◆ (単行本) なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか ― 2023/08/04 05:27
現代の選挙制度の趨勢、特に、裏側の悪い面について書かれた本だ。
著者は、選挙コンサルを営む、その道のプロである。
2019年と少し前の出版で、主に、米国のトランプ大統領の出現が、執筆のモチベーションになったようだ。
本書では、民主主義とは「選挙制度が(少なくとも表向きは)真っ当に実施されている国家」を指すようだ。
本来、選挙とは、民意を政治に反映させるための、多数決を原則とした仕組みなのだが、それが最近は逆向きに、政治の側が民の形を決める方向で使われている。
のみならず、近年では、集票を目標として、その方法論が先鋭化しており、新たな歪をもたらしている。
類似の方法論は、民主主義ではない独裁国家でも、姿や向きを変えて行われており、自由主義国家の側でも、グローバル化といった社会的な趨勢に乗じて、応用され、最適化されている。
・・・といった辺りが、本書の主な骨子だ。
キーワードは、「アイデンティティ」だ。
人が、自分をどう思っているか。
そこに、政治が介入する。
その主なプロセスは、以下のようなものだ。
まず、社会学者が、世間の新たな「段差」を見つける。(または「見つけた」と主張する。)
そこに善悪の価値観を結びつけることで、社会的なグループ分け、つまり「分断」を行う。
無論、自らの陣営は「善」であり、敵対する側、または「自分以外の、その他大勢」は「悪」の側に分類される。
それを、論理武装して披露し浸透させ、一般認識として流布する。「何オマエ、知らねえの?」ってヤツだ。
そうやって作られた「分断」の形が、やがて、各個人のアイデンティティの一部として取り込まれて行く。
その「分断作業」をどう選挙に応用するかだが、昔、地元の選挙名簿のような手作業に依っていた頃は、手間も時間もかかったが、やがて、テレビや新聞による拡散浸透の段階を経て、近年のネットやSNSが台頭するに至って、状況は一変。ICTテクノロジを活用することで、情報の出し手が、任意に、素早く、正確に、この作業を行えるようになった。その様子は、「レッテル貼り」と言ってしまっていい。
ネトウヨもクソサヨクも、「初めからそのものの人」というのは、そうは居ない。
ただ、スマホの画面のエコーチャンバーに漬かるうちに、染まって行き、先鋭化し、最終的に、凝り固まる。
他人の意図で、そちら側に分類され、自らも、そう任ずるようになる。
そういう順番で、ことは運ぶ。
実例として特に顕著だったのは、トランプ当選の米国大統領選挙だった。彼の支持層とされる「ラストベルトの貧乏白人」は、選挙の後に新たに発明されたレッテルだった。選挙の当時、そんな人は、実は居なかった。だが、そういったレッテルが選挙後に発明(または発見)され、マスコミにより「アナタがそうですね」と指摘され続けるに従い、「ああオレはそうだったんだ」という認識が普及、浸透した。事はそういう順番で進んだことが、後の調査で明らかになっていると。
似たような仕組みは、日本の選挙でも巧みに応用されている。例えば、安部元首相の「あんな人たちに負ける訳には行かない」といった言動は、彼の本音の発露だったことは無論だが、選挙対策として、分断と囲い込み、善悪のレッテル貼り、勧善懲悪の舞台設定、優位な側にいる故の優越感、といった諸々の装置を、巧みに織り込んだ選挙マーケティングの一端でもあった。
本書には、そういった選挙マーケティングの諸相が描かれているが、そのディテールの描写は見事で、なかなかに読ませる。選挙の現場をつぶさに見てきたプロたる著者の面目躍如だ。
ただ、章が進むに従い、選挙マーケティングに対抗するための処方から、未来予測のようなものに話が及び、終章の近くは、なぜか仮想通貨の話になっている。
通常、通貨は国家が営んでおり、それが国民の支配の形を、かなりの部分で定義している。仮想通貨は、その殻を打ち破るに足る能力があり、新しい自治の形をもたらすであろう・・・的なお話だ。
だが、2023年の現在、ビットコインを始めとした仮想通貨は、ブームが過ぎて、既に鎮静化の様相だ。それは、国家レベルの既得権益による陰謀が功を奏した結果かもしれないが、とにかく、これに関して著者は、盛大にやらかしてしまったのは明らかだ。今では恥ずかしくて読むに堪えない。
まあ、そこは読者の側が後付けの結果論で見ているわけで、致し方ない所ではある。
予想なんて、外れるものだ。
そこは、同じ著者による最新の近著を参照することで、挽回を期待しよう。
(次回、取り上げる。)
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なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか ~アメリカから世界に拡散する格差と分断の構図 単行本 – 2019/12/23
著者は、選挙コンサルを営む、その道のプロである。
2019年と少し前の出版で、主に、米国のトランプ大統領の出現が、執筆のモチベーションになったようだ。
本書では、民主主義とは「選挙制度が(少なくとも表向きは)真っ当に実施されている国家」を指すようだ。
本来、選挙とは、民意を政治に反映させるための、多数決を原則とした仕組みなのだが、それが最近は逆向きに、政治の側が民の形を決める方向で使われている。
のみならず、近年では、集票を目標として、その方法論が先鋭化しており、新たな歪をもたらしている。
類似の方法論は、民主主義ではない独裁国家でも、姿や向きを変えて行われており、自由主義国家の側でも、グローバル化といった社会的な趨勢に乗じて、応用され、最適化されている。
・・・といった辺りが、本書の主な骨子だ。
キーワードは、「アイデンティティ」だ。
人が、自分をどう思っているか。
そこに、政治が介入する。
その主なプロセスは、以下のようなものだ。
まず、社会学者が、世間の新たな「段差」を見つける。(または「見つけた」と主張する。)
そこに善悪の価値観を結びつけることで、社会的なグループ分け、つまり「分断」を行う。
無論、自らの陣営は「善」であり、敵対する側、または「自分以外の、その他大勢」は「悪」の側に分類される。
それを、論理武装して披露し浸透させ、一般認識として流布する。「何オマエ、知らねえの?」ってヤツだ。
そうやって作られた「分断」の形が、やがて、各個人のアイデンティティの一部として取り込まれて行く。
その「分断作業」をどう選挙に応用するかだが、昔、地元の選挙名簿のような手作業に依っていた頃は、手間も時間もかかったが、やがて、テレビや新聞による拡散浸透の段階を経て、近年のネットやSNSが台頭するに至って、状況は一変。ICTテクノロジを活用することで、情報の出し手が、任意に、素早く、正確に、この作業を行えるようになった。その様子は、「レッテル貼り」と言ってしまっていい。
ネトウヨもクソサヨクも、「初めからそのものの人」というのは、そうは居ない。
ただ、スマホの画面のエコーチャンバーに漬かるうちに、染まって行き、先鋭化し、最終的に、凝り固まる。
他人の意図で、そちら側に分類され、自らも、そう任ずるようになる。
そういう順番で、ことは運ぶ。
実例として特に顕著だったのは、トランプ当選の米国大統領選挙だった。彼の支持層とされる「ラストベルトの貧乏白人」は、選挙の後に新たに発明されたレッテルだった。選挙の当時、そんな人は、実は居なかった。だが、そういったレッテルが選挙後に発明(または発見)され、マスコミにより「アナタがそうですね」と指摘され続けるに従い、「ああオレはそうだったんだ」という認識が普及、浸透した。事はそういう順番で進んだことが、後の調査で明らかになっていると。
似たような仕組みは、日本の選挙でも巧みに応用されている。例えば、安部元首相の「あんな人たちに負ける訳には行かない」といった言動は、彼の本音の発露だったことは無論だが、選挙対策として、分断と囲い込み、善悪のレッテル貼り、勧善懲悪の舞台設定、優位な側にいる故の優越感、といった諸々の装置を、巧みに織り込んだ選挙マーケティングの一端でもあった。
本書には、そういった選挙マーケティングの諸相が描かれているが、そのディテールの描写は見事で、なかなかに読ませる。選挙の現場をつぶさに見てきたプロたる著者の面目躍如だ。
ただ、章が進むに従い、選挙マーケティングに対抗するための処方から、未来予測のようなものに話が及び、終章の近くは、なぜか仮想通貨の話になっている。
通常、通貨は国家が営んでおり、それが国民の支配の形を、かなりの部分で定義している。仮想通貨は、その殻を打ち破るに足る能力があり、新しい自治の形をもたらすであろう・・・的なお話だ。
だが、2023年の現在、ビットコインを始めとした仮想通貨は、ブームが過ぎて、既に鎮静化の様相だ。それは、国家レベルの既得権益による陰謀が功を奏した結果かもしれないが、とにかく、これに関して著者は、盛大にやらかしてしまったのは明らかだ。今では恥ずかしくて読むに堪えない。
まあ、そこは読者の側が後付けの結果論で見ているわけで、致し方ない所ではある。
予想なんて、外れるものだ。
そこは、同じ著者による最新の近著を参照することで、挽回を期待しよう。
(次回、取り上げる。)
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なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか ~アメリカから世界に拡散する格差と分断の構図 単行本 – 2019/12/23
◆ (単行本) 社会的嘘の終わりと新しい自由 ― 2023/08/11 09:23
「著者の近著に期待しよう」で終わった
前回のエントリー
の続きということで、ほんの数か月前に出た同じ著者による本を取り上げる。
無論、この著者の最新刊なので、著者の最新の主張としてよかろうと思う。
内容は、上記の前著の発展版だ。
構造化が進み、かつ強化されている。
まず、「権威主義」がキーワードとして現れる。
その姿は、歴史的に変化してきた。
・ あからさまな独裁制が権威主義バージョン1.0
・ 自由で民主的な価値観の押し付けによる権威主義2.0
・ 分断されたグループ同士で争う権威主義3.0
国家レベルで、今でも新旧のバージョンが併存し混在している。
(あの国はVer.1.0、こっちの国はVer.2.0、という具合。)
日本のように、v2.0とv3.0の両方が存在し、互いに補完し合う、v2.5(?)と思しき形態もある。
どれも、権威の側が価値観を決定することは共通しており、その押しつけが民の自由度を圧迫することで、閉塞感をもたらしている。
(この辺りの主張の骨子は、上記の前著と類似のようだ。)
その押しつけの構造を、権威主義の各バージョン毎に分析し、対応策を列挙している。
終章は、その対応策をシステム化し、新たな政治体制を構築することで、ある種の「脱皮」を期す。それにより、現状の閉塞感を打破し、より幸福な社会が実現できる。と、著者は、そう主張している。
終章に近くの、その「システム化」を説明した部分は、本書の目的でありクライマックスでもあるので、いかにも筆が乗っている様子が伝わって来る。
ただ、お話が将来像なだけに、実質的には思考実験であり、架空の概念の羅列と構造化なので、直感的には理解しにくい。私自身、読みながら半分飽きてしまい、著者が描く全体像を正確に把握できたかは怪しいのだが、結局、膝を打つ感じは得られなかった。
著者の心情は理解できる。政治は、著者の生活フィールドだ。今に至るまで集めてきた諸々の材料を有機的に組み上げシステム化して、自分の理想像を具現化して行く作業というのは、楽しいものだ。(プログラミングや、システムエンジニアリングの愉しみとよく似ている。)著者は今年42歳。その思考の熟成が、初めのピークを成す辺りの年齢だろう。
ただ、高い精度や密度で思考実験を行えることと、それを実際に具現化できるかは、全く別の話だ。大概の秀才は前者であり、後者の才能を兼ね備える例は本当に稀だ。多分、この著者もそうだろう。
個人的な感想だが、著者の論は、ある種の循環に陥っているように見えた。否定したはずの概念に、自ら囚われているような循環思考だ。例えば、リベラルは良くないと言いながら、リベラルな言動をしているようなケースがままあるように見えた。
それは、程度問題なのかもしれないのだが(世のリベラル原理主義はよくないが、自分の程よいリベラルは好ましい、といったような)、いずれにせよ、論の芯がぶれて見えることには変わりがない。
無邪気な一般読者としては、その辺りの瑕疵が、彼がノリノリで示しているシステムのバグとして現出してしまわないことを祈るのみなのだが。(エンジニアリングの場面でも、一番厄介なバグというのは、良かれと思ったその思考のコアな部分に融合している類のヤツで、一番わかりにくく、解決も難しいものなのである。)
考えてみると、外側から価値観を強制する例は、政治思想的なものだけとは限らない。私のフィールドである技術分野でも、同じ考え方は蔓延している。
もともと、「今日の便利は、明日の不可欠」という分野だ。これを悪用し、これが進んだモノですよ→持ってないのはバカで悪ですよ、というニュアンスのマーケティングは、もうそこかしこにあふれ返っている。というか、それを食い扶持として、それだけでもっている業界や企業は、引きも切らない。
既存の企業体が自己保存し、毎月、食い扶持をを捻出し、企業体を維持するためには、次々と製品を買い続けてもらわねばいけない。製品は、企業が食うためにあるのであって、必ずしも顧客の利益になる必要はない。仕事だから、食うためには、ある程度は何してもいいという、不祥事企業にあまねく見られる例の感覚だ。そういった状態がある程度続くと、企業体が生存のために必要としている価値の方が、社会が必要としている実質的な需要を凌駕してしまう。
同じものがいっぱい。要らないものもいっぱい。
と言っていたのは、有名なアニメのヒロインだったか。
新製品が、たとえ本当に必要なものだとしても、輝いて見えない。
どころか、どこかで見たような機能と説明に、買う買わない以前に、何だかウンザリしてしまう。
(だから、過去を知らない若者が買うだけの、一過性のニーズで収束~終了したりする。最近の「流行」が浅く短いのはそのためだ。)
それは、本書で描かれている「社会的な閉塞感」と、よく似ていると思うのだ。
本書で気になったことは、もう一つある。
経済面の思考が浅いことだ。
日々の我々の生活を、直接支えているのは、政治ではなく、経済だ。
政治は、経済をコントロールする機能も担っているので、政治の方が上位概念と言えるかもしれない。
ただ、経済は、もっぱら自身の法則に従って動いており、政策は、その一部に影響を与える程度の制御性しか持たない。
見るべきは、政治と経済の相関であって、政治だけ見ていると間違う。
しかし本書では、「政治とは既得権益の分配機構である」程度の言及はあるものの、それ以上の踏み込みはない。どうも、政治の側から、経済をチラ見している程度に留まっている印象だ。
そうではなくて、経済の側から政治を見直すような、より踏み込んだ視線が欲しい所だ。相手の立場に翻って見ないと、自分の姿、自分がどう見えているものなのかは、わからないものなのだ。
本書は、社会変革を扱っているのだから、せめてその辺りまで視野を広げて見た方が、より説得力を持てたのではないかと思う。
本書の対象読者だが、比較的若い世代の、社会変革に興味を持つ層が、その材料として読むのには好適だろう。きっと、元気づけてくれるものと思う。
個人的には、もう何枚か脱皮して、視界を広く、かつ思考をシンプルにできれば、さらに広い層に、長く読まれる良著になるだろうと感じた。
そうなることを期待したい。
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社会的嘘の終わりと新しい自由 2030年代の日本をどう生きるか 単行本 – 2023/4/21
無論、この著者の最新刊なので、著者の最新の主張としてよかろうと思う。
内容は、上記の前著の発展版だ。
構造化が進み、かつ強化されている。
まず、「権威主義」がキーワードとして現れる。
その姿は、歴史的に変化してきた。
・ あからさまな独裁制が権威主義バージョン1.0
・ 自由で民主的な価値観の押し付けによる権威主義2.0
・ 分断されたグループ同士で争う権威主義3.0
国家レベルで、今でも新旧のバージョンが併存し混在している。
(あの国はVer.1.0、こっちの国はVer.2.0、という具合。)
日本のように、v2.0とv3.0の両方が存在し、互いに補完し合う、v2.5(?)と思しき形態もある。
どれも、権威の側が価値観を決定することは共通しており、その押しつけが民の自由度を圧迫することで、閉塞感をもたらしている。
(この辺りの主張の骨子は、上記の前著と類似のようだ。)
その押しつけの構造を、権威主義の各バージョン毎に分析し、対応策を列挙している。
終章は、その対応策をシステム化し、新たな政治体制を構築することで、ある種の「脱皮」を期す。それにより、現状の閉塞感を打破し、より幸福な社会が実現できる。と、著者は、そう主張している。
終章に近くの、その「システム化」を説明した部分は、本書の目的でありクライマックスでもあるので、いかにも筆が乗っている様子が伝わって来る。
ただ、お話が将来像なだけに、実質的には思考実験であり、架空の概念の羅列と構造化なので、直感的には理解しにくい。私自身、読みながら半分飽きてしまい、著者が描く全体像を正確に把握できたかは怪しいのだが、結局、膝を打つ感じは得られなかった。
著者の心情は理解できる。政治は、著者の生活フィールドだ。今に至るまで集めてきた諸々の材料を有機的に組み上げシステム化して、自分の理想像を具現化して行く作業というのは、楽しいものだ。(プログラミングや、システムエンジニアリングの愉しみとよく似ている。)著者は今年42歳。その思考の熟成が、初めのピークを成す辺りの年齢だろう。
ただ、高い精度や密度で思考実験を行えることと、それを実際に具現化できるかは、全く別の話だ。大概の秀才は前者であり、後者の才能を兼ね備える例は本当に稀だ。多分、この著者もそうだろう。
個人的な感想だが、著者の論は、ある種の循環に陥っているように見えた。否定したはずの概念に、自ら囚われているような循環思考だ。例えば、リベラルは良くないと言いながら、リベラルな言動をしているようなケースがままあるように見えた。
それは、程度問題なのかもしれないのだが(世のリベラル原理主義はよくないが、自分の程よいリベラルは好ましい、といったような)、いずれにせよ、論の芯がぶれて見えることには変わりがない。
無邪気な一般読者としては、その辺りの瑕疵が、彼がノリノリで示しているシステムのバグとして現出してしまわないことを祈るのみなのだが。(エンジニアリングの場面でも、一番厄介なバグというのは、良かれと思ったその思考のコアな部分に融合している類のヤツで、一番わかりにくく、解決も難しいものなのである。)
考えてみると、外側から価値観を強制する例は、政治思想的なものだけとは限らない。私のフィールドである技術分野でも、同じ考え方は蔓延している。
もともと、「今日の便利は、明日の不可欠」という分野だ。これを悪用し、これが進んだモノですよ→持ってないのはバカで悪ですよ、というニュアンスのマーケティングは、もうそこかしこにあふれ返っている。というか、それを食い扶持として、それだけでもっている業界や企業は、引きも切らない。
既存の企業体が自己保存し、毎月、食い扶持をを捻出し、企業体を維持するためには、次々と製品を買い続けてもらわねばいけない。製品は、企業が食うためにあるのであって、必ずしも顧客の利益になる必要はない。仕事だから、食うためには、ある程度は何してもいいという、不祥事企業にあまねく見られる例の感覚だ。そういった状態がある程度続くと、企業体が生存のために必要としている価値の方が、社会が必要としている実質的な需要を凌駕してしまう。
同じものがいっぱい。要らないものもいっぱい。
と言っていたのは、有名なアニメのヒロインだったか。
新製品が、たとえ本当に必要なものだとしても、輝いて見えない。
どころか、どこかで見たような機能と説明に、買う買わない以前に、何だかウンザリしてしまう。
(だから、過去を知らない若者が買うだけの、一過性のニーズで収束~終了したりする。最近の「流行」が浅く短いのはそのためだ。)
それは、本書で描かれている「社会的な閉塞感」と、よく似ていると思うのだ。
本書で気になったことは、もう一つある。
経済面の思考が浅いことだ。
日々の我々の生活を、直接支えているのは、政治ではなく、経済だ。
政治は、経済をコントロールする機能も担っているので、政治の方が上位概念と言えるかもしれない。
ただ、経済は、もっぱら自身の法則に従って動いており、政策は、その一部に影響を与える程度の制御性しか持たない。
見るべきは、政治と経済の相関であって、政治だけ見ていると間違う。
しかし本書では、「政治とは既得権益の分配機構である」程度の言及はあるものの、それ以上の踏み込みはない。どうも、政治の側から、経済をチラ見している程度に留まっている印象だ。
そうではなくて、経済の側から政治を見直すような、より踏み込んだ視線が欲しい所だ。相手の立場に翻って見ないと、自分の姿、自分がどう見えているものなのかは、わからないものなのだ。
本書は、社会変革を扱っているのだから、せめてその辺りまで視野を広げて見た方が、より説得力を持てたのではないかと思う。
本書の対象読者だが、比較的若い世代の、社会変革に興味を持つ層が、その材料として読むのには好適だろう。きっと、元気づけてくれるものと思う。
個人的には、もう何枚か脱皮して、視界を広く、かつ思考をシンプルにできれば、さらに広い層に、長く読まれる良著になるだろうと感じた。
そうなることを期待したい。
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社会的嘘の終わりと新しい自由 2030年代の日本をどう生きるか 単行本 – 2023/4/21
◆ (単行本) 所有とは何か ― 2023/08/12 06:12
本書は、題名とは違い、所有について論じた本ではない。
各界の研究者諸氏が、各自の専門分野の観点で、所有にまつわる話をまとめた本だ。
本書の実質的な著者は6人いる。それぞれ、社会学、現代中国経済、文化人類学、経済学、歴史学、社会哲学の専門家とある。その6人による文章が、章別に並置されている。
このところ、研究者の間では、分野を超えた集まりを持って、異分野の意見に触れることで、研究者にありがちなタコツボ化を防ぐと共に、新しい知見に結び付ける活動、勉強会だったりワーキンググループだったり、が盛んと聞く。本書のきっかけも同じようなものだったようで、「では皆で『所有』を切り口に一文を成してみましょう」と相成ったのが、初動だったようだ。
だが、本書を一読した限り、残念なことに、所有という概念にがっぷりと取り組んだ文章はない。どちらかというと、「所有」はきっかけのワードに過ぎず、深掘りするのは、やはり各々の専門分野の、著者が興味を向けている他のポイントの方、とそんな文章が大半だ。
なので、題名を鵜吞みにして、所有という概念を深く知りたいと志す真面目な読者(私のような?)は、ほぼ期待を裏切られる。参考なり刺激なり、示唆なりが少しでも得られればラッキー、程度の読み方しかできない。
実質、この著者たちの勉強会の議事録のような内容だ。
対象となるべき読者層すら浮かばない。
そういう意味では、珍しい本なのだろう。
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所有とは何か-ヒト・社会・資本主義の根源 (中公選書 138) 単行本 – 2023/6/8
各界の研究者諸氏が、各自の専門分野の観点で、所有にまつわる話をまとめた本だ。
本書の実質的な著者は6人いる。それぞれ、社会学、現代中国経済、文化人類学、経済学、歴史学、社会哲学の専門家とある。その6人による文章が、章別に並置されている。
このところ、研究者の間では、分野を超えた集まりを持って、異分野の意見に触れることで、研究者にありがちなタコツボ化を防ぐと共に、新しい知見に結び付ける活動、勉強会だったりワーキンググループだったり、が盛んと聞く。本書のきっかけも同じようなものだったようで、「では皆で『所有』を切り口に一文を成してみましょう」と相成ったのが、初動だったようだ。
だが、本書を一読した限り、残念なことに、所有という概念にがっぷりと取り組んだ文章はない。どちらかというと、「所有」はきっかけのワードに過ぎず、深掘りするのは、やはり各々の専門分野の、著者が興味を向けている他のポイントの方、とそんな文章が大半だ。
なので、題名を鵜吞みにして、所有という概念を深く知りたいと志す真面目な読者(私のような?)は、ほぼ期待を裏切られる。参考なり刺激なり、示唆なりが少しでも得られればラッキー、程度の読み方しかできない。
実質、この著者たちの勉強会の議事録のような内容だ。
対象となるべき読者層すら浮かばない。
そういう意味では、珍しい本なのだろう。
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所有とは何か-ヒト・社会・資本主義の根源 (中公選書 138) 単行本 – 2023/6/8
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