「ギターと出会った日本人たち」 ― 2011/11/03 18:50
日本のギター創世記にかかわった人々を描く
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図書館でふと見かけて、ふらっと借りて読んでみた。
アマチュアの音楽愛好家にも、「好きこそ者の上手なれ」から「下手の横好き」まで幅があると思うが、その底辺を担う、へなちょこギタリストとして、興味深く読ませていただいた。(笑)
明治期にギターが日本に伝わり、庶民音楽として普及し、定着して行く。そのプロセスに関わった人々の様相を描いている。
今や「ギター」というと、エレキの方をまず思い浮かべる方が大半かとも思うが、表紙絵の通り、そっちではなくて、ナイロン弦の、クラシックギターの方の話である。
題名にもある通り、音楽ではなく、人の話だ。
「家系図」の話とも言える。
開国の後、西洋の音楽で「権威ある」枠組みとして確立されたのは、ピアノやバイオリンの方が先だった。ギターは、少し遅れて、だから「権威」とは別の文脈をたどって、普及していく。
それを志し、携わった人々は、ギターという楽器が持つ奥深さを、実際に見聞し感嘆し、その奥底の「波長」が、日本固有の感情とシンクロしうることを喝破した人々である。ギターは、そんな先達の熱意に頼る形で普及して行くが、その様子が、当時の文化的背景の考察と共に系譜化されている。
たくさんの糸(人々の意図)は、時間と共に出ては消え。
絡み合いつつ、シンクロした時にだけ、ふと、花開く。
届かぬと思えば、時として行き過ぎる。
その、意識の流れ。
人の思いが作るらせんは、見る角度によって違う様相をかもす。
ギター一本で伴奏とメロディーの両方を担い、音楽を、感情を、うららかにつむぐ。
その手法を確立したのはセゴビアだが、彼の来日公演は、登場人物の進路に、少なからぬインパクトをもたらしたようだ。
だって、その頂点は、あまりに高く、遠かったのだ。
自分で創ろう、作り出そう、そうしてきていた人々である。
しかし、セゴビアのもたらした「頂点」の前で、それまでの創作への意思は、色あせ、かすんでしまう。
明治から大正の時代。
理想化した「西欧」を、ただ一つの頂点として目指すのが、努力の正道として類型化されていたようにも思われる、そんな時代。
しかし往々にして、「既存の価値を追いかける」という感覚は、「創造の意欲」とは、相容れない。
彼らを萎えさせたのは、届かない、という「あきらめ」ではなく、つまらない、という「絶望」だったようにも思える。
だって、ただ「権威」をなぞる音楽なんて、つまらない。
余談だが、そんな傾向は、実は今でも続いているように思う。
どこぞの先生の生徒さんとか、なんぼのギターをお持ちの、とか、知らねえのか今度デビューした誰それ、とか、そんな価値観が、大概のようにも思える。
音楽としての、良し悪しよりも先に。
仕方ないね。
安い譜面やギターでは、食えないから。
たとえ、どんなに良くったって。
(値付けを、権威:ブランドに頼ってしまう。)
そうして、せっかく業界を支えていた裾野の広さを、自らつぶして、さらに、ますます、苦しくなっていく。
そんな悪循環が、あちこちで見えているような気がするのだが。
(音楽や楽器業界に限らず。)
権威におもねるのが悪い、と言っているのではない。
(理想や目的を抱いて、それに向かって努力するのは、尊いことだ。)
そうではなくて、価値の置き先がすり替わっちゃいませんか、と言っている。
そのようなことは、私が勝手に思い込んでいるだけで、本書には全く触れられていないので。あしからず。
続編として、オープンリールと耳コピーでエレキを立ち上げた、昭和の先達の話も読んでみたいが・・・。
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ギターと出会った日本人たち ~近代日本の西洋音楽受容史~
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