◆ (単行本)コマとジャイロ: 回転体の科学と技術 ― 2023/05/01 13:58
図書館の新刊コーナーで、この古臭い技術イラストを表紙に見た時、何かの冗談か、変な哲学書か、妙な私小説か、と訝ったのだが。違った。
まごう方なき、1919年の技術書の新規翻訳だった。
いわゆるジャイロ効果について、当時の研究者たちが、どんな道具を使って、どのように解明し、対外的に説明を行ってきたのかをまとめている。
これ、簡単に言えば、私のような昭和の世代が子供の頃に遊んだ「地球ゴマ」だ。ブンと回せば倒れない。傾いても斜め回りで、やっぱり倒れない。倒そうと押せば反発される。手の内で広げられる不思議な動きを面白がったものだが、その原理を、本書は解き明かし、説明してくれる。
同様の原理は、回るもの全てに関わっていて、例えばバイクでは、重たい前後輪とエンジン(クランク)が高回転で回っていて、同様の効果をもたらしている。これが乗り味に大きく効いていて、なかなか侮れなかったりする。
機械モノを扱う技術者さんは元より、好事家(?)にも馴染んでおいて欲しい分野なのだが、そういった余計なお世話は、今は置く。
「地球ゴマ」だが、いつだったか、だいぶ成長した後、懐かしさでまた買ってみたのだが、まがい物だったのか精度が悪くて、お動きに昔のものほどの精緻さがなく、ガッカリした記憶がある。
あれ、今も売ってるのかな、とAmazonを検索してみたら、当時モノなのか、エライ値段で出ていて驚いた。もう、あのオリジナルの精度の品物は供給されていないのだろうか。どちらにしろ、この値段ではおいそれと買えない。
私の子供の頃、回転体を用いた玩具は、磁石を使ったようなものまで、似たようなものがたくさんあったが。やはり、今の子供には、こういった玩具で、物理の不思議に直接触れる機会はないのだろう。少々残念だ。
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コマとジャイロ: 回転体の科学と技術 単行本 – 2022/12/12
◆ (単行本) 封じ込めの地政学-冷戦の戦略構想 ― 2023/05/04 16:43
表題の「封じ込め」とは、米ソ冷戦の成立に大きく影響した概念で、戦後すぐの頃に、米国の外交官、G・ケナンにより提唱された。
本書は、各国政府の公式文書を広範に紐解くことで、1940~50年代の東西冷戦の成立に至る、米国の政策と戦略の変遷の裏側を描いている。そこに「封じ込め」がどう影響し、米国首脳部の考え方を変え、またはまとめたのか、その流れを検めている。そのプロセスで、「封じ込め」の考え方自体も同時並行して変化しており、それがどういった変遷を経たのかもまとめている。
個人的に、外交にはずっと興味があって、ケナンの著書も、かなり高価なものまで読んでいる。しかし、世の中的には、冷戦はもうオワコン扱いで、新たな文献を見かけることはなくなっていた。なので、新刊コーナーで本書を見かけた時は、少々驚いた。
昨今、一度は終わったはずの「冷戦」という言葉が、中国を相手にまた使われ始めていることに興味を抱いていた。
旧ソ連を相手にした「封じ込め」が復活して、中国に適用されうるものなのか、はたまた別の論理立てが行われるものなのか、だとしたら、それはどんな理論か、興味があった。
本書が、「封じ込めの復活」の意味で参考にならないかと、期待したのだが。本書の守備範囲は旧・東西冷戦までで、そちらは本当に参考程度に留まった。
本書の筋縦は、ケナンの当時がメイン、というか、ケナンをほぼ主人公扱いで展開している。それだけに、ケナンの論理を、個人的に懐かしく読みながら、思い出し、かつ、いろいろとインスパイアされた。
以下は、その一部の文字起こしである。本書の内容を正確に反映したものではないことを、あらかじめお断りしておく。
今「米ソ冷戦」を思い出すと、核兵器の軍拡競争に代表される行き過ぎた対立を想起させることもあり、「封じ込め」自体もそのようなニュアンスで語られることもあるようだが。初めにケナンが提唱したのは、もっと広範で、奥深い概念だった。
その出発点であり目的は「戦争回避」だ。平和による幸福の追求。平和的な繁栄という意味で、平たく言えば、自国(米国)と同盟国の国益、とできるだろう。
次の特色は「理解」である。相対する勢力(共産主義国家)の存在を認める。その存在を前提条件として設定し、特性を理解した上で、尊重する。無暗に敵視したり、排除を意図したりはしない。
対ソ戦略という文脈では、ソ連という国がどういう性質なのかを十分に理解し、それを尊重した上で、その人々と相対して「平和に暮らすには、こうするのが最適だろう」。そういう文脈で話を始め、かつ進める。
分かり合ったり、融合したりが当面にしてもムリなのであれば、お互いにわきまえつつ暮らすしかないわけで、自分も当然そうするし、相手にもそうするよう促す。場合によっては、互いにそうせざるを得ないような状況、具体的には「均衡」を作り出す。そのための方法を模索し、具体的に構築していく。
「武力が真っ先に来るべきでない。それは最後だ。」そうでないと、「封じ込め」ではなく「ぶっ潰し」理論になってしまう。決してお花畑的な理想論ではない、本来の意味での現実主義に立脚した視点ゆえの思考だ。
ケナンの封じ込め理論は、そういった理念に立脚しつつ、その実現のための手段も含めたフレームワークとして提供された、実に優れた戦略だった。だからこそ、その提唱の当時に説得力を持ち、浸透し、活用された。(戦後すぐの情報流通が限られる状況で、ケナン自身が、あらゆる組織に足で説明して回り、浸透と応用の両面で、八面六臂で働いた故でもあるのだが。)
とはいえ、ソ連(ロシア)という国は、歴史的、文化的に、他国と共有する部分が少ない。ぶっちゃけ、変わっていて理解が難しい人たちだ。ケナンは、ソ連担当の外交官という専門家だったので、彼らを深く理解することが可能だったのだが、そうではない人々、市井の一般人は元より、米国の要職を占める人達にとっても、それは難事だった。実際に政策の策定に携わる政府の要人ともなれば、組織を背負うプレッシャーもあるし、ポジション故の責任もある。たとえ理解できたとて、それをそのまま反映するのにも困難が伴う。
いくら優れた要人とて、全てを完ぺきにこなせるわけではない。まして、その彼らが扱うのは、相手国のみならず、全世界を絶滅させかねない、核時代の戦略だ。ブレもあれば変更もあるし、誰もが未経験の最先端だけに、米国特有の特色が、より濃く出る。
米国は、伝統的には孤立主義の国だった。他国にはなるべく関わらない。そういう内向きの国だった。その変化の扉をこじ開けたのは、真珠湾だった。二次大戦を境に、世界の覇権として突出した米国は、否応なしにその役割に駆られるようになる。
「米国は変わった」のだが、その変わり方は、あまり褒められたものではなかったように、個人的には思っている。「変わった」結果が、敵国からのシグナルに過剰に反応し、マッチョ志向で対処しようとする、お馴染みのあの米国だったからだ。(私は個人的に、この傾向を「チキンな米国」と呼んでいる。)
物事を白黒に二元化し、善悪に直結する単純思考。
(もっとも、この時代は「白黒」ではなく、「赤か、それ以外か」だったが。)
まして、勧善懲悪、悪は見つけ次第、暴力で叩きのめしてよい(安心したい)というチキン志向だから、こと冷戦に関して、原水爆の増産に代表される軍拡競争マチズムへと落ち込んでしまったのは、皆様ご存じの通りだ。
二次大戦の開戦の当初、米国にとって、ロシア~ソ連は、組すべき相手だった。実際、終戦まではその意識で来ていたのだが、戦後になって、対立軸が顕在化した。当時の世界は、何だかんだで西欧を中心に回っていたし、二次大戦後の戦後復興も、ドイツの処理が焦点になっていた。「負けたドイツをどう分け合うか」、その延長で「ヨーロッパのどこに線を引くか」が焦点になっていた。だから「封じ込め」も、地政学的に、主にヨーロッパを想定していた。
しかし、その後、ヨーロッパの戦後処理は、後にNATOとして結実する軍事同盟に向かって進み始める。本来、戦争リスクの回避を旨としていた「封じ込め」の理念から逸脱し、軍事に特化した形に傾斜して行った。ケナンは、NATOの設立には反対だったようだが、当時は日本や中東への対応に忙殺されていて、こちらに十分に関与できなかったことが一因だった、と本書にある。
今現在の結果論として、当時のケナンも懸念した通り、NATOは「出過ぎ」のプレッシャーをソ連に与え続け、それは、ウクライナ危機にまで影響し続けることになった。(それはつまり、ケナンのロシア理解が、またもや正鵠を射ていたことの裏返しでもある。)
他方、他の地域、特に東南~極東アジアは、全く様相が違っていた。
東南アジアの国々は、戦勝国からは遠く、弱く、こま切れで、その関係は混とんとしていた。大国からすれば、面倒くさいだけで、大してメリットのない地域だった。
主要戦勝国にとっては重要度が低い地球の裏側だったこともあり、戦後処理については、ほぼ放置プレイだった。比較的にしても利害がはっきりしていたのは、東洋唯一の強国で敗戦国の日本だけで、それも、米国が、自由主義国陣営のアジア橋頭保として使いたい意向が明確化していただけだった。
中国などは、面積も人口も大きすぎて、民主化も難しく(独裁制が妥当?)、米国の手に負えない、と目されていた。工業力も低くて経済的に使い出もなかったし、たとえ共産化してしまっても影響は小さかろうと、高を括られていた。今考えると奇妙なことだが、中国は、初めから「封じ込め」」の範疇外だった。
東南アジアの小国には、イギリス、フランス、オランダといった宗主国がまだ居たが、これら戦勝国とて、戦後すぐの頃は、本国の立て直しの方が優先だった。結局、この時期、こちらもほぼ放置された。
といった内情はソ連も同じで、大陸の東南端にはほぼ無関心だった。戦勝国として赤軍が占拠した朝鮮半島に仮置きする形で、中国に少しだけ先んじて成立した北朝鮮とて、決して友好国などではなく、ただの下っ端の衛星国の一つだった。
戦中まで、東南アジアには、日本の軍事パワーが実質的な抑えとして効いていた。終戦で、その力が一気に抜けた一方、他の覇権が取って代わることがなかったから、パワーの真空状態が現出した。
それが放置されたのだから、戦後のアジアの情勢は、ほぼ「成り行き」で決まった。中国内戦では共産党が勝ってしまい、世界が認めた中華民国に代わって、ちゃっかり居座った。朝鮮は南北に分裂して、彼ららしい暴力的ないがみ合いに至った。インドネシアなど小国が独立し、ベトナムは共産化した。
この当時、ケナンは既に要職を退きつつあったそうだが、その積極的な関与もあり、政策上は戦争リスクの回避という基本路線は維持された。しかし、米国の対応は「素早い後手後手」に終始し、情勢に大きく左右された。
その端緒が、朝鮮戦争だった。当初、米国は、ソ連による軍事的な関与はありえないと高を括っていた。しかし、共産党中国が成立し、東アジアの「分担」をソ連に進言し承認された(ソ連が中国に東南アジアの共産化を丸投げした)ことで、状況が変わった。
当初、全面対決のリスクを恐れて腰が引けていた米国だったが、中国軍の介入で劣勢に立たされたのは、さすがに衝撃だったようだ。そこで米国が感じたプレッシャーは、「チキン化」のトリガーを、直接引いた。
直接介入に追い込まれた米国が学んだのは、こんな極東の小国同士の諍いにさえ、結構な手間がかかること。根本解決は、相当に困難なこと。コストに比べてメリットが少ない。そんな米国にとって、事前の恫喝と、事後の処理に同時に使える「強力な軍事力」は、一番手っ取り早くて妥当な解として、光り始めていた。
以降、冷戦は、「封じ込め」が元来持っていた包括的な理念を離れ、軍事力への依拠という色合いを強めながら進んで行くことになる。
この朝鮮戦争の帰結と似たような事例は、アジア各所に残された。「均衡」という名のナアナアで残された多数の瑕疵が、時限爆弾のように各所に埋められた。例えば、尖閣もその一つだ。今の中国は、それを悪用し、国益に転化すべく、一つ一つほじくり返しては突つき回っている、という訳だ。
「封じ込め」は、東南アジアは対象外だったし、当然のこと機能もしなかった。端的に、「失敗した」のだ。
唯一、地政学的に、大陸から太平洋に進出する際のストッパーといえる位置にある日本と台湾のみを、現にそう使うべく、米国は画策し続けた。その残渣が、今さらのように浮上して、政策上のオプションとして、我々の眼前に浮遊している、という訳だ。
振り返れば、失敗は他にもいっぱいあった。ベトナムは痛かったし、キューバは危うかった。今回は取り上げないが、中東での失敗は9.11となって結実し、米国本土に直接の被害をもたらすに至った。真珠湾以来の本土攻撃だ。痛みも一入だ。
そんなこんなで、70余年が経った。
今、「新冷戦」を唱える米中と、ウクライナ戦争でNATOの押し戻しを主張するロシアを横目に、戦後米国の対外政策の一翼を担った「封じ込め」をおさらいしてみるのは、意味があったと思う。
本当に個人的な見解なのだが、今の米中関係に「冷戦」という単語を当てることには、私は違和感を感じている。あの時のような、考え抜かれた理念や思考が感じられないからだ。
今の米中関係は、かつての米ソの当時とはかなり違う。経済的な結びつきは強く、ビジネスは無論、留学から観光まで人の行き来が盛んだし、情報も流通している。お互いの専門家を国内に抱えていて、相互理解も進んでいる。それが功を奏しすぎて、中国が米国を理解したと踏んだ結果、「行ける」と判断し、化けの皮を脱いだから、覇権争いの体を成すようになった、そんな経緯に見えている。
自由主義 vs 共産主義のイデオロギー対決という側面は、確かにある。自由でなければ西洋式の経済的な繁栄はありえない。しかし、中国のような、面積と人口(と国民気性)を民主主義で納めることの困難さを、米国は理解しているようだ。
米国にとって、自由主義の橋頭保としての台湾は大切だ。かといって、死守するほど重要かは微妙そうだ。中国も同様に、台湾を武力で併合することのリスクは認識している。
プーチンのウクライナのように、狂気じみた怨嗟が魔を差すリスクは認識せざるを得ないが、中国がそこまでバカか、「わかっててもやる」のかは、時の運だ。
中米の「新冷戦」は、このまま、経済戦争の範疇で終始してくれれば、と願わずにはおれない。
もっとも、これは中国理解が覚束ない私個人の希望的な楽観視であって、当たりはしないだろう。
私の思考などはケナンの足元にも及ばないが、その現実主義の視線は、今一度思い出したい。
それは、現在の誤用である「今こうだからいいんだ」という意味ではなく、「可能性と限界の両方を常に見据えつつ、目的に向かい歩を進める姿勢」という本来の意味合いだ。
ケナンの時代から、70余年。
2世代を超える時間が経っている。
世代を経ても、過去の優れた知性は、誤解なく受け継ぎたいものだが。その難しさも、改めて感じた。
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封じ込めの地政学-冷戦の戦略構想 (中公選書 136) 単行本 – 2023/3/8
◆ (文庫)戦車の歴史 理論と兵器 ― 2023/05/06 16:06
私は、「乗り物の歴史モノ」に目がない。
昔から、 「馬車の歴史」 のような妙な本を見かける度に、せっせと買って読んでいた。
なので、本書も「これだああ」の体で読んだのだが。
甘かった。
戦車は、乗り物ではない。
兵器だ。
本書は、二次大戦当時、陸軍の戦車学校教官を経て、参謀としてインドシナや中国を転戦された元軍人さんが、退役後に記された本だ。
原著は1977年の刊。
原題は、「歴史」なしの「戦車 理論と兵器」。
内容は、書名とは少々異なり、戦車を使った戦闘の歴史、戦車戦記である。実際に戦車が使われた戦闘の事例を振り返り、何が良くて悪かったのか、分析と解説を加えている。
ご自身の研究結果をまとめたものなので、記述は二次大戦までだ。それ以降~現在までの最新情報は含まれない。
実の所、戦車という兵器は、汎用性は高くない。これが使えるのは、丘陵地や砂漠など、ある程度の硬度を備えた平坦地だけだ。森林やジャングル、湿地、岩場、凸凹や大きな亀裂があるようなフィールドでは使えない。
また、兵器そのもののスペックよりも、操り手の技術と、使い方の戦術への依存度が高い。どんな戦場で、どんな敵に対して、どんな車両を何台並べて、どのように動かして、攻め、守るか。その戦術がモノを言う。
戦車のそもそもの出発点は「騎兵の馬の代替・強化・機械化」なので、戦術の発想が、歩兵や騎兵の時代から始まっているということもある。日本の戦国時代の戦記でもおなじみの、地図上に白と黒の凸で敵味方の陣を描いて、これを動かして戦闘の様子を表す、あの世界の延長だ。
動きは遅いが火力が強い車両、その逆の車両、時には歩兵や機関兵も組み合わさる。戦闘のみならず、戦地までの移動や、弾薬、食料、燃料などの兵站も含めて、鉄道輸送の可能性や便宜性(自走による移動だと、一番遅い車両の動きに合わせざるを得ず、いい的になる由)まで、全部まとめて戦闘を組み立てられてこそ、初めて生きる兵器なのだ。
「高スペック最新機の投入」で、お話がある程度済んでしまったり、そこから話を始められたりする飛行機や艦艇とは、根底から世界観が違っている。
戦車が、「デケー、スゲー、カッケー」で済むのは、タミヤのプラモの世界だけなのだ。
戦車を理解するには、過去の事例に学び、自らの事例に応用すべく、研究と創造が必要だ。
本書は、その目的で書かれている。
歴史的に、戦車は軍の内部でも評価が一定しなかった、とある。言われてみれば当たり前なのだが、戦争が、戦車が有効に使えるフィールドで行われていれば、当然その評価は高まるし、戦術の研究や、車両の開発にも予算がつく。そうでなければ、戦車は検討の材料にもならない。
満州に戦車は必要だったし(だからソ連にやられたのだが)、南アのジャングルでは無用だ。軍の首脳が単細胞で、戦況を広く見渡した戦術を立てられなければ、戦車の有効活用はおぼつかない。
つまり、戦争そのものの性質と目的、それを担う方法論たる戦略からのブレークダウンが、戦車を決める。戦術は、戦略に従う。戦争を担うそもそもの戦略がダメなら、戦車による戦闘はダメダメになる。結果として、車両も搭乗員も報われない、そういう最悪の事態を招くことになる。そんな事例は過去無数にあったし、先の大戦の日本軍にも、無論のこと溢れている。
今現在でも、各国は戦車を保有し、それを活用すべく戦術と訓練の双方で鍛錬を続けている(はず)だが、それは、各々が想定している戦争の姿を表していることになる。
先ごろ、ウクライナに対する戦車の供与が話題になっていた。それが緊急かつ死活的な問題との報道だったが、単純に、それは「ロシアが戦車で攻めて来ている」ことの裏返しに見える。ロシアは、丘陵地で地続きの隣国を蹂躙するには戦車は有効と考え、車両を保有していた。(その割には戦術と訓練に難があるようだが。)
本書に戻ると、そういった全体論や、車両そのものの技術的な面よりも、先の大戦の地上戦の詳細に興味をお持ちの方や、地上戦の戦術そのものに興味をお持ちの方、日本の戦国時代の戦記などを好んで紐解かれている方に、好適かと感じた。
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戦車の歴史 理論と兵器 (角川ソフィア文庫) 文庫 – 2022/6/10
◆ (単行本)国際分業のメカニズム 本田技研工業・二輪事業の事例 ― 2023/05/10 14:28
表題の「国際分業」とは、「グローバル企業が、世界中に配した工場の生産割り振りを最適化するプロセス」を指す。
本書は、HONDAの2輪事業を例に、その国際分業の最新の事例を明らかにすべく研究成果をまとめたものだ。情報ソースは、過去の同類の文献はもとより、巷の新聞や雑誌の記事、HONDAへのヒアリングなどに依っている。
本稿では、まず、本書に描かれる「HONDAの国際分業」をかいつまむ。次に、その内容をナナメ読みすることで、「HONDAがどういうつもりでバイクを作っているのか」を描く。それにより、私の長年のHONDA研究(?)の総仕上げとしたい。
そもそもこのブログ自体、私のバイク好きが高じて、何かしら文献を挙げ、そこからインスパイアされた内容を書き残す目的で始めたものだ。最近は、肝心の「バイク」が抜け落ちて、一般書のログばかり書いているが、過去、例えばNRなどを題材に、HONDAのバイクづくりの姿勢について、主に文句を書き連ねてきた。
※ バイク関連の過去ログ一覧は こちら 。
「NR」や「ホンダ・フラッグシップ」辺りで画面検索してください。
HONDAに限らず、バイクメーカー一般に言えるのだが、ユーザーのためとか、技術者の夢とか、進化だの安全だのと喧伝の言葉の美しさとは裏腹に、肝心の製品の出来はといえば、ユーザーのことはあまり考えていないと思しきものが少なくない。「これだ」という機種は、よほど探さねば見つからないし、あってもレアな外車だったりして、HONDAのような大メーカーは、かえって期待薄と感じていた。(私の場合、公道バイク最良として認めたのは、80年代モトグッチという、レアの中のレア車だった。)
HONDAは世界に冠たる大メーカーで、出している機種も多いから、ハズレも多い、だから余計そう感じさせるのだ、という解釈も可能かもしれない。だが、パーツの供給が悪いとか、メンテ性が悪いといった巷の悪い評判を、我が身で実感する機会が多かったのも、また事実だ。
そのHONDAの、バイクづくりの実際とは、どういうものか。
本書は、その一端を教えてくれた。
それを報告したい。
● 本書に描かれる「HONDAの国際分業」
現在、HONDAは、以下の7つの生産拠点(Fab)を持っている。
日本、中国、タイ、イタリア、ブラジル、インド、ドイツ
これらを「分業」して、市販車の量産を行っている。
Fab選択の原則は「製品の仕向け地に最も近い」ことだ。
地産地消が、最も有利(主にコスト的に)だからだ。
新型車を造る際、初めの企画段階から、仕向け地が決まっている。国ごとに市場の質やニーズが違うし、エミッションなど法規制の内容も違うしで、多国向けを同時並行するのが難しいという事情もある。が、そもそも「どこに出すか」を初めに決めてかからないと、商流が決まらないので、ビジネスとしての話が始まらない。
また、基本、一度決めたFabの変更はない。Fab変更は、えらく大変でペイしないから、実質的に「変えられない」のだ。そんなわけで、この初めのFab決定は、ビジネス上、実に大きな影響を及ぼす。
HONDAの新型車の量産立ち上げは、次のような手順を経る。
まず、企画立案をする。どんなバイクを造るか。それをまず決める。
発案の経緯は、本書には2種類が挙がっている。技研での研究成果(要素技術開発)など内発的なものと、各国のセールスの要望など外発的なものだ。この立案段階で、大まかな仕様、例えば、仕向け市場や排気量クラス、コミューターか娯楽用か(用途)、オンとかオフとかのカテゴリー、価格レンジ等々の概要を決める。
次に、生産の検討だ。そのバイクを、どのFabで、どうやって量産するか。部品の調達と、量産技術、つまり、アセンブリラインそのものの設計(治具など)や、アセンブりの工程(工数)などの検討を行う。これにより、当該モデルのコストの全体像が見えてくる。
最後に、そのコストのフィードバックを受けて、当初の企画の目的に適うものかどうか、セールスも交えて、検証~検討を行う。その結果を、初めの企画の内容にフィードバックする。
この3段階を繰り返すことで、企画のビジネス性を詰めていく。その頻度は、ほぼ毎週という場合もあるようだ。
といった検討の大枠が大小あり、その上位機構を、HONDAでは「SED評価」と称するらしい。次に挙げる3つの社内セクションが顔を突き合わせて、各々のファンクションから、新型モデルの事業性を高める仕組み、といったような意味合いらしい。
S:Sales 地域統括本部、二輪事業企画室
E:Engineering 生産企画部
D:Development 本田技研、二輪事業企画室
ちなみに、ここで言う Engineering とは、量産技術、アセンブリ関連の開発のことだ。対して、新エンジン開発といった技術開発は、Developmentと言い分けている。
また、地域統括部は、現在、
日本、中国、ヨーロッパ、北米、南米、アジア
の6つがある。これらが、各々の受け持ちエリアの情報収集と提案を担う。
新型車の量産は、S/E/Dの全てを考慮して最適化される。どれか一つにより、一意的に決まることはない。
しかし、いくら綿密に検討したとて、見落としは常にありうるし、市場も刻々と変化する。最近では、国際情勢の変化も突然で、かつ大きい。常に最新の情報・状況に即したアップデートが必要だ。
だからHONDAは、この検討を定期的かつ頻繁に行い、プロジェクトを練りに練って、その確度を上げている。
そうして、最高の効率で、最適のタイミングでの新型投入を期すべく具現化した結果として、スケジュールに落とす。
HONDAには、10年先まで見据えた、100を超える機種を網羅した、このスケジュール表があるという。そのマスターは半年毎に更新され、例えば、各Fabの生産計画の見直しなど、全社の業務に波及的に反映される。
上記の「検討」の指標だが、メインは無論「収益性」、ナンボ儲かるか、つまりはコストだ。
ただ、それだけではなく、事業的なロングタームでの観点、例えば、「将来的にこのFabを小排気量向けに特化して育てたいので、その立ち上げ、またはテストケースを兼ねる」のような事業レベルでの展望も加味される。
そういった活動の結果として、HONDAは、Fabの増減や配置変えを継続的に行い、製品の供給網を状況に即して調整してきた。
その主なものとして、以下のような事例が挙げられる。
・日本市場の大幅な縮小に伴い、浜松のラインを廃止し熊本に統合。
・中国の偽ブランド会社を買収/吸収し、安価な部品調達網を確保。
・中国Fabから格安の原付を日本に輸入(その体制整備をイチから)。
・タイFabをグローバル対応Fab(特大ロットに特化したライン)として育成。
・小ロットモデル(大排気量娯楽機)を熊本Fabに集約。
かつ、グローバル調達と量産技術マスターFabとして特化。
新型車が実際に量産に移行した後も、検討とフィードバックは続く。
例えば、他国のFabからの輸入で賄っていたモデルを、現地生産に切り替えたケースがあったという。これは、仕向地のFabが、HONDA社内のプレセンスの向上を目的に本社に提案、本社がそれを採用する形で実現した事例だそうだ。これはボトムアップ方向のケースだが、トップダウンもありうるとのこと。決まったやり方(いわゆる「掟」)はなく、柔軟性をもって是とする思想が感じられる。
なお、コストに関しては、Fab調整に留まることなく、新規の取り組みもトライされている。
例えば、多機種向けの汎用エンジンの開発や、グローバルモデルの企画導入などがそれで、生産量増大(大ロット化)によるボリュームディスカウントを狙ったものらしい。
(私見だが、グローバルモデルは1つのFabに集約しないと意味がないので、地産地消型に比べて輸送費の面で不利になる。量産効果 vs 輸送費の兼ね合いになるのだが、輸送費は情勢で大きく変動するので(先のコロナ過の時は酷かった)結果を出すのは簡単ではない。今出ているグローバルモデルの価格が妙に割高なのは、この辺りに原因があるのかも知れない。)
以上が本書における「HONDAの国際分業」の超あらましだが、生産技術(部品調達とアセンブリ)に偏った印象だ。これが例えばTOYOTAだと、JITに代表される流通面での取り組みと、(ラインワーカーによる自主的?な)アセンブリでのムダ省きが有名だ。このように、社内調整機構の形は各社各様で、上記はHONDAの事例として特有のものと理解されるべきだろう。
(余談として、私の個人的な印象を記すと、TOYOTAのクルマが高い品質で安定しているのに対し、HONDAの製品(クルマとバイクの両方)は故障や寿命の面で劣っている印象(てか経験)が強い。ひょっとすると、製品毎に生産技術を変えているため、クオリティが安定していないのが一因かも知れない、と勝手に想像した。)
● 私説 「HONDAのバイクづくりの姿勢」
HONDAが「次にどんなモデルを作るか」に関して、本書では、技研の要素技術など内部要因と、仕向地のセールス部門からの要望の2つが挙がっていた。
どちらにしろ、社内の誰かが「次はこんなのが売れるだろう」と見当をつけることに端を発するのは同じだ。つまり、市場調査の意味でのマーケティングに依っているはずなのだが、量産最適化に焦点を当てた本書には、HONDAのマーケティング部門の働きに関する記述はない。
ただ、本書に記述されている量産化検討の第一義的な目的が、収益性にあることは明らかだ。その算出には「どれだけ売れるか」つまり販売フォーキャストが必須となる。
HONDAが、フォーキャストの算出にも(それなりに?)確かな仕組みを社内に保持していることは確かなのだろうと思うのだが、詳細が不明なので、とりあえず今は「前提」として置いて進む。
やはり、HONDAの新型車の企図は「どれだけ儲かるか」にあるわけで、HONDAという組織の目的がビジネスである以上、それは当然の帰結である。
しかし、我々ユーザーにとって、バイクの収益性は関係ない。粗利率が小さい製品はおトクだ、のような価値判断もなくはないようだが、ことバイクのような趣味の道具には通用しない。壊れずにちゃんと走って、乗って面白いバイクが一番だ。ユーザーの価値基準はそこにある。
ユーザーの喜びとか、夢の新技術といった宣伝文句はよく見かけるが、実際の製品が、全く別のものに見える場合も少なくない。(HONDAが言う「ユーザーの喜び」が、乗る喜びではなく、買う喜びだ、ということなら話は違うが。実際に、そういうユーザーも居るので、無下にはできない。)
HONDAの評価軸が、バイクそのものの設計よりも、量産設計の方に力点があるようなのも気になった。本書にも、設計図面は生産部門に送られて、量産性の観点で厳しいチェックを受ける、とハッキリ書いてある。収益性が要点なのだから、量産技術に重点があるのは当たり前なのだが、我々が求める「HONDAならではの優れたバイク」は、バイクそのものの設計技術の方を期待している訳で、その意味でも、裏切られた感は拭い得ない。
アセンブル工程が最適化されていて、キチキチに詰められていると思しき現状は、ユーザーの立場でも実感することがある。昔のバイクは、日々のメンテにもある程度配慮されていて、要所へのアクセスは容易なように作ってあったりしたものだが、最近のバイクは、その要所への直接のアクセスが難しく、手前にある諸々を順繰りに取り外す手間が当然になっている。この作業が、組付け工程を逆方向になぞっているように感じることがままあるのだ。機械的に、アセンブルの逆順にしかバラせない構造になっているのでは、と勘繰ったりしている。
逆に、HONDAの側の目線に転じてみれば、同情の余地もなくはない。
市場の質は様変わりした。
昔のように、レーサーもどきを無邪気に投入すれば済むほど、ことは簡単でなくなった。
市場のみならず乗り手も成熟していて、実直層とハイパー層に両極端化している。
実直層の価値観は読みにくい。
ハイパーバイクは既にワンミス即死のレベルに達していて、展開の余地はほとんど残っていない。
エミッションは厳しくなる一方で、電動化の絶壁断崖が近づいている。
従来の延長の技術開発で稼げる余地は、もうほとんど残っていない。
結果としてHONDAは、唯一の強みだったエンジン技術を全て捨て去る決断を、自ら吐露するに至った。そこまで追い込まれたのだ。
「ユーザーの夢」などとホラを吹いている余裕は、とうになくなっている。
ハイパーモデルは数が出ないし、実直モデルは単価が低い。どちらも儲けるのは大変だ。
稼ぎ頭のコミューターも、価格が焦点なのは言うまでもない。
畢竟、コストダウンが当面・唯一・最大の課題となり、そこに集中することになる。
コロナ渦も悪かった。部品不足で新車が欠乏した所に、3密回避な趣味としてバイクの人気が急上昇した。結果、魅力がないから残っていた新車が、奪い合うように高価で売れた。メーカーとしては「こんな物でも良かったのか」と、気が緩んだとて仕方ない。以降、同じようなユルいモデルのラインナップが続いている。
ビジネスが保守化し、新規企画が「安全に売れるもの」に収れんしてしまうのは、HONDA以外のメーカーも同じだ。かつては特徴がはっきりしていた外車勢も、似たり寄ったりの製品を出してきている。
HONDAは、他ではやらない独自性がカラーだ、とかつては言われたし、自称もしていた。しかしもう最近では、HONDA独自の物と言われても、何も思い浮かばない。
HONDAという会社は、技術者が自由にやれる楽園だとの評も、昔は聞いた。しかし、本書に描かれる社内の様子を見る限り、そういった雰囲気は感じられない。技術的な興味や進歩性、顧客の評価などではなく、会社の利益に、ただひたすら奉仕しているように想像される。技術者が楽しんで仕事をしているようには、もう到底思えない。
NRは技術者の夢だった、と誰かが言っていた。
当時、技術系従業員のこだわりをユーザーに価格転嫁する姿勢と受け取った私は、その物言いにひどく反発したのだが。あれが、ノスタルジーの意味だったとすれば、少しだけ合点が行く。
このところ、私はずっと、終(つい)の一台を探している。
死病を得てからしばらく経つ。もう余命も見えている。
(現に、本稿を含めこの所しばらく、当ブログの入稿は、病院のベッドから行っている。)
終の一台の候補として、HONDA車も眺め続けているが。
バイクの内容に比べて割高に感じられて、食指が動かない。
HONDAにお願いしたいのが、もっと安いのを(=さらなるコストダウン)になってしまうというのも、皮肉なものである。
かつて、二輪業界を破竹の勢いで制覇した、煌びやかだったあのHONDAのことだ。技術的な引き出しはたくさんあるはずなのに、出して来るものがこの程度というのは、どうしたものか。
例えば今、私の息子に、バイクを操る楽しみを伝えるべく、最適の教材たる一台を残すことを考えたとして、HONDAのバイクは、やはり候補に入ってこない。ラインナップに「操る楽しみ」を考えたバイクがないのだ。(「乗り易い」のはいっぱいあるが。そんなのは、飽きが来るのが早まるだけだ。)
これぞホンダ車、という説得力のあるバイクを、最後に見せてもらいたいものだが。ないものねだりなのだろう。
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国際分業のメカニズム 本田技研工業・二輪事業の事例 単行本 – 2018/12/28
◆ (単行本)二輪車産業グローバル化の軌跡: ホンダのケースを中心にして ― 2023/05/20 16:28
前回のエントリーと同じ目的で題名買いしたのだが。内容はかなり違っていて、時系列もずれており、前回の本とは同列に扱えなかったので。こちらに、別途紹介だけしておく。
本書は、日本の二輪産業について、その黎明期から、グローバル企業として大成するまでのトピックをいくつか挙げて、章別にまとめた本だ。
トピックと章立ては、以下のような構成だ。
・ ホンダ黎明期の社内の様子
・ 量産立ち上げに際し、宗一郎が語った技術哲学
・ 二輪産業黎明期の模倣~創造への変遷
・ ホンダTTレース参戦記
・ ホンダとカワサキのアメリカ市場進出
・ ホンダの二輪現地生産化
黎明期~立上げ期の話題が多く、どちらかというと「青春時代を振り返る」体の、よくある内容になっている。
ネタ元のほとんどが、社報や雑誌など一般的な情報のためか、あまり突っ込んだ内容ではない。
2011年の刊と、既に10年以上の時間が経っていることもあり、少々古臭くも感じる。
ともあれ、日本の二輪業界の成長の様子を一足飛びに読み切れるという点では優れた書籍であり、特にホンダファンにはお勧めできると感じた。
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二輪車産業グローバル化の軌跡: ホンダのケースを中心にして 単行本 – 2011/2/28
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