読書ログ 「角栄のお庭番」 ― 2014/03/08 06:34
「お庭版」とは、またうまい単語をあてがったもんだ。
一見して、そう思った。
エライ人のお傍近くで、その動静をつぶさに見ている。
普通の人が知らないこと、報道されていないこと(裏側)まで、よく知っている。
だけど、微妙に責任はないという。(笑)
そんな、便利なポジショニングを思わせる。
確かに、書かれている内容は、そんな感じの重さ(軽さ?)ではあった。
角栄は、「田中軍団」と呼ばれるほど多人数の秘書を抱えていたが、朝賀さんは、その一人。「軍団」の中でも、それなりのポジションを得ていたらしい。それを、中澤さんというライターが取材して、朝賀さん目線で、一人称で文章を書いている。「角栄」の、勃興と衰退の歴史である。
時代は、まだ日本が、回っていた時期。
「回っていた」というと、語弊があるかも知れない。しっかりとした軸や、ちゃんとした輪があったようには、正直、見えない。
でも、少なくとも、今よりも「動いて」はいた。
そのダイナミクスを背景に、政治家たちが、すったもんだしていた。
政治の話である。
簡単ではない。
理屈ではなく、感情の世界だ。
はらわたが煮えくり返るほど嫌いな人物に、頭を下げて助けを請うことなど、何でもない。必要だと思えば、何でもやる。無論、自分が優勢になった際の倍返しも忘れない。
「手の平はいくら返しても減らない」
そういう連中だ。
「お庭番」目線なので、仕える主は、美しめに書かれている。
しかし、人間の実際の生き様というのは、ニュースが紡ぐドラマのように、単純でもないし間抜けでもない。本当はみんな、もう少しはマジメだ。だから、いわゆる世評と、こういう本の内容の、どちらが本当なのかは、よくわからない。
きっと、部分部分で、真偽はまだらだろう。
見る人の角度や見方(意識)によっても違うだろうし。
政治の話なのだ。
やはり印象的なのは、実力がピークアウトした後の、没落の物語だ。
政治的に、「クリーン三木」の方がよほど汚かったとか、結局、してやったのは金丸と竹下だとか、そんなこともあるのだろうけど。私が気になったのは、「世論」の方だ。
角栄を貶めたのは、「嫉み」ではなかったか。
彼が、政治力を背景に不当に利益誘導して儲けている。それが嫉ましかった。
そういう「物語」が、感情的に盛り上がった。
「倍返し」や「次」を狙う連中も、あまねくそれを利用した。
それが、日本にとって、よかったことなのかは分からない。
ただ、みっともなかったなあ、とは思う。たとえ、角栄を没落させたとて、その持分が、我々の取り分になるわけではなかったし、そんなのは当時でも分かっていたはずなのだ。
そういう類の嫉み。自分が得るものは何もないのに、ただ相手を引きずり落としたいだけ。無邪気に、相手の足を引っ張って、喜ぶ性根。
それは、ここしばらくの隣国とのいさかいで、お互いに盛り上げあっている類の感情と、よく似ているように思う。
日本は、アレの走りを、隣国に「やって見せた」のだろうか。
まあ、当の「世論」の方は、そんなことは関係なく、ただ、そんな類のスキャンダルを、感情的に、便利に、消費していた。 きっとこの先も、同じように消費し続けるのだろう。
個人的に思い出したのは、震災前だから2010年だったと思うが、小沢vs菅の代表選だ。あの、見えみえの茶番と、その挙句の震災時の惨劇を挙げるまでもなく、ああ裏があるなあ、しかも、まるで回ってないなあと感づいているような、少しは気の効く連中は、この本を読んでも、ああ、やっぱりなあ、と思うだけだろう。
逆に、角栄や小沢が「汚い」と本気で信じている皆様は、こんなものは読まないだろうし、たとえ読んでも意見は変えないだろう。そして、一番大きな看板が一番真実に近いはずだと、ずっと、無邪気に思い続けるのかもしれない。
どちらの立場の人が読んでも変化がないということは、あまり意味のない本なのかな、とも感じた。
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角栄のお庭番 朝賀昭
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