読書ログ 「進化――生命のたどる道」 ― 2012/08/18 05:18
進化論の進化の話、腑分けの書、とも言える。
進化とは何か。簡単に述べると、遺伝の際のDNAのバラツキと、自然淘汰の「結果」ということらしい。バラツキなので、いろいろ危うかったりユルかったりするし、「結果」論なので、具体的なメリットや優劣が明確に影響しているわけではなかったりする。確率、ありていにいうと「運」で決まったりもする。
だが、一般に、「進化」という言葉が持つ色合いは、もっと誘惑的なニュアンスを持つように思う。それは、よく言えば「発展」のような、より進んだもの、優れたもの、というニュアンスを裏側ににじませる。我々が普段、「進化」を口にする時、その意図を込めていることも多いだろう。(正常進化、とか。進化に正常や異常があるのか?) 逆に、相手を「劣る者」扱いする、差別的なニュアンスをも包含しかねない。
実際、「進化論」の科学的な議論は、キリスト教的な人間優位主義、「神の意思が込められている、神が望まれている」式の、頭ごなしな教義との戦いの歴史でもあったようだ。表向き、その戦いは、「今は終わった」扱いなのだが、目を凝らすと、要所要所で、同じような陰影を、今も帯び続けている。
「科学的な進化論」、つまり、化石やDNAなどの物的証拠を元に、考古学から分子科学的な知識まで総動員して、長い長い時間の糸をたぐり寄せようという努力は膨大に続けられている。その知識は、既に緻密に組み合わされつつあって、反論の隙を探すのも難しい、完成したもののように見えている。しかし、いまだに「解釈の問題」の様相も呈しているし、evidenceと言えるほどの厳密性を欠いている場合も散見される。そもそも、実際に時間をさかのぼって見に行くのは不可能だから、検証のしようのない、「正解のない」問題でもある。
要するに、化石なんかを、こう考えればつじつまが合う、だから理由づけとして妥当と思われる、という話の積み重ねなので、解釈次第でいくらでも変る。その証拠に、今でも細部はしょっちゅう変っている。
所詮、科学とは、そんなものだ。
思われているほど、磐石ではない。
これは、その「今の細部」を知るには、最適の本と言える。
章末に、まとめと挿話があるのだが、これが、混み入りがちな論旨を簡潔に整理してくれるし、また、パースペクティブを増やしてくれて、理解の助けにもなる。ズボラなパパは、ここだけ読んで、分ったような気にもなれる。優れた編集だ。(笑)
お値段はちと高い本だが、フルカラー400頁超のハードカバー。贅沢な企画である。(さすが岩波。) それだけに、読むのにも労力が要る。(労力をかけて読むので、何か凄いことが判ったような気になれる。)
ただ、上述のように、「都合よし」、「我田引水」的な面もなくはないので、カウンターを並置した方が、バランスを保てるように思う。今西先生の進化論のようなものを、サイドテキストに添えておけば、単一視点のワナにはまらずに済むだろう。
しかし、進化論が、単一のワナに見えてしまうというのも、妙な逆説だ。
進化論が、真の意味で「多様性」を使いこなせるようになるには、もう少々、時間がかかるのかな、と思った。
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進化――生命のたどる道
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