読書ログ 敗北のない競技 ― 2015/09/05 05:32
グランツールの一つであるブエルタに実際に出場していた選手が書いた、サイクルロードレースの本である。
内容は、大きく二つある。
一つは、自身の成長の物語。ギラギラした若者が、日欧を渡り歩いていろいろ揉まれて、チームのサポート役にやりがいを見出すまでに丸くなる、その変遷を吐露している。
もう一つは、本場ヨーロッパのサイクルロードレースの実情について、報告というか暴露である。
関東以北だけかもしれないが、この前の福島の大地震以来、ロードっぽい自転車がブームだそうで、公道を走るジャージ&ヘルメットの自称プロトン(「集団」の意らしい)もよく見かけるようになった。反面、事故も増えて、当局による新たな規制を呼んだりといった話もよく聞く。
日本では長らく、自転車は、自動車と歩行者の中間の、半端な扱いが続いていた。道路などのインフラも、それを前提にされていて、要は、「歩道をゆっくり走るママチャリ」しか想定されていなかった。
ロードの自転車は、歩道を走れるスピードではない一方で、車道には走れる場所がない。なので、「邪魔だ」と文句を言われながら、びくびくしながら車道を走るのが、これまでの標準の仕様だった。
地震の後のブームからこっち、車道の自転車は増えたから、少しは市民権も得てきたのかも知れない。マンガだかアニメなんかの流行りも効いていると聞く。
反面、縛りの方もキッチリ増えていて、私はロードの自転車を30年以上アシに使っているが、昔は誰も見向きもしなかったのに、最近は、あっち走れとか、ここには置くなとか、目の敵にされる頻度も増えている。
たぶん、一般ピープルにとって、ロードバイクが何なのか、知らない人がほとんどだと思うのだが。NHKがツール仏をデイリーでやっていたりで(BSだけど)、情報の流通量は増えているようだ。興味を持つ人も増えているのだろう。
しかし、大体は通り一遍と言うか、表層的なお話が多くて。本当のこと、裏の裏の情報なんかは、なかなか出てこない。だから、本書の情報は貴重である。
ただ、著者自身も書いているが、日本の場合、意識高い系の綺麗ごとワールドにお棲まいの方も結構多いので(自転車がエコなんてそっち方向とか)、こう赤裸々に本当のことを書いてしまうと、ご理解いただけない場合も少なくないだろう。(私も、結構明け透けに物事を書くので。この辺はよく知っている。笑)
ロードレース。
あの運動量で、しかも競技だ。
その実際は凄まじい。
その昔はカーボローディングだったが、身体に悪いってんで、バナナ食いながら走っていた時期もあったけど。最近は、走っている最中は軽い補給だけに戻ったようだ。でも、必要な運動量は増える一方だから、競技中は食事にパスタをバカ食いしても、どんどん体重が落ちて行く。疲れたなんて生易しい状態で済むわけはなくて、体中が物凄く痛む。夜は睡眠薬を飲まないと眠れないし、走っている最中も、山場の前には「痛み止め」を皆で一斉に飲む。事前にチームからちゃんと配布されているのだ。
全く、考えれば不思議なものだ。例えば、エンジン付きのバイクの方のサーキットレースで、プラクティスで転んで軽く骨折(って何だろね)して、でも痛み止めを打って本戦で頑張っている選手を「やるなあ」と賞賛することはあれ、ドーピングだと非難することはない。やっていることは同じなんだが。
ツールに限らず、(自転車の)ロードレースも、意味合いとしては変化し続けていて。もう昔のように、「オラが里の選手」が頑張っている身近な競技などでは全くない。単純にビジネス、結果は成果主義、底辺はブラックな肉体労働、勝てなきゃクビだ。ハンドルで殴り合い、ペダルで蹴落とし合いの世界。(ある意味、パリダカ辺りの変遷と似ている。) しかもステージが、「エグい所は隠すから上品」という、あのヨーロッパだ。キレイごとで済むわけがない。
まあ、いい方に解釈すれば、プロ的な厳しさから一番遠い日本の状況は、「趣味として」ロードサイクルで遊ぶには、一番近いとも言えそうなのだが。実際は、ツールの綺麗ごと情報や、マンガなんかのフィクションのマネにニーズは限られていて、自転車のハードの供給にも、道路などのインフラの整備の面でも、真面目に長期間、楽しもうというような雰囲気は、ほとんど感じない。とりあえず今だけしのげれば、とそんな感じに見える。その度合いの深刻さは、エンジン付きのバイクの方より、深刻なようにも感じられる。
過去、何度か巡って来た「自転車ブーム」は、大概は一過性で終わっていた。ブームが環境に影響を及ぼす前に沈静化していたのだ。しかし、今度のブームは思ったよりロングテールで、いろいろ影響が見られる一方、あまりいい方向には進んでいないように思う。
「次に何が来るか」を見極めて、真っ先に乗ろうとしている連中はしこたまいる反面、「次をどうしようか」と真面目に考え込んでいる人は、ほとんどいないようだ。作り手も使い手も、そんな感じでは共通している。
私の30年モノのロード自転車も、もう古くてパーツがないから、買い換えようかとも思う一方で。別に、速く走ろうとか、人に勝ちたいとは思っていなくて。ただ、ロードを楽しく走れれば、それでいいのだが。しかし、そういう目で新しい自転車を探しても、本当にいいのがない。無駄にオーバースペックな高級品と、手抜きが目立つ素人向けの安物に二分している。仕方ないからと安物の方に手を出すと、値段以上に寿命が短いのが目に見えている。エンジン付きのバイクの方と、同じような状況だ。
仕方ない、もう、そう遠乗りするわけでもないから、何とかごまかしながら、今のを使うか~と。これまた中途半端な所に留まらざるを得ないというのも、エンジン付きのバイクと同じだ。
情況があまり好転していないから、帰結もこれまでのブームと同じというオチが、一番ありそうに思える。世間で今ハマっている皆様も、しばらく乗って様子がわかってしまえば飽きちゃう可能性は低くないし、危ない目や痛い目にあえば、やはり離れてしまうだろう。
プロの世界も厳しいだろう。身体への負荷が厳し過ぎて、選手生命は、もともと短い業界だ。日本では唯一、競輪があったのだが。今から稼ぐのは、かなり微妙だろう。自転車で食うのは、もう難しそうだ。
だから、たとえ著者のファンになったとて、応援のやりようがないというのが、ちょっと辛い読後感となった。
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敗北のない競技:僕の見たサイクルロードレース
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