読書ログ 「脳のなかの天使」 ― 2013/08/03 04:21
脳科学者による、専門的な知見の、平易な解説である。
何でも、同種の著書で結構売れたのがあるそうで( 「脳のなかの幽霊 」 )、本書は、その続編という位置づけらしい。
なんで、題名が幽霊→天使に変わったのかは、よくわからなかったが。
「天使」のイメージ通り、すっきりポジティブな印象でもって、面白く読めた。
過去、何度か、同じような本を取り上げたが、今回のは、少し趣が違った。
高名な学者さんによる御知識ご開陳という、よくあるパターンではない。
既知の事象やデータ(脳内の働きに関する知識)を、つなぎ、つむいで、未知の事象(医学的な症例など)との対応を取ることで、その所以や仕組みを解き明かそうとしている。哲学や、心理学のテリトリーまで取り込んで。
面白いのは、真実は一つ、こうであるはず、あらねばならぬ型の、一元論的な話の展開とは違うことだ。無論、神のせいに帰して、済ませたりもしない。多元論的で、柔軟な考え方をしている。
多分、著者がインド人で、一神教的な思考法に固まっていないのが、効いているように思われた。
少なくとも私には、この思考法はよく馴染むものだった。(ちなみに、脳は不思議なんデスネエ風に、曖昧に丸めて終わらせる、ニッポン方式とも違っている。)
とはいえ、活字の量は結構ある。1ページの字数も多いのに、全編で400頁超(翻訳者の解説なし)。平易に書こうとはしてくれているんだが、書くべきことをあまねく網羅しようとすると、この量になる、ということらしい。とにかく詳しくて整理もされているので、知識の辞書としても使えそうなボリュームだ。
しかし、宣伝だか思いつきのような、底の浅い科学読み物も少なくない昨今、これは納得だ。最新の脳科学の内容を、誤解なく伝えようとすれば、少なくともこの量にはなる。
調査のやり方からして、多岐に渡っている。
・MRIイメージのようなもので、脳そのものの機能を調べることはもちろん、
・脳の特定の部位に障害が発生した患者に特徴的な症状を調べることで
脳の機能マップを、
・サルと人間の脳の違いを調べることで、人間だけが持つ特徴、例えば
ユーモアなどが、どのようなメカニズムでもたらされるのかを
それぞれ、調べている。
著者の興味は、人間に、爆発的な進化をもたらした所以が何か、人間を、他の動物と一線を画しているものは何かにある。
例えば、ミラーニューロンだ。
相手の「感情」、つまり、「脳が働く様子」を、自己の内に同時シミュレーションすることで、密接なコミュニケーション、つまり、意味の共有がリアルタイムに行える。だから、生死に関わる情報の共有を、数世代の時間を投じて、遺伝子に書き込む必要なんかはなくなった。その場その場で、臨機応変な対応ができることになったのが、長足な進歩を促したではなかろうか、と。
いろいろ示唆的にも読める。
認識と錯覚の境目は、実はいい加減で、脳は、拡大解釈をしがちなのだそうだ。さらに、脳は、情報の処理に複数の経路を持つが、矛盾や違いを極端に嫌う傾向があり、それを避けるために、捻じ曲げや捏造をするのだと。
脳は、基本的に、自分に便利にできている。
不真面目で、利用され易い。
同調圧力を好むし、情報操作に弱い。
脳は、自分が思っているほどは、緻密でも、真面目でもないらしい。
ぶっちゃけ、自分の主人が、自分なのかも、わからない。
仕方ない、気楽でもいいんだな、と思う一方、気をつけねばね、とも思わされる。
脳が部分的に機能の低下や欠落をきたした場合、特徴的な症状を現す。その医学・病理的な所見から、脳の何たるかを探ろうという方法論も、興味深く読めた。
例えば、視覚の認識を行う部位と、それが何であるかを記憶している部位の間の経路が欠落すると、オレンジ色の野菜であることはわかるのに、それがニンジンであることが、どうしてもわからない。
それがMoto Guzzi であることは知っているのに、優れたモーターサイクルであることは、ついぞわからない、というのも、何か欠落しているのだろうか?。(笑)
逆に、普通は繋がっていないはずの脳の部位が繋がると、これまた奇妙な症状をきたす。例えば、2という数字が緑に見える、とかそんな症状になる。(数字を認識する部位と、色を認識する部位が、すぐ近傍にあるので、繋がり易いそうだ。) これが、悪いことばかりとは限らず、普通の人間にはない特殊な感覚となって、例えば、芸術などに、特別な能力を発揮する、かもしれない、らしい。(才能、ってやつかも。)
他にも、
認識(意識)と、対処(処理)は別ルートで行われている
意味とは識別である
思考とは、オフラインシュミレーションのようなものだ
とか、いろんなことが書いてある。
いろんな角度から、多彩なことが書いてあるのだが、「腑に落ちる」類の記述が多く、実に興味深く読めた。
普段、私が疑問に思っていたことのヒントを、高濃度で与えてくれた本だった。
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定価は¥1900と、この内容・量にしては安い。
のは、いつもの岩波ではなくて、角川だからか。
脳のなかの天使
バイクの本 The Upper Half of the Motorcycle その3 ― 2013/08/04 05:17
知識は、経験を補完しない。
クルマのクラッシュテストを、初めて、間近で見たエンジニアは、
ひしゃげた車体・・・
飛び散り、散乱する部品・・・
そのエネルギーの大きさに、改めてビビるそうだ。
スピードが2倍なら、エネルギーは4倍。
そういう知識は、並み以上に持っているにもかかわらず、だ。
我々も、実際に、事故を目撃するとビビる。
いやあ、ヤバイよね・・・気をつけて行こう・・・
そう思う。
10kmくらいは。(笑)
で、いつの間にか、その「恐怖の光景」は忘れ去ってしまい。
また、いつもの運転に戻っていく。
後々まで行動を縛るような、強烈な印象をもたらす要因といえば。
「強い恐怖」が思い浮かぶが。
何でも、「怖気づいたライダーは、最悪」なんだそうだ。
なぜ最悪なのかは、後で教えてくれるとある。
楽しみにしておこう。
さて。
人間に特有な能力だが。
適応力だと。
人類は、地球の北から南から、世界中で生息している。
これだけの広範囲に適応している種は、他にはいないと。
我々も、極地から赤道直下まで、行こうと思えば行けるし、行ったら行ったで、何とか暮らせそうな気はする。
そこへ、ペットを連れて行くことを考えてみればいい。
そのペットは、行った先の環境に馴染めるだろうか?。
一方で、人間の個々の能力そのものは、他の動物に比べて、特に秀でてはいない。
人間より速く走れる動物
人間より、泳ぎが達者な動物
より遠くまで行ける動物
もっと遠くまで見える動物
飛べる動物
・・・
人間より能力が秀でている動物は、いくらでもいる。
ただし、そのあらかたをやりうる動物、今はできなくても、やれるようになりかねない動物というのは、他にはいない。
無論、普通の動物の生き残りも、「適応力」にかかっている。
特殊なくちばしの形をした鳥が、地域特有の植物によく適合していて、持ちつ持たれつの関係を築いている例などが挙げられる。
いわば、持ち分の分野に特化した「専門家」になるのだ。
専門家だから、その道では、他を寄せ付けない能力を発揮するが。
一歩道を外れると、途端に役に立たなくなる。
特殊な形のくちばしは、ほとんど、その用途にしか使えない。
当たればデカイが、待ちは薄い。
環境が変われば、淘汰されてしまう。
その意味では、脆弱なのだ。
人間本来の能力は、これとは真逆を行っている。
巨大な大脳を持ち、真っ白な状態で、生まれてくる。デフォルトでは何にもできないくせに、まるで、適応力が、大口を開けて待っていたかのような、吸収力を見せ始める。
単に、「専門がない」ということなのか、
「専門を持たない」専門、ということか、
専門家の間でも、議論が分かれているらしいのだが。(笑)
自らを変える能力。
変幻自在に、道具を作り、使いこなす能力。
バイクも、その「道具」の一つだと。
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The Upper Half of the Motorcycle: On the Unity of Rider and Machine
読書ログ 「カラスの教科書」 ― 2013/08/09 05:30
表紙を見て、誤解する人はいないと思いますが一応、
これは、カラスが学ぶための教科書ではありません。
人間が、カラスを学ぶための教科書であります。
著者は、結構えらい(?)行動生態学の学者さんらしいが。見た目の通り、堅苦しい研究論文集などではなくて、平易な解説の本である。
普通、カラスには、あまりいいイメージがない。その辺に居て、早朝からカーカーとうるさい。ゴミをあさって散らかす。黒くてデカくて無愛想で・・・。ぶっちゃけ、嫌われ者だ。野良猫に餌をやって喜ぶネコババア(近所迷惑なんだこれが)はいても、カラスに餌をやるカラスババアはいない。
研究素材としてもやり易くないらしい。(黒くて識別がしずらい…などなど。)そもそも、珍しくもない鳥なので、研究しても 「目立たない」。そんなわけで、誰も調べない、のだそうだ。
そのカラスを、長年追い続けてきた著者である。
ちょっと斜に構えたような、ひょうきんな筆致とイラストは、きっと、著者の人となりを表しているのだろう。この、実は地味でややこしい仕事を、クスッと笑わせながら、面白おかしく読ませる手腕は見事である。
様々な角度から、脱線すれすれの筆致で、雑多な解説を書いているのに、全体としては破綻どころか、実に良くまとまっている。
よく考えられた文章なのだ。
(一見、そうは見えないので。ホントかはあやしいが。)
いろいろ勉強になった。
・意外と長生き。寿命は20年・・・以上!?。
・基本、離婚はしない。
・もともと、死体(腐肉)を食らう鳥。(だからゴミをあさる。)
・生肉も食う。ハトを捕食することも。(首をちぎって放るって・・・)
・実はビビリ屋さんなので、人間に危害は加えない。
などなど。
カラスに「理解がある」著者なので、カラスの世界観を、実に上手に書いている。( この辺 の著者は見習うべきだ。)
文章は簡単なのだが、それだけに、時に、哲学的な問いを帯びる。
例えば、カラスは賢いですか?という質問は、
「賢い」って何?
あなたは何をもって「賢い」と言っているの?
それって、いいこと?、悪いこと?
そんな「根本的な問い」を、アナタに返すことになる。
著者は、カラスの生態を描きつつ、実は、それを眺めるアナタの内面を、あぶりだしているわけだ。(だから、研究として価値を持つ。)
などと思っていたら、終盤に、「哲学的な質問」の章があった。
ほんのちょっとだけ、だったけど。(笑)
本の作りとしては、活字の密度が薄くて紙が厚いので、400頁そこそこなのだが、小型の辞書のような厚みがある。
それでも、スッキリ読めてしまう。
小学校高学年程度のお子様でも読めるだろう。
夏休みの研究の、ネタ本としても使えそうだ。
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カラスの教科書
バイクの上半分 4 ― 2013/08/11 09:01
人間の行動を決めているのは、「プログラム」である。
何かをしようと思ったとき、例えば腕や指の一挙手一投足まで、意識して動かしているわけではない。本人は、何となく、そんなことをやろう、と思っただけなのに、身体は、その一連の動作を「半ば勝手に」行っている。
その、一連の動作を逐一収録した「プログラム」が頭の中にあって、行動を律している。
我々の行動の如何は、その「プログラム」の良し悪しにかかっているのだ。
だから、それがどうなっているのかを知るのは、重要だ。
「プログラム」は、バリエーションが広い。単純なものはもちろんだが、かなりの長時間作業用を可能にする、膨大な情報量を含むものまで、さまざまなものがある。
プログラムには、大きく2種類がある。
先天的なものと、後天的なもの。
「先天的プログラム」は、例えば、蜘蛛の巣だ。蜘蛛は、誰に言われるわけでも、習うわけでもないのに、巣を張れる。その能力は、生まれた時点で、既に刷り込まれている。
基本、練習や上達は必要としない。その代わり、上達や改変などができる余地はほとんどないし、手を抜いたりという自由もない。さらに、プログラムの書き換え(バグ取りや最適化)に、数世代という長い時間を要する。(急激な環境変化には対応できない。)
「後天的プログラム」の方は、初めは全くできなくとも、教育や訓練によって、身に着けて行く類の能力を言う。人間は、この後天的プログラムの多彩さで、他の動物を圧倒している。歩行、言語、スポーツ、楽器、水泳などが、これに含まれる。
何をしたいのかは、本人が(ある程度)選べるし、好みに応じて、いくらでも最適化できる。人それぞれの、「オレならでは」の能力が開発できるわけだ。(結果、「同じ人は居ない」となる。) 環境の変化への対応の素早さも、大きな利点だ。欠点としては、「いちいち苦労して学ばねばならぬこと」となる。
以上のように、プログラムの先天/後天の優劣は、相反している。
どうも、柔軟と堅牢は、同居できない仕組みらしい。
一方で、実際は、この2つの種類は、明確に分かれるものではない。
蜘蛛だって、その場の枝ぶりに応じて巣を張る「最適化」をしているし、単純作業の完全な繰り返しに留まっているわけではない。
人間だって、全く能力が備わっていないものは、いくら練習しても習得できない。(例えば、蜘蛛の巣は張れない。) 先天的プログラムの影響が皆無、というわけでもない。「三つ子の魂、百までも」なんて言葉もあるし、極端にスケベなオッサンは、ジジイになってもスケベなまんま、という例なんかも散見される。(笑)
端的に、プログラムの粗方は、この両方が混じった「混合タイプ」なのだと。
程度の違い、とも言える。
これらプログラムに共通する特徴としては、「忘れられない」ことだ。
一旦、身についたものは、意図して忘れることはできない。
子供の頃、自転車に乗れるようになって。
その後、全く乗らずに、数十年。
孫と一緒に乗るために、自転車に打ち跨ったお婆ちゃんは・・・
ちょっとの練習で、すっかり元通りに乗れるようになったと。
水泳を憶えた人が、意図的に溺れることはできない。
久しぶりにギターを持ったら、昔、憶えた曲を、手が勝手に弾き始めた。
・・・・・
「知る」と「学ぶ」は、別である。
学んだことは、忘れない。
遺伝プログラムは、それこそ忘れることはありえないが、後天的プログラムは、放置すると劣化する。だから、必要に応じてメンテナンスが要る。
一冬、バイクを冬眠した後、春の初乗りで感じる「違和感」は、経験が浅いほど、年齢が若いほど、強いのだそうだ。
つまり、「ライディングのプログラム」の根付き具合が浅いほど、劣化も早いのだと。 経験が長いライダーの「プログラム」は、深く「自動化」されていて、その深度が「忘れ難さ」をもたらしている。
訓練や反復により、プログラムは深化する。
しかし、どんなに頑張っても、遺伝プログラムの堅牢さには至らない。
もう一つ。
「後天プログラム」は、自己最適化する。
初め、マネや知識でもって、基本的な動作を習得して、何となく様子が分かってくると。後は、勝手に、上達していく。
この「自律性」も、後天プロの特徴だそうだ。
そうやって、我々は、バイクを「習得」した。
では具体的に、何を習得したのか?。
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読書ログ 「正直シグナル」 ― 2013/08/17 05:09
多分に、誤解を与える表題だと思う。
目の前の人と、直接的、感情的に「この人、いい人に見える、感じる」のような、個々人のかかわり合いを論じた本にも思えるが、そうではない。
無意識、一般的に、我々がものを感じ、判断している作法を、統計的に抽出して、社会学的な見地から、意味づけを行おうという試みである。
何のこっちゃワカランと思うので具体的に書くと、人々が何を感じているか端的に測定するというソシオメーターなる装置を多数の人に装着し、いろんな場面のデータを収集、解析して、人間の「群れの法則」を抽出しようとしている。
例えば、我々は、自分で判断しているつもりでも、実は周りの状況に合わせたり、従ったりしているだけなんデスネエ、といった按配だ。
統計的な処理が入るので、(細部)個々の事情は、塗り込められて見えなくなる。「パッと見、または遠目で見ますと、こんな感じに見えますよね」と丸め込まれてしまう。
統計の罠、と私は勝手に呼んでいるのだが。
皆さんにも覚えがあろう例を挙げる。
一番なじみがある統計用語と言えば、偏差値だろう。
入試の頃、模試やなんやでつけられるアレだ。
例えば、数人の成績が上がり、同じ人数が同程度に落ちれば、統計的には、何も変わらない。(細部の無視)
皆が等しく成績が上がれば、あなたの得点が横ばいでも、成績は落ちたことになる。(相対評価)
平均点を取った奴は、居ないかもしれない。(抽象化)
非線形系(一筋縄で行かないもの)や、多元系(いろんなものが、いっぺんに絡んでいるもの)を扱うと、誤差が大きい。(やり方次第で、いかようにも結果が作れる。)
境界条件(どこまで有効なのか)を、はっきり言わないことが多い。(考えてすらいないことも。)
偏差値がいくら良くても、入試に受かるかを保障するものでは全くない。良くても落ちる、悪くても受かるといった例が、周りにも居たはずだ。つまり、ただの目安でしかない。
要は、統計は、使いようによっては便利なものさしではあるものの、それなりのクセもあるものなので、使い方に気をつけないと間違いますよ、ということだ。
そんなわけなので、本書の場合も、解釈や裏づけに、脳科学的な情報を引用したりもしているが、どうもしっくり来ていない。
きっと、日々の生活に役立ったり、彩りになったりすることもなかろうと思う。
逆に、「抽象的な社会学的一般論」なので、断片をちぎって膨らませば、いくらでもネタになる。パッと考え付くだけでも、
・どうして買ってしまうのか、正しいマーケティング方法とは?
・カレのウソを見破る方法!
・ソーシャルに騙されないために
・プラス(マイナス)思考で上手く行く!
・ネットワークインテリジェンスの管理について
(マーケティングかマネージメントのことだろう・・・)
このご時勢、断片をただ膨らませただけの文章を、もっともらしく偽装するのが得意な人は結構見かけるが。そんな皆様には、いいネタになる本だろう。
個人的には、翻訳の拙さが気になった。
例えば、「行動の薄切り」とあるのだが。何のことでしょうかね。
原語は何だろう。スライス?。
なら、「行動の断片化」の方が、すっきりするかな。
大体、表題の「正直シグナル」からして変だ。
原語は、Honest Signals で、まさに、ド直訳。
群れを扱う内容ですよ、というのを醸しながら意訳すると、
直感ムード
本音ビーム
共感光線
無意識のうわさ
てな所だろうか。
タイトルに使ったら、どれが一番売れそうかな?。
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正直シグナル―― 非言語コミュニケーションの科学
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