◆ (単行本)国際分業のメカニズム 本田技研工業・二輪事業の事例2023/05/10 14:28


表題の「国際分業」とは、「グローバル企業が、世界中に配した工場の生産割り振りを最適化するプロセス」を指す。

本書は、HONDAの2輪事業を例に、その国際分業の最新の事例を明らかにすべく研究成果をまとめたものだ。情報ソースは、過去の同類の文献はもとより、巷の新聞や雑誌の記事、HONDAへのヒアリングなどに依っている。

本稿では、まず、本書に描かれる「HONDAの国際分業」をかいつまむ。次に、その内容をナナメ読みすることで、「HONDAがどういうつもりでバイクを作っているのか」を描く。それにより、私の長年のHONDA研究(?)の総仕上げとしたい。

そもそもこのブログ自体、私のバイク好きが高じて、何かしら文献を挙げ、そこからインスパイアされた内容を書き残す目的で始めたものだ。最近は、肝心の「バイク」が抜け落ちて、一般書のログばかり書いているが、過去、例えばNRなどを題材に、HONDAのバイクづくりの姿勢について、主に文句を書き連ねてきた。

※ バイク関連の過去ログ一覧は こちら
  「NR」や「ホンダ・フラッグシップ」辺りで画面検索してください。

HONDAに限らず、バイクメーカー一般に言えるのだが、ユーザーのためとか、技術者の夢とか、進化だの安全だのと喧伝の言葉の美しさとは裏腹に、肝心の製品の出来はといえば、ユーザーのことはあまり考えていないと思しきものが少なくない。「これだ」という機種は、よほど探さねば見つからないし、あってもレアな外車だったりして、HONDAのような大メーカーは、かえって期待薄と感じていた。(私の場合、公道バイク最良として認めたのは、80年代モトグッチという、レアの中のレア車だった。)

HONDAは世界に冠たる大メーカーで、出している機種も多いから、ハズレも多い、だから余計そう感じさせるのだ、という解釈も可能かもしれない。だが、パーツの供給が悪いとか、メンテ性が悪いといった巷の悪い評判を、我が身で実感する機会が多かったのも、また事実だ。

そのHONDAの、バイクづくりの実際とは、どういうものか。
本書は、その一端を教えてくれた。
それを報告したい。


● 本書に描かれる「HONDAの国際分業」

現在、HONDAは、以下の7つの生産拠点(Fab)を持っている。
 日本、中国、タイ、イタリア、ブラジル、インド、ドイツ
これらを「分業」して、市販車の量産を行っている。

Fab選択の原則は「製品の仕向け地に最も近い」ことだ。
地産地消が、最も有利(主にコスト的に)だからだ。

新型車を造る際、初めの企画段階から、仕向け地が決まっている。国ごとに市場の質やニーズが違うし、エミッションなど法規制の内容も違うしで、多国向けを同時並行するのが難しいという事情もある。が、そもそも「どこに出すか」を初めに決めてかからないと、商流が決まらないので、ビジネスとしての話が始まらない。

また、基本、一度決めたFabの変更はない。Fab変更は、えらく大変でペイしないから、実質的に「変えられない」のだ。そんなわけで、この初めのFab決定は、ビジネス上、実に大きな影響を及ぼす。

HONDAの新型車の量産立ち上げは、次のような手順を経る。

まず、企画立案をする。どんなバイクを造るか。それをまず決める。
発案の経緯は、本書には2種類が挙がっている。技研での研究成果(要素技術開発)など内発的なものと、各国のセールスの要望など外発的なものだ。この立案段階で、大まかな仕様、例えば、仕向け市場や排気量クラス、コミューターか娯楽用か(用途)、オンとかオフとかのカテゴリー、価格レンジ等々の概要を決める。

次に、生産の検討だ。そのバイクを、どのFabで、どうやって量産するか。部品の調達と、量産技術、つまり、アセンブリラインそのものの設計(治具など)や、アセンブりの工程(工数)などの検討を行う。これにより、当該モデルのコストの全体像が見えてくる。

最後に、そのコストのフィードバックを受けて、当初の企画の目的に適うものかどうか、セールスも交えて、検証~検討を行う。その結果を、初めの企画の内容にフィードバックする。

この3段階を繰り返すことで、企画のビジネス性を詰めていく。その頻度は、ほぼ毎週という場合もあるようだ。

といった検討の大枠が大小あり、その上位機構を、HONDAでは「SED評価」と称するらしい。次に挙げる3つの社内セクションが顔を突き合わせて、各々のファンクションから、新型モデルの事業性を高める仕組み、といったような意味合いらしい。

S:Sales 地域統括本部、二輪事業企画室
E:Engineering 生産企画部
D:Development 本田技研、二輪事業企画室

ちなみに、ここで言う Engineering とは、量産技術、アセンブリ関連の開発のことだ。対して、新エンジン開発といった技術開発は、Developmentと言い分けている。

また、地域統括部は、現在、
 日本、中国、ヨーロッパ、北米、南米、アジア
の6つがある。これらが、各々の受け持ちエリアの情報収集と提案を担う。

新型車の量産は、S/E/Dの全てを考慮して最適化される。どれか一つにより、一意的に決まることはない。

しかし、いくら綿密に検討したとて、見落としは常にありうるし、市場も刻々と変化する。最近では、国際情勢の変化も突然で、かつ大きい。常に最新の情報・状況に即したアップデートが必要だ。

だからHONDAは、この検討を定期的かつ頻繁に行い、プロジェクトを練りに練って、その確度を上げている。

そうして、最高の効率で、最適のタイミングでの新型投入を期すべく具現化した結果として、スケジュールに落とす。

HONDAには、10年先まで見据えた、100を超える機種を網羅した、このスケジュール表があるという。そのマスターは半年毎に更新され、例えば、各Fabの生産計画の見直しなど、全社の業務に波及的に反映される。

上記の「検討」の指標だが、メインは無論「収益性」、ナンボ儲かるか、つまりはコストだ。

ただ、それだけではなく、事業的なロングタームでの観点、例えば、「将来的にこのFabを小排気量向けに特化して育てたいので、その立ち上げ、またはテストケースを兼ねる」のような事業レベルでの展望も加味される。

そういった活動の結果として、HONDAは、Fabの増減や配置変えを継続的に行い、製品の供給網を状況に即して調整してきた。
その主なものとして、以下のような事例が挙げられる。
・日本市場の大幅な縮小に伴い、浜松のラインを廃止し熊本に統合。
・中国の偽ブランド会社を買収/吸収し、安価な部品調達網を確保。
・中国Fabから格安の原付を日本に輸入(その体制整備をイチから)。
・タイFabをグローバル対応Fab(特大ロットに特化したライン)として育成。
・小ロットモデル(大排気量娯楽機)を熊本Fabに集約。
 かつ、グローバル調達と量産技術マスターFabとして特化。

新型車が実際に量産に移行した後も、検討とフィードバックは続く。

例えば、他国のFabからの輸入で賄っていたモデルを、現地生産に切り替えたケースがあったという。これは、仕向地のFabが、HONDA社内のプレセンスの向上を目的に本社に提案、本社がそれを採用する形で実現した事例だそうだ。これはボトムアップ方向のケースだが、トップダウンもありうるとのこと。決まったやり方(いわゆる「掟」)はなく、柔軟性をもって是とする思想が感じられる。

なお、コストに関しては、Fab調整に留まることなく、新規の取り組みもトライされている。

例えば、多機種向けの汎用エンジンの開発や、グローバルモデルの企画導入などがそれで、生産量増大(大ロット化)によるボリュームディスカウントを狙ったものらしい。

(私見だが、グローバルモデルは1つのFabに集約しないと意味がないので、地産地消型に比べて輸送費の面で不利になる。量産効果 vs 輸送費の兼ね合いになるのだが、輸送費は情勢で大きく変動するので(先のコロナ過の時は酷かった)結果を出すのは簡単ではない。今出ているグローバルモデルの価格が妙に割高なのは、この辺りに原因があるのかも知れない。)

以上が本書における「HONDAの国際分業」の超あらましだが、生産技術(部品調達とアセンブリ)に偏った印象だ。これが例えばTOYOTAだと、JITに代表される流通面での取り組みと、(ラインワーカーによる自主的?な)アセンブリでのムダ省きが有名だ。このように、社内調整機構の形は各社各様で、上記はHONDAの事例として特有のものと理解されるべきだろう。

(余談として、私の個人的な印象を記すと、TOYOTAのクルマが高い品質で安定しているのに対し、HONDAの製品(クルマとバイクの両方)は故障や寿命の面で劣っている印象(てか経験)が強い。ひょっとすると、製品毎に生産技術を変えているため、クオリティが安定していないのが一因かも知れない、と勝手に想像した。)


● 私説 「HONDAのバイクづくりの姿勢」

HONDAが「次にどんなモデルを作るか」に関して、本書では、技研の要素技術など内部要因と、仕向地のセールス部門からの要望の2つが挙がっていた。

どちらにしろ、社内の誰かが「次はこんなのが売れるだろう」と見当をつけることに端を発するのは同じだ。つまり、市場調査の意味でのマーケティングに依っているはずなのだが、量産最適化に焦点を当てた本書には、HONDAのマーケティング部門の働きに関する記述はない。

ただ、本書に記述されている量産化検討の第一義的な目的が、収益性にあることは明らかだ。その算出には「どれだけ売れるか」つまり販売フォーキャストが必須となる。

HONDAが、フォーキャストの算出にも(それなりに?)確かな仕組みを社内に保持していることは確かなのだろうと思うのだが、詳細が不明なので、とりあえず今は「前提」として置いて進む。

やはり、HONDAの新型車の企図は「どれだけ儲かるか」にあるわけで、HONDAという組織の目的がビジネスである以上、それは当然の帰結である。

しかし、我々ユーザーにとって、バイクの収益性は関係ない。粗利率が小さい製品はおトクだ、のような価値判断もなくはないようだが、ことバイクのような趣味の道具には通用しない。壊れずにちゃんと走って、乗って面白いバイクが一番だ。ユーザーの価値基準はそこにある。

ユーザーの喜びとか、夢の新技術といった宣伝文句はよく見かけるが、実際の製品が、全く別のものに見える場合も少なくない。(HONDAが言う「ユーザーの喜び」が、乗る喜びではなく、買う喜びだ、ということなら話は違うが。実際に、そういうユーザーも居るので、無下にはできない。)

HONDAの評価軸が、バイクそのものの設計よりも、量産設計の方に力点があるようなのも気になった。本書にも、設計図面は生産部門に送られて、量産性の観点で厳しいチェックを受ける、とハッキリ書いてある。収益性が要点なのだから、量産技術に重点があるのは当たり前なのだが、我々が求める「HONDAならではの優れたバイク」は、バイクそのものの設計技術の方を期待している訳で、その意味でも、裏切られた感は拭い得ない。

アセンブル工程が最適化されていて、キチキチに詰められていると思しき現状は、ユーザーの立場でも実感することがある。昔のバイクは、日々のメンテにもある程度配慮されていて、要所へのアクセスは容易なように作ってあったりしたものだが、最近のバイクは、その要所への直接のアクセスが難しく、手前にある諸々を順繰りに取り外す手間が当然になっている。この作業が、組付け工程を逆方向になぞっているように感じることがままあるのだ。機械的に、アセンブルの逆順にしかバラせない構造になっているのでは、と勘繰ったりしている。

逆に、HONDAの側の目線に転じてみれば、同情の余地もなくはない。

市場の質は様変わりした。
昔のように、レーサーもどきを無邪気に投入すれば済むほど、ことは簡単でなくなった。

市場のみならず乗り手も成熟していて、実直層とハイパー層に両極端化している。
実直層の価値観は読みにくい。
ハイパーバイクは既にワンミス即死のレベルに達していて、展開の余地はほとんど残っていない。

エミッションは厳しくなる一方で、電動化の絶壁断崖が近づいている。
従来の延長の技術開発で稼げる余地は、もうほとんど残っていない。

結果としてHONDAは、唯一の強みだったエンジン技術を全て捨て去る決断を、自ら吐露するに至った。そこまで追い込まれたのだ。

「ユーザーの夢」などとホラを吹いている余裕は、とうになくなっている。

ハイパーモデルは数が出ないし、実直モデルは単価が低い。どちらも儲けるのは大変だ。
稼ぎ頭のコミューターも、価格が焦点なのは言うまでもない。
畢竟、コストダウンが当面・唯一・最大の課題となり、そこに集中することになる。

コロナ渦も悪かった。部品不足で新車が欠乏した所に、3密回避な趣味としてバイクの人気が急上昇した。結果、魅力がないから残っていた新車が、奪い合うように高価で売れた。メーカーとしては「こんな物でも良かったのか」と、気が緩んだとて仕方ない。以降、同じようなユルいモデルのラインナップが続いている。

ビジネスが保守化し、新規企画が「安全に売れるもの」に収れんしてしまうのは、HONDA以外のメーカーも同じだ。かつては特徴がはっきりしていた外車勢も、似たり寄ったりの製品を出してきている。

HONDAは、他ではやらない独自性がカラーだ、とかつては言われたし、自称もしていた。しかしもう最近では、HONDA独自の物と言われても、何も思い浮かばない。

HONDAという会社は、技術者が自由にやれる楽園だとの評も、昔は聞いた。しかし、本書に描かれる社内の様子を見る限り、そういった雰囲気は感じられない。技術的な興味や進歩性、顧客の評価などではなく、会社の利益に、ただひたすら奉仕しているように想像される。技術者が楽しんで仕事をしているようには、もう到底思えない。

NRは技術者の夢だった、と誰かが言っていた。
当時、技術系従業員のこだわりをユーザーに価格転嫁する姿勢と受け取った私は、その物言いにひどく反発したのだが。あれが、ノスタルジーの意味だったとすれば、少しだけ合点が行く。


このところ、私はずっと、終(つい)の一台を探している。
死病を得てからしばらく経つ。もう余命も見えている。
(現に、本稿を含めこの所しばらく、当ブログの入稿は、病院のベッドから行っている。)

終の一台の候補として、HONDA車も眺め続けているが。
バイクの内容に比べて割高に感じられて、食指が動かない。

HONDAにお願いしたいのが、もっと安いのを(=さらなるコストダウン)になってしまうというのも、皮肉なものである。

かつて、二輪業界を破竹の勢いで制覇した、煌びやかだったあのHONDAのことだ。技術的な引き出しはたくさんあるはずなのに、出して来るものがこの程度というのは、どうしたものか。

例えば今、私の息子に、バイクを操る楽しみを伝えるべく、最適の教材たる一台を残すことを考えたとして、HONDAのバイクは、やはり候補に入ってこない。ラインナップに「操る楽しみ」を考えたバイクがないのだ。(「乗り易い」のはいっぱいあるが。そんなのは、飽きが来るのが早まるだけだ。)

これぞホンダ車、という説得力のあるバイクを、最後に見せてもらいたいものだが。ないものねだりなのだろう。


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国際分業のメカニズム 本田技研工業・二輪事業の事例 単行本 – 2018/12/28