読書ログ ~ 「ブレア回顧録〈下〉」 ― 2012/03/03 06:16
1997年5月~2007年6月まで、イギリスの首相を務めたトニー・ブレアさんの回顧録だ。原題は「A Journey」、自分のキャリアを一つの旅路になぞらえることで、自分の行状を客観視しようとしているかのようだ。イギリス人らしいスタンスと言えようか。
私は政治家の回顧録はよく読む。その当時の、最も見晴らしのいいポストにいた当事者がその目線で語る物語は、それぞれの時代の真実を手っ取り早く正確につかむのに最適なのだ。政治のトップに座る人間ともなれば、一本芯の通った明晰さを持っていることが多くて、論旨もはっきりしていてわかりやすい。我田引水や自己賞賛の気が多いのは、気をつけなければいけないが。
過去読んだもので印象に残っているのは「シュミット外交回想録」。一昔前の、こざっぱりしたドイツ人は、おっかないけど、頭が切れて、人間としても面白かったらしい。逆のハズレ方面では、ロシア関係がなかなか多くて、「ボリス・エリツィン 告白」なんかクソだったし、「シェワルナゼ 希望」は訳文も難しくて(ロシア語直訳?)何を言ってるのか、よくわからなかった。何かいいことを言ってはいるらしい・・・のはわかるのだが。
この本は、和訳は上下巻の組で出ている。図書館に両方予約していたのだが、先に下巻が来てしまった。下巻は、いきなり9.11テロから話が始まる。のっけから緊迫という、サビから始まる流行歌のような読み方になり、かえって一気にのめり込めて、よかったような気がする。
政治家の回顧録としては、良く書けていると思う。悪く言えば、思い出話と言い訳、とも言えるのだが、真面目な想起と検証を織り交ぜていて、総括に向かおうとする意思が真面目で、好印象だ。ロジックや理由付けにも凝るのだが、イギリス人だけに、理屈のつけ方がいちいち湿っぽい。しかし論旨自体は明確なので、読後感は悪くない。イギリスの首相が何を見て、何を考えていたのかを、着実に垣間見ることができる。特に、9.11テロからイラク戦争へと向かう下りは、広く細かく書いていて、資料的な価値もありそうだ。
この後、2008年のリーマンショックと、3.11の震災を経た今となっては、多少影が薄くなった印象のイラク戦争だが。今、この当時の話を読むと、これは、西欧各国で、行き詰まり感がはっきりと認識され始めた、峠の時期だったなあ・・・と改めて感じる。
9.11のテロは確かに酷かったが、だからと言って、イラク戦争があれでいいことにはならない。それに、正義の戦いに(少なくとも明確には)勝てなかったのは、単にやり方がまずかったのか、それとも、あれは正義じゃなかったからなのか?。
「俺たちは、間違っているのではないか・・」
そう感じ始めた、あの傲慢だった「西欧」が、その後のリーマンショック、ユーロ危機とつまづき続けて、次第に閉塞感を深めているように見える。
それよりもだいぶ以前から、いろいろと行き詰っていて、震災&原発でさらに痛めつかられた日本からすると、何をいまさら的な話ではあるのだが。逆に、日本と西欧の過大の質の差の課題というのは、ドメスティックなものがほとんどなのだな、と感じた。あちらは、理念とか仕組みといった要素が強いが、こちらはカネだけでなくて、高齢化やら、国家そのものの構造劣化のようなフェーズに見える。課題が自前だから、解決も自前でしないといかんのだ。
本書に戻るが、記述が詳細なこともあり、かなりの大著だ。値段も高い。一生懸命、真面目に語ってくれようとしているのだが、話が長くて言い訳じみてて、ちょっと飽きた。
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ブレア回顧録〈下〉
バイクの本 ~ 「ぼくのキラキラ星―オートバイと仲間達と」 ― 2012/03/04 07:15
仲間と一緒にバイクを楽しむ様子を、車歴と共に描く
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堀ひろ子さんの本を読んでいて、何故か、この人を思い出した。
なので、何となく取り上げておく。
中沖さんというと、古きよき時代のRiders Club誌のコラム「鉄と心とふれあいと」がまっ先に思い出されるが、その他にも、バイク関連では多方面でご活躍されていた。ずいぶんご高齢になるまで、バイクを楽しんでいらしたように思うが、何年か前に亡くなったと記憶している。
件のコラム「鉄と心と」は、主に旧車を扱ったもので、古いバイクを直して乗る人や、ずっと乗り続けている人などを取材して、機体のなれそめや、オーナーの人柄などを、暖かい視線で紹介する記事だった。写真もきれいだった・・。(まとめて一冊化すると、ほっこり読める、いい感じのムックになると思うのだが・・。)
件のコラムだけでなく、雑誌など、あちこちに書いていて、著作もたくさんある。しかし、ほとんどがグランプリ出版の絶版で、今、探しても「アホか」っちゅう高値が多くて残念だ。
本書は、著者が若かりし頃、仲間と一緒にバイクを楽しんだ様子を、時系列に書き綴ったものだ。当時の、いくぶん粗野だが、シンプルかつピュアにバイクに接する様子が、楽しげに書かれている。
なにせ、「R1」といっても、三億円事件の方なのだ。(笑)
当時は、日本が工業化して、豊かになって行く「青春時代」そのもので、当時の世相を知る上でも、優良な資料と言えると思う。
著者の本職は、クルマの塗装業を生業とする職人さんで、戦後世代の「たたき上げ」だ。当時の厳しい世相を肌で知っている世代であり、それをこなした方ならではの、卓見と包容力は筆致にも表れている。物事をわしづかみせんと手を伸ばしつつも、ゆっくりと包み込むように取り出そうとする温かみは、筆者の人生経験の厚さの反映でもある。
キビシイ困難を、平気でこなした「余裕&図太さ」が何となく感じられる辺りが、堀ひろ子さんと似ていたのかもしれない。ちょっと、こじつけっぽいが。
昭和は、シンプルでピュアで、ダイレクトだった。
それを懐かしむ人が、老若男女問わず今もいる、ということは、我々の幸せは、単純で純粋で直接的な何か(またはそれを許す余裕)なのだけれども、それが今は失われている、ということの表れではなかろうか。
単なる私のノスタルジー、とも思えないのだが。
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ぼったくり古本が幾つか出てますが。
定価は1200円でした。
図書館の隅に見つけたときにでもご覧ください。
ぼくのキラキラ星―オートバイと仲間達と
ちなみに、近くの図書館にはコレがあって、読んでみましたが面白かったです。
塗装工時代の、四輪がらみのお話。
アバルトは低速トルクが薄くて、届けるのに苦労した・・・とか。
(当時の、新車・ホンモノのアバルト乗ったなんて・・・いいなあ!。)
見て盗め、の師弟制度の時代。それを実感できるのも価値かと思います。
力道山のロールスロイス―くるま職人想い出の記 (1982年)
堀ひろ子さんの著書もそうだが、こういう良書が埋もれたままなのは、実によろしくない。電子書籍なら、在庫管理リスクも相当減らせるだろうし、出版側の負荷も相当減らせるのではないか。
出版界の生業は、物事を伝えることだ。いつでも買ってもらえる環境を整えるというのは、優先度が高い課題だと思うのだが。
読書ログ ~ 「ビジュアライジング・データ 」 ― 2012/03/10 05:37
データ可視化システム「Processing」の解説
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グラフ化に代表される、データの可視化を行うプラットフォーム「Processing」の概念から、基本的な遣い方を解説した本だ。 グラフ化などは、特別なソフトを使わずとも、エクセル辺りでできてしまうのだが、本書のターゲットは別のところで、例えばWeb上でup to dateにデータを更新しつつ、常に最新を表示したい、とかそういった用途に向いている。どちらかというとJava系の方々向けと言えるかも知れない。
データの可視化はいつも悩み所で、詳細に解説しようとすれば煩雑だと嫌がられるし、結果だけ端的に示そうとすると、筋が見えない納得できない(何か隠してんじゃないか?)、などと言われてしまう。そして往々にして、データから理由と結果だけを抽出すると、元のデータの本当の姿とは、違ってしまうものなのだ。
その辺の矛盾を乗り越えられるヒントでもないかなあ、と手に取った本だったのだが、よくあるX-Yグラフなどの(文字通りグラフィカルな)基本的な内容が多く、これは斬新!といった話はなかった。ツールとして使い込めば、何かできるようになるのかもしれないのだが。ちと遠い印象。
我々の知識は、多層・多次元のネットワーク型の形をしているように思われる。それを、文章(一次元展開)や図表(二次元展開)で表そうとするから、冗長になったり、齟齬を含んだりするのだ。
何か妙案はないだろうか。
ツールが作れたら、画期的だと思うんだが。
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ビジュアライジング・データ ―Processingによる情報視覚化手法
バイクの本 ~ 「日本初のスクーター ラビットの技術史」 ― 2012/03/11 07:10
ラビットの技術開発史を、当時の技術者が解説した本
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以前、スクーターの歴史を描いた、いい本がないなあ・・・と 書いた。
訂正しよう。
本棚を良く見たら、本書があった。
以前、何故か題名だけで反射的に買ってしまい、買っただけで安心して、本棚にしまって忘れていた・・・。(笑)
この本は、実際にラビットの開発にかかわっていた技術者が、モデルの変遷と、開発の勘所を解説した本だ。本書を著されたのは退職された後だが、当時、既に富士重の社内にもラビットの開発史がまとまっていて、それも参考にされている、とのこと。正確さでは随一の「内部資料」と言えるだろう。
各モデルの青焼き図面まで掲載されている。
(Clickで拡大)
ラビットの発端は、中島飛行機時代の下請け工場に保存されていた、「米国製ポウエル」だった、とある。戦後に解体された中島飛行機の工場の一つ、呑竜工場のかたがそれを見つけて借用して来る、関係者で試乗して、これは面白い、役に立つ(売れる)、平和産業として推進に適している・・・となり、事業として立ち上げ、と事が運んだようだ。
ポウエル(パウエル?)を試乗するの図。
当時の製造ラインの様子。(まだ「ライン」じゃないけど。)
「最初のグー」こそ、既存の物の解体・解析による模倣から始まっているが、その後は独自の発展を遂げる。
技術者の目で見れば、お手本をバラしただけで、ここはもっとこうした方が、のような点はいくらでも出てくるものだし、実際に自分で製造してみれば、さらにいろいろ変えたくなるものだ。市場の方も、要求もトレンドも変わっていく。続々と誕生したライバル(銀ハトとか)の動向や、当局の意向(免許制度の改変とか)にも影響される。新しい技術や材料が出てくれば、取り入れてみたくなる・・・と外乱要因には事欠かない。
開発の履歴を、大雑把に俯瞰すると、大型化による性能と利便性の両立が縦糸で、シリーズ展開(小排気量車の追加:免許制度対応)や、独自の技術開発(エアサスやトルコンなど)が、横糸として絡む、という構造かと思う。
専売公社の「ミスタバコ」
牛乳配送仕様
戦後すぐの頃、四輪も含めて、電気自動車の開発が盛んだった、というのはあまり知られていないと思う。ラビットにも電動の試作車があったのだが、朝鮮戦争の特需で鉛の値段がハネ上がり、蓄電池がペイしなくなるに伴って、その他一般の電気自動車と同様に消滅した、とある。
AndroidやiOSは、電気兎の夢を見るか?
当時の開発の風景も子細に紹介されている。とにかく、マジメに開発を進めているのが印象的で、所詮スクーター、などと適当に手を抜くようは気配は微塵もない。
スタティックロード試験
ダイナミックロード/振動測定試験
ライバル車の購入や、比較評価もなされていた。
ドカティのスクーター、しかもトルコン豪華仕様だそうだ。こんなのあったんだ・・。
当時、ラビットが独自に開発した技術の解説も多いのだが、中でも、著者自身が直接、開発されたという「HK式防振技術」の解説には力が入っていて、本文中でも何度か繰り返し取り上げられる。これは特許切れの後、スクーターの制振技術のスタンダードとして長く使われた、とある。
特許広報 昭38-12215
トラクションと振動をうまく分離するのは、難しいのである。
巻末に、1948年のラビット D-11型の取扱説明書の丸コピーが添付されて、本書は終わる。
さて。
この「内部資料」により、作り手側が、どういうつもりでモノを造り出していたのか、その意図はある程度わかった。
後は、「外部の情報」、つまり、作り手の意図が、製品に反映されていたのか?と、市場でどう評価されたか?をたどらねば、我々が今、これを評価する意味がない。それは、読者側の仕事である。
残念ながら、私はラビットに実際には乗ったことがないし、誰かが乗っているのを仔細に観察したこともない。試乗したことがある友人の意見を、また聞きした程度だ。だから私は、ラビットのデキについて云々するレベルにない。
ラビットの愛好者は今も多いと聞く。きっと、何かしら独特な、強い魅力があるのだと思う。
個人的には、実車を見ると、ちょっと大きいなあ、と思ってしまう。しかし、世間を見回すと、もう車検つきの大型スクーターも一般化して久しいし(BMWまで出すの?)、「大きめのスクーターで、ゆったり楽しく」というスタイルも、まんざら悪くなかったようにも思える。そうだとしたら、時代は、ラビットの精神に「帰っている」のかも知れない。
個人的な見解だが、本格的な電動化が始まったら、スクーターのパッケージは、原点として復活しうる余地が大きいと思う。(Piaggio辺りは既に製品を市販している。) 電気兎の末裔たちが、モーターサイクルとは別の、独自の変化を遂げたら面白いなあ、と勝手に妄想している。
「飛行機の増槽を側車に流用」
すんげえカッコいいんですけど。(笑)
今あっても売れそうな感じ?。
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古本です。残念ですが、山海堂なので。
日本初のスクーター ラビットの技術史―戦後の街を駆け抜けた小さな先駆者の足跡
目下、ぼったくり古本しかないようですが。その手の本屋にまだ在庫があるのでは・・?。
ちなみに、定価は¥2800とお高めでした。その分、紙質がすごく良いです。
読書ログ ~ 「生きる: 東日本大震災から一年」 ― 2012/03/17 06:59
震災前後の東北の様子をまとめた写真集
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東北の震災から一年が経った。
案の定、3.11前後は、それにまつわる出版や放送が相次いだ。
個人的な印象と思うのだが、記録や検証という単語が妙に目についた。
「検証」の方は、今は捨て置く。未だデータの多くが伏せられている状況で、検証もクソもない。
「記録」の方は、見据えるとか風化させないとかいった切り口だが、本書はその一端だ。
ちなみに、図書館で見かけて手に取っただけで、身銭を切って買ってはいない。
たとえ目的が「記録」だとしても、中立というのはありえない。結局は「表現」の亜種なので、何かしらの色彩・・・意図的か無意識かにかかわらず・・・を、必ず帯びる。
むしろ、中立であろうとすれば、中身も印象も薄まってしまう。
同類が多ければ、埋もれてしまって、見えなくなる。時を経る前に。
それでは「記録」の意味がない。
3月11日のテレビは、見ていられなかった。
何だか、悲惨さを強調するのが、目を引くための手段のようにも見えて、二重の意味で辛かった。すぐ見るのをやめてしまった。
どれにしろ、だ。
最後に残るのは、同じ疑問だ。
あの時の傷が癒えずに、今も苦しむ人たちに向かって、これが何かの役に立つのか。
百歩譲って、これが「記録」だとしても、何年後、何十年後かに、これを見たい、これがあってよかった、と思うだろうか。
少々の義援金とか、絆とか黙祷とか、そんな曖昧なアリバイ作りのようなものではなく。
本当の意味で、被災者の皆さんの助けになるのは、何なのだろうか。
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生きる: 東日本大震災から一年
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