば、それだけで十分にドラマとして成り立つのだが。本書は、そこに留まらない。
四国の巡礼路は、同様にのっぴきならなくなった人々を受け入れてきた長い歴史を持つ。巡礼者の中には怪しい人々が一定数含まれていたし、その割合は昔の方が多かった。巡礼に追い込む理由には、病気、特にらい病があったし、従って、当時は人と見做されない身分階級の人々も含まれていた。しかし後者の人々は既に地域にも存在し、お上から怪しい巡礼者を取り締まる役割を課されていたりしたので、お話はややこしい。歴史を持つということは、つまり、考察に時間軸が必要になるということでもある。
また、同じ四国でも、巡礼者に対する許容度というか、受け入れの温度のようなものにも相当な差があって、時と場所により、かなりの斑模様を描いていた。当の巡礼者の方も、その斑模様の合間をたゆたいつつ、少しでも好条件を得ようと狡猾さを発揮するので、これまた一筋縄ではいかない。これを思索するとなると、地理的なプロットが必要なわけで、さらに話が入り組んでくる。
そういった巡礼の実態について、著者は、目の前のプロ巡礼者はもとより、地域の人々への聞き込みや、事件として警察沙汰になり明らかになった事例の追跡調査、古今の各種の文献などから豊富に情報を引きつつ、具体的に掘り下げ、リアルに描写を組み立てている。
第一情報である当事者への聞き込みだが、時系列的には「ウチの爺様から聞いた話では…」といった辺りが限界で、江戸末期~明治期の頃の社会制度の変革期までが範疇となる。それ以前の直接情報は収集できないが、社会の変革期でもあるその当時の影響は巡礼に対しても大きかったから、そこでの変化の考察も有効に効いてくる。
当の巡礼者の話の方は、脛にキズを持つ身、しかも口八丁だけで食っている人々でもあるわけで、真実をそのまま話してくれることは稀だ。大概は、ある程度の脚色はもとより、でたらめの物語まで各種各様がありうる。その辺の真贋の見極めは、著者の見る目に関わって来るし、一応は裏を取るにしても、多少の不確定性はどうしても残る。
そういった「ゆらぎ」も、読者が想像を巡らせる余地を成しており、本書の面白さをかもす要素の一つになっている。著者と一緒に巡礼路を、その時代を遡りつつ、たゆたう感覚を共有するのに一役買っている。
日本の文化の歴史、特に庶民レベルの暮らしがどんなものであったのかに想像を廻らすのは、日本の歴史や文化の独自性を理解するのに、必須の教材だと思う。本書は、そのことも想起させてくれるし、実に優良な資料であると感じた。
万人に読んでいただきたい本だ。
Amazonはこちら
四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼 単行本 – 2021/11/26
一応、著者の遍路に沿った形で話は進むが、そもそもが単純な記録ではない。そこに集う個々人はもとより、地域性や歴史に関しても深く考察した思索が続く。その広がりは、これを巡礼本と呼ぶのを躊躇させるに十分なほど、広く、厚い。
今ではほぼ観光と化している巡礼だが、かつては(そして少数だが今も)プロの巡礼が存在した。巡礼者は(地域によって差があるらしいが)それに関わる沿線の人々から施しを受けられるが、それにすがって生活する人々のことだ。実態は(あまりいい言葉ではないが)乞食に近いこれらの人々は、元居た場所に居られなくなるようなのっぴきならない事情を背に逃げてきた人、時に逃亡中の犯罪者まで含まれる。
そういった人々が起こす事件というのもコンスタントに発生しており、それを題材に、主人公の出身から経歴、価値観の辺りを並べれば、それだけで十分にドラマとして成り立つのだが。本書は、そこに留まらない。
四国の巡礼路は、同様にのっぴきならなくなった人々を受け入れてきた長い歴史を持つ。巡礼者の中には怪しい人々が一定数含まれていたし、その割合は昔の方が多かった。巡礼に追い込む理由には、病気、特にらい病があったし、従って、当時は人と見做されない身分階級の人々も含まれていた。しかし後者の人々は既に地域にも存在し、お上から怪しい巡礼者を取り締まる役割を課されていたりしたので、お話はややこしい。歴史を持つということは、つまり、考察に時間軸が必要になるということでもある。
また、同じ四国でも、巡礼者に対する許容度というか、受け入れの温度のようなものにも相当な差があって、時と場所により、かなりの斑模様を描いていた。当の巡礼者の方も、その斑模様の合間をたゆたいつつ、少しでも好条件を得ようと狡猾さを発揮するので、これまた一筋縄ではいかない。これを思索するとなると、地理的なプロットが必要なわけで、さらに話が入り組んでくる。
そういった巡礼の実態について、著者は、目の前のプロ巡礼者はもとより、地域の人々への聞き込みや、事件として警察沙汰になり明らかになった事例の追跡調査、古今の各種の文献などから豊富に情報を引きつつ、具体的に掘り下げ、リアルに描写を組み立てている。
第一情報である当事者への聞き込みだが、時系列的には「ウチの爺様から聞いた話では…」といった辺りが限界で、江戸末期~明治期の頃の社会制度の変革期までが範疇となる。それ以前の直接情報は収集できないが、社会の変革期でもあるその当時の影響は巡礼に対しても大きかったから、そこでの変化の考察も有効に効いてくる。
当の巡礼者の話の方は、脛にキズを持つ身、しかも口八丁だけで食っている人々でもあるわけで、真実をそのまま話してくれることは稀だ。大概は、ある程度の脚色はもとより、でたらめの物語まで各種各様がありうる。その辺の真贋の見極めは、著者の見る目に関わって来るし、一応は裏を取るにしても、多少の不確定性はどうしても残る。
そういった「ゆらぎ」も、読者が想像を巡らせる余地を成しており、本書の面白さをかもす要素の一つになっている。著者と一緒に巡礼路を、その時代を遡りつつ、たゆたう感覚を共有するのに一役買っている。
日本の文化の歴史、特に庶民レベルの暮らしがどんなものであったのかに想像を廻らすのは、日本の歴史や文化の独自性を理解するのに、必須の教材だと思う。本書は、そのことも想起させてくれるし、実に優良な資料であると感じた。
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四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼 単行本 – 2021/11/26
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