バイクの本 The Upper Half of the Motorcycle その32013/08/04 05:17




知識は、経験を補完しない。

クルマのクラッシュテストを、初めて、間近で見たエンジニアは、
  ひしゃげた車体・・・
  飛び散り、散乱する部品・・・
そのエネルギーの大きさに、改めてビビるそうだ。

スピードが2倍なら、エネルギーは4倍。
そういう知識は、並み以上に持っているにもかかわらず、だ。

我々も、実際に、事故を目撃するとビビる。
  いやあ、ヤバイよね・・・気をつけて行こう・・・
そう思う。
10kmくらいは。(笑)

で、いつの間にか、その「恐怖の光景」は忘れ去ってしまい。
また、いつもの運転に戻っていく。

後々まで行動を縛るような、強烈な印象をもたらす要因といえば。
「強い恐怖」が思い浮かぶが。

何でも、「怖気づいたライダーは、最悪」なんだそうだ。

なぜ最悪なのかは、後で教えてくれるとある。

楽しみにしておこう。

さて。

人間に特有な能力だが。
適応力だと。

人類は、地球の北から南から、世界中で生息している。
これだけの広範囲に適応している種は、他にはいないと。

我々も、極地から赤道直下まで、行こうと思えば行けるし、行ったら行ったで、何とか暮らせそうな気はする。

そこへ、ペットを連れて行くことを考えてみればいい。
そのペットは、行った先の環境に馴染めるだろうか?。

一方で、人間の個々の能力そのものは、他の動物に比べて、特に秀でてはいない。
 人間より速く走れる動物
 人間より、泳ぎが達者な動物
 より遠くまで行ける動物
 もっと遠くまで見える動物
 飛べる動物
 ・・・
人間より能力が秀でている動物は、いくらでもいる。

ただし、そのあらかたをやりうる動物、今はできなくても、やれるようになりかねない動物というのは、他にはいない。

無論、普通の動物の生き残りも、「適応力」にかかっている。
特殊なくちばしの形をした鳥が、地域特有の植物によく適合していて、持ちつ持たれつの関係を築いている例などが挙げられる。
いわば、持ち分の分野に特化した「専門家」になるのだ。

専門家だから、その道では、他を寄せ付けない能力を発揮するが。
一歩道を外れると、途端に役に立たなくなる。

特殊な形のくちばしは、ほとんど、その用途にしか使えない。
当たればデカイが、待ちは薄い。
環境が変われば、淘汰されてしまう。

その意味では、脆弱なのだ。

人間本来の能力は、これとは真逆を行っている。

巨大な大脳を持ち、真っ白な状態で、生まれてくる。デフォルトでは何にもできないくせに、まるで、適応力が、大口を開けて待っていたかのような、吸収力を見せ始める。

単に、「専門がない」ということなのか、
「専門を持たない」専門、ということか、
専門家の間でも、議論が分かれているらしいのだが。(笑)

自らを変える能力。

変幻自在に、道具を作り、使いこなす能力。

バイクも、その「道具」の一つだと。


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バイクの上半分 42013/08/11 09:01




人間の行動を決めているのは、「プログラム」である。

何かをしようと思ったとき、例えば腕や指の一挙手一投足まで、意識して動かしているわけではない。本人は、何となく、そんなことをやろう、と思っただけなのに、身体は、その一連の動作を「半ば勝手に」行っている。

その、一連の動作を逐一収録した「プログラム」が頭の中にあって、行動を律している。
我々の行動の如何は、その「プログラム」の良し悪しにかかっているのだ。
だから、それがどうなっているのかを知るのは、重要だ。

「プログラム」は、バリエーションが広い。単純なものはもちろんだが、かなりの長時間作業用を可能にする、膨大な情報量を含むものまで、さまざまなものがある。

プログラムには、大きく2種類がある。
先天的なものと、後天的なもの。

「先天的プログラム」は、例えば、蜘蛛の巣だ。蜘蛛は、誰に言われるわけでも、習うわけでもないのに、巣を張れる。その能力は、生まれた時点で、既に刷り込まれている。

基本、練習や上達は必要としない。その代わり、上達や改変などができる余地はほとんどないし、手を抜いたりという自由もない。さらに、プログラムの書き換え(バグ取りや最適化)に、数世代という長い時間を要する。(急激な環境変化には対応できない。)

「後天的プログラム」の方は、初めは全くできなくとも、教育や訓練によって、身に着けて行く類の能力を言う。人間は、この後天的プログラムの多彩さで、他の動物を圧倒している。歩行、言語、スポーツ、楽器、水泳などが、これに含まれる。

何をしたいのかは、本人が(ある程度)選べるし、好みに応じて、いくらでも最適化できる。人それぞれの、「オレならでは」の能力が開発できるわけだ。(結果、「同じ人は居ない」となる。) 環境の変化への対応の素早さも、大きな利点だ。欠点としては、「いちいち苦労して学ばねばならぬこと」となる。

以上のように、プログラムの先天/後天の優劣は、相反している。
どうも、柔軟と堅牢は、同居できない仕組みらしい。

一方で、実際は、この2つの種類は、明確に分かれるものではない。
蜘蛛だって、その場の枝ぶりに応じて巣を張る「最適化」をしているし、単純作業の完全な繰り返しに留まっているわけではない。

人間だって、全く能力が備わっていないものは、いくら練習しても習得できない。(例えば、蜘蛛の巣は張れない。) 先天的プログラムの影響が皆無、というわけでもない。「三つ子の魂、百までも」なんて言葉もあるし、極端にスケベなオッサンは、ジジイになってもスケベなまんま、という例なんかも散見される。(笑)

端的に、プログラムの粗方は、この両方が混じった「混合タイプ」なのだと。
程度の違い、とも言える。

これらプログラムに共通する特徴としては、「忘れられない」ことだ。
一旦、身についたものは、意図して忘れることはできない。

  子供の頃、自転車に乗れるようになって。
  その後、全く乗らずに、数十年。
  孫と一緒に乗るために、自転車に打ち跨ったお婆ちゃんは・・・
  ちょっとの練習で、すっかり元通りに乗れるようになったと。

  水泳を憶えた人が、意図的に溺れることはできない。

  久しぶりにギターを持ったら、昔、憶えた曲を、手が勝手に弾き始めた。
  ・・・・・

「知る」と「学ぶ」は、別である。
学んだことは、忘れない。

遺伝プログラムは、それこそ忘れることはありえないが、後天的プログラムは、放置すると劣化する。だから、必要に応じてメンテナンスが要る。

一冬、バイクを冬眠した後、春の初乗りで感じる「違和感」は、経験が浅いほど、年齢が若いほど、強いのだそうだ。
つまり、「ライディングのプログラム」の根付き具合が浅いほど、劣化も早いのだと。 経験が長いライダーの「プログラム」は、深く「自動化」されていて、その深度が「忘れ難さ」をもたらしている。

訓練や反復により、プログラムは深化する。
しかし、どんなに頑張っても、遺伝プログラムの堅牢さには至らない。

もう一つ。
「後天プログラム」は、自己最適化する。

初め、マネや知識でもって、基本的な動作を習得して、何となく様子が分かってくると。後は、勝手に、上達していく。

この「自律性」も、後天プロの特徴だそうだ。

そうやって、我々は、バイクを「習得」した。

では具体的に、何を習得したのか?。


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